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ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

物質と霊が結合し、時が成就する・・F・アルパーによるアトランティス再浮上論(6・終)

2011-10-16 | アトランティス
フランク・アルパーのチャネリング本「アトランティス・超古代文明とクリスタルヒーリング」のご紹介をさせていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


       *****

        (引用ここから)



魂自らが、昔の(アトランティスでの)カルマのパターンを解放できるようにするのだ。

こうしたやり方で、つながりを一気に、永遠に断ち切ることができる。

それが起こる時こそ、アトランティスが完全に「浮上」する時だ。

あなた方は、どんなカルマのエネルギーを引き継いでいくのか、見極める必要がある。

なにを残し、なにを変革していくべきか見極める必要がある。


あなた方は自らにこう言うべきである。

「彼ら(アトランティス)は私の一部である。したがって、私は彼らである。」

自らの魂を信じて発達させるのだ。

神がもたらしてくれるのは、祝福と愛のみである。


1985年3月25日、アトランティスのエネルギーは完全に「浮上」しているだろう。

そしてみずがめ座の時代(アクエリアスエイジ)が、その強さと力の新世紀を迎える。


長らく待ち望まれた歴史的瞬間が、ついに実現するのだ。

そのためにアトランティスで仕えたすべての人たち、アトランティス文明を地球上で再興する事業
に従事した人たちが、この新しい悟りの時代に生まれ、一人残らず肉体を持って生まれてくるだろう。

緩慢ながら着実に、すべてが実現していくだろう。


六亡星は宇宙的象徴であり、人類の二重性を表わす象徴である。

つまり物質的、霊的本質の二つの結合を表わしている。

これが「みずがめ座の時代」の象徴となり、力となるだろう。

両者はもはや分離されてはいない。

困難や不和を生みがちな弱さやカルマ的表出は、もう地球の波動から消えてなくなるだろう。

そして2組の三位一体が統合され、バランスをとられて永遠に封印される。


それが物事の秩序だからである。


       (引用ここまで・終わり)


             *****


1985年が未来であった時に、このチャネリングは行われました。


前の記事で、マヤ暦はどのように祝われたかを調べた時、1987年という年が大変重視されていることを見ました。

ハーモニック・コンバージェンスの時であるとされ、世界の多くの聖地で祈りが捧げられたということでした。

二つの年はとても近いですし、そのころのニューエイジ文化は、ほんとうに近代文明はもう今にも終焉を迎える、という気分に満ちていたように思います。


古代文明の復活とは、現代文明の終焉を意味しているとも言えると思います。

フランク・アルパーの伝えるアトランティス文明は、とても荘厳な雰囲気で、わたしは好きです。

また別の時に、フランク・アルパーの語る非西洋文明について、まとめてみたいと思います。

彼はアメリカ・アリゾナのフェニックスに住んで、人々にアトランティスについて教えていたということです。

古代アメリカに関する彼の考えを聞いてみたいと思っています。


彼の説く“霊と肉との新しい結びつき”は、キリスト教の三位一体を下敷きとして、三角形の組み合わせとしての六亡星の意味を示しています。

wikipediaでは「三位一体」は次のように説明されています。


   ・・・

三位一体とは、キリスト教の語で「父」と「子」と「聖霊」が「一体(唯一の神)」であるとする教理。

キリスト教が受け入れる中心的教義・教理である。

ギリシャ語では「聖なる三」の意)」、英語では「三にして一つの意」という。

正教会の一員である日本ハリストス正教会では「至聖三者(しせいさんしゃ)」と訳される。

教会等のミサでは「父と子と精霊の御名において」と称えられる。

この語は、キリスト教神学を離れて、3つに見えているものが本質的には同じものであること、あるいは、三者が心を合わせること、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もある。

    ・・・


霊と肉が新しい結びつきをする時、それが、人類が新しい時代=水がめ座の時代に入る時である、と語られます。

wikipedia「水瓶座の時代」には、水がめ座とニューエイジについて、次のように説明されています。

             
                 ・・・


「ニューエイジ」という呼称は、具体的には「水瓶座の時代」(みずがめ座の時代、age of aquarius)を意味する。

この呼称は西洋占星術に由来し、地球の歳差運動によって黄道上を移動し続けている春分点が、ちょうど20世紀の後半に、黄道十二星座のうお座からみずがめ座に入る、との主張による。

この主張では、春分点がうお座にあった時代は、ほぼキリスト生誕から現在までの約2000年間と重なる。

さらに、キリスト教には、イエスを魚によって象徴させる慣わしがある。このことから、「ニューエイジ」という言葉には、今こそ既存の西洋文明・キリスト教の支配する時代が終息し、自由で解放された「新時代」(=水瓶座の時代)の幕が開いた、という意味が込められている。

ニューエイジ(New Age)とは、字義どおりには「新しい時代」であるが、新しい世界、新しい思想を含意する。この表現の背景には、ヨハネの黙示録に見られ、一部のキリスト教徒が採用している千年思想がある。

すなわち、神と悪魔の戦いが千年続き、最後に神が勝利して、ニューエイジ=新しい世界がやってくるというものである。

基本的には、伝統的な教えの中から、古くて役に立たない教えを廃し、真の意味での教えを明らかにしようという運動である。

ただし、現在「ニューエイジ」(ニューエイジ・ムーブメント、ニューエイジ運動)と言うときには、アメリカ合衆国、とりわけ西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続している、霊性復興運動およびその生産物全般、商業活動全般を指す場合が多い。

     
              ・・・


この説明を読むと、フランク・アルパーの説く水がめ座の時代とアトランティスの再浮上説は、まさにニューエイジムーブメントそのものであったと考えることができるように思います。

古代の復活という教えが、ニューエイジの教えであるというのは、不思議なような気もしますが、ニューエイジ思想のもつ奥深さと可能性の大きさに圧倒される思いがします。





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浄化の日とダビデの星・・F・アルパーによるアトランティス再浮上論(5)

2011-10-13 | アトランティス
フランク・アルパーのチャネリング本「アトランティス・超古代文明とクリスタルヒーリング」をご紹介させていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

遠い過去に、アトランティスは滅亡した。
しかし今、アトランティスは再浮上しつつある。

アトランティス人の中にも、滅亡した人々と生き延びた人々がいる。
生き延びたアトランティス人たちは結集しつつある。
地球上では今再び、地球の存亡をかけたドラマが展開するのである、と述べられています。



          *****


         (引用ここから)


アトランティス人たちは滅亡した。

あなた方の時代の終わりにも、当時と同じ波動の人たちは滅亡するにちがいない。

しかし必ずしも同じ滅び方である必要はない。

人類が過去の行動から学ぶことが目的なのである。

こうした形の破滅を経験する必要はなく、変えることもできるのだということを学ぶべきなのである。

ぜひ地球で、それが起こってほしいのである。

今、人類の意識はそれに向かって大きく飛躍しつつあり、アトランティス人たちが集結している。


アトランティス文明の崩壊が迫っていることを知らされた長老たちは、物質界を離れた。

彼らの任務は、すでに完了していたからである。

彼らは最初に地表に定住した人たちであった。

破局が収拾された後、地球に再び定住すべき時期との判断が「聖同胞団(白色同胞団=ホワイトブラザーフッド)」によって下された。

そしてこれらのアトランティスの長老たちは文明を復興するために「神に選ばれた」のである。


アトランティス人が集結する時が到来すると述べてきた。

気づきが生まれ、互いを認め、あるいは交じり合いつつある。

これは事実である。

これらの魂は眠りから覚めつつある。


最後の審判が近づいている。

浄化の日が迫っている。


過去を水に流すべき時である。

まるで神がこう言われたかのようである。

「もう充分である。ゲームは終わりだ。

あなた方が自分の真理を認め、魂のパワーによって行動をおこすべき時が来たのである」と。


人類はまさに今、避けて通ることのできない状況に直面しているのだ。

古代のすべてのカルマと直面しているのだ。

古代に成し遂げられなかったこと、あるいは未解決だったことを達成しなければならないという思いが意識に上り、直面するわけである。


彼らは宇宙的な「ダビデの星」の烙印を押されている。

それは神の一側面を否定したという烙印であると同時に、宇宙が源であるという印である。

地球誕生の印である。

「ダビデの星」の中に、すべてのアトランティスのカルマが内包されている。

彼はあなた方を慰め、愛し、大切にする。

あなた方のすべての傷を癒すためにいるのだ。


人類が、太古の決意を解放するべき時がきている。

過去の知識を取り戻し、人類のために活用し、人類の成長と発展のために活かすべき時である。


このことを分かち合ったのは、あなた方の理解と解放のためである。

アトランティス時代の業績に誇りをもってほしい。

あなた方の魂のもつ知識を意識し、それを人類のために役立ててもらいたい。

  
     (引用ここまで)


        ****


本書は、大変典雅な文体で読む者の心を鼓舞するので、一冊読み終わる頃には、アトランティス時代の記憶が自分の中に再現されていくような感覚を味わうことができる、たいそう魅惑的な本ではないかと思います。

「宇宙的なダビデの星」という表現も、なるほどと思わせます。


wikipedia「ダビデの星」によれば、「ダビデの星」とはユダヤのシンボルとあります。


           ・・・


       (引用ここから)


ダビデの星は、ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴するしるし。

二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)といわれる形をしておりイスラエルの国旗にも描かれている。

このしるしは、古代イスラエルのダビデ王に由来するとされる。

ナチス・ドイツによるホロコーストにおいて、ユダヤ人は、黄色で描いたこの星型紋様(独: Judenstern=直訳でユダヤの星と呼ばれていた。当時は独: Davidstern=ダビデの星とは表記していなかった)をつけさせられた。


