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その3 なぜ敗戦を総括できないのか

2015-06-11 11:28:08 | エッセイ

戦後70年も経つのに、先の戦争は未だに総括されていない、といわれている。 戦争の呼び方さえ定番がない。満州事変・シナ事変(日中戦争)大東亜戦争(太平洋戦争)と続いた一連の戦争を「15年戦争」と言う人もいる。「先の戦争」「昭和戦争」と表現されることもある。



★ 東京裁判
なぜ敗戦を総括できないのか、まず頭に浮かぶのは極東国際軍事裁判、通称東京裁判の欺瞞性である。                           
 東京裁判とサンフランシスコ講和条約の締結で総括は終わっているとする説もあるが、これはほとんど説得力が無い。たとえば後述するが、常識的には明らかに戦争責任がある天皇が訴追されていない。辻参謀、石原莞爾・板垣征四郎など軍部暴走の主要人物も訴追されなかった。   

 東条首相らのA級戦犯は「平和と人道に反する罪」で断罪されたが、原爆攻撃と東京大空襲(ジェノサイド)などの無差別爆撃の責任者であるトルーマン、マッカーサー、およびカーチス・ルメイが罪を問われていない。ソ連によるシベリヤ抑留も対象外だ。戦勝国側の列強による1928年(パリ不戦条約)以前の世界侵略(植民地化)に触れていないこともおかしな話


天皇が訴追されなかった理由                      終戦直前のアメリカの世論調査では天皇断罪の支持率が70%であった。
しかし天皇を訴追すると日本人には耐えられない侮辱となり、日本は大混乱するという米政府の判断があった。結局、天皇を訴追せず利用する間接統治を行い、これが日本占領を成功させる最大の要因になったといわれている。      

この辺の事情は 読売新聞の「検証 戦争責任」とジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」(第2次大戦後の日本人)に詳しい。              ルース・ベネディクトの「菊と刀」で天皇が救われたという説もあるが事実はもっと組織的な話のようだ。実際はが戦時情報局で日本の戦後処理について会議があり、局員であったルース・ベネディクトが「天皇はいかに処遇されるべきか」というレポートを提出した。この中でベネディクトは日本独特の倫理にたいして、 文化相対主義的な認識で理解を示し、「日本人を侮辱したり、天皇の地位を奪ってはいけない」と米政府に忠告している。 (注)

 いずれにしろ、このような曖昧な東京裁判の結果と急変する時局の流れの中で、大戦の検証と責任追及も一層不徹底なものになり、総括困難になったといわれている。  

だ。結局裁判という形をとっているが勝者による敗者への報復だといわれる所以だ。


(注)* ルース・ベネディクトの所属は戦時情報局軍事情報局(MIS)極東部日本      課海外戦意分析課                              * レポートは日本の敗戦前1944年に提出されたものである。その後「日本人      の行動パターン」として刊行され、有名な「菊と刀」の底本となった。
   

★2.天皇制タブー

 日本の最高権威者であり陸海軍を統帥していた天皇に戦争責任があることは当然なのだが、「その1.なぜ無謀な開戦」の項でも述べたように「天皇は神聖にして侵すべからず(無答責任)」という日本独特の憲法がある。

また日本では、戦争責任以前の問題として、国民が天皇制を批判的に見たり考えること自体がタブーになっている。皇室は少なくとも1,300年にわたって日本の伝統的権威の象徴となっている。このような背景から共和制に対する立憲君主制のよい点を全く認めようとしない左翼的皇室批判は庶民的な反発を招く恐れがある。さらに極右テロの恐れもあるためか、政治家も知識人もメディアも皇室のことになると奥歯にものの挟まったようなことしか言えない。       天皇制に批判的なグループの言動にしても天皇からは勲章を貰わないとか、国旗国歌に敬意を払わないとか犬の遠吠え的な域を出ていない。


