エッセー

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哀しき日米地位協定

2022-03-08 16:05:57 | 読書

 

   米軍山口基地、岩国基地の米軍関係者から日本国内へ「コロナ流出」と報道された。 米軍関係者が日本を出入りするのにコロナの検査も受けずにフリーパス、これが日米地位協定で決まっていることも報道された。例によって形ばかりの抗議でことはうやむやになった。
 この一時を見ても、日本はちゃんとした独立国ではないといわれてもしようがな
い国であることは明らかだ。戦前戦中を知る年配者なら、昔の支那の「租界(治外法権)」を思い出すのではないだろうか。

国体護持と基地問題 
 米軍基地でトラブルが起きるたびに駐留米軍の治外法権的地位が問題になる。 しかし「地位協定」は改善されないまま70年が過ぎた。沖縄の嘉手納基地問題などと同様、未だに後を引いている敗戦国日本の哀しい現実だ。
 日米安保、地位協定の現状から日本人は民族的誇りを失ったアメリカのポチだと自虐的自嘲的にいう人もいる。
 なぜこのような屈辱的で不合理な隷属状態がが改善されずにまかり通っているのか。  日本駐留の米軍基地問題を考えるとき「日米合同委員会」「地位協定」「日米安保条約」「日米講和条約」と条約体系が並ぶ。基地問題はおかしいと漠然と思っていても法律や論理的内容を一般庶民が理解するのは難しい。       
 
 しかし最近、矢部宏治の「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」と白井総の「永続敗戦論」「国体論」合わせ読む機会があって、問題の本質と要点が分かりやすく書かれていることを知った。
 あえて短くまとめると、日本は敗戦時、辛うじて「国体(天皇制)」を護持することができた。そのかわり無制限な基地利用などの永続的隷属の状態を受け入れたという主張である。平和憲法、日米安全保障条約と付属の地位協定、日米合同委員会に通底する基本的な認識である。

国体護持と戦争の総括               
    「国体護持」の結果にはもう一つ問題がある。「戦争の総括」ができなくなったことである。                                                                   天皇は国家元首であり、全軍を統帥する最高指揮官である。1945年太平洋戦争終戦の直前、アメリカでは日本天皇の戦争責任を問う輿論が強かった。33%の米国市民は天皇を処刑することを望んでいたという。
 それが「国体(天皇制)護持」を容認し利用するアメリカ政府の日本占領政策によって問題は消滅してしまった。 
  天皇は東京裁判にかけられることもなく、最高責任者の戦争責任を問う機会を失った日本は結局戦争の総括もできなかった。

 戦争体験者や知識人は二言目には「戦争は悲惨だ、二度としてはならない」という。非戦の主張と平和憲法の「護憲論」だ。ここには戦争原因と天皇制の検証がない、責任追及もない、つまり戦争を総括していない。総活のない非戦論には論理的説得力が無い。
 このような見方考え方について私は長い間違和感を持っていた。勝手に思考停止型平和論と名付けてフラストレーション解消を図ったりしていた。知識人やマスメディアが本質追究を避けているのは一つには極右のテロを怖れてのことだろうと考えていた。
                                                                           しかし今では「国体護持問題」が戦争を総括できない最大の理由だと考えている。
  天皇の戦争責任を問わない戦争検証はほとんど無意味であり、総括不能である。戦争を総括できずに護憲改憲を言っても始まらない。皇室を敬愛の対象とし、天皇を家父長とする家族的国家像があってもいい。しかしそのこととは別に国体問題は戦争の総括と真の独立のために深く考えるべき問題ではないだろうか。
                                        

哀しき敗戦の現実、後を引く「国体護持」問題               
 敗戦時の「国体(天皇制)護持」から二つの大きい問題が発生している。       一つは前述の国体護持とアメリカに対する従属国家論である。            もう一つは「国体護持」が戦争の総括を困難にする原因となっていることである。                          
 米軍基地からのコロナ流出も、日米地位協定の背景にある「国体護持」の経緯を知ると、強く非難することができない。戦争を総括できない要因が国体護持問題であることは残念だが事実だ。                                  

 いずれにしろ敗戦時の国体護持問題が目に見えないところでわれわれを規制していることを思い知らされる。戦後日米関係は極めて良好であり、自由の価値を知った戦争体験者の中には「負けて良かった」という人さえいる。われわれ日本人は少しお人好しなのかも知れない。この度の米軍コロナ流失騒ぎは冷厳な敗戦の結果を改めて思い知らされた。戦後76年も経っているというのに、哀しい現実だ。                                                                                                                                     (2022/03/07)
                                                                                                                                                                                                                                                          ▼追記
    この小文を書いているときにロシアがウクライナに侵攻した。戦争のパターンも侵攻過程もなんとなく古臭く20世紀の前半的だ。新冷戦時代といわれていた最近の世界情勢は思いがけない展開になりそうだ。ガソリン代、灯油代がどんどん値上がりしている。ドイツの電気料金が急激に上がっているそうだ。テレビ画面のウクライナ避難民は77年前の日本の情景とそっくりだ。先の大戦の時と違うのは、情報化のおかげで世界中の市民がそれぞれ自主的に考えられる時代ということだろうか。                                                                                                                                              (2022/03/08)