      (引用ここまで)


           ・・・


神智学はいろいろな宗教を取り合わせたものですから、ここに述べられている「宇宙的なユダヤの星」は単にユダヤ教のことではなく、宇宙における神の僕として、意味づけが異なってきているのだと思います。

しかし、このチャネリングの源は「ユダヤの神=エロヒム」である、とされており、ハルマゲドンやエデンの園といった概念が登用されているのですから、「ユダヤ」という概念が含むものは何か、ということはやはり大きな焦点になってくると思います。



Wikipedia「エロヒム」(ヤハウェ)を見てみると、「エロヒム」で独立した項目はなく、「ヤハウェ」の中に次のような説明があります。


          ・・・

      (引用ここから)


ユダヤ人たちの間では、直接ヤハウェの名を口にするのは恐れ多いと考えられ、神聖四文字を「アドナイ」と読み替えていた。

YHWHに「アドナイ」の母音符号をつけると、エホウァやエホバ(YeHoVaH)となるのでそのように読まれることもある。


エル、エロヒム、エル・シャダイ、神

旧約聖書では他に「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形エロヒム、またはエローヒーム、エロヒーム(אלהים)などもヤハウェの呼称として用いられる。

一般に日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。

また、「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイ(El Shaddai)とした箇所は全能の神などと訳される。


 異教由来説

ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰と呼ぶ。

ヤハウェは、元来はシナイ山で信仰された山の精(ジン)などを指したのではないかと考える者もいる。

ヘブライ人がカナンの地を侵略、定着する過程で、先住民カナン人の最高神であるエルやバールの性格を取り入れ、後にバビロン捕囚などを経てユダヤ教が成立してゆく過程において唯一絶対神の性格を帯びるようになったとする説もある。

四資料説においては、「エル」を神の呼称とする資料(エロヒム資料)に比べ、ヤハウェを神の名とする資料(ヤハウェ資料)は新しく、祭儀を祭司階級に担われたものと考える点などにおいて、先行資料と異なっている。

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。

また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちが、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。


         (引用ここまで)


           ・・・


「先住民カナン人とバール神」、というテーマは興味深く、後日考えたいと思いますが、「ユダヤ」という言葉には幾層もの層があり、一つの言葉には含みきれないほどたくさんの、重い意味があるのではないかと考えます。

そして、

>最後の審判が近づいている。
>浄化の日が迫っている。
>あなた方の時代の終わりにも、当時と同じ波動の人たちは滅亡するにちがいない。

という文言には、やはり有無を言わせぬ力があるように思います。




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ハルマゲドンと地底の人々・・F・アルパーの語るアトランティス再浮上説(4)

2011-10-10 | アトランティス
フランク・アルパーによるチャネリング本「アトランティス」をご紹介させていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

大変重大なことが書かれていると思いますので、少し長くなりますが。。


       *****


        (引用ここから)


そして実際に浄化されるだろう。

水により浄化される地域もあるし、火により浄化される地域もある。

浄化の大半は進化によるもので、この惑星の中心から発するエネルギーヴォルテックスや制御しているあなた方の同胞や、地球の中心核外の洞窟状空間にある地底文明により開始されるだろう。


世界中で、アトランティスに転生した魂が集結するだろう。

そしてその数もじょじょに増えていく。

彼らが一緒になることで波動が融合されると、必要なエネルギーのパターンが解放される。

すると失われた秘密が次々と意識に上ってくる。


ハルマゲドンは今起こりつつある。

ただしそれは霊的なハルマゲドンであり、物質的なものではない。

人類が産み出したネガティブなエネルギーは克服されなければならない。

この戦いに勝利できるかどうかは、「目覚めた子どもたち」である「神の戦士たち」の双肩にかかっている。


あなた方の世界は一つになるだろう。

光の子たちは人類を救うだろう。

そしてこの惑星はアトランティス、すなわち「エデンの園」となるのだ。

神の真理にかけてそれは成就する。

あなたがた、そして他の光の仲間たちはそのための手段となるだろう。

わたしはあなた方とわたしの言葉の波動に関わるすべての人たちに対し、この神への任務を欲する。

あなた方は自分の人生をコントロールしなければならない。

そしてあなた方は着飾らない姿で神の前に進み出て、

自分の価値を宣言して、そして「愛」でその身を包まなければならない。

その衣の中に、あなたのすべての強さがある。


           (引用ここまで)


             *****



この本は「アトランティス・超古代文明とクリスタルヒーリング」という副題がついているのですが、大変多くのクリスタルとヒーリングに関する記述があります。

かつてアトランティスで行われていたヒーリングを、今思い出し、行っている人々がたくさんいる、と述べられています。

実際に、アルパーを取り囲んでこのチャネリングを聞いている人々の多くが、すでにクリスタルを扱う何らかのことを行っているようで、細部に渡った専門的な質問とその答えが書かれています。

彼らの姿こそは、アトランティス人が集結し始めているという状態そのものであると、アルパーは述べています。


そして、まもなく「ハルマゲドン」が起こり、最終的には「エデンの園」が地上に出現する、と述べられています。

アトランティスというのは、「エデンの園」のことだったということがわかります。

これは比喩なのでしょうか?

「わたしの言葉」とか、「愛」とか、「神」と言う言葉はキリスト教的な感じがしますが、「言葉」ではなく、「言葉の波動」であると言われていますから、まったく同じものではないのだと思います。


また、ハルマゲドンは“物質的な戦い”ではなく“霊的な戦い”である、と言われています。

この「霊的な戦い」というものは、すべての文明にあったと思いますし、また、キリスト教にもあったようにも思います。

ホピの予言でも、「来たるべき戦争は、物質的なものと霊的なものの戦いになる」と予言されています。




「失われた記憶が次々と上がって来る。」という言葉からは、催眠療法でアトランティス時代に生きていた過去世のことを思い出したという人たちの事例が書かれていたことを思い出しました。

人間の心の中には、はるかな過去世の記憶も眠っており、自我意識を超えて遠い記憶に呼びかけることができれば、過去からの返事も届くといいます。

チャネリングが一般的になった1950年以降は、催眠療法もさかんになってきた時代だと思います。

アトランティスが再浮上する、という大事を成就するためには、とても大きな文化的なバックボーンが揃っている必要があるのではないかと考えます。

“洞窟状空間にある地底文明”から浄化が開始される、ということですが、これはホピ族の言う蟻人間の住む場所のことなのでしょうか?





wikipedia「ハルマゲドン」より

ハルマゲドンは、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉のカタカナ音写。

ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。

メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。

このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。

世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。

(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている。)



Wikipedia「エデンの園」より

エデンの園は、旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。

楽園の代名詞になっている。

パラダイス、地上の楽園とも言う。

『創世記』の記述によれば、エデンの園は「東の方」にあり、アダムとイヴはそれを管理するためにそこにおかれ、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。

ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形、主なるエホバ神と訳される)はアダムとイヴが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから

「人はわれわれのひとりのようになり」、その後、生命の樹の実をも食べ永遠に生きることをおそれ、エデンの園を追放する(失楽園)。

生命の樹を守るため、ヤハウェ・エロヒム(エホバ神)はエデンの東にケルビムときらめいて回転する炎の剣をおいた。




 
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この惑星の上面は浄化されなければならない・・F・アルパーの語るアトランティス再浮上説(3)

2011-10-07 | アトランティス
フランク・アルパーのチャネリング本「アトランティス」をご紹介させていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

このチャネリングは「ホワイトブラザーフッド=白色同胞団」と関わりがあると述べられていますので、西洋の神智学の範疇で語られているのであろうと思っています。


          *****


       (引用ここから)


アトランティスは海面下にあったにも関わらず、長老たちはしばしば地上に上がっていた。

当時他の地域には、別の文明が存在していたのである。

アトランティスの都市はドームの中に存在していた。

地表でも、地底でもそういう形態で存在していた。

こういう形態をとった理由は純粋な波動を作り出し、いわば世界の中に世界を作りだすためである。

アトランティス人は地球上の他の文明と比較してはるかに高い波動を持っていたので、彼ら自身の世界を作り出す必要があったのである。


この世界はアトランティスが地表に存在した時も、地上に変化がおこってアトランティスが海底に沈んだ後も存在していた。

アトランティスに住んでいた人々のほとんどは沈没前に死んでしまった。

生存者たちはアトランティスが再建されるまで、その都市機能を維持していた。


この時期彼らの多くは海面下の巨大洞窟に居住していた。

洞窟内には海水が侵入せず、そこで生活することが出来た。

彼らは後に(宇宙からの)再建者たちの協力を得て、都市や環境を復興したのである。


アトランティスはもともと地球における実験的文明として建設されたものである。

この惑星に転生してくる魂のために、さまざまな波動レベルを確立することが、その目的であった。

グリッドのパターンと、地球に流れる磁気エネルギーの制御は「白色同砲団(ホワイトブラザーフッド)」と呼ばれる一群の魂の管轄下にあった。

アトランティスの崩壊は、進化による波動の変化が、破滅の主因だった。

大陸そのものの物理的沈没は定められていたことではなく、地球の変化の副産物として起こったことである。


アトランティスはいずれ浮上するだろう。

いよいよ時が来たのである。

アトランティスはすでに「浮上」を始めたのである。

もう少なくとも20年間は「浮上」を続けており、さらに数十年は継続するだろう。

しかしそれは必ずしも陸地が物理的に「浮上」することを意味しているのではない。

「浮上」というのは波動の上昇のことである。

アトランティスのあらゆる知識、あらゆる行動はエーテル的に存在し、陸上の波動にも存在している。


いかにしてアトランティスは復活するのだろうか?

