年を取ったのとコロナ禍のせいで、テレビを見る時間が増えた。報道番組とクイズ番組をよく見るのだが、一つ引っかかる問題がある。 早口コメンテーターのことだ。新進気鋭の社会学者T氏が早口すぎてなにを言っているのかよく聞き取れない。 「ペラペラペラ」と早口でまくし立て、「…でぇ」と言葉尻を上げる。最近は少しよくなってきたようだが、調子が昔の過激派学生のアジ演説に似ていて、妙な既視感と違和感がある。 最初は自分が呆けたのかと思った。しかしアナウンサーやキャスターのしゃべりはちゃんと聞き取れるので、やはりT氏には早口の癖ありそうだ。 私は方言の強い土地に育ったこともあって「言葉」に興味と関心が強い。 以前(2002年)、エッセーの勉強を始めた頃、話言葉の速さについても調べてみたことがある。 話の早さ、昔と今 1940年代のニュース放送は260文字/分だった。 1990年の NHKニュースでは300~460文字/分 と早くなっている。 20021年現在の話し言葉の速さは大体300~350文字/分という。 つまり1940年代のニュース放送に比べて、今の話し言葉は1.2~1.3 倍速い. 張り切って調べた割りには比較考量できるデータが不十分なので以下割愛させて頂く。それでも年々早口になっていることは間違いないようだ。世の中がせわしなくなっている一つの証左かも知れない。 徳川夢声の話 少し横道にそれるが昔の言葉の速さを調べていて懐かしいことを思い出した。 敗戦の直前、(昭和20年)私たちは勤労動員されて軍需工場だった函館ドックで働いていた。そこへ芸能人の慰問団が来て、そのなかに当時既に有名だった漫談家の徳川夢声がいた。 「一人でヤンキー十殺」といったような話だったが、もうぼんやりした記憶になっている。夢声の話術で有名な「話の間」の記憶もはっきりしない。 しかしこれを機会に音楽、絵画などにおける独特な日本文化の「間」や「空白」にも興味を持つようになったのを覚えている。 あれから数十年、徳川夢声のような、ゆったりとしたテンポと、しかも絶妙な「間」の語り口といったものはもう聞けないのかもしれない。 人の振り見てわが振り直せと言うけれど 母はまだ子供だった私に「一口(人の悪口を)言えば十口言われる」と教えてくれた。テレビの「早口化」について批判めいたことを書いている私にも「人の話の腰を折る、自分ばかり話したがる」などお恥ずかしい悪癖がある。 人の振り見てわが振り直せいうが、話し方の本などいくら読んでもなかなか直らない。根深い意識構造の問題だからだろうと思う。 結局、コロナ禍で巣ごもり状態となり、人と話す機会もほとんど無くなった今、私の周囲はすくなくとも話し下手のおしゃべり被害を被らずに済んでいる。テレビのT氏の早口が嫌なら番組を切り替えれば済むことだ。なのに妙にこだわるのも、コロナ禍巣ごもりによるフラストレーションの所為かも知れない。 (2021/09/01)
ところで日本人の間についてですが、以前「拍子木や太鼓のゆっくりからだんだん速くなっていく打ち方は日本人にしか上手に出来ない」とどこかで聞いたのを思い出し、その事について調べましたところ、「なぜ日本人はリズム感が悪いのか」という欧州の音楽が基礎であるような論調が殆どでその様な記述はうまく見つけられませんでした。
ただ私は欧州に住み実感していることは、日本人(アジア系の人種を含め)のリズム感は一般的にとても良いと言うことです。例えば欧州では子供でも大人でも、一定の手拍子を一緒にしてみましょうと言っても、初めはなかなか出来ません。その上に楽器の指づかいを覚えて音名を覚えて、メロディーをつけましょうという段階になるまでにとても時間がかかります。日本の場合、驚くべきことに幼稚園生から特別な音楽のレッスンを受けているわけでは無いのに、みんな揃っての演奏がかなりの速さで出来る様になります。これは他の欧州で音楽活動をしている方たちとも同じ感想を共有しています。
この話を調べている時に見た、日本の幼稚園児達の息の揃った生き生きとして素晴らしい和太鼓演奏の動画には涙が溢れるくらい感動しました。もしこの動画を欧州の方に見せたら、どれだけ押し付けて練習させているのか心配されるかもしれませんし、戦後軍隊式教育を徹底的に排除した結果、学校では整列すらさせないのですからそう考えても仕方のないことかも知れません。では訓練されたプロの世界では、クラシック音楽家のリズムの取り方が本場の人の方が優れていると良く言われますが、その様なことは勿論あると思います。逆に考えますと、外国人が口伝で伝えられた楽譜の無い日本音楽を演奏する場合、日本独特の間や拍子感を理解するのも難しい事と思います。
この独特の間を日本音楽を特別に学んでいなかった人でもなんとなく取れてしまったり、他者と上手に息づかいを合わせられるというのは、勿論土着文化によるところもありますが、学習再現能力や共感力が高い日本人だからこそ出来るのであろうと私達の感性を誇りに思います。