★朝鮮戦争と平和憲法 

アメリカは敗戦国日本が二度と自国を脅かすことのないように、非軍事・民主化の新憲法(1947年(昭和22年))作成を指示した。(英文の原案がある)

ところが東西冷戦のなかで朝鮮戦争が勃発し(1950年《(昭和25年》)アメリカは急遽方針を変え、日本に対して警察自衛隊(のち自衛隊)の創設、再軍備を指示した。ピューリタン的平和憲法は僅か3年で実質骨抜きになった。                   
 以来今日まで不戦の憲法と実質軍隊保有の「二重基準?」の中で左右の論争が続いている。このような経緯で、大戦の責任追及も一層不徹底なものになり、総括困難の要因となった。


★メディアの責任 戦後、進歩的文化人、マスメディアの大部分は反米、親ソ・親中路線に急変身し、安保騒動では反政府、反安保のオピニオンリーダーとなった。
左翼の自虐史観が幅を利かし、偏向と行きすぎ報道が溢れた。しかし東西冷戦が終わりソ連が崩壊した頃から左翼は急速に衰退した。
この間にメディアは膨張し、第4権力と言われるほどの力を持つに至った。マスメディアは本来あるべき形の反権力活動というより弱いものいじめのバッシングで視聴率を稼ぐようなこともしばしばだった。マスメディア自体の戦中責任に触れることは少なく、敗戦の総括にも不熱心だ。系列化が進んで、フリージャーナリストも「干される」ことを恐れ、勇気ある意見を発表できないといわれている。


★非論理的な国民性

▼ 情緒的な反戦平和論  

 日本人は「なぜ」という論理思考に弱く情緒的で原因の本質を追究せずに途中で思考停止に陥ってしまうといわれる。
たとえば護憲論にしても、日本は侵略戦争を起こして負けた、戦争は悲惨だ、戦争をしてはいけない。だから戦後の平和憲法を守るという論理展開になる。単純明快だが、なぜ侵略戦争が起きたのかという発想がない。     

 常識的論理パターンで考えれば、なぜ戦争が起きたのか、政治・経済・軍事・文化全般について、その背景、遠因・近因、直接・間接原因、外部別内部別原因などの各視点から追及検証する必要がある。その総括結果から戦争防止の具体的方策を考えるのが筋である。 

 繰り返しになるが「戦争は悲惨だ。だから戦争はしてはならない」と感情的に言うだけでは戦争の再発防止は出来ない。文明の発生以来戦争に明け暮れているのが人類の歴史だ。今までどれほど多くの人達が戦争に苦しみ嘆いて平和を祈ったことか、だが戦争はなくならなかった。                   

▼ 世界には通じにくい原爆碑の言葉                  
 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と言う碑文は日本人には何となく分かるが、理屈っぽい外国人理解できないと思う。
まず戦争の「過ち」とは何かがはっきりしない。原爆を投下したアメリカの過ちを言っているのか、日本が太平洋戦争を始めてのが過ちと言っているのか。戦争自体が過ちだと言っているのか曖昧な表現だ。         
あとで各国語の説明文も設置されたようだが、アメリカには今なお原爆投下の正当性を主張する人がいる。情緒的反戦平和の表現では国際的な説得力に欠ける。具体的論理的に説明し、主張する事が重要だ。


▼新憲法前文の疑問

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」この前提がいかに非現実的な想定か、戦争の歴史をひもとけば明らかだ。最近の例では中国や北朝鮮、中近東諸国の紛争を見れば一目瞭然だ。このような前提でいかに演繹的な護憲論を展開しても所詮非現実的空論となるのではないだろうか。