それは古代アトランティスの波動に同調して吸収し、蘇った知識や能力をすこしずつ活用している人たちすべての双肩にかかっている。


再びアトランティスはこの惑星の表面に君臨することになる。

そうならない理由はない。

将来再びアトランティスは存在することになるが、より高いレベルでのみ存在するのだ。

そしてより進化し成熟した魂のみが地球上に住み、過去に達成されたいかなる業績をもしのぐようなものとなるだろう。


したがってこの惑星の上面は浄化されなければならない。


           (引用ここまで)


              *****


アトランティスが崩壊したのは、進化の必然であったのだと語られています。

アトランティスが沈没し、多くの人々が死んでしまったけれど、その文明は、生き残った人々によって海底において続けられたということです。

生き残った人々は海底の洞窟で暮らしていたのだと述べられています。

そして、今また再び、アトランティスはその波動をもって、再浮上する時を迎えた、と語られています。

再浮上がうまくいくかどうかは、過去のアトランティス時代の記憶を持つ者たちの奮闘にかかっている、と語られています。

アトランティス人として生きた過去の記憶を持つ、たくさんの人たちの魂が地上に集結している、

アトランティスが地上に再浮上する用意が整いつつある、と語られています。

しかし、再浮上するためには、地上は一たび浄化される必要があるのだと語られています。

過去、地上にあった時にも、海底にあった時にも、アトランティスはドームの中に存在した、と述べられていますが、ドームがあったとしても、なお一たびの浄化が必要なのだと語られています。


浄化とはどのようなことなのでしょうか?

「ホワイトブラザーフッド=白色同胞団」によるエネルギーの調整とは、なにを意味するのでしょう?

そしてなぜ、「アトランティスは今復活する」のでしょうか?

「今」という時は、どのような可能性を秘めているのでしょうか?




wikipedia「ホワイトブラザーフッド(白色同胞団)」より

グレート・ホワイト・ブラザーフッド(白色同胞団)とは、神智学やその影響を受けたニューエイジ思想で信じられている超自然的人物の集団である。

ブラヴァツキー夫人はこの集団に属する。

クートフーミやモリヤといったマハートマー(大師、マスター)から教えを授かったと主張した。

チャールズ・ウェブスター・リードビーターによれば同胞団のリーダーはサナト・クマーラである。

Ascended Master Teachingの教義によればサナト・クマーラがこの集団を創設した。

また、同胞団の本拠地はゴビ砂漠上空のエーテル界に存在するシャンバラに築かれた。




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フロリダ沖のクリスタル文明・・F・アルパーの語るアトランティス再浮上説(2)

2011-10-04 | アトランティス
フランク・アルパーによるアトランティス人のチャネリング本「アトランティス」のご紹介をさせていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

筆者(話者)はまず、レムリアとム―とアトランティスの関係から話しはじめます。


       *****


       (引用ここから)



レムリア大陸とその諸文明は10万年あまり存続した。

レムリア文明は2派に分かれており、両派はバランスを保っていた。

一方は愛を表出し、他方は好戦的であった。


ムーに転生した魂の多くは、この文明の両派での人生を体験していた。

このことが、将来のパターンを決定する際バランスをとっていくことを可能にしていた。


現在のアメリカ合衆国にあたる大陸の東海岸側の彼方に、広大な陸地が存在し、アトランティスと呼ばれていた。


ムー大陸に最初に人間が定住してから約2万年後、このアトランティスに人間が住むようになった。

紀元前89000年のことである。


アトランティスの魂は基本的に調和の中を歩んだといってよいだろう。

アトランティスには好戦的な人々は存在しなかった。


それゆえムー大陸の否定的な波動に関わることを望まない魂の多くは、アトランティスに転生するようになった。


しかしアトランティス文明が発達し拡大するにつれ、ムーの好戦派はその勢力圏をアトランティスにまで拡大することを決めた。

やがて戦争が勃発し、5万年にわたって戦乱が続いた。

その結果二つの大陸は海面下に沈んでしまったのである。

    
          (引用ここまで)


           *****



初めにレムリアとム―の文明が興り、その後アトランティス文明が興ったことが述べられます。

レムリアのファンも、ム―のファンもそれぞれいて、レムリアと聞くと、夢幻の世界を思い起こす人もいるし、ム―と聞くと、そこの場所を楽園として懐かしく思う人もいるように思いますが、

このチャネリングによると、レムリアとム―は荒い波動で争いの地であったようです。

それに比べるとアトランティスは本質的には精妙な愛の波動の世界であった、と述べられています。

しかしその地こ、荒い波動のム―文明の人々が攻め込んできて戦乱になり、アトランティス大陸もムー大陸も両方とも沈んでしまった、と述べられています。


そして、アトランティスを救出するための援助隊がやってきたと述べられています。



           *****


             (引用ここから)


紀元前77777年に、地球外より初めて宇宙船隊が飛来し、現在のフロリダ沖に着陸した。

そして海面下でアトランティスの復興再建に着手した。

彼らの旅は宇宙船で数百年を要する長旅であった。

各宇宙船に数千人の乗員がいるので、こうした作業はけっしてたやすくはなかった。


アトランティスの動力源はクリスタルであった。

なかには高さ7メートル、直系3メートルにおよぶものもあった。


古代アトランティスの都市に最初に建設された建造物の一つに「いやしの大神殿」がある。

この神殿は壮大な建物であった。

部屋の天上はドーム状で、色の異なるクリスタルを組み合わせて古代のさまざまなシンボルのパターンを構成していた。

これらのシンボルの多くは現代ヘブライ語のアルファベットとして使われている。

中にはヒエログリフ(神聖文字)の形をしたパターンもある。

天上から光が差し込むと、明るくはあるがソフトな、強いパステル光となって、心なごむような、それでいて荘厳な雰囲気を醸し出していた。


アトランティスの住民が“エデンの園”に住んでいたとは思わないでほしい。

実際はアトランティス人もまた問題を抱えていたのである。

エメラルド・グリーン・クリスタルは高さが45センチないし60センチ以上ものはない。

これ以上の高さになると、そのパワーがあまりに破壊的になってしまうのである。

このクリスタルはエネルギー源として、あるいは地表を培い、植物を育てるエネルギーとして使われていた。


定期的に地表に出る必要がある人たちはこのパワーによって物質転送を行っていた。

これは「非物質化」によるものである。


          (引用ここまで)


          *****



海底に沈んだアトランティス文明を救出にやってきたのが、宇宙船にのった人々でした。

彼らはたいそう忍耐強くアトランティスの復興に力を尽くしてくれたようです。



アトランティス文明では、クリスタルがエネルギー源であり、海底と陸地の間を移動できる人々もいたことが述べられています。

この文明の言語はヘブライ語に受け継がれていると述べられていますので、この神秘的なアトランティス観はユダヤ系の神秘思想であると思われます。



wikipedia「ヘブライ語」より

古代にパレスチナに住んでいたヘブライ人(ユダヤ人)が母語として用いていた言語古典ヘブライ語(または聖書ヘブライ語)と、現在イスラエル国で話される現代ヘブライ語がある。

現代ヘブライ語はヘブライ語で「イヴリート(イヴリット)」と呼ばれ、古代の聖書ヘブライ語は "Lashon HaKodesh" あるいは「聖なる言葉」すなわち「神の言語」という名前で知られていた。

古典ヘブライ語はユダヤ人が世界離散(ディアスポラ)する以前には次第に話されなくなっており、後の時代の離散ユダヤ人は、かわってアラビア語・ラディーノ語・イディッシュ語などの諸言語を日常的に用いた。

そのためヘブライ語は二千数百年の間、ユダヤ教の言葉として聖書(ヘブライ語聖書)やミシュナーなどの研究・儀式・祈り、
別々の言語を話す遠隔のユダヤ人共同体同士がコミュニケーションを取る場合などに使われるのみであった。

しかし、20世紀にヘブライ語が現代ヘブライ語として再生され、他の言語に替わってイスラエル国に居住するユダヤ人の多数言語の地位を占めるようになって現在に至っている。

この言語の一般的な名称として使われているヘブライの名は、ユーフラテス川を越えて移住する人たちのことを総称してヘブル人と呼んでいたことに由来する。

今から紀元前3000年頃にカルデヤのウル(現在のイラク)からカナンの地(現在のパレスチナ・イスラエル)に移住したとされるアブラハム一族と、その子孫である人々が他称としてヘブル人、ヘブライ人などと呼ばれるようになり、彼らが使う言語がヘブル語、ヘブライ語と呼ばれる。


wikipedia「ヒエログリフ」より

ヒエログリフ ( 聖刻文字、神聖文字) とは、ヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種の文字のうちの1つ。

エジプトの遺跡に多く記されており、紀元4世紀頃までは読み手がいたと考えられているが、その後使われなくなり、読み方は忘れ去られてしまった。

19世紀になって、フランスのシャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読により読めるようになった。


Wikipedia「アルファベット」より

知られている最初のアルファベットは、紀元前1700年~紀元前1500年頃に地中海東部の沿岸地域で発達したと一般に考えられている。

このアルファベットは北セム文字と呼ばれ、楔形文字とヒエログリフを組み合わせてできたものであるが、クレタ文字やヒッタイト文字のような類縁関係にあるアルファベットから採られたものもあるようだ。



