始まりに向かって

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ネアンデルタール人と共に生きていたら・・彼らはなぜ滅びたのだろうか?

2010-12-30 | その他先史文明
前記事のデニソワ人と同じく、ネアンデルタール人のDNAが現生人類にも存在することがわかったという記事が、この春の新聞記事にありました。

もう少し調べようと思って塩漬けにしていたのですが、今の気持をまとめてみます。


ネアンデルタール人というと、ずいぶん古い存在だと思っていましたが、現生人類と同時に生きた時代があり、接触があったと考えられるようです。


ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタール)は、死者の墓に花を供えたり、首飾りを作ったりしていたといいます。


ホモ・サピエンスとは種が異なるということなのに、交配が可能だったのは、よほど両者が近い関係にあったということでしょうか。

しかしまもなくネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンス全盛の時代が到来します。


両者の間に何があったのでしょう?

我々の先祖が、ネアンデルタール人を絶滅させたのでしょうか?

もはや物言わぬネアンデルタール人が、なにかを語りかけているように思えます。




              *****


            (引用ここから)


「ネアンデルタール人の血、ヒトにも・・5万~10万年前、中東で交わる?・・国際チームがゲノム解析」
          朝日新聞 2010・5・7



 現生人類(ヒト)の一部はネアンデルタール人と交雑し、その遺伝子を受け継いでいた。

独マックスプランク進化人類学研究所などの国際研究チームが、ネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)配列を解析し、突き止めた。

7日付の米科学誌サイエンスでその概要版を発表する。


ネアンデルタール人はヒトに最も近い種の人類。

約40万年前に現れ、欧州を中心に西アジアで生存、約3万年前に絶滅したとされる。

約20万年前にアフリカで現れたヒトと同じ地域で生きていたが、両者の間に交雑はない、との考えが有力だった。

 研究チームは、クロアチアの洞穴から発掘された4万年ほど前の3人のネアンデルタール人女性の骨片を使い、ゲノム配列を調べ、ネアンデルタール人のゲノム全体の約6割を解明した。

 この情報とフランス、中国、パプアニューギニア、アフリカ南部と同西部の5人のヒトゲノムとを比べた。

すると、アフリカ以外のヒトはゲノムの1~4%がネアンデルタール人由来と推測できた。

子孫を残せるほど近い関係だったことになる。


 同チームはヒトの移動時期を踏まえ、アフリカを出た初期のヒトは10万~5万年前の間に中東でネアンデルタール人に遭って限定的に交雑し、その後、欧州やアジアに広がったと考えられるとした。

また、認知機能や頭の骨の発達にかかわるとされる遺伝子は両者の間で大きな違いがあることもわかったとしている。

 国立科学博物館人類史研究グループの篠田謙一グループ長(分子人類学)は

「人類の本質を探るための第一歩となる研究成果だ。

未知の部分の多いヒトの遺伝子の働きについてさらに理解が深まれば、
ネアンデルタール人についても同時にわかるようになるだろう。

両者は分岐して数十万年しかたっておらず生物学的には交雑は可能と思っていたが、その考えがより強まった。」と話している。

           (引用ここまで)


                *****
  


現生人類がアフリカを出てユーラシア大陸で出会ったのが、共通の祖先をもつネアンデルタール人であり、

ネアンデルタール人はすでにそれなりの文化をもった別の人類だった、ということでしょうか。

二つの文化が出会い、片方が消えた、、のだとしたら、そこには何が起こっていたのでしょうか?

日経オンラインに「ナショナルジオグラフィック」の記事がありました。



               *****


            (引用ここから)


「なぜネアンデルタール人は絶滅したのか」

         日経オンライン 2008・10・10
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081009/173317/


ネアンデルタール人は、私たちに最も近かった人類の仲間で、ほぼ20万年間にわたって、ユーラシア大陸に散らばって暮らしていた。

その分布域は今の欧州全域から中東やアジアにまで及び、南は地中海沿岸からジブラルタル海峡、ギリシャ、イラク、北はロシア、西は英国、東はモンゴルの近くまで達していた。

西ヨーロッパで最も多かった時期でも、その数はせいぜい1万5000人程度だったと推定されている。

エル・シドロン洞窟の悲劇が起きた4万3000年前には、気候が一段と寒くなり、ネアンデルタール人は欧州のイベリア半島と中欧、地中海沿岸の限られた地域に追い込まれていた。

加えて、アフリカから中東、さらにその西へと向かう現生人類の進出も、分布域の縮小に追い打ちをかけた。

それから1万5000年ほどで姿を消し、あとにはわずかな骨と多くの謎が残された。

 
ネアンデルタール人と現生人類の分布域が重なっていた約4万5000~3万年前に、いったい何が起きたのか。

なぜ一方だけが生き残ったのか。


エル・シドロン洞窟に眠っていた骨に、その手がかりが残されているのかもしれない。

よく言われるのは、現生人類のほうが賢く、高度な技術をもっていたから生き残れた、というものだ。

最近までは、4万年前頃に欧州で脳の発達上の“大躍進”が起きたと考えられていた。
 
ネアンデルタール人の石器文化は、南仏のル・ムスティエ遺跡で発見されたことから「ムスティエ文化」と呼ばれる。


               (引用ここまで)

