あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

通過儀礼としての荒業修行

2008-09-30 12:15:30 | 山は地球の見晴らし台

 

さて洞川の町を過ぎ、灯りが燈る赤い建物を「あっ、これが母公堂だな」と思いながら通り過ぎました。次に「必ず左折」といわれた地点も見過ごして大きい道路のほうを進んでいると「お茶屋」が見えてきました。「大峯山遥拝所」とも書かれています。小雨がふりだしていましたが、「せっかくだから、大峯山を見よう」と思い立ちました。お腹もすいていたのです。

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中に入ると雨のためか営業も終わりにしようという雰囲気です。「おでんを三つ」頼むと「小鍋で暖めます」とのこと。席に着きおもむろにあたりを見回しますが、なんとなく感じるこの「違和感」はなに? 

 

<o:p>写真:大淀町の道の駅はたいへんな賑わい。大型観光バスからの観光客も降りてきました。</o:p>

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まあ山の茶屋はどこもそうなのでしょうが、漂う殺風景な雰囲気、お客は男の子と父親らしい何組かの団体、若い男性グループと男性のみ。「えっ?もしかしてここはすでに女人禁制ゾーン??」という恐れがよぎります。

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<o:p>写真:上北山村から下北山村にかけての道路にそってダム湖が広がります。</o:p>

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「しかたないか、知らなかったんだし。この機会に『ご遥拝』もさせていただこう」とちゃっかりと企みました。

 

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周囲はたくさんの山々で囲まれ、いったいどれが大峯山なのかまったくわかりません。車の近くで「修験者用の白い装束(たぶん)」を着替えている男性に聞きました。「こちらに説明図がありますよ。あの急に深く切り込んでいるところが有名な『西の覗き』です。晴れているとくっきりときれいに見えるのだけど・・・」と残念そうです。小雨のなか遠くからですが、遥拝することができてなんだか嬉しくなりました。(前回の写真を参照)<o:p></o:p>

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ところで「西の覗き」で何をするかご存知ですか?話に聞くところによると、断崖絶壁で命綱だけが頼りという状態で吊り下げられ、仏の世界を垣間見る荒行らしいです。奈良の地元では、今でも「男の子は10歳くらいになると父親と大峯山に登る」ことを慣わしとしている家があります。かなり少なくなってはいますが・・・。周囲のお母さんたちから「行かせた」と聞きました。もっと早く知っていたら家の息子たちにも行かせたかったです。

 

 

写真:池原ダムは朝もやのなかでした。その深さ、大きさ、静かさ・・・。怖いぐらいです。

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綱をにぎる山伏の人は「親孝行するかっ?」「悪いことはしないかっ?」などと戒める(いましめる)のだそう。思うに現代日本の都会生活では、子どもから大人になる儀式(イニシエーション)がほとんど無くなっています。女性は比較的周囲からの期待や、妊娠・出産などを通じて大人になる機会もありますが、一方で男性は難しくなっていると感じます。(続く)<o:p></o:p>

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「千と千尋の神隠し」の雰囲気?洞川の町で

2008-09-25 13:34:00 | 山は地球の見晴らし台

 

 

      写真:お茶屋の「遥拝所」から大峯山を遠望。真ん中の急に切り込んだ

         ところが「西ののぞき」です。灰色の雲が広がっていますが、

         ちょっと不思議なことに大峯山の上あたりだけ白く明るくなって

         います。偶然でしょうが・・・。

 

 

 洞川(どろがわ)の町に入るとあたりの光景が一変しました。雲行きのため薄暗くなってはいてもまだ昼下がりの時刻。なのに町全体を赤い光がこうこうと照らしています。道の両側には、提灯を釣り歴史を感じる旅籠が立ち並び、その前には呼び込みの人らしい男たちが立っています。多くの宿泊者や観光客たちが行き交い、たいへん賑わっているのです。

 

 

 あまりにもこれまでの風景と異なる雰囲気に、なんだか異次元の世界に迷い込んだ気分さえします。車で通り過ぎた一瞬ですが、「なんだか花街のような雰囲気だなあ」と感じました。なんとなく「性的」なにおいがするのです。後でこの道路が「女人結界(禁制と同じ意味)」である「大峯山系山上ヶ岳」への登山口だとわかりました。この先の「母公堂(ははこどう)」が結界門となっているようです。

 

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      写真:お茶屋でおでんを三つ食べました。濃い味付けでした。

 