結局、このような情緒的で非論理的な国民性が敗戦総括の障害になっていると言っても過言ではないと思う。


★ 敗戦を総括しないとどうなるか

 戦後の日本はいわゆる「外圧」で動いてきた。1946年元旦の天皇の「人間宣言」、新憲法草案、天皇の全国巡幸もすべてGHQの指示による。              
 日本人自身が敗戦を総括し、反省して新しい憲法を作る。こんな当然のことができなかったのだ。戦後の左翼偏向、自虐史観、右翼の街宣車、ネトウヨ、ヘイトスピーチなどの反動的活動など、日本は右に左に動揺し、行きすぎ(オーバーシュート)を繰り返して安定しない。

これからの日本は米中の狭間でどう生きてゆくか、重大な渦中にある。先の敗戦も総括できずにこの困難に立ち向かえるのだろうか。    オリンピック招致が決まったというのに、国旗・国歌問題の合意もできていない。最近のことでは、集団的自衛権の問題で国論が二分している。このような混乱の原因として、敗戦を総括していないことの影響は大きい。

★敗戦を総括するにはためには

▼情緒から論理へ


情緒的・感性的国民性は優れた日本文化の根源であり、先の大震災でも日本人の絆や思いやりなどの高い精神性に世界が驚き賞賛した。しかし敗戦を総括し、真の独立を果たすためには理性と論理面の強化が必要とされている。      このことについては鈴木光司の「情緒から論理へ」が参考になる。理想論としては情緒と論理のハイブリット的文化が形成できればよいと思うが無理な話だろうか。                                               

▼自主的思考と勇気                        

 敗戦直後に「国民総懺悔」を言った首相がいた。責任者の言い逃れ、問題のすり替えとして非難された。確かにそのとおりなのだが、我々庶民も付和雷同したことを反省するべきであり、同調的情緒的国民性のネガティブな面を自覚する必要があるのではないだろうか。敗戦の総括についても憲法問題についても自主的に自力で考える必要がある。日本人には苦手な課題だが今までのような依存的模倣的な行動パターンでは生きてゆけない時代になっていると思う。

日本のオピニオンリーダーとしての知識人やメディアは極右・極左のテロを恐れずタブーに挑戦する勇気を持って欲しいと思う。敗戦の総括にしても日本の将来論議においても「戦後民主主義者」といわれる人達は何となく心許ない。「アンパンマン」のやなせたかしさんは「自己犠牲を伴わない正義はない」と言ったが、「戦後民主主義者」は身分が保障され、安全な立場にいた竹林の7賢人を連想させる。


▼責任追及より原因追及                      

 戦争責任にこだわり左右で非難の応酬をしている現状を反省し、総括イコール責任追及ではないという認識が必要である。原因の客観的分析が先決事項だ。 

65年前に発刊され、今でも若者が読んでいるという名著「ものの見方について」で、著者の笠信太郎はこのような国民の分裂状況を悲劇として心配していた。解決のためには国民的共感(ナショナル・コンセンサス)と合意の基礎になる共通の思考形式が必要なことを説いている。
 戦後も既に70年、頭を冷やして左右のイデオロギー論争から脱却すべきだ。國の総力を挙げて、たとえば国会に先の15年戦争あるいは明治以来の戦争を総括する委員会のようなものをつくるべきではないかという提言もある。

東京裁判の見直し、天皇制タブーの克服、靖国神社、国歌・国旗問題、憲法改正問題、敗戦総括に関連する問題が山積している。最近ようやく客観的な評論も出始めているが同時代人による解決はもう無理なようだ。時間も無い。     残念のことだが、冷静に客観的に歴史として戦争を考えることのできる次世代に期待するしかないようだ。


