エッセー

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卆寿のつぶやき

2018-05-30 11:25:56 | 読書

 人ごとのように思っているうちに、喜寿を過ぎ米寿も過ぎてはや卆寿、八十九歳の誕生日も過ぎた。
 今のところ、おかげさまで三食昼寝付きの毎日だが、統計によると九十歳の生存率は約25%、余寿命は約4年となっている。                                     思えばこの数年だけでも周りの人が次々と亡くなり、知ってる名前は故人の方が多くなってしまった。 嫌でも「終活」を考えさせられる。                                           
                                                                                     ▼ 「終活」の読書                                               退職後、自分なりに「老後生活」、「終活」を考えようと、参考になりそうな本をいろいろ読んだ。 「読書は人の頭で考えることだ(ショーペンハウエル)」という。他人に頼ってばかりいてもしょうがないと思うが、自力思考の力が弱いので仕方がない。
                                                                  一昨年は佐藤愛子の「九十歳。何がめでたい」が大変な評判になった。個人的に
はあの歯がみするような話し方が嫌いなのだが、文章で知るさばさばした生き方は面白くてしかもためになった。
  それにしてもこの種の著書はほとんど女性が書いている。男性の書いたものは少ないし、説教調で面白くない。なぜなのだろうと少し気になる。

* ボーヴォワールの「老い」   
 「老後生活」、「終活」関連の著書で一番印象に残っているのはボーヴォワールの「老い」だ。 私はこの本を読むまでボーヴォワールを知らなかったが、彼女は作家、哲学者、実存主義者で無神論者、有名な「第二の性」の著者でありサルトルのパートナーでもあるという。

 ある書評には「『老い』は人間存在の真の意味を示す老いの生物学的、歴史的、哲学的、社会的、その他あらゆる角度からの、徹底的考察」と書かれているが、上下二巻の大著であり、大量の引用資料に基づく徹底的な論理構成に驚かされる。
  断片的で短編のエッセースタイルが多い日本人の「老い」や「終活」の著書とはだいぶ違う。  
            
 第一部「外部からの視点」は生物学・未開社会・歴史社会・現代社会それぞれの視点から見た「老い」の広範な評論である。第二章「未開社会における老い」には日本の「楢山節考(深沢七郎著)」の引用もあり、資料収集範囲の広いことにも少し驚いた。

  第二部は「 世界=内=存在」と表題からして実存主義的というか難しい話なので私の頭ではよく理解できない。しかし、第八章「いくつかの老年の例」にあげられているヴィクトル・ユーゴー、ミケランジェロ、フロイトなど世界の有名人の意外と平凡な老いと終末は興味深い。著者も書いているとおり、残念なことに資料がないため庶民に関わる記述がない。                                  

  結局「老い」と「終末」を考えることの難しさを痛感するに止まってしまったが、「老い」の世界的な多様性を知っただけでも貴重な収穫だった。
           
エンデングノート
  退職したときにすぐエンデングプランを作った。もともとささやかな人生だから簡単にまとめることが出来た。しかし葬式の形については少し悩ましい問題があった。                                   早くから家族葬(密葬)でお経も戒名も不要と決めて家族も納得しているのだが、あとで、どうして知らせてくれなかったのかという苦情や、個別の弔問客の応接に苦労した話を聞くことがある。あとに残った者が困ることになるケースが気になる。難しいところだ。                       
 結局、自分勝手(自己正当化)と言われるかもしれないが、ポジティブに明るく考えることで自分を納得させている。 
        
葬式仏教のこと                                                私はお盆が大好きだし、一休さんも大好きだ。 蓮如上人の御文「あしたには紅顔の美少年も夕べには白骨となる」を聞いたときの感動も忘れていない。般若心経の「色即是空 空即是色」は深い意味は分からなくても、何度聞いても素晴らしいお経だと感じる。 

  しかし現代の「葬式仏教」は呆れるほど堕落していると思う。個人的にも商業化した葬式の実体を経験して驚いた事がある。多くの論争があるが島田裕巳「葬式は いらない」が出版されると三ヶ月後には一条真也「葬式は必要!」が出版されるといった具合で、泥試合の気味もある。        

 もともとお釈迦様は霊魂の存在を説かなかったというし、仏典には葬式の記述が無いという。僧侶の4割は霊魂の存在を信じていないという調査結果もある。

 結局のところ 阿満利麿「日本人は何故無宗教なのか」で指摘されているように庶民は「自然宗教」信者ということになるようだ。先祖を大切にする気持ちや神社に対する敬虔な気持ちは伝統として受け継がれていく。神仏習合も融通無碍な日本文化なのだと理解できる。
      
 いずれにしろ少子高齢化、都市化、家族制度の変化などの変化要因もあって、形骸化した「葬式仏教」は衰退していくのが時代の流れになったようだ。     


「一身二生」の感慨                           
 福沢諭吉は明治維新のあと『文明論之概略』の中で、「恰(あたか)も一身にして二生を経(ふ)るが如く、一人にして両身あるが如し」と書いた。        
  明治の世代はアジア人・有色人種として史上初めて白人と戦って勝った世代だ。
  司馬遼太郎「坂の上の雲」は明治人が夢を実現した自信に満ちていて明るい。

 一転して昭和の前半は「坂の上」から転落した時代だった。戦争と敗戦に翻弄され、国のかたちも社会構造もパラダイム(社会規範)も激変してしまった。まさに「狂瀾怒濤」の時代であり、福沢諭吉の「一身二生」とは真逆の感慨がある。明治の成功体験は天国、昭和の敗戦は地獄といっても大げさではない。
  
