よく考えると他愛のないことなのだが、なんとなく引っかかるというか、気になる疑問はあるものだ。 前回のブログ「近頃 疑問に思っていること」に続く雑文で恐縮だが、NHKテレビのチコちゃん的ギモンの尻馬に乗って、私の「疑問メモ」から拾い出してみた。 ▼ 背面飛行 先日何気なくテレビを見ていると、自衛隊のブルーインパルスが見事な編隊飛行を披露していた。その直後、一機が「背面飛行」をしているところがクローズアップされた。 軍国少年だった私には軍艦と飛行機があこがれの的だった。その頃少年倶楽部かなにかで「背面飛行」のことを知った。これは驚くべきニュースだった。 飛行機が空中を飛べるのはベルヌーイの定理による翼の上面と下面に働く圧力差つまり揚力のお陰である。もちろんうろ覚えだったがこんな事を知って得意になっていた私には、飛行機が逆さになって飛ぶ理屈がまったく理解できなかった。 なぜ墜落しないのか実は今でもよく分からない。ヒコーキ好きの子供に聞いた方が早いかも知れないが、周りにいない。ネットで「検索」してみるといろいろなことが書いてある。ベルヌーイの定理、 迎角、ベクトル、分力、・・・ 今度は頭が呆けていて、よく理解できない。どうもこの疑問は分からずじまいになりそうだ。 ▼ 火縄銃の尾栓のネジはどのように作られたか 火縄銃が日本にもたらされた16世紀、日本人は尾栓の「ネジ」を理解できなかった。私は以前、生意気にも「日本人はネジを知らなかった(1)(2)(3)」というエッセーもどきをブログに投稿した。 そのとき以来気になっていたのが旋盤が無かった日本でどうして火縄銃の 尾栓のネジを切ることができたのだろう」ということだ。 一部には「鍛造とやすり仕上げ」て作ったという記述もあるが、1543年の伝来から10年後、鉄砲は既に全国に普及していた。1575年、武田と織田・徳川の長篠の戦いでは3,500挺以上の鉄砲が使われている。 これだけ大量の銃の尾栓ネジを短期間に手作業で作れるものだろうか、ちょっと信じがたい。 ヨーロッパの中世、貴族の趣味の一つは旋盤の操作だったという。日本の織田信長は旺盛な好奇心の持ち主だ。ことによると信長は原始的な旋盤を持つ鉄砲鍛冶を囲い込んでいたのではないか。こんな想像をしてみるのも楽しい。 ▼ 古代鏡の写真は裏ばかり 古代鏡の写真は裏ばかり、表面の写真は見たことがない。なぜだろう。 今はネット検索で表面写真も見ることができる。しかし写り具合までは分から ない。 裏面写真の必要性は分かるが、元技術屋の端くれとしては青銅を磨いてできた 鏡面の写真も見たい。写り具合を見たい。 考古学の分野に、もっと技術屋感覚が導入されたらまた新しい識見が生まれるのではないか、そんな身の程知らずの空想をしてみている。 ▼ ゴルフ場のヤードとメートル混用の謎 ゴルフでは、グリーンに乗るまでは距離をヤードで数えて、グリーンに乗ったあとはメートルやセンチメートルに変わる。 チコちゃん流に「なんで?」と聞かれても明快な答えはないらしい。 日本は雑種文化(加藤周一)、習合文化(内田樹)といわれるが、鷹揚というか、無神経というか、このメートル法とヤード・ポンド法の混用はさすがにいただけないと思うがどうだろう。 ▼ ノナとガンゼ 私の田舎ではムラサキウニを「ノナ」、バフンウニのことを「ガンゼ」という。 ノナはアイヌ語由来というが「ガンゼ」の語原は知らない。 ガンゼが一番おいしい。天然の昆布を食べているからだ。このため漁村ではガンゼは害虫のような困りものだった。それでバフン(馬糞)の和名を付けたのだろうか。 それにしても、あんなおいしいウニにバフンはひどいと思う。こんな呼び名に苦言を呈する人がいないようなのも不思議だ。 漢字ではウニを海栗、海胆、雲丹、と書く。これにならって栗ウニ(クリウニ)とでも呼んだらどうだろう。品があっておいしそうで「ガンゼ」にぴったりのいい命名だと思うのだが。それとも「ノナ」「ガンゼ」名普及に努めるか。 余談になるが私の子供の頃、夏休みで天気のいいときは一日中浜にいてノナ・ガンゼ・ツブをとって遊んでいた。砂の上でたき火をして、これらを焼いて食べる。あのおいしさはマチの人間には分かるまいと今でも思っている。 (2021/03/26)