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フランク・アルパーの語るアトランティス再浮上説(1)・・精妙な波動の王国

2011-10-01 | アトランティス

ご紹介してきたバーバラ・マーシニアックがチャネリングで受信しているメッセージは、「西洋」という枠を越えて思考しようとする不屈の意志が感じられるように思ったのですが、

同時に西暦2000年の到来、ミレニアム、終末の時の到来、というようなキリスト教を源とする思考が介在していることは間違いないと思います。


次にもう一つ、とても西洋的な感性によって築かれたアトランティス、、

閉じられた空間としてのアトランティスが感じられる、西洋人のチャネリングによる「アトランティス」論・・フランク・アルパーの「アトランティス・超古代文明とクリスタルヒーリング」という本を紹介します。

エジプト文明もマヤ文明も、遡るとアトランティス文明に起源をもつと考えられる、という、今まで見てきたマヤ文明の研究の中で、西洋の文明、また、ニューエイジ思想はどのように関与しているだろうか、という視点で考えています。


フランク・アルパーは、1950年代にチャネリングが始まったということです。

かつて偶然この本を手に取り、初めて読んだ時は、その美しい世界に本当に感動しました。

クリスタルでできた大神殿、ローブをまとった老若男女、ドームでおおわれた都市、クリスタルをエネルギー源とした非物質的な文明、透明な光の国が描かれています。


フランク・アルパーによると、地球上の一番初めにはムー文明=レムリア文明が存在していたということです。

ムー文明は荒い波動だったので、アトランティスはそこでの好戦的なことを好まない人々が波動的に集まってきて、長い時間をかけて実験的な都市として作り出されたということです。

アトランティスが存在したのは大西洋の西であるというプラトンの説が、またその後カリブ海の海底に沈んだというエドガー・ケーシーの説が採られています。


ムー文明やレムリア文明が物質の要素を強くもつものであったのに比べて、アトランティスは非物質的な空間であった、と述べられています。

またアトランティスには宇宙からの人々が飛来して、文明を移植したということも述べられています。


そしてアトランティスの知恵の源泉は「白色同胞団(ホワイトブラザーフッド)」であるということです。

この「白色同胞団」の由来は、ブラバツキーの神智学、さらに遡って、西洋神秘学を源泉とするものではないかと思われます。

神智学の「白色同胞団」はチベット、インドの文化を取り入れた東西の神秘学を混淆した西洋の神秘学だと思いますが、その成り立ちの源泉も調べてみたいと思っています。


           *****


        (引用ここから)


ムーとして知られるレムリア大陸から話を始める。


          (続く)


         *****


wikipedia「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」(白色同胞団)より

「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」とは神智学やその影響を受けたニューエイジ思想で信じられている超自然的人物の集団である。

日本語表記としては「聖白色同胞団」、「大白色聖同胞団」、「大いなる白色同胞団」がある。

ブラヴァツキー夫人はこの集団に属する。

クートフーミやモリヤといったマハートマー(大師、マスター)から教えを授かったと主張した。

チャールズ・ウェブスター・リードビーターによれば同胞団のリーダーはサナト・クマーラである。

Ascended Master Teachingの教義によればサナト・クマーラがこの集団を創設した。

また、同胞団の本拠地はゴビ砂漠上空のエーテル界に存在するシャンバラに築かれた。


wikipedia「千年王国」より

千年王国(せんねんおうこく、英語:Millenarianism、あるいはMillenarism)は、キリスト教終末論の一つ。

また、千年王国説を信じる人のことは、英語でmillenarianやmillenaryと呼称されている。

終末の日が近づき、神が直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になったと説く。

千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する。

また、至福の1000年間の終わりには、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っているとされる。

千年王国に直接言及する聖書の箇所は、ヨハネの黙示録20章4節から7節。



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賢者ドルイドの由来は・・ピュタゴラス派か、それともアトランティスの智慧なのか?

2009-09-01 | アトランティス
ストーンヘンジと、ケルト文化と、ドルイドのつくりだす世界の面白さを、別の視点から見て書いている文章をみつけました。

藤原啓章著「失われた文明の謎」から、引用します。


      *****
   
               (引用ここから)


イギリスの先住民族ケルト人が、大陸からイギリスに渡ったのは紀元前7世紀頃。

ストーンヘンジの建造開始は、紀元前2800年ごろ(4800年前)とされているので、ストーンヘンジの建造者は、“ケルト人以前にイギリスに住んでいた民族”ということになる。

が、その民族の正体は今なお不明である。

とにかく、誰が、どのような方法で、何の目的でストーンヘンジを建造したのかという疑問に決定的な答えを提示し得た者は一人もいないのだ。


それらの謎を解くカギとして、ここではケルト人が信仰した宗教「ドルイド教」 に注目してみた。

「ドルイド」とは「完全なる知識を所有する人」の意味。

ドルイド僧は数かずの驚嘆すべき秘儀、秘術をおこない、きわめて高度な天文学、占星学、数学の知識を身につけていたと言われる。


かれらはまた、地球をネットワークする大地のエネルギーライン=レイラインに関する知識も備えていたらしい。

かれらは言う。
「地球を人間に例えるなら、山と岩が骨、水が血、磁力(大地のエネルギー)が神経に相当する。」

「この3つの要素と宇宙の力が一つになって、聖なる土地が出来上がる。」

ストーンヘンジがレイライン上に位置することはすでに確認されている。


“ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。


さらに謎めいたことに、ドルイド教の口伝によれば、彼らが身につけていた知識は、失われた大陸アトランティスから受け継いだ太古の叡智に基づくものである、という。

ともあれ彼らドルイド僧は、古代ケルト人にとっては神聖にして侵すべからざる存在であった。


カエサルの「ガリア戦記」にはこう書かれている。

「ドルイド僧は最大の敬意を払われ、決定権はすべて彼らが握っていた。
命令を下すのは彼らである。
すばらしい宮殿に住み、黄金色の玉座に座っている王たちは、彼らの召使にすぎなかった。」


ドルイド僧は言うなれば、ケルト人の“影の支配者”だったのである。


この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?

多くの謎と秘密を内包するドルイド教の信者たちは、今も毎年、夏至の前日にストーンヘンジに集合し、純白のローブを身にまとい、夜を徹して秘密の臭いが色濃く漂う儀式を厳粛にとりおこなっている。


    (引用ここまで)
         
               *****


先の記事では、“現代のドルイド教の信者”は、ストーンヘンジを作った紀元前の文明にも、あるいはケルトの伝統にも、どちらにも由来しているとは考えられない、ということについてずっと考えてきました。

また、ドルイドが遺跡であるストーンヘンジで宗教的儀式を行ったという明確な証拠もないのです。

でも、人々はドルイドに扮して、“ドルイド的なるもの”を表現し続けてきました。

そういう意味では、この本の筆者がここで言っている以下のような発案は、なるほど、一理あるかもしれないと、わたしは思います。

               ***

この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?       
                 (同著)

               ***


“ケルト的なるもの”の定義が漠然としていて矛盾が多い理由について研究をしている原聖さんは、著作「ケルトの水脈」の中で、

“ドルイドはギリシアのピュタゴラス派の影響を受けて生まれたものだ”と述べています。

                *****
          
                 (引用ここから)


ドルイドとピュタゴラス派には類似点が数多い。

霊魂不滅観、数学的知識に基づく幾何学文様の多用、人身御供でなく動物の供犠、天文学の知識、学問の体系化と教団的組織的教育、口伝による長期間教育、白衣の着用、政治家・司法家としての役割などがあげられる。


こうした宗教・知識・行政司法の三重の権威は強大で、おそらく古代メディア王国(ペルシャ前8~前6世紀)の「マギ=賢者」だけがこれに匹敵するだろうという。

「マギ」は英語などでの魔術・呪術(マジック)の語源だが、こうした博学が魔術と結びつくのは、後で見る“偽ドルイドとしての呪術者”の存在を考えても分かりやすい。


前6世紀にピュタゴラス自身がガリアに伝えたとは考えにくいが、その弟子、孫弟子レベルにより、前5世紀にその学問がガリアにもたらされて、ドルイド集団が成立したのである。


前4世紀に特にガリア北部と中部西部でその教育が体系化されたものとなり、確固たる階層としてのドルイド階層が形成された。

これに反して前1世紀初めにはローマ文化に同化し始めていたガリア南部・プロヴァンスではドルイドの勢力は始めから弱小だった。


ガリア以外ではドルイドに関する記述はなく、ガリアのケルト人社会に特有の集団であった。
    
               (引用ここまで)