     
                  *****


同じくナショナルジオグラフィックの記事にも詳しく書いてあります。

「ネアンデルタール人、その絶滅と謎」(ナショナルジオグラフィック2008・10)

http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0810/feature02/



上記の文中の「ムスティエ文化」とは何だろうと思って調べてみると、ネアンデルタール人とヒトと、両方の痕跡が残るヨーロッパの旧石器時代の文化であることが分かりました。


          *****

      (引用ここから)



Wikipedia「ムスティエ文化」より


ムスティエ文化とは、ヨーロッパにおける中期旧石器時代に栄えた文化のこと。

氷河期の時代と一致しており、ル・ムスティエで遺蹟が発見されたことにちなむ。

ムスティエ文化は7万5千年前から9万年前までに発生したが、これはヨーロッパの中期石器時代に該当しており、3万5千年頃に後期旧石器時代に受け継がれた。

主に北アフリカ、ヨーロッパ、近東でムスティエ文化の痕跡が見られるが、シベリア、アルタイ地方まで分布が見られる。


1908年、フランス西南部のル・ムスティエ の岩陰でネアンデルタール人の人骨と化石が共伴して発見された。

その他にもネアンデルタール人の骨が各地で発見されたが、これがムスティエ文化の石器と共に発見されたために、ネアンデルタール人はムスティエ文化だけを持った人々であったと見做されたが、

これらのことはその後の発見と研究により誤りと判断されている。

ムスティエ文化はヨーロッパの中期旧石器文化であり、古典的ネアンデルタール人らが活動していた時期に一致しているが、一部では変種も見られる。

これは現世人類タイプの人々が営んだと考えられており、西アジアでは原クロマニョン人の化石と共に発見された例も存在する。

これら石器の出土に関しては豊富であるが、住居遺構や装身具などの石器以外の出土が少ないため、ムスティエ文化を担った人々の活動については不明な点が多い。


             (引用ここまで)


       *****



もし、わたしの中に、今もネアンデルタール人の遺伝子が残っているとしたら、それはわたしにどんなプレゼントをしてくれるのでしょう?

現生人類とは違う生き方をした人類、という可能性を与えてくれるのではないでしょうか?

もしかしたら、人間は“進化”したのではなくて、ただ“変化”しただけなのかもしれない。

そして、消えていったものが必ずしも劣っていたのではないかもしれない。




交配があったという説となかったという説があるようで、また、現生人類がネアンデルタール人を滅ぼしたという説と、その説の論拠はないという説があるようですが、二つの人類が交錯した「時」は、重要な意味をもつように思います。



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デニソワ人のDNA・・・人類は、“今とは別な人類”として、あり得ただろうか?

2010-12-26 | その他先史文明
先日の新聞にあった記事です。

春に、「現生人類とネアンデルタール人が交雑または共存していた」、という記事をみつけましたが(この記事については次回投稿します)、その後の研究で、もう一つ別の人類「デニソワ人」との交雑または共存が発見されたということです。

ネアンデルタール人は主にヨーロッパにいた別種の人類、デニソワ人は主にアジア・オセアニアにいた別種の人類のようです。

5~6万年前にアフリカを出発した現生人類の祖先は、その行く先々で、すでにいたそれら別種の人類と共存していた可能性がある、ということです。

現在の人間のDNAにもデニソワ人のDNAが入っていることが分かったということですから、人間のDNAの中身はいよいよ幅広く、多彩になってきたと言っていいのではないかと思います。


デニソワ人のDNAと共通のDNAが確認された人が住むメラネシア地域には、6万年前の人類の痕跡があるということです。

6万年間の世代交代が続いて。。

それは共存の時だったとも言えるし、淘汰の時だったとも言えることでしょう。

太平洋の南の島の人々が今も保つという、現生人類と異なるタイプの人類のDNAは、現生人類にどのような遺伝情報をもたらしてくれているのでしょうか?




             *****


           (引用ここから)

読売新聞 2010・12・23

「現代人の祖先、別人類「デニソワ人」と交雑」


 現代人の祖先が、別の人類とされるデニソワ人と交雑していたことが、独マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームの研究でわかった。

 現代人の祖先が、世界各地で先住の人類を絶滅させつつ広がったとする従来の説を、覆す可能性がある。

12月23日付の科学誌ネイチャーに発表する。

 シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見されたデニソワ人の骨を使い、細胞核のゲノム(全遺伝情報)の一部を解読した。

世界各地の現代人のゲノムと比較したところ、オーストラリア北東の島々に住むメラネシア人は、ゲノムの4~6%がデニソワ人固有のものと一致していた。

 研究チームによると、人類の祖先は40万~30万年前にアフリカを出て、ヨーロッパに移動した集団がネアンデルタール人に、アジアに広がった集団がデニソワ人になった。

それに遅れて6万~5万年前にアフリカを出た現代人の祖先が先住者と交雑し、今に至ったらしい。

欧州やアジアなどの現代人の祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は、今年5月に発表されている。

