あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑪

2015-11-28 00:56:26 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵

             写真は2015/10/4 京都府「花背大悲山・峰定寺(はなぜだいひざん

            ・ぶじょうじ)~美山町・かやぶきの里」

             写真上:山岳修験者の観空西念(かんくうさいねん)が1154年に創建した

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    前回紹介した 韓国の中央日報が2013/11/15に報じたこのニュース

門を閉めて国宝・石窟庵を現場点検、結果には口をつぐむ…なぜ?(1)(2)

 

  これによるとその前日14日に文化財庁が実施した「石窟庵の一次緊急構造安全現場点検」が非公開で行われたうえに、点検内容についても「口を閉ざすよう指示した」としています。

 

  現場点検に先立って開かれた専門家による会議も、公開は最初の5分間だけ、さらに「現場取材も許諾しない」と通知されたことに対して、現場では仏国寺の管理員とメディア関係者の間で騒ぎがあった、と報じています。

 

  観光客のコメントとして「これを見たある観光客は『取材を認めないなんて、どんな秘密があるのだろうか』と話した」と掲載していますが、まあ、おそらく記者自身の気持ちでもあるでしょうね~。

 

  また「点検団はこの日点検した内容を整理した後、発表すると述べた。キム・ドンウク委員長は『今日点検したことに基づいて議論をし、近く次の点検日程を決める』と述べた。」としていますが、その結果発表はどうだったのでしょうか? もちろん結果報告はされたのでしょうが、日本語の記事は検索できなかったです。

 

  記事の後半⑵では中央日報が入手した「2回の現場取材と2012年の文化財庁石窟庵調査報告書」に関して次のように記しています。「石窟庵の本尊には約20カ所の亀裂が見つかり、崩壊の可能性も排除できないという専門家の指摘もあった。また文化財庁の報告書によると、石窟庵には計56カ所の欠陥があることが明らかになった。本尊に25カ所の亀裂・破損現象があり、天井に3カ所、側面柱に6カ所、四天王・十代弟子像など外壁に15カ所、外部ドームに7カ所の問題があった。」

 

  大変古い石窟庵・石仏なので、何か所も亀裂や破損があるのは当然ですが、知りたいことはその問題個所の数ではなく、トラブルの詳細や原因であり、今後どのような修理・対策を行っていくのか、なのですが・・・。

 

  ところで石窟庵の注目すべき特徴として「慶州で2000年を歩く 新羅から現代への旅」(武井一、桐書房、2003)では「本来石窟庵のドームには東側に向けて窓が開けられていて、スリットとなっていた。仏像の方向が冬至の日の出の方向とほぼ同じで、日の光によって仏像が浮かび上がるようになっていた。今はふさがれてしまい、電気の光で浮かびあがらせている」と説明しています。

 

  また別の文献では(すみません出典が不明・再調査の必要がっ)「・・・石穴の深さは、14.8メートルで高さは9.3メートルです。石窟庵本尊仏が、日が昇る東海を眺めているという点が注目すべき点です。ちょうど水平線の上に昇る朝日を本尊仏が浴びる頃、石窟庵の真の姿を見ることができます」と書いています。

 

  さらに「韓国の古都・慶州を訪ねて」(地球の歩き方)では「石窟庵では夏至と冬至には石窟の中に太陽光が入り込み、石仏の顔を照らす構造だった」とあり、太陽光に対する並々ならぬこだわりが感じられます。

 

  これらの記述は微妙に異なっていて、どれが本当なの?と思いますが、なんだか「インカ帝国・マチュピチュの太陽神殿遺跡」にコンセプトが似ていますね。

 

     ・・・続く・次回は最終回・・・・

 

      写真:現在でも観光的拝観はできません。山門の先をに入るには

         一切の荷物を排し修験装束で登ることが必要。

         もちろんカメラも携帯不可なので、思案の末諦めました。

   写真:上の写真の神木は、

      雨風を防ぐための小さな屋根付き

 

 

  福島県南相馬市にある「大悲山の石仏群」を

   拝見して、同じ名前のお寺に興味を持ちました。

  福島めぐりが遅れていますが、いつか写真だけ

   でもアップしたいです。

 

 

     写真:奥深くて美しい自然

     写真:自転車に乗る人がVサイン! 