             *****


藤原さんの仮説は、空想的に「アトランティス」と述べており、原さんの仮説は、現実的に「ピュタゴラス派」と述べており、立場は全然違いますが、

“ドルイドの存在はケルトの外側からもたらされたものだ。”と述べている点では一致していると思います。

最もケルト的なものとイメージされているドルイド僧の教理が、じつはケルトとは別の由来があるかもしれない、という仮説は、興味深いものがあります。

ピュタゴラス派のプラトン経由でアトランティスにつながる、というのは、そんなに無謀な仮説ではないかもしれません。



wiki「ピュタゴラス教団」より

ピュタゴラス教団は古代ギリシアにおいて哲学者ピュタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。

南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた。

前5世紀ごろに盛んであった。ピュタゴラス学派ともいう。

古代ギリシャからあるオルペウス教の影響から輪廻転生の考え方を有していた。

また原始共産制を敷いており、ティマイオスによると、ピタゴラスは財産を共有することを結社に入る第一の条件にしていた。

この時代の宗教結社に共通することではあるが、結社外に教えを伝えることは禁じられていた。

このため、資料が少なく、実態が明らかでない。

古代の証言からは、数学の研究を重んじた派と、宗教儀礼を重んじた派のふたつがあったことが知られている。

プラトンにおける数学(幾何学)の重視はピュタゴラス教団の影響であるといわれている。

ピュタゴラス教団は特定の数に神秘的な性格を見出しており、その教説の一端がプラトンの『国家』第10巻の宇宙像に現れているとの指摘がある。


Wiki「マギ(マグ)」より

マギ(ラテン語複数形 magi)は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。

英語では単数メイガス (magus)、複数メイジャイ (magi)、形容詞メイジャン (magian)。

普通名詞なので小文字始まりだが、東方三博士の意味では固有名詞あつかいで大文字始まりである。


本来のマギと意味の変遷

ヘロドトスの『歴史』には、「マギには、死体を鳥や犬に食いちぎらせたり、 アリや蛇をはじめその他の爬虫類などを無差別に殺す特異な習慣があった」と記されている。

これらの習慣はアヴェスターに記された宗教法と一致しており、彼らはゾロアスター教と同系の信仰を持っていたと考えられる。

アケメネス朝ペルシア史上では、王位簒奪者のマギであったガウマータを、ダレイオス1世が倒して王位に就いたとされている。

一方、キリスト教世界では新約聖書、福音書の『マタイによる福音書』にあらわれる東方(ギリシア語でanatole。当時はペルシャのみならずエジプト北部などその範囲は広い)の三博士を指して言う場合が多い。

三人の王とも訳される。
直訳すれば星見すなわち占星術師であるが、マタイ福音書の文脈では、天文学者と推測される。

やがて、マギという言葉は 人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語のmagicなどの語源となった。

これはマギが行った奇跡や魔術が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。

また磁石を意味するマグネットmagnet, マグネシウムmagnesiumの語源も、マギが奇跡のために使用したことに由来する、という説がある。


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天空がぐるぐる廻った時・・アトランティス探検は続く

2009-07-08 | アトランティス



前回の続きです。

デビッド・ジンクさんは、実際の調査船にも何人もの霊能者を同乗させて、彼女たちの反応に信頼を寄せています。

彼女たちは、ビミニ島は本当にかつて宗教施設であった、また人類はプレアデス星と深いつながりがあり、ビミニ島はその交信のための施設でもあったと述べています。

こういったことは、彼にとっては驚きではありましたが、なぜかくも多くの古代の民族の神話にプレアデス星が登場し、その文化において重視されるのかという問いへの答えを得たという満足感も示しています。

相当量の話が書かれているのですが、混沌としているので、ドライに割り切って少しだけまとめてみます。
以下デビッド・ジンク著「海底大陸アトランティス」より。


      *****


先史時代の研究者の間で心霊術が資料として使われ出したのは、エドガー・ケーシーという天才的な心霊術師に負うところが大きいが、現在では多くの直観的な人々の力で古代遺跡の謎を解いたり、その建設者の思いについて立証可能な仮説を立てることができる。

わたしはキャロルに、「ビミニの遺跡を建てたのはどの文明だったのか?」と質問をした。

驚いたことに彼女の答えは、「その建設者はペルーのナスカ平原に巨大な幾何学模様を描いたのと同じ人たちだ」というものだった。

「彼らはかなり浅黒い肌をした人たちだが、アメリカインディアンではなく、おそらくアトランティス人でしょう。」と言った。

わたしが感じていたのと同じである。
ナスカの線はまさに文化と言えるものだった。

わたしはそれを何度も見続けてきたのだ。

ビミニを見た時、ナスカと同じだと、わたしは思っていたのだ。

彼女はまた、「ストーンヘンジが建設されたのは、現在信じられている紀元前2000年代ではなく、紀元前16000年でしょう。」と言った。

「ビミニはストーンヘンジより以前に建設され、ストーンヘンジは大洪水の後に建てられたのです。

ビミニロードは、大洪水より前に建設されたのです。」と彼女は語った。

彼女は、「我々がビミニに見ているものは、太陽神崇拝のなごりである」ことを強調して、ビミニ遺跡の全史は、まず原始太陽神崇拝にはじまり、その後、自然崇拝、月神崇拝、最後に別の太陽神崇拝へと発展していったという。



ハリバートンは人類がプレアデスをあがめる普遍的傾向は、星座が宗教、暦、神話、伝説、そして象徴化の中心を占めていた、年代さえわからないほど古い時代の人類史にまでさかのぼると主張している。

世界各地に共通して現れるプレアデスの神話、伝説、暦そしてプレアデス星団の昇る方位に向いている構築物は、プレアデスとの神聖なふれあいがかつて何世紀も前にあったという民族の想い出が広く深い宗教的感情として表現されているのではないだろうか?

当時の多くの人々は地球上の大変動のためにプレアデス星団が消滅してしまうのではないかと心配したのではないだろうか?

プレアデス星団の季節ごとの動きは宇宙の秩序を示しているように思われ、星の運行を確認することで、神話や口承伝説に残っている恐ろしい地球の大変動が繰り返されていなこということを確認したのではないかと考える。


キャプテンクックがハワイ諸島を訪れた時に、島民が歌って聞かせたという「地球生誕の歌」がある。
それはこんな歌詞である。

地球が熱くなったとき
天空がぐるぐるまわったとき
太陽が暗くなった時
月がかがやき
プレアデス星団がのぼったとき
ねばねばした土、これが地球の源だった
(M・ベックウィズ訳)


“天空がまわったとき”というところは、破壊を主題としているのではないかと思われる。


ケーシーの資料を読めば読むほど、彼のアトランティスについての解釈がまことに首尾一貫していることにひどく感銘する。

彼のもたらした多くの情報の中には、健康の増進と個性の成長のための実質的な効用をもつ医学的精神的解釈もあり、これがケーシーのアトランティス解釈を無視できないものにしている。

人類が地球に現れたのは1000万年も前だという、はじめは考えられなかったような彼の主張も、科学が昔にさかのぼるにつれて、あり得べきことのように見えてきた。
(アフリカでのリーキーの研究では、人類の誕生は少なくとも375万年前とされる。)

ケーシーの解釈はアトランティスの初期の時代から黄金時代をへて、最後にはその文明を破壊してしまった3度の、次第に激しさを増した天変地異を追ったものである。

大変動はそれぞれ紀元前およそ48000年、28000年そして10700年におこったという。

ケーシーの描いたアトランティスは、巨大な石の都市で、そこではエレクトロニクスをはじめとする近代的通信手段、陸と空と海底の交通機関を備え、無重力状態や大水晶、あるいは耐火石材を使っての太陽熱利用も行われていた。

この高度な技術は、ケーシーの解釈の中でも奇妙な側面だと言えるだろう。

しかし、この高度な技術によって作りあげられたものが、実は我々の現代文明が衰退への道を辿る未来を暗示しているようにも見えるのだ。

アトランティスはその黄金時代から精神的、道徳的な堕落が始まり、とうとう水晶を通して利用し得る自然の大きな力が乱用されるに至った。

この“技術の乱用”が、少なくとも大災害をもたらす一つの原因となり、それが天変地異による破局へとつながっていったのである。

      ・・・


おそらくわたしがこれらのことをしばらく資料として温めている間に、地球物理学上の新しい発見によって、謎を解明する新しい手がかりがつかめることだろう。

問題はきわめて複雑であり、現時点ではアトランティスが実在したことを完全に立証することは不可能だが、逆にこれを否定する材料も十分ではない。

人間の過去に光をあて、その由来を探ることは、現代文明に影響をもたらすばかりでなく、文明の存亡そのものを左右するほどの重要性を持つ問題と言えよう。

              (転載ここまで)
     
  
         *****


地球が熱くなったとき
天空がぐるぐるまわったとき
太陽が暗くなった時
月がかがやき
プレアデス星団がのぼったとき
ねばねばした土、これが地球の源だった

ハワイの人たちが歌ったというこの言葉を見たとき、わたしはマヤ族のドン・アレハンドロさんが言っている、近い将来のできごとのビジョンを思い浮かべました。

ところで、ハワイといえば、太平洋であり、アトランティスではなくてムー大陸、レムリアの横たわる場所です。

マヤの民が見たものと、ハワイの民が見たものは、同じ光景だったのでしょうか?