ウィキペディアの「洞川温泉」の項には、<o:p></o:p>

「全国的に女人禁制の山岳への登山口にはよくみられたことであるが、戦前まで旅館街の一部地域に遊郭の機能を有していた」<o:p></o:p>

とあり、なるほどと納得しました。<o:p></o:p>

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そのときのあいよっこは、なにしろ道に迷うことを恐れていたので、再び宿の前にいる男性に聞きました。「<st1:MSNCTYST Address="川上村" AddressList="20:川上村;" w:st="on">川上村</st1:MSNCTYST>の杉の湯への道はこの先にありますか?」「まだ他にもありますよ、行者還トンネルとか」「そこが通行止めなのです」「それでは、まっすぐ行くと赤い母公堂があるので、そこから少し行った○○○(忘れた)の二叉路を左折してください。必ずそこで左折ですよ」と(後で思えば、しかたないかという感じで)教えてくれました。

<o:p></o:p> 

 実はその前にもう一度、道を聞いています。土地の人らしい若い男性は「ああ、それだと<st1:MSNCTYST Address="大淀町" AddressList="29:大淀町;" w:st="on">大淀町</st1:MSNCTYST>まで引き返さないと・・・」「え~っ!困ったなぁ。でも洞川から行けると聞きましたが・・・」(何度かやりとりのあと、これもしかたないかという感じで)「ストアの手前を右折したら、急に上がっていく道ですよ」と、最後は親切でした。

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<o:p>        写真:あまり写真がないので、再びまんじゅしゃげの写真です。</o:p>

<o:p>           下北山村で。</o:p>

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これまでのいきさつのなかで誰一人として「女人結界だから・・・」ということばは聞かれません。

 

※かんじんの洞川の写真を撮っていません。目的が下北山村だったこともあり、そしてはやる気持ちもあったせいでしょう。ざんね~~ん!!

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大峯山でおでんを食べながら考えた

2008-09-19 22:21:18 | 山は地球の見晴らし台

 

          

         写真:群生するまんじゅしゃげが雨にぬれて重たそう。下北山村で。

 

915(火曜日)、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県奈良市;" Address="奈良市">奈良市</st1:MSNCTYST>から<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:下北山村;" Address="下北山村">下北山村</st1:MSNCTYST>を目指して、国道309号線を走っていました。<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:天川村;" Address="天川村">天川村</st1:MSNCTYST>みたらい渓谷のすばらしい景色を眺めながら、急勾配の道を登って行きます。このあたりが近畿地方でも最も高い地点で、県内最高峰の八経ヶ岳(はっきょうがだけ・標高1915m)、や弥山(みせん・標高1895m)などがそびえています。

 

写真:みたらい渓谷はむせかえるような濃い緑の木々と白っぽい石が美しい。

 

さあ行者還(ぎょうじゃがえり)トンネルを抜けると<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:上北山村;" Address="上北山村">上北山村</st1:MSNCTYST>はすぐそこ。・・・のはずでした。 トンネルの前に小さい標識が立ち、よく見ると「通行禁止」とあるではないですかっ! 「うっそおーー!」茫然自失とはこのことです。

 

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そういえば国道に入るとき案内があったような気が・・・。「トンネル通行禁止」を伝えていたのでしょう。「まさかそんなことないだろう」と一般道路を走る感覚で無視してしまいました。「国道が通れないなんて、ありえない」というあま~~い思い込みです。またそのトンネルを自分が通るのかどうか、良くわからないという他人事感覚もありました。

 

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たどりついたトンネルの手前は駐車場になっていて、車が10台ほど停まっています。登山を終え着替えをしていた男性に聞きました。「ここが通れないときはどうすればいいのですか?」「20分ほど引き返して洞川方面に右折すれば、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:川上村;" Address="川上村">川上村</st1:MSNCTYST>のホテル杉の湯のところに出ます」と丁寧に教えてくれました。これが後で大変ありがたいことになるのです。

 

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ここの登山口から、弥山へは往復6-8時間かかるのだそう。次第に雲行きが怪しいとはいえ、これから登るという若い男性もいました。このあたりも大峯山系に含まれ、以前は「女人禁制」だったらしいです。

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ともかく引き返さなければ。まだお昼過ぎではありますが、山道は薄暗く険しく、ときおり不安が心をよぎります。「行者も還るトンネル」(そんな意味?)の前であいよっこも還るしかありません。

 

 

写真:山を登り川も上流になると石はやや黒っぽく、角ばってきます。弥山登山口近く。

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この後「女人結界の大峯山」の一部分に堂々と入ってしまいます。そしてお腹がすいたあいよっこは茶店でおでん

(1個¥100を3個)なども食べてしまいます。

そして考えたこと・・・。

 

※「十津川村の旅」は前回で終了と致します。

おつきあいくださってありがとう。

奈良県内の豊かな自然と清らかな水に感謝。

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カナヘビは神さまのお使い?