異なる人類どうしの交雑、共存が一般的だった可能性が出てきた。



         (引用ここまで)

 
          *****



「デニソワ人」とは、今年3月のネット記事によると、この春発見、命名されたばかりの人類のようです。



      
           *****


        (引用ここから)

AFPBB News 2010・03・25

「人類に未発見の新系統か、 4万年前のシベリアに」
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2713491/5535489



【3月25日 AFP】現在のロシア・シベリア地方南部に約4万年前に生息していた人類のDNAを解読した結果、発見されたことのない新種の系統に属することが分かった--人類はアフリカ大陸を起源とし、世界を征服していった,、という従来のシナリオが書き換えられるかもしれない。

24日、英科学誌「ネイチャー」に研究結果が発表された。

 ネアンデルタール人の大半のゲノムを解析した実績のある独マックスプランク進化人類学研究所のチームは今回、アルタイ山脈のデニソワ洞穴(Denisova Cave)で、2008年に発見された子どものものと思われる人類の小指の骨をDNA解析した。

炭素年代測定によると、この骨が発見された地層は約3万年前から4万8000年前の間のものだった。

 細胞小器官ミトコンドリアから抽出したDNAの解読結果を、ネアンデルタール人、現生人類、チンパンジー族のボノボやチンパンジーのDNAと比較したところ、現生人類やそれに並ぶ系統のヒト属とは別の属とみなすにふさわしい約400か所の遺伝子的な違いが確認された。

 結果、この「デニソワ人(Denisova Hominid)」は約100万年前に、現生人類やネアンデルタール人と共通の祖先から枝分かれしたと考えられる。

これが正しければ、これまで語られてきた「人類の船出」のストーリーは大きく変わることになる。(c)AFP/Richard Ingham

         (引用ここまで)


        *****




ネアンデルタール人は西洋人の特徴をもっている、ということをどこかで聞いたことがあります。

この研究でも、ネアンデルタール人は西洋地域に主に住んでおり、デニソワ人はアジア・オセアニア地域に主に住んでいた、ということです。

それらのことが、どのような意味をもってくるのか、興味深く思います。

淘汰された種が、生きのこった種の中に保存されているということは、人類の全体像にとっては、大事な資料ではないでしょうか?




wikipedia「メラネシア」より

メラネシアの民族集団は大きくオーストロネシア語族とパプア諸語の話者に分かれている。

メラネシアの先住民はおそらく今日のパプア系の祖先に当たる人たちであったと考えられる。

彼らは数万年前にニューギニア島を占め、放射性炭素年代測定によれば少なくとも3万5千年前にはメラネシアの島々、おそらく一番東はソロモン諸島やその東の小さな島々にまで到達した。

4000年前、ニューギニア北部やニューギニア東方の島々において、オーストロネシア語族の人々が先住のパプア系の人々と接触したと思われる。

こうした接触は長期間にわたったため、言語や文化、遺伝形質などが複雑に交じり合う変化が生じた。

また、メラネシアで生じたこれらの混血の集団の中から、少人数の集団がさらに東に海を渡り、ポリネシアを形成したと思われる。

また、メラネシアの中には、ポリネシア文化を保持する地域が飛び地のように点々としており、域外ポリネシア(Polynesian Outlier)と呼ばれている。



wikipedia「パプアニューギニア」より

この地域において、約6万年前の東南アジア方面から来たと思われる人類の痕跡が見つかっている。

約5000年前、ニューブリテン島中央部のタラセアにおいて、貝の貨幣「シェルマネー」が作られた。

これが最古の貝貨とされている。
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学研「ム―」の「弥勒下生」・・都市という闇

2010-12-21 | アセンション
弥勒の下生について、学研「ム―」ならこう解く、、という話です。

「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」から引用します。

いままで紹介してきた「未来に出現する弥勒」「弥勒下生経」「法滅尽」といった言葉を使って、学研「ム―」らしい解釈がなされています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


(引用ここから)

「釈迦の仏典予言」


末法の世は、世界の終わりである。

これまでは一般にそう信じられてきた。

しかし実はそうではない。

釈迦は末法の次に、本当のおわり「法滅尽」の時代が来ると予言している。

法が滅する時代、つまり最後の最後まで残っていた釈迦の教え(法)までもが消えてしまう時代のことだ。

釈迦はこの法が滅していく恐ろしい時代の様子を弟子たちに説いた。

それが究極の大予言「法滅尽経」である。


末法は1万年続くという。

釈迦の入滅時から計算すると、末法の始まりは10世紀なので、釈迦のいう「法滅尽」は遠い未来のことになる。


しかし「法滅尽経」の中には、現代の世界の有様と驚くほど奇妙に符合する予言がいくつも語られている。

はたして末法1万年とは文字通り1万年なのか?