ますます謎が深まるように思います。



写真はストーンヘンジ(同書より)


wikiジェームス・クック(キャプテン・クック)より

第3回航海(1776年 - 1780年)

第3回航海の公式の目的は、北極海を抜けて太平洋と大西洋をつなぐ北西航路を探索することであった。

クックは再びレゾリューション号の指揮を取り、チャールズ・クラークが僚船ディスカバリー号の指揮をとった。

オマイをタヒチに返した後に、クックらは北へと進路を取り、1778年にはハワイ諸島を訪れた最初のヨーロッパ人となった。

クックはカウアイ島に上陸し、時の海軍大臣でクックの探検航海の重要な擁護者でもあったサンドウィッチ伯の名前をとり「ハワイ諸島」を「サンドウィッチ諸島」と命名した。

クックの最期

レゾリューション号は1779年にハワイに戻りケアラケク湾に投錨した。

約1ヶ月の滞在の後、クックは北太平洋探検を再開したが、出航後間もなく前檣が破損し、補修のためケアラケク湾に戻らなければならなくなった。

しかし、ハワイの宗教上の複雑な事情ではこの突然の帰還は「季節外れ」で、先住民の側からすると思いがけないことだったため、クック一行と先住民の間に緊張が生じることになった。

1779年2月14日に、ケアラケク湾でクックらのカッターを村人が盗むという事件が起きたが、引き取りのために下船した際、浜辺に集まった群衆と小ぜり合いが起きてしまった。

クックは刺し殺され、死体は先住民に持ち去られた。

現地の宗教上の理由で奇妙な崇敬を受けていたクックの遺体は、先住民の長と年長者により保持され肉が骨から削ぎ取られ焼かれた。

レゾリューション号とディスカバリー号がイギリスへ帰国したのは1780年8月のことであった。
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クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検

2009-07-05 | アトランティス


プラトンの語るアトランティスが実在するかどうかを調べるために、エドガー・ケーシーが「そこはアトランティスの一部であり、近い将来浮上する」と語ったカリブ海のビミニ島の海底調査に取り組んだデビッド・ジンクさんは、海底にたくさんの人工的に配置されたと思われる巨石を見出しました。

そして古今東西の資料を集め、ビミニ島はアトランティスとどういう関係にあるものか、調査しました。

そして、古代の人類が共通して語る大洪水の神話は、実際の人類の経験に基づいているのではないかと考えます。

デビッド・ジンク著「海底大陸アトランティス」から抜粋して、まとめてみます。
また2回に分けます。


            *****


アトランティス論者の中には、クロマニヨン人とアトランティスを関連付けている者もいる。

地球磁場の逆転現象は、海床の岩石の生成時に得られる記録で証明されているのであるが、約30000年前におこったとされる。

エドガー・ケーシーはアトランティス島をおそった強い地震のために、30000年前にアトランティスからメキシコ・ユカタン半島へ人口の移動があったと語っている。



一方クロマニヨン人の骨は、古いものでは35000年前のものもある。

そこでわたしも、クロマニヨン人はおそらくこの“磁場の逆転現象”を経験し、天変地異の時期を生きたのではないだろうかと考えている。


わたしは“先史文明のひとつの源泉としてのアトランティス”という新しい観点から、人類学を注意深く調べてみることにした。


従来の東西移動の学説では、人類はまず中東の肥よくな三日月地帯からはじまり、次いで遊牧狩猟文化、農民、村民と一直線上に上がってゆき、ついにウルやジェリコ、ウガリットのような古代文明の中心地の都市住民となると主張している。

そしてここから人類は西へ広がっていったというのだ。

しかしこの見方は炭素を使った年代測定法の発達によって異義をとなえられている。

ヨーロッパの巨石文明はエジプトやミケーネ文明とは別のもので、はるかに古いと考えられるのだ。


わたしはルイス・スペンスがやはり西から東への人類の移動形態から、アトランティスの存在を支持する主張をしているのを思い出した。

彼は、西ヨーロッパからみつかったクロマニヨン人の遺物が、ブラジルでも発掘されていることに注目している。

クロマニヨン人はどのようにしてブラジルまで辿り着いたのだろうか?

もしアトランティスがクロマニヨン人の生誕の地で、クロマニヨン人が、移住の時期にそこから流出したのだとすれば、大西洋をはさんで両側にクロマニヨン人の骨がみつかっても驚くにはあたらないだろう。


人類が新大陸に姿をあらわしたのは、古くは50000年前までさかのぼって考えられる。
(ブラジル・カビバラ洞窟)

わたしもブラジルがアトランティス研究者にとって有用な意味を持っていると確信している。


コロンブスによる発見以前のアメリカ大陸の芸術の権威アレクサンダー・F・プテノー博士は、中央アメリカと南アメリカの装飾品や道具類はあらゆる人類のタイプに共通するものを持っていることを発見した。

彼はこのことから、あらゆる民族集団が中央・南アメリカに移住していた時があるとする学説が有力視されると主張している。

要するに現在知られているよりもはるか以前に、世界的規模で、複雑な民族移動が行われていたことが立証されつつあるのだ。


      *****


写真は、本書より。

上・「アトランティスの王妃と言われる胸像。エルチェの貴婦人。
先史時代のこの作品は、南スペインで発見された」と書かれている。

下・「マヤ・アステカの“前にいた島”。アステカ語でアズトランと書いてある(アトランティスと近い語である)」 と書かれている。



wikiクロマニョン人より

クロマニョン人(くろまにょんじん、Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。

1868年、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によって研究された。

ヨーロッパにおける化石現生人類をひろくクロマニヨン人と言うこともある。

またネアンデルタール人を旧人と呼ぶのに対し、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを新人と呼ぶこともある。

約20万年前に誕生した現生人類を称するための用語としては、学名の「ホモ・サピエンス・サピエンス」以外には、「新人」ぐらいしかないので、不正確ではあってもこれらの用語で代用されることも多い。

後期旧石器時代に属し、約4万~1万年前のものと考えられる。

骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている(特にヨーロッパ人に似ていると言われる)。身長は男性で180cm前後。

クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス(Homo sapiens)に属し、白色人種に入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。

精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。

また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、きわめて進んだ文化を持っていたが、狩猟採取生活に依存し、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らず、そのため野ウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少、絶滅すると共に彼らも滅亡したとする学者もいる。

しかし主流派の学説ではクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとしている。

精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残す。


wiki「エルチェ」より・エルチェの貴婦人

現在の都市から10kmの位置にある遺跡「ラ・アルクディア」がエルチェの起源である。
イベリア人によって築かれ、カルタゴついでローマに支配された。

エルチェでは膨大な考古学資料が発見されており、エルチェの貴婦人(en:Lady of Elx)の像が有名である。

この像は紀元前4世紀のイベリア人の時代に作られたと見られる。
像のオリジナルはマドリード国立考古学博物館にあり、エルチェにあるのは正確なレプリカである。


BS朝日「古代からのメッセージ・さいしょのアメリカ人をさがせ」番組紹介より
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/history/hi_06_03.html

ブラジル北東部に位置するセラ・ダ・カピバラにある洞窟の壁には、太古の人々の暮らしを表した絵が描かれている。

この絵はモンゴロイドのアメリカ先住民が新大陸に到達した以前のものだと判明。

そして洞窟内部の発掘により、アメリカ先住民の到着以前にもアメリカ大陸に人が暮らしていたことが分かった。

番組では最初のアメリカ人の謎に迫り、様々な角度から解明していく。

アメリカ先住民が新大陸に到着した経緯や当時の地球の様子、そしてそれよりさらに前、アボリジニーの特徴を持った人々がどうやってアメリカ大陸にたどりついたか、そしてなぜ彼らが大陸から一掃されてしまったかが語られる。

学者のコメントや資料映像も交え、最初のアメリカ人の姿が浮き彫りにされる。

ブラジル北東部に位置するセラ・ダ・カピバラ。

切り立った断崖と谷間の広がるこの土地に、先史時代から存在する洞窟がある。

洞窟の壁は、太古の人々の暮らしを描いた様々な絵で埋め尽くされている。

しかし、何を意味しているのか不明な絵も多く、描いた人々が誰なのかも謎のままだった。

この絵は、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の祖先がアメリカ大陸にやって来たおよそ1万2千年前より、ずっと古い時代に描かれていた。

その後、洞窟内部の発掘で4~5万年前の地層から人が暮らしていた痕跡が発見された。

この発見で、アメリカ先住民の到着以前にもアメリカ大陸に人が暮らしていたという事実が明らかになった。

この最初のアメリカ人は一体どんな人々で、どこからやってきたのだろう。

この疑問に、ブラジルの洞窟で発掘された人骨が答えを出した。

9千年から1万2千年前の地層から出土したもので、これまでアメリカで発見された人骨の中で、最古のものだった。

中でも最も古い、若い女性の頭蓋骨の特徴を調べると、意外な事実が判明する。

この頭蓋骨はアメリカ先住民が属する人種、モンゴロイドのものではなく、ニグロイドに似たものだった。

しかも、オーストラリア先住民、アボリジニーの頭蓋骨と極めて近い特徴を持っていた。

つまり、アメリカ大陸に初めてやってきた人類は、アボリジニーの祖先たちだったことになる。

しかし、広大な太平洋を隔てたオーストラリアから、彼らはどうやってアメリカ大陸に到達したのだろう。

そして、彼らの子孫が現在のアメリカ大陸に暮らしていないのはなぜだろう。
どこかでひっそり生き残っているのだろうか…。




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ケーシーの説はプラトンの説に酷似している。。悩める英文学者の大冒険

2009-07-02 | アトランティス


文学の講義でプラトンを教えているうちに、そのプラトンの説く“アトランティスの地”の探策に携わることとなったデビッド・ジンクさんの著書「海底大陸アトランティス」のまとめ部分の紹介を続けます。

古地磁気学や地球科学と、エドガー・ケーシーたちの言っていることを突き合わせて、整合性を見ようとしています。

内容は本の本篇の中で資料を集めて検証してあるものです。
長くなったので、また2つに分けます。

*****


ケーシーの資料によれば、アトランティス大陸のサッガーソ海地方(バハマ諸島沖合の大西洋上あたり)は、大陸が最終的に崩壊する7500年前の紀元前18200年に崩壊した。

200年後に(紀元前18000年)地球の磁場の両極が正常な状態に戻った。

そして紀元前15000年から10000年にかけて、北極の地軸がハドソン湾から現在の場所に移動した。

前にも示唆したように、この現象は地球の大変動に関係があり、地殻がますます不安定な状態になったのではないだろうか?