2008-09-10 11:21:27 | 山は地球の見晴らし台

    

          

             

 

大峯奥駈道にある75の靡(なびき、行場のことです)のうち、10番目が玉置山および玉置神社です。さすがに<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:十津川村;" Address="十津川村">十津川村</st1:MSNCTYST>の人々から篤く信仰され、大切に守られている山と神社です。

 

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総けやき・入母屋造りの本殿は荘厳で風格があり、どことなく幻想的なイメージや素朴さも感じられます。(写真上)

神仏習合の時代には境内に715ヶ寺と多数の建物があり、熊野三山の奥の院とも呼ばれました。

 

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<o:p>写真:本殿の裏手にある「神代杉」からは歴史と威厳が漂っています。</o:p>

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以前宿泊した民宿Eのおかみさんからは「ぜひおまいりして『世界平和』を願ってください。とっても良い気持ちになりますよ。特に一番重要なのは奥にある『玉石社』だから忘れないで」と薦められました。玉置山周囲一帯には9つもの散策コースが整備され、森林浴やハイキングにも最適です。<o:p></o:p>

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頂上付近にある駐車場に車を止めて歩き出すと、あたりは杉の林に囲まれとてもすがすがしい空気です。なかでも樹齢3000年といわれる「神代杉」、途中からふたつに分かれた「夫婦杉」、スラリと長身で幹周りも最大のイケメン?「大杉」などなど、杉の巨樹群には圧倒されます。標高1000mでの、こうした杉の巨樹は珍しいのだそう。

 

写真:神代杉の根元。

Great & Grand!」<o:p></o:p>

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本殿を右横に進み「玉石社」への急な階段を登っていきます。最も聖なる場所はたいてい高く険しいところにあります。身体を動かし、足を棒にして、汗をかきながらたどり着いてこそ、ありがたい気持ちも倍増するのでしょう。<o:p></o:p>

「玉石社」は木の柵に囲まれてひっそりとしていました。三本の杉の真ん中には白い玉砂利が敷き詰められて、真ん中に丸い石が見えています。これが玉置神社の名前の由来ともなった玉石です。

 

 

写真:夫婦杉の形といい大きさといい、自然の造形の妙です。

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「神武天皇は東征のときに、この石の上に『十種の神宝(とくさのしんぽう)』を置いて勝利を願ったのかぁ」と古事記の世界に思いを馳せます。「土に埋まっている部分があまりにも大きすぎて掘り出すことができなかったらしいけど、でもそんなに大きいとは思えないぞ」などの疑問も感じながら・・・。

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さらに奥には一見普通の石や割れた岩石が三つあり、樹とくっついている石もあります。これも古事記に由来する「霊石」で、それぞれが神さまの石なのです。あっ!なにかがするするっと出てきました。茶色の30cmくらい、少し大きめのカナヘビのようです。ギクッ、どきどき・・・。霊石だけに神さまのお使いにも思えてきました(!)<o:p></o:p>

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玉置神社の境内には神秘的な時間と空気が流れています。あいよっこの全身には大量の汗と冷や汗が流れました。

 

 

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写真:三本の杉に守られて鎮座する玉石。

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人間は自然の、ほんの一部

2008-09-06 16:55:18 | 山は地球の見晴らし台

    

     写真:玉置神社の周辺には杉の樹林が広がる

 

熊野本宮大社を起点とするもうひとつの古道、「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」は、2000m近い山々の尾根を伝って吉野山に至る厳しい修験道の根本道場となっています。 

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その昔は谷伝いより、尾根伝いの方が道路も作りやすかったのでしょうね。特に紀伊山地にこうした数多くの霊場が作られたのはどんな意味があったのでしょうか?都に近いから、だったのでしょうか?いずれにしても、ヒトは古来より身体を極限まで酷使して、精神を鍛えていたのですね。もちろん今でも修行している人は多いようです。

 

 

写真:オブジェのような珍しい形の大木が目を引き  ます。これも杉なのかな?

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金峰山修験本宗宗務総長の田中利典さんは読売新聞(2008/8/19付け)の「修験道と今」で、「修験道は日本古来の山岳宗教に、神道や外来の仏教、道教などが集合して成立した日本独自の民俗宗教であり、その基盤は山岳信仰にある」と説明しています。そして「大自然の中に分け入り、神仏を隔てなく拝み、大自然と一体になる宗教。(中略)自然との関わりこそがその生命なのである」と教えています。<o:p></o:p>

 

 

写真:玉置神社の本殿にはどことなく幻想的な雰囲気が。

 

 

大自然を道場に、日本古来の八百万(やおよろず)の神々が見守るなかでの心身修行は、ことに都会生活の現代人には、必要とされるかもしれません。近年実施される「体験的修行」「山伏修行」などへの参加者は増加する一方だということです。

 

宗教、宗派などの境界がなく、神と仏も等しく尊ぶ懐の広さにはとても共感できます。<o:p></o:p>

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