仏教はしばしば大きな数を表現するために万や億が象徴的に用いられてきた。

つまり予言の内容を見定めるほうが重要である。


内容を見れば、「法滅尽の世」はすでに到来している可能性が高い。


・・・・・


法が滅しようとするとき、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が起こり、盛んになるだろう。

仏法が滅びようとする時、天の神は嘆き悲しむ。

大洪水、大干ばつなどの異常気象が起こり、五穀は実をつけなくなる。

伝染病が蔓延して、多くの人々がもだえ苦しみながら死んでいくだろう。

世の終わりには、太陽と月の現れる時間が短くなり、大洪水がにわかに起こって長期にわたる。

世間の人達は、今の世がいつまでも続くものと思って、私の言葉を信じないだろうが、その時には貴賎貧富を問わず、多くの人達が洪水のためにおぼれ死に、水に漂っては魚の餌食になるだろう。


・・・・・

このように釈迦は「月蔵経」「法滅尽経」として、恐るべき終末の世界を描写した。


しかし同時に人類に救いの道も残している。

釈迦によれば、「末法の世」を過ぎると「滅法の世」に入るが、やがて救世主が現れて仏教を再興し、正法の世に戻すというのだ。

その救世主が弥勒菩薩(マイトレーヤ=ブッダ)であるという。


・・・・・


後になり、乱れた世の中に沈まず、すべての人々に憐れみの心をもつ者が出るだろう。

そのような者は皆、菩薩である。

乱れた世の中にあるとはいえ、彼ら「真人」はところどころで人々を導くだろう。

「決罪福経」より


・・・・・


釈迦の予言によれば、ミロクが降臨して世界は救われる。

だがその救済はいつごろおこなわれるのか?

それが問題だ。


古来ミロクの降臨は56億7千万年後と言われてきた。

しかしこれも遠い未来という象徴的な数字だと思える。


というのも、「ミロク下生成仏経」に記されている“弥勒降臨の時代の様子”がどうも変なのだ。


それによれば、ミロクが降臨する世界は

“鏡を磨いたように平坦で、汚物は自動的に処理され、常に清潔さが保たれている”という。

また“人々は食べ物に困らず、物質的に恵まれており、病気は駆逐されて心身ともに健康で幸福に暮らしている”、とも述べられている。


ここで描かれている社会を、われわれはどこかで目にしたことはないだろうか?


そう、これは現代の先進国だ。

道路は舗装され、高層ビルが立ち並び、衛生管理の行き届いた空間で快適に暮らしている。



また「弥勒来時経」にはこんな予言も残されている。


       ・・・・・

ただし、人々には3つの病いがある。

一つは激しい物欲、二つ目は飢餓、三つめは老いである。


      ・・・・・


先の予言にこの予言を重ね合わせると、まさに地球の現状をあぶりだしているとは言えないだろうか?


先進国がとめどない消費を謳歌している陰で、環境は悪化し、途上国では飢えが広がる。

高齢化社会は人類共通の課題となりつつあるし、欲に駆られた争いは留まるところを知らない。


ミロクが降臨するのはそんな時代だというのだ。


ならば、それはまさに今ではないか?


そう、弥勒は遠からず降誕するだろう。

しかしその平和の時代も永久には続かない。

弥勒の残した教えもいつかは滅び、また遠い未来、「法滅尽」の時代を迎える。

歴史はそのように輪廻する。


キリスト教の預言と違い、世界は何度も再生と破壊を繰り返す。

それが仏教の歴史観であり、釈迦の予言が意図するところなのだ。


      (引用ここまで)


           *****




「ム―」の筆者は、「弥勒下生経」に描かれている

「弥勒降臨の時代の様子がどうも変なのだ」と言っています。


「弥勒下生経」にある“弥勒がこの世に生まれる時”の“この世”の描写は、実は現代世界の都市文明を指しているのではないか、と言うのです。


だから、弥勒がやってくるのは、他でもない「今」なのだ、と結論しています。


仏教の解説書では出会うことのない、ひとつの感性であろうと思います。

この「ム―謎シリーズ・大予言・・人類は2050年を超えられるか?」には、「ホピの予言」も載っています。

ホピの語る“世界の終わり”と、ミロクの語る“世界の終わり”が、並んで、共に示しているのは、現代社会の不自然さ、不気味さであり、それを超克してなお展開しようとする宇宙の力強いエネルギーを直感している人類の姿ではないかと思います。



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写真の「学研ム―」誌の表紙はこの特集号ではありません。


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仏教的予言・弥勒と転輪王・・弥勒と千年王国(3)

2010-12-17 | 弥勒
ペルシアの太陽神ミトラは西方ではミトラス神となり、東方では弥勒となったのか?ということについて調べています。

引き続き、宮田登氏が編纂された「弥勒信仰」という論文集から鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会い」という論文を紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



            *****


(引用ここから)