  いつの時代でも誰でも、自分が生きている今は大変な時代だと思うものらしい。
私は「世界大不況」の1929年に漁村で生まれ、敗戦のときは軍需工場に動員されていた。不況、戦争、工業化、都市化、そして 農漁村の疲弊、サラリーマン化といった奔流のような時代の変化に翻弄されてきた。こちこちの軍国少年として育ったが、辛うじて実戦には巻き込まれなかった。「戦争」で一番強烈な記憶は空腹であった。戦後は「旧パラ族」といわれたが、意識的には未だに戦前戦中のマインドコントロールから抜け出せない部分がある。              

  戦後間もない頃、千歳の米軍空軍基地で公務員として米軍対応の端っこにいた。日本は負けたのだということを改めて実感することになった。惨めな敗北感と同時にアングロサクソンに対する抜け難い劣等感をもつことになった。   
    
 このあと電力会社に転職し、戦後の復興期と高度成長期に、火力発電所建設に追われる日々が続いた。日本の火力発電技術はアメリカの模倣が基本だった。最初の頃は英文資料が多かったが私の米軍千歳基地仕込みのGIイングリッシュは役に立たなかった。                                1970年代から環境問題が起き、10年間ほど火発建設反対運動の対応もした。 その後、福島原発事故があり、電力会社はすっかり悪役扱いとなっている。ソ連崩壊」という誰も予想できかった事態も起きた。 
                                     
 振り返ってみると明治の賢人福沢諭吉も夢想だにしなかった「一身二生」の経験をしたのが昭和のわれわれ世代だったと思う。
  ある作家のエッセイだったと思うが、ベッドから落ちた病人はベッドに這い上がろうとすること以外考えられない。形而上的な事を考えるのはベッドに戻ってからだ。という記述がある。                           私も敗戦でベッドから落ちた病人のような体験をしたが、「奇跡の復興」後つまりベッドに戻ったあとでも、あの戦争は結局何だったのか、自分の人生も存在とはなんだったのか分からずじまいで終わりそうだ。                

老後の楽しみと不安                 
  私が退職した頃、日本は敗戦など忘れたように繁栄を謳歌していた。老後の過ごし方として、成功者は自伝を書き、金持ちは世界旅行をする、といわれた。どちらにも該当しない私は文化センターの英会話教室とエッセイ教室に通った。英会話はものにならず、エッセイも「もどき」のレベルだが結構楽しかった。      

  卆寿になった今、世間との接点はほとんど無くなり、楽しみといえば読書とエッセイ「もどき」をブログに投稿して読者を惑わすことぐらいになっている。   

  九十歳過ぎの老婆が孫から「おばあちゃんも パコンやれば、面白いよ」といわれて「後の楽しみにとっておくよ」と返事した。これは私の身近な実話なのだが、好きな言葉の一つになっている。私もまだやりたい事はたくさんあるが「後の楽しみ」にとってある。

 年取って一番の問題は健康のことだが、特に心配なのは認知症だ。どう対応すれば良いのかエンデングノートにも書きようがなくて困っている。今のところ認知症予防の意味もあってエッセイ「もどき」だけは書き続けようと思っているがこれも無駄な抵抗かもしれない。 
 
 ぼけ防止に少しは役立つかもしれないと思い、新聞の時事、特に軍事外交関係の記事を丁寧に見る。偏向記事が多くてときどき腹を立ているので精神安定には良くないかもしれない。テレビについては「一億総エンタメ、総白痴、」論に共感しているのだが、面白くてついつい見てしまう。「老人閑居して不善を為す」というが、日中みんなが働いているときにと思って、エンタメ番組を見るのはちょっと気が引ける。
        
明日はまた来る
  人生いろいろ、人生の終末期になって感じる事も考える事も十人十色。老後生活も死生観も時代と共に変化する。                                                          私の知人は今までお世話になった人に感謝し、お礼するための行脚に出た。同年のいとこは信仰心のない私に般若心経の写経を五部も送ってくれた。私は人生の後始末どころか、「百八つ煩悩」を抱えたまま消えるのだと思っている。

  最近、頭をよぎるのは夏目漱石の「吾輩は猫である」の最後だ。       
  終わり頃になって「千年も経てばみんな(自殺)を実行するに相違ないよ。」という話になって、最後にあの飄々として哲学的な猫の最後が描かれる。

  「生きていてもあんまり役に立たないから 速く死ぬだけが賢いかもしれない」、「どうせいつ死ぬか分からぬ身だ。何でも命のあるうちしておくことだ。」という前置きがあって、台所にあったビールを飲んで酔っ払い、水瓶に落ちて、もがいているうちに、「次第に楽になってくる。苦しいのだか ありがたいのだか見当がつかない」状態になって「不可思議の太平」に入り、「吾輩は死ぬ。」        
                                                                  読んでいると、文豪漱石は百年後の庶民の終末までお見通しだったような気がしてくる。                                  猫は人におもねることをしない、自由でわがまま、どこか哲学的なところがある。「吾輩は猫である」の猫に惹かれるのも凡人ゆえの羨望からかもしれない。                                         「明日、何が起きるか誰も知らない。だが人は明日があるものとして眠りにつく」誰かの著書にこんな意味のことが書かれていたように記憶している。
 卆寿の今、分かったようなよく分からないようなこんな言葉に、なんとなく  「そうだよなぁ」と共感している。                      (2018/05/30)