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「韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ③

2015-08-31 21:07:13 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵

         写真は2015/8/16~19「上越「妙高高原・燕温泉」~信州「安曇野・木曽川下り」

         写真上:撮影日2015/8/17      燕温泉から妙高高原スカイケーブルへ

 

   「石窟庵・釈迦如来像」の写真が撮影できなかったのが残念で説明しにくいです。「釈迦如来像」の分類に関しても諸説あるし、ガイドブックなどの写真に関しても重要な事実を後述しますが、まずは概要から。なお引用文章の太字はあいよっこによります。

 

  「韓国観光公社サイト」によると「新羅第35代景徳王時代の宰相・金大城が両親のために751年に創建した石窟庵は、仏教美術史上の最高傑作と言われる釈迦如来座像が有名です。花崗岩を丸彫りにした高さ3.26mのお釈迦様を囲んで、四方の壁には十一面観音菩薩や金剛力士、四天王などのレリーフがあり、保存のためガラス越しにしか見られませんが、素晴しさと荘厳な雰囲気に満ちています。」とあります。 

 

  ですがWikiには「新羅景徳王恵恭王の時代の宰相だった金大城700年 - 774年)が自分の父母のために「石仏社」を建立した、と高麗時代の『三国遺事』に記されており、石仏社が仏国寺の位置に近いことから石窟庵のことであると考えられている」とかなりあいまいで確実な証拠はないように見えます。

 

  「『慶州で2000年を歩く 新羅から現代への旅』武井一 2003」では、「仏国寺は華厳宗 751年に完成 日本ではこの翌年、大仏開眼供養が行われた」そうで、「仏国寺と石窟庵は同じ人が同じ時代に発願したといわれる」と説明があります。また「最初は528年だといわれるが、事情は不明。八世紀に入り首相にあった金大城が現世の父母の供養のために、石窟寺を前世の父母の追悼のためにつくることにした」とあり、結局751年にできたのは仏国寺なのか石窟庵なのかもはっきりしません。

 

  その他の年代などもはっきりしないなか、「751年創建」は強調されていて、どうやら「奈良の大仏開眼供養より1年早いのだ」ということを主張したいみたいです。

  次に「発見当時のエピソード」です。

   Wikiでは「1909年、郵便配達員が配達のため吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込んだ。その洞窟の中に偶然仏像を発見した。当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがあった。天井が抜け落ち、仏像に直接雨が当たり、周囲の仏像の配置もすでに不明で、全体の半分以上が土に埋もれていた」

 

  そういえばこのお話を友人から聞いたことがありました。彼女は数年前に観光したときガイドからこの説明を聞き「そんなことあると思う?」と不思議そうでした。ああ思い出した!あの話はこのことだったんだ!!

 

   あいよっこのガイドはこのエピソードを話さなかったです。でも実際にみた感じでは「あの山に郵便配達人が配達に?歩いてだろうか、自転車なのかな?当時は民家とかあったのね?でもいくら豪雨でも荒れ果てた洞窟で雨宿りするのかな?」とやっぱ疑問符だらけです。

 

  そもそも造られた時から(古墳みたいに)土に埋まっていたのか、あるいは長い年月の間に堆積?したのかを教えて欲しいです。いずれにしても全部埋まっているなら当然「雨宿りをしよう」とは思わないし、だいぶ崩れかかっていたら、土地の人たちって絶対に中を覗いて見るものでしょう。「なにかある」とわかっていたはずだろうに・・・?