「転輪聖王」について、「長阿含経」には次のごとき仏説が記されている。

久遠の過去に「転輪聖王」が出て正法をもって理想的政治を行ったが、臨終ま近になって王宮の上の空中に浮かんでいた金綸宝が見えなくなった。

その後七代目の転輪王の時から王の政治と人民の資質が悪化し、人寿は十歳に減じた。

しかし人寿が八万歳になる時に、ふたたび転輪王と弥勒が出る、と説く。

転輪王に付随する金綸宝は王権の代表的シンボルであり、「輪を転ずる王者」という観念の基礎をなすものである。


「王権のシンボルとしての光の輪」という観念はイラン起源のもので、それが仏教にとりいれられたに相違ない。

イランの古い伝統であるフワルナは光輪に他ならない。


「アヴェスター」第19章に、千の王者に君臨していた王が罪を得て王位を失うと、王者のシンボルであったフワルナも彼を離れていくと記されるが、これは光輪のことである。

西暦紀元前519年に作られたビーソトゥンの浮彫りには、アフラ・マズダ神が左手に持つ円環フルワナを、ダリウス一世に授けようとしている。

神自身も身に円環フルワナをまとい、それを本体とした左右翼と尾翼はワールガン鳥を表わし、その羽毛はフルワナが放出する光芒を図式化したものである。


●「法滅尽」


「弥勒下生説」は一方で「転輪聖王」の観念と密着したが、他方ではその下生にいたるまでの世界の変化、仏教の形態の変化と「仏法滅尽」という思想と不可分にむすびついていた。

これらの思考はまず「仏法滅尽」という予感・予言が発生し、それにつづいてこの破局に至るまでの期間の内に仏教悪化の段階的区分が設定された。

古い形を留めるものは「雑阿含経」であろう。

仏教に対する大迫害を断行しようとした王が、僧を殺し塔を壊すが、塔の守護神は王の守護神を王からひきはなし、別の神をさそって王とその軍隊を壊滅させるという筋書きである。

この場面に弥勒菩薩と性の善なる王者が現れて、仏教を迫害から救い、教法を再建するという筋が付加される。

ここで弥勒と一致協力する王者の性格はあきらかでないが、あるいは“弥勒と転輪王の併出”という発想のもっとも古い形であったかもしれない。


かくして生じた「仏教的予言」の比較的早いものが、「阿育王伝」の所伝であろう。

仏は入涅槃のとき、「千年後には仏法は滅びる」と予言した。

その時この世界の十善は壊破し、雨は降らず、大悪風が現れ、穀物は高騰し、霜の災いが生じ、河川に水無く樹木に花実が生じない。

時に三悪王が現れ、人民を虐殺し仏教を迫害する。

大地は震動し、大星が地に落ち、四方に火焔が起こり十方の諸天は空中に号泣する。


(引用ここまで・続く)


           *****


弥勒仏は、必ず転輪聖王を伴って現れるものである、という考えは、大変興味深く思います。

前に紹介したミトラス神・・ローマのキリスト教会の地下に建てられていたミトラス神殿などでは、ミトラス神と太陽神が二人並んでいたことを思い出します。

これは偶然の一致なのでしょうか?

これらのストーリーには、古代世界の神々のネットワークを感じさせるリアリティーがあるように感じます。



WIKIPEDIA「阿含経」より

『阿含経』(あごんきょう)とは、初期仏教の経典である。

「阿含」とは、サンスクリット・パーリ語の「アーガマ」の音写で、伝承された教説、その集成という意味である。

釈迦の死後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子達によって何回かの結集を経てまとめられ、経蔵を形成した。

他方、守るべき規則は律蔵としてまとめられた。

一般に、紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われている。

経蔵はそれぞれ「阿含」または「部」(パーリ語ニカーヤ)の名で呼ばれた。

現存するものは、スリランカ、ミャンマー(旧ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムに伝えられているパーリ語聖典と、それに相応する漢訳経典などである。


中国においても原初的な経典であることに気付いており、研究を行った記録もあるが、大勢を占めることはなかった。

日本にも伝播初期から伝えられており、倶舎宗で研究されていたとされるが、ほとんど伝えられていない。


このニカーヤや『阿含経』は、ヨーロッパの研究者によって注目され世界中に広がった。

そのため、ヨーロッパの哲学へ与えた影響は大乗経典より大きく、「新しい宗教」の考え方の基盤となっているとされる。

しかし、厳密な翻訳作業を経ていないため誤った認識を示しているものも多く、注意を要する。


釈迦の言葉と呼ばれているものはこの経典に納められているものが多く、有名なものに「毒矢の例え」や、自灯明・法灯明などがある。

釈迦の最後を記した『大般涅槃経』はニカーヤの長部経典の一部である。


阿含経の内容にはかなりの多様性がある。

釈迦の言葉を直接伝えているものとして、インドの密教時代から真言として使用されて来ている。

しかし、そのことはこの経典の趣旨からは外れている。


漢訳の『阿含経』は、パーリ語のものからの翻訳とは考えられない形跡がある。

同経典がサンスクリット語で伝えられ、漢訳されたとも考えられている。

さらに、パーリ語の「ニカーヤ」は、その名の通り部派仏教の部派にそれぞれ独自に伝えられており、少なからず異同がある。

逆に、その異同によって部派を特定することも可能である。




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太陽神ミトラと、救済者ミロク・・弥勒と千年王国(2)