★あとがき

戦死した兄のことを思いながら、なんとか自分なりに三つの疑問解明を終えてほっとしている。敗戦の話は読むのも書くのも暗くて気が滅入る。ここまで読んで頂いた方には(いればの話だが)お礼を言いたい。            
我々日本人は孫子の兵法とは逆に、敵を知らず己も知らず、無謀な戦争をして敗れた。そして敗戦の総括もできないでいる。一方、実戦経験者のほとんどは、敗戦の屈辱に耐えながら何も言わずに消えていった。 改めてその無念さを思い、暗然とする。戦没者の供養も大切だが膨大な数のサイレントマジョリテイがいたことを忘れてはいけないと思う。                
 軍国少年だった私が 敗戦後一つだけ決心したことがある。「二度と付和雷同しない」ということだ。しかし実際は、なかなかそうはいかない。敗戦の総括も憲法問題でも、自分で考え判断し意見を持つということの難しさを痛感している。
  (2015/6/13)


《 主な参考文献 》引用順
┌──────────────────────────────────┐
│*検証 戦争の責任 Ⅰ・Ⅱ 読売新聞戦争の │
│ 責任検証委員会 2006年 中央公論社 │
├──────────────────────────────────┤
│*それでも、日本人は「戦争」 加藤陽子 2009年 朝日出版社 │
│ を選んだ │
├──────────────────────────────────┤
│*戦時期日本の精神史 鶴見俊輔 1982年 岩波書店 │
├──────────────────────────────────┤
│*そしてメディアは日本を   半藤一利    2013年 東洋経済新報│
│社 ・保阪正康 │
│ 戦争に導いた │
├──────────────────────────────────┤
│*風土   和辻哲郎   1979年 岩波文庫  │
│ 人間学的考察                 初版:昭和25年  │
├──────────────────────────────────┤
│*菊と刀 ルース・ 1967年 社会思想社│
│ ベネディクト │
├──────────────────────────────────┤
*日本人の行動バターン ルース・ (初版1946年米国) │
│ (「菊と刀」の姉妹編」) ベネディクト 1999年NHKブックス│
├──────────────────────────────────┤
│*ものの見方について 笠信太郎 (初版1950年) │
├──────────────────────────────────┤
│*日本辺境論 内田樹 2009年  新潮新書│
├──────────────────────────────────┤
│*敗北を抱きしめて     ジョン・ダワー   2010年 みすず書房│
│ 第2次大戦後の日本人 │
├──────────────────────────────────┤
│*日本人と戦争 ロベール・ギラン 1990年 朝日文庫 │
├──────────────────────────────────┤
│*文明の生態史観   梅沢忠夫 2002年 中央公論新社│
├──────────────────────────────────┤
│*雑種論  加藤周一 1956年 講談社 │
├──────────────────────────────────┤
│*日本の転機 ロナルド・ドーア 2012年 筑摩新書 │
│ 米中の狭間でどう生き残るか │
├──────────────────────────────────┤
│*情緒から論理へ 内田樹 2009年 新潮新書

*日本はなぜ負ける戦争を 田原総一朗 2001年 アスキー
したのか (責任編集 )

*あの戦争は何だったのか 保阪正康 2005年 新潮新書
半藤一利
     
*昭和史 半藤一利 2004年 平凡社
(1926~1945)

*太平洋戦争 家永三郎 2002年 岩波現代文庫

       以上








1 コメント

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敗戦の反省 (ある戦争遺児)
2019-01-19 18:02:03
父が名誉な死を遂げたとはとうてい思えない要因がいくつかあります。
⑴そもそも国力の差が歴然としている米国に宣戦布告した状況判断
⑵巨大国のアメリカを攻めるのにハワイを数時間だけ攻撃してしかも肝心な空母を沈めていない。そのまま引揚げて二次攻撃は勿論上陸作戦も行っていない。
⑶そのことが半年後のミッドウエー海戦の大敗北とその後の連戦連敗に繋がる。
⑷イタリアとドイツが降伏したのもかかわらず3ヶ月間も戦い続けその間に凡そ100万人の犠牲者を出した。
⑸玉音放送まで軍部の強い抵抗で数時間を要した。
なぜこのような状況が続いたのか?
せめてこのくらいの事は分析して反省して貰いたい。
想像であるが防衛省内では分析と反省は行われているのではと思う。

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