紀元前10700年。
ケーシーによれば、アトランティスが崩壊した最後の年だ。

彼はまたビミニが紀元前28000年以後に残ったアトランティスの2つの島の一つ、“ポセイディア”の一部だったとも言っている。

キャロルのリーディングによれば、アトランティス人がビミニその他の新世界の植民地に移住を開始したのもこの頃である。


紀元前10376年
ふたたび地球の磁場が逆転した年。
“イエーテボリの磁気宙返り”、、この逆転はチャールス・ハプグッドが主張している、紀元前15000年から10000年にかけての最後の磁極の転換と関連があるかもしれないし、またケーシーが唱えている年代とも非常に近い。

紀元前9600年
エミリアーニによれば、世界的な洪水の年。
酸素同位元素でメキシコ湾の地層を測定した結果から推定される。
高緯度で氷河が急速に溶け、洪積期が終わった。

紀元前9570年
プラトンがアトランティスの最後とした年。
ケーシーとプラトンでは1100年程違いがあるが、これは地球の天変地異が一度ではなく、2度あったことを示唆しているのではないだろうか。

紀元前6031年
キャロルによると、地殻の激変がビミニの市街地を破壊した。
この頃ビミニロードは海面上9.6メートル、あるいは、24メートル上にあったと推定される。



紀元前4021年
ビミニ遺跡と関係のある文明が、この地域を放棄した。

この後、少なくとも独立した環カリブ海文明である“ルカヤ・インディアン文化”によって最終的に支配されるまでの間に、エジプト人、フェニキア人、ケルト人などが大西洋を渡ってきて、ビミニ文明に強い影響を及ぼしたものと推定される。

フェニキア人とケルト人はニューハンプシャーのミステリーヒルに、巨石に刻みこんだ碑文を残している。

サンライズ・ゴードンは紀元前3000年から1200年ごろにかけて、青銅器時代の海の首領たちが、大西洋を渡って航海をしていたと推測している。

エジャートン・サイクスは、ビミニは有史時代以降、常に占領されてきたと考えている。


         *****


とてもややこしい文章ですが、筆者はビミニはアトランティスの一部であるというケーシーの説と、アトランティスと同時期に存在した別のものでアトランティス人を受け入れたという説を同時に述べているように思います。

また、ビミニに住んでいたアトランティス人あるいはその末裔が、ビミニを捨てた後に、別の文明が存在した痕跡がある、と言っているのだと思います。

ビミニの海底という一つの場所に、重層的にいくつもの文明が堆積しているのを、直観しているのではないかと思われます。




写真は、同著より「アトランティスの大洪水からの脱出を描いたと見られるマヤの石の小壁」


Wiki古地磁気学より

古地磁気学(こちじきがく、paleomagnetism)とは、岩石などに残留磁化として記録されている過去の地球磁場を分析する地質学の一分野。

火山岩や堆積岩には、それができた時のできた場所の磁場が記録されており、それを分析することで、地磁気の逆転や大陸移動の様子などを調べることができる。

残留磁気からは伏角と偏角が得られ、偏角からは極の方角、伏角からは極の距離がわかる。

当初は火成岩に対してしか使えなかった。しかし、1950年代に磁力計の感度が大きく向上し、堆積岩にも使えるようになった。

また、洋上から深海底(ほぼ全てが玄武岩)の残留磁気を測定できるようにもなった。

わかるのは厳密には極ではなく磁極である。
ただし、磁極と極は過去においても大きくは違わないと考えられ、また、数千年以上の時間スケールで均せば、磁極の分布の中心は極に一致すると考えられている。

伏角を得るためには当時の水平面を推定する必要がある。



wiki地球科学より

地球科学は、地球磁気圏から地球内部のコアに至るまで地球に関するあらゆる学問を総称した名称であり、内容は地球の構造や環境、歴史などを目的として多岐にわたる。

地球に関する研究は、石炭の発掘などの実用的な目的の中で地層の層序や堆積構造などを解明する地質学が発達したことに始まるが、自然史学的な色彩が濃かったために比較的進歩は遅く、20世紀になってようやく地球に対する認識が大きく進展してプレートテクトニクスの発見などの飛躍を見せた。

しかしながら地球に関してはまだ解明されていないことが多く、まだ本格的な研究は始まったばかりと言っても過言ではない。

地球は実質的に人類の生活できる唯一の星であり、資源の利用法など、人類の進歩のためにその解明の必要性はむしろ高まりつつある。

また、近年大きな関心を寄せられている地震予知や環境問題、火星探査などに直接関わる分野として注目され始めており、今後の更なる発展が期待される学問である。

地球科学あるいは地球惑星科学は、ひとつの学問体系というよりは地球に関する様々な学問分野の総称であり、地質学・鉱物学・地理学・地球物理学・地球化学などに細分化されているのが現状である。

またその研究対象も分野によって大気圏・表層環境・生命圏・地球内部・太陽系など多様であるが、最近ではこれらの相互関係に重点を置いて地球全体をひとつのシステムとしてとらえ総合的に研究しようとする地球システム学(惑星システム学)が提唱されている
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デビッド・ジンクのアトランティス探検・・「カリブ海に眠る謎の巨石群」その1

2009-06-29 | アトランティス



エドガー・ケーシーは、アトランティスもムーも、レムリアも当然あるものとしてかたりましたが、これらは科学的に実証されたものではなく、唯一プラトンの存在がその権威づけに役だっていると言ってもよい、不確定要素に満たされた懸案であると思います。

エドガー・ケーシーが、「そこにアトランティス大陸が水没している」と語ったビミニ海域に潜水を続け、「そこにはまちがいなく先史文明が存在した」と考えるに至ったデビッド・ジンクという英文学者の「海底大陸アトランティス・カリブ海に眠る謎の巨石群」という本から彼のアトランティス観を見てみたいと思います。

彼は学者であると同時に、ケーシーのような理性の介在しない認識にも深く信頼をよせ、このアトランティス大陸の海中探検にも、何人かのそのような人々の感知するところを取り入れています。

ですから、語られていることは多少、実証的とは言い難い面もありますが、「何と言っても彼は大まじめだった。」という翻訳者のあとがきに、彼の学究的な勘と誠意の在り処が示されているように思います。

以下、デビッド・ジンクさんの「海底大陸アトランティス・カリブ海に眠る謎の巨石群」の結論の部分を転載します。
長いので2回に分け、各論はその次に紹介します。



       *****

ビミニの先史時代は次のように想定されると思う。


アトランティスが大西洋にあったというプラトンの主張によると、アトランティスの大きさは、大きな島と小さな大陸の中間くらいということになる。

アトランティス帝国の長い歴史の間に、大西洋海盆のあたりに多くの植民地が建設された。

当時その地方に独自の文化を築いていた地中海のサントリーニ島にも植民地の一つが作られた。


アトランティスの起源はいつか?

従来の方法によらない多くの資料では、地球物理学や地質学上で想定されている年代よりずっと以前とされる。

バルバドス、ニューギニア、ハワイのサンゴ礁の段丘に海面が高くなっていた痕跡があることからも明らかなように、80000年前、極地の氷河はきわめて少なかった。

これは氷河が再び活動を始める洪積期前期の最後に相当し、気候が最も温暖な時期だった。

アトランティス大陸の気候は、エデンの園の伝説のように温暖だったものと思われる。

当時ヨーロッパではネアンデルタール人が中心勢力で、もし島の水平移動がなかったとすれば、ビミニは完全に海面の下にあっただろう。


次の大氷河期移動の始まりは、北極の磁気の中心点がユーコン川からグリーンランド海に移ったときと一致するように思われる。

これはチャールズ・ハプグッドによれば、紀元前78000年から73000年、今から80000年から75000年前に起こったとされる。

地球の中心部(その外側の部分が地球の内部の磁場の源となっている)は、中心部の上を横滑りする地殻と違ったスピードで回っている。


ハプグッドはこの“横滑り現象”のときに、激しい火山活動があることを示唆している。

この時はまた、普段はゆっくりとしている大陸プレートの水平運動が瞬間的にスピードアップしたように見える。

このような地球物理学上の異常エネルギーは、とてつもなく大きかったように思われる。




氷河時代は、太陽を回る地球の軌道に微妙な変化が起きるたびに定期的に再発しており、(ヘイズの説による)、そのような変動は、地球の歴史では定期的に起こりえたようだ。

彼は、時代はゆっくりと進んだという従来の地質学説に対して、金星の接近などの天体物理学上の事象の変化がさまざま異常現象の原因となっていると唱えている。

彼の主張は、地球の先史時代に広く及んでいるが、氷河時代は地球の軌道の小さな変動で定期的に始まったり終わったりすると同時に、その始めと終わりは大きな地球物理学的、地質学的現象をともなう可能性が強いと考えられた。


紀元前53000年から48000年にかけて、地球の北極の磁気の中心はグリーンランド海からハドソン湾に移った。

当時地球の表面に変動がおこったことを立証する材料が1901年にシベリアで見つかっている。

マンモスの冷凍死体の発見が、それである。

このマンモスはその生息地で見つかったキンポウゲなどの夏の植物を食糧としていたことが明らかである。

その年代は炭素14測定法によれば、紀元前45500年から37000年の間である。


死体は瞬間冷凍され、1901年まで溶けることはなかった。

これほど驚くべき地質学的、気象学的現象は他にはないだろう。

炭素14測定法によるマンモスの死亡年代がほぼ正確であることを考慮に入れれば、その死亡年代は北極の漂流の終わり、紀元前48000年にずっと近かったかもしれない。


エドガー・ケーシーの資料によれば、紀元前50727年に、アトランティスで「巨大動物の脅威にどう対処するか?」の世界会議が開かれたという。

その後しばらくして、アトランティス人たちは、水晶体から発するエネルギーで巨大動物を殺そうとして、誤って地球の天変地異を引き起こし、アトランティスを5つの島に分裂させてしまったという。