2010-12-13 | 弥勒
西方においてはミトラス神となった太陽神ミトラは、東方においては弥勒となったのか?ということについて、できるかぎり調べてみたいと思いました。

前回は「弥勒下生経」を紹介しました。

仏陀の後継者として、仏陀が指名したという「弥勒」なる未来仏。

この未来仏はいつ、どのような経緯で生まれたのか、という問題をめぐって再び、宮田登氏が編纂した「弥勒信仰」という論文集から、鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会い」という論文を紹介したいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

また、弥勒とミトラ神、ミトラス神という問題は、マニ教が東方でどのような展開を遂げたのか、という問題とも重なってくると思っております。


         *****


(引用ここから)



さて、上のような全体的構造の中で説かれる「弥勒下生説」を分析すると、次のように理解される。


第一に、ミロクは「転輪王」という人物によって統治される政治的物質的世界に出現して人々を救済する仏である。

第二に、そこに至るまでの正法、像法、末法という3つの時間帯を経過する。

第3には、その末法の末に「仏法の滅尽」という危機が訪れる。

第4には、末法の間に3回の大厄災が生じ、人間の生活は危機にひんする。

第5に、弥勒仏は現実に存在する山において釈迦仏の大弟子、大迦葉(マハーカーシャパ)と相愛し、仏の袈裟を受け取るとされる。

これによって弥勒下生の予言に具体性が与えられ、実感をもって聞く者にせまることができる。

また、久遠の過去において「燃燈仏」が釈迦仏の成道を予言した、とする教説も関連する。


明清時代の中国民間宗教運動において、過去を燃燈仏、現在を釈迦仏、未来を弥勒仏の掌教とする信仰は多くの宗教結社に共通し、すこぶる重要な意義を持つ。



 


弥勒仏に関する最古の仏教文献とみられるのは、パーリー文「スッタ=ニパータ」の「彼岸道品」における下記の所説である。

コーサラ国のバラモン、バーヴリーは悩み事を解決するために16人の弟子を釈迦仏のもとに派遣した。

その筆頭が、アジタ(無勝と訳され、勝たれざる者の意)、次が“チッサメッティヤ”で、16人の青年バラモンが釈迦仏に呈した質問とそれに対する応答が記録され、16人が仏の応答に満足して仏のもとに留まって梵行を修したとされる。

ここに見える「メッティヤ」が後の文献に出る未来仏・弥勒=マイトレーヤ(Metteya)であり、アジタは弥勒と同時に“転綸聖王”として出現するとされる人である。


弥勒仏信仰について掘り下げたE・ラモトは、アジタと弥勒の関係の変遷について次のようにまとめている。


第1は、バラモンの弟子であった弥勒とアジタ

第2は、釈迦仏より未来仏としての保証的予言を受ける弥勒

第3は、未来の転輪王となるアジタと未来仏となる弥勒の同時出現

第4は、アジタと弥勒との同一人物視


第一のものが最も早く、第4が最も遅いことは確かで、第3のアジタ・弥勒並存の形から第4の同一視の形への転換は、インド・西域地方において、仏教がギリシア、サカ、パルチア、クシャナなど諸民族と接触する中で起こったとする。

特にサカ人、パルチア人との出会いにおいてインド的仏教は大乗化にむけて多くの変貌をとげ、従来目立たなかったアジタと弥勒を未来仏・サオシャントの姿をもつ救い主に変形するにいたったと見る。


彼の結論の要点は、従来性格の明らかでなかった仏弟子アジタとマイトレーヤ―はイランのミトラ神との出会いによって、メシア的な神格と結びついたとする。

すなわちゾロアスター教のミトラ神は太陽神で、それがローマ領内に広まった場合、常に「無敵なる者」という形容詞を帯びて現れ、これはアジタすなわち“勝たれざる者”の語義と同じ意味である。

一方ミトラ神の個称はパーリー語で「メテーヤ」、ボン語の「マイトレーヤ」と共通の響きがある。

また、インド古典「マハーバータラ」の編纂された時代に、太陽をさす多くの個称の中にマイトレーヤという語がある。

これらを考え併せると、イラン世界のミトラ神と仏教との出会いの中でアジタとマイトレーヤが結びついたと見るべきで、マイトレーヤの漢訳語「弥勒」の発音は“マイトレーヤ”よりも“ミトラ”の方が、より近い音である、とされる。

(引用ここまで・続く)


*****


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弥勒の世は6万年・・・弥勒下生経(2)

2010-12-09 | 弥勒
弥勒について調べています。

石田瑞麿編「仏教経典選」で「弥勒下生経」を読んでみました。

前回に続き、後半部分です。


          *****

 
  (引用ここから)