 

  しかも「実は日本人が発見した」という説もあるのです。前述の『慶州で2000年を歩く 新羅から現代への旅』では「石窟庵:吐含山の頂上に 花崗岩を積み上げて石のドームを作り石窟寺院のように造った。20世紀はじめ、日本人により発見され大改修され、古墳の石室のような外観になった」と説明しています。

まさに「諸説紛々(しょせつふんぷん)」ですね~。

    ・・・・・・・・ 近日中に続く  ・・・・・

 

         写真:関山神社 

             石はライオンの顔、木の幹にも顔が連なっているみたい

      写真:関山神社の「石仏群」は平安時代のもので、胸から下は土中に

          埋まる「生(い)けこみ石仏」    ※ふつう古い石仏ってこんな感じに

          なるよね~。

           写真:奈良時代から修験道の道場として繁栄した「関山神社」

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韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ②」

2015-08-28 13:27:08 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵

   写真は2015/8/16~19  「上越「妙高高原・燕温泉」~信州「安曇野・木曽川下り」                              

   写真上:撮影2015/8/16  妙高高原「いもり池」

                     快晴のときは池に映る逆さ妙高が美しい

 

  さて2013年の4月に行った「韓国桜ツアー」のお話です。慶州観光の当日は朝からとても寒く、なんと仏国寺・石窟庵のある吐含山(トハムサン)は激しく雪が降っていてバスの出発も遅れるほどでした。バスガイドさんも「この時期にこんな雪は初めて!」と驚いていましたが、雪景色はおそらく、雪なし景色よりだいぶ美しかったと思います。

 

  仏国寺から山道を10分ほど登ると「石窟庵」があります。ところが木造の建物に囲まれた内部は薄暗く、石仏までの距離は遠いうえに両側にある柱で視野が狭くなり、石室内はもちろん石仏もはっきりとは見えません。

 

  さらに目の前にはぶ厚い(たぶん)ガラスで遮られていて、当然ながら?ガラス越しでも「写真撮影厳禁!」です。監視の人も睨んでいて、行列の波に押されるように足速に外に出てしまいました。

 

  「ええっ、なんでちゃんと見られないの? もっと近くで感じたいよ~、世界遺産なんだからね」と怒り心頭です。「これではまるでしっかり見られるとまずいみたいじゃん」と思って、「ハッ!」としました。もしかして本当にそうなの?

 

  その後バスの車窓から見学した、世界遺産「慶州歴史遺産地区の大陵苑地区」(新羅王朝の古墳群)では「まるで公園の築山みたい。明日香~高取にある韓国系古墳といわれるものとはまったく違う雰囲気だなあ」と感じました。

 

  するとガイドさんは「これらの古墳はまだ発掘していない」と話すので、「なぜ古墳とわかったのですか?」と聞くと答えをあいまいにして「発掘は子孫へのプレゼントです」と説明しました。「えええっ!?なんでここだけ調べないの?」と疑問を持ったことも拍車をかけました。

 

  どうも気になる、ちょっと調べてみよう。日本に帰ってネット検索や本屋・図書館での文献調べをしてみました。まずはWikiです。誰が書いているか不明、正誤も未確認、などの問題はあるけれど、まあ言って見ればどんなネットサイトでもメディアでも文献でも、なにが正しいのかを決定するのは自分自身です。情報の入り口としてはとっても重宝しています。

 

  最も注目したのは「発見された当時の石窟庵」写真と現在の「如来像」写真の雰囲気が違うことです。ほぼ同じ大きさに印刷して重ね合わせてみると顔の長さ、腕のあたりや肩幅などが微妙に異なっています。

 

  発見された当時の写真の如来像の腕から下あたりは黒く消されている感じで違和感があり、光の加減などを考えると、どうも写真ではなく詳細イラストにも見えます。

※Wikiの写真をここにコピぺできないよ 

           ~~~明日に続く~~~

 

写真:いもり池周辺遊歩道には可憐な花がいっぱい

 

 

              写真:妙高を代表する「苗名滝」 その手前にも花の群生

           写真:落差55m、轟音から「地震滝」の異名も。

               水流で丸くえぐられた巨大岩壁に感嘆!   

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