弥勒は、その城の中にいるバラモンの長である夫婦を父母としてこの世に身を受ける。

身は紫金色で、三十二相を備えており、人人はその姿を見てあきることがない。

身に備える力は図りしれないほどで、とても思い図れるものではなく、身より放つ光は照り輝いて、何ものにもさえぎられることはない。

日も月も火球も、すべて再びその輝きを表わすことはない。

身長千尺、胸幅三十丈、顔の長さは十二丈で、体の器官や機能は完全に整い備わり、その端正さは他に比較できるものがない。

好相を身に供えている様は鋳金の像のようである。

眼は清らかに澄んで、十由旬の遠方を見ることができ、頭の頂から放つ光は四方に照り映え、日も月も火球も、ふたたび輝きを表わすことはない。

これに勝るものはただ仏の慈悲の光だけで、言うに言えないほど最もすぐれている。


弥勒菩薩は、世間の人たちの五欲の憂いに悩むことがはなはだ多く、その人たちが果てもない生死の迷いに沈んでいるのをたいそう憐れなことと見て、

みずからもこのような正しい思いをだいて世の姿を瞑想することによって、
そのために世俗の生活を楽しむことがない。


その時、王が多くの大臣とともに宝の台を携えて、弥勒に捧げた。

弥勒はそれを受けてから、多くのバラモンに布施し、バラモンたちは布施を受け取ると、即座にこれを打ち壊して、それぞれ等分にこれを分配した。

弥勒菩薩はあの言いようもなく美しかった台が一瞬にして壊れた無常のさまを見、存在するものはすべてみな、おなじようにすりへってなくなることを知って、一切は無常であるという観想をおこなった。

そして出家して仏の道を学び、竜花樹の下に座るが、その木の幹や枝葉は高さ五十里である。


さて弥勒は出家した日に、最高至上の仏のさとりを得る。

その時、さまざまな天守や龍神の王がその身を表わさないまま、花と香を雨と振らせて弥勒仏を供養する。

ありとあらゆる、世界という世界はすべて、大地が激しく振動し、仏の体は光を放って計り知れない多くの国々を照らし、仏の救いにあずかれる者はみな、仏を見たてまつることができるだろう。


その時、弥勒仏はさまざまな多くの人たちを見て、このような思いを抱いてこうおうせられる。

「いま、さまざまな人たちがわたしのもとにやってきたのは、天上世界に生まれる楽しみを得るためではない。

また今この世での楽しみのためでもなく、ただ究極真実のさとりによる変わることのない充実とその楽しみを得たいという願いのためである。

この人たちはみな、仏の教えに従ってさまざまな功徳の種を植え、釈迦むに仏から遣わされて、わたしに託されたのである。

だからこうして今、そろって私の所にやってきた。


わたしはこれを受け入れよう。

このさまざまな人たちのある者は、読経をとおして経、率、論の三蔵をよく理解して心に正しく思い定め、よく功徳を治めて私の所にやってきた。

あるものは衣服や食物を人に施し、定められた戒めを守り、知彗をえて、この功徳を治めて、わたしのところにやってきた。


弥勒仏はこのように三度繰り返し釈迦むに仏を賞嘆してから、その後教えを説いてこのような言葉を述べられる。


弥勒仏はことごとく教えを説き、天上の神々をさとりの世界に導き終えると、多くの弟子たちを率いて城内に入り、食物の施しをこわれる。

計り知れない多くの天人たちもつつしみ敬いつつ、仏の後に従って城に入るが、入る時にあたって、様々な不思議な能力をはたらかせて、計り知れないほどさまざまな様相を顕してみせる。


その時、欲界の魔王は、夜のはじめと夜のおわりに多くのこの地上の人々の眠りをさまして、このような言葉を言う。

「おまえたちは、すでに人と生まれ、またよい時にめぐりあっている。

夜通し眠り込んで、心の迷いを覆い隠してはなるまい。

お前たちは、立ち、また座り、常に修業につとめ、努力し、思いを正しくして

心身を構成する五つの要素の集まりがはかなく、苦しみに満ち、むなしく、不変の主体としての自我というものが無いということをはっきりと智慧の眼でみつめることだ。

お前たちは、欲望のおもむくままにまかせて、仏の教えを修業しないようなことをしてはならない。

もし悪い行いをすれば、後に必ず悔やむことになろう。」


その時、弥勒仏の多くの弟子たちはいづれも皆、鳥が卵からかえるように、多くの欲望をはなれることができる。


弥勒仏が世においでになる期間は6万年。

その間世の人々をあわれんで、真実を見る智慧のまなこを得させになる。

入滅された後、教えが世に行われる期間もまた6万年である。

きみたちは当然、努力して清浄な心をおこし、多くの正しい行いをしなければならない。

その時にはこの世の燈火である弥勒仏の姿を疑いなく必ず見ることができる。

仏がこの経を説き終えなさると、シャーリプトラたちは喜びに包まれ、これをとくと心に留めた。


        (引用ここまで)

  
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弥勒下生経(1)・・清められ、地面はつややかで油を塗ったような町

2010-12-05 | 弥勒
弥勒について考えております。

あれこれ興味をひかれることが多いのですが、まずは、なにはともあれ、お経を読まないことには始まらないので、

石田瑞麿編「仏教経典選」で「弥勒下生経」を読んでみました。

おおまかに抜き書きしてみました。二回に分けます。

カテゴリー「メディテーション」に宗教史の記事が多くなってきたので、カテゴリーを追加しました。
       

             *****


(引用ここから)


弥勒下生経


智慧にすぐれたシャーリプトラは、よく仏に従ってその正しい教えを説き、仏の教えを守っては優れた指導者である。

世の人びとを憐れむ心から、仏に申し上げて言うには

「世尊、仏がこれまであい前後してお説きになった経の中で示されたように、弥勒はきっと仏になるに違いありません。

どうか詳しく弥勒が積んだ功徳による不思議な能力やその国土の厳かに飾られた姿を聞かせていただきたいと思います。

世の人達は、どのような布施を行い、どのような戒めを守り、どのような智慧を磨くことによって、弥勒を目の当たりに見ることができるのでしょうか。」

その時、仏はシャーリプトラに告げてこう仰せられた。

「わたしはいま君のために詳しく説いて聞かせよう。
よく心を一つにして聞かなくてはならない。

シャーリプトラよ、四大海の水が少しずつゆっくりと減少して三千由旬に至ると、その時この世界の地面は縦の広さ一万旬、横の広さ八千由旬に及んで鏡のように平坦である。

美しい花や柔らかい草がくまなくその地面をおおい、さまざまな種類の木々が繁茂し、花咲き実なり、その木はすべて高さが三十里、城に囲まれた町が次から次と並び、鶏さえもこの世界にふさわしく飛ぶことができる。

人の寿命も八万四千歳で、正しい智慧や犯しがたい徳、身にみなぎる力などがともに備わり、心は穏やかに安らぎ、信仰の喜びにひたる。

ただ三つの病がある。一つには排泄、二つには飲食、三つには老衰である。
女子は五百歳に達してそこではじめて嫁に行く。


そこには大きな城がある。

整然としてことの他美しく、厳かに飾られ清らかで、そのなかには幸福で富豊かな人が満ち満ちている。

町の辻や町中の道ははき清められ、水が打たれていて清浄である。

非常に力の強い竜王がいる池が城の近くにあり、竜王の宮殿がこの池の中にあって、夜半にはいつもきわめて細かな雨をふらせて、ごみによごれた土にしめりを与える。

その地面はつややかで、油をぬったようであり、道行く人の往来にもほこりやちりがたつことはない。

町の辻や道のここかしこに明るい珠の柱があり、その光があかあかと照り輝いて、昼も夜も変わることがないから、どんな灯火の明るさもものの役に立たない。

もし糞尿で汚れることがあると、地面が裂けてこれを取り込み、取り込んでしまうと再び元のように合わさる。

人の命が終わろうとする時は、人はそれと気づかないでひとりでに墓地に出かけて死ぬ。

この時世の中は安らかで楽しく、人を害し財を奪う者の心配や、ものを盗みとられる憂いもなく、城内でも村落でも門を閉じる者はいない。

また身の衰えや心の悩み、洪水、火災、戦禍、飢餓、毒殺などの災厄もなく、人はつねに慈しみの心があって、つつしみ敬い、なごみさまざまな心身の欲望をおさえて、ことばづかいはひかえめである。


その国にその時、「転輪聖王」がいる。

(王の軍隊には)四種の兵がいるけれども、聖王は権威と武力を行使することなく、天下を治める。

その王の千人の子は勇ましく、健やかで、優れた力を供え、あだをなす的をよく打破する。

王は七つの宝を所有していて、それは金輪宝、庄宝、馬宝、主宝、女宝、主蔵宝、主兵宝である。

またその国土には金銀などの宝でできた七つの高台がある。

また四つの大蔵は中に珍しい宝がみちみち、それぞれ四億の小蔵があって、四人の竜の大王が、めいめい持ち場を守護する。

この四つの大蔵と多くの小蔵はひとりでに踊り出るもので、その形は蓮華の様であり、数えきれないほど大勢の人がみな一緒にでかけて行き、その様を見る。

この時、蔵の多くの宝を守護する者はだれもいないけれど、人々はこれを見ても心にむさぼり執着することはなく、ちょうど川原や石、草土を見るように、これを土に捨てて顧みない。

この時にこれを見る人はみな嫌悪の心をおこして、この様に思う。

「かつて過去には世の人々はこの宝のために互いにそこないあって、共に傷つき、さらに脅し強奪し合い、欺きたぶらかしあい、嘘を言い合って、生死を繰り返す罪の条件を次から次と増大させたものだった」と。

多くの宝で飾られた網が蔵の上をあまねく覆い、宝の鈴はそよ風にふかれて動き、その鈴の音は穏やかで気高く、鐘や磐を打つようである。


         (引用ここまで・続く)


      *****


なんとなく、夢の中に出てくる、不思議な町のような感じです。

天国のようだと言われても、天国とは思えないような気がします。

明るいけれど、どこかになにかの影がある、無音の世界のように思われます。。

しかし、このような世界になって、やっと弥勒がやってくる「時」が熟すのだと言われます。

後半に登場する「転輪聖王」という人が、「弥勒下生」のためには大切な役目をもっているようです。



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