ケーシーによれば、ビミニはこれらの島の一つが残ったものだという。

わたしはビミニをアトランティスの植民地の一つ、あるいはアトランティスと同時代の異文化の所在地だったという見方をとっている。


わたし達はすでに当時は地球表面の大変動の時代だったかもしれないという仮説を見てきた。

今日でも大西洋海盆は、地質学上かなり不安定な兆候を示している。

もし当時高度に発達した技術が存在したとすれば、人間が自然の力を乱用したために地球の異変が加速されたこともあり得るのだ。


さらに、極地の磁気の移動と地球の異変の関係がハブグッドの理論どおり正しいとすれば、ケーシーが言及した地球の変動はおそらく紀元前48000年のある時期に起こったのだろう。

古地磁気学(地球とその磁場の研究)の証拠を引用すると、紀元前28000年は、地球の磁気の極が逆転した時期だった。


ハブグッドによれば、それまでの8000年から10000年の間は、世界中の火山活動が穏やかな休眠期だった。


火山活動は紀元前27800年に再開した。

今回の調査に同行したアンは、紀元前28000年はバハマ諸島の大陸プレートが7度回転するなど、地球の大変動がおこった時期だったと語っている。

ケーシーはこの年代を地球の二回目の変動期とした。

この結果、アトランティスの民族移動が起こり、現在のアメリカの南東岸、メキシコのユカタン半島、ブラジル、ペルー、スペイン・バスク地方、イギリス、アイルランドに彼らの植民地ができた。


この年代の自然の大災害の結果、避難したアトランティス人たちによって、クロマニヨン文化が世界各地に伝播し、逆に文化の退行現象が起きたのかもしれない。

ルイス・スペンスは、アトランティス移民がクロマニヨン人の源流だと主張している。

この時ビミニロードは海面上4.5メートルにあった。


     *****

wiki「極移動」より

極移動(きょくいどう、英: polar wandering)は、地質学的時間スケールで、固体地球またはその一部に対し極(北極・南極)が移動すること。

古地磁気学により、火成岩生成時の偏角と伏角を得ることができる。

大雑把に言えば、偏角は極の方向を表し、伏角は緯度で決まる、つまり極からの距離で決まるため、当時の極の位置を知ることができる。

こうして得られるのは厳密には極ではなく磁極の位置だが、数千年以上の時間スケールにわたる複数のサンプルを平均化すれば、磁極の分布の中心は極とほぼ一致する。

また、古地磁気学より精度は劣るが、古気候学でも過去の緯度を(低緯度か高緯度かくらいだが)推察できる。

実際には極が動かなくても、大陸が移動すると、大陸から見た極の位置は変化する。

大陸移動説以前は、これは実際に極が移動したと解釈されていた。

その名残で、これを見かけの極移動 (apparent polar wandering = APW) と呼ぶ。

なお、こうして復元された極移動が大陸により(具体的にはヨーロッパと北米で)違い、その違いが過去にさかのぼるほど広がっていることが、大陸移動説の証拠の1つとなった。

大陸移動を補正すると、地殻全体に対する極の移動が残る。

これを真の極移動 (true polar wandering = TPN) という。

大陸移動、氷床の盛衰、大規模な火山活動、大規模な天体衝突、地球内部の質量分布の再編などにより、固体地球の質量分布が変化し、慣性能率テンソルが変化すると、真の極移動が起こる。

モデル計算やシミュレーションによれば、極は質量分布の変化に対し比例的に移動するとは限らず、ある限界を超えた時に突然極移動を起こすことがある。

これは、それまでの極に対応する赤道が遠心力で膨らんでおり、ある程度の変化に対しては極を安定させる効果があるからである。


wiki「バルバドス」より

バルバドスは、カリブ海、西インド諸島内の小アンティル諸島東端に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。

島国であり、島全体が珊瑚礁で出来ている。

海を隔てて約200kmの北西にセントルシア、西にセントビンセント・グレナディーン、南西にグレナダとトリニダード・トバゴが存在する。首都はブリッジタウン。

ラテンアメリカ、カリブ海諸国全域において最も議会制民主主義が定着した国であり、国際連合による人間開発指数では31位(2007年度)と域内最高である。

国名は、ポルトガル語のOs Barbados(鬚の生えたもの)から来ている。

なぜこのような名前がついたかについては、この島に生えている木の根が鬚のように見えたからという説と、この木に生えた苔が鬚のように見えたという説、また木から垂れ下がった蔓草が鬚のように見えたという説などがある。

先コロンブス期

ヨーロッパ人の到来以前のこの島には、南米のギアナ地方からアラワク族系インディオのシボネイ族が移住していた。

その最古の移住者が訪れたのは4世紀半ばと思われている。

その後は好戦的なカリブ族に度々襲撃された。
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インディアンの起源その2   ムー・レムリア・・ 「我らみな同胞」より

2009-06-05 | アトランティス



ラコタ・インディアンの生まれであり、インディアン思想の研究をしているA・C・ロスさんの本「我らみな同胞・・インディアン宗教の深層世界」からの紹介を続けます。

エドガー・ケーシーの語る古代の地球の有様は、北米インディアンの人々の口伝えの伝承と驚くほどの一致を見ることに気付いたロスさんは、ケーシーの描くもう一つの古代の伝説の大陸「ムー大陸」とインディアンとの関係も調べていきます。
膨大な資料からの抜粋となります。


       *****


ナヴァホ族の人が語ってくれたところでは、

「ナヴァホ族は西の島からやって来た。その島はナヴァホ族の母チェンジング・ウーマンの故郷であり、そしてナヴァホの支族すべての故郷でもある。」という。

なおかつ「北米大陸には虹に乗ってやってきた。」とも信じているのである。

エドガー・ケーシーの霊感による談話では、「太平洋に島があり、その島はほぼ紀元前28000年に海底に没してしまった。」という。

「沈没前に人々はそのことを警告され、そこで北米大陸に脱出した」のだという。


ホピの口承の歴史では、「祖先は7つの島からやって来た。」という。

なおかつある人々は「その島は太平洋にあった。」と信じている(地底から来たという人々もいる)。

最近までホピ族の間には「笛の儀式」というものがあり、その儀式ではその「西の島からの民族渡来の様子」を演じていたという。


エドガー・ケーシーは集団深層心理と接触した時、太平洋に浮かんでいた島のことを語り、その島は「ムー」と呼ばれていたと言った。

ケーシーは、「褐色の肌をした人々はこの島、およびアフリカにその起源を持つ」と語った。

「赤い肌をした人々はアトランティスおよび北米にその源がある。」とも言った。

アトランティスもムーも共に海底に沈み、この偉大な島から我々に残されたものは、そこにあった高い山の頂上だけである。


わたしはロズリン・ポイニアントと言う人の書いた太平洋の島々に関する本を読んだことがある。

彼女はそこで次のような話をしている。

「宣教師が初めてそこに行って島の人々と話をし、“自分たちはどこから来たと思うか?”と尋ねると、この人々は、

“わたしたちは地下から来た。
そしてわたしたちは代代ずっとここに住んできたのだ“と答えたという。

ケーシーの霊感では「ムーは、またの名をレムリアとして知られ、太平洋上にあったが、じょじょに海底に沈んだ。」という。

「最初の地殻変動は、紀元前50700年に始まり、ムー大陸は最終的に、紀元前28000年に消滅した。」というのである。


アメリカ大陸における最も古い本はマヤ文明に由来する。

1600年代にスペインの大司教がマヤの図書館を焼き払ってしまったために、その貴重な蔵書はたった4冊しか伝わっていない。
その一ページには“西方にあった島”のことが述べられている。

ケーシーの霊感対話では、「ムー大陸の人々の移動した範囲は南部カリフォルニア、アメリカ南西部、北は今日のオレゴン地方、南はペルーにまで至った。」という。

そして「その人々の宗教はトーテムポールの中にその片鱗を残している。」ということである。


彼はまた「紀元前3000年に“イスラエルの失われた部族”の残りの人々は、レムリアから船でアメリカに移住した。」と語っている。

これを読んだわたしは「モルモンの本(Book of Mormon)」の中の一節を思い出した。

エセルの本の中に、「ジェレダイドが最初に約束の地(アメリカ)に着くと、その地は北へ一帯に、住民で埋まっていた。」と書いてあるのだ。

これはジェレダイドがアメリカ大陸に着いたとき、そこにはすでに多くの人々がいた、ということである。

そしてネイティブアメリカンの口承伝説は、「われわれの故郷は常に北米である。」と言っているのである。



ムー大陸については、チャーチワードがチベットを頻繁に訪れてその地に魅了されたことを語っている。

チャーチワードは退官するとすぐさまチベットに行き、許可を得て古い寺院の蔵書の研究に入った。

それを調べているうちに、彼は太平洋にあったムー大陸とおぼしき島についての叙述に突き当たった。

それはなんとケーシーの霊感の話の内容と同じなのである。

チャーチワードが作成したこの島の地図は、1923年に出版されている。



さらにチャーチワードはチベットの寺院において、彼自身の見積もりでは70000年前のものと目される“カギ十字”のしるしをみつけている。


チベットの寺院で仏弟子として修業していたイングリッド・トレイファーは、「この“カギ十字”は宗教的な象徴であり、かつ太陽を表すものである。」と言っている。


それはわたしに即座に“ナヴァホの浮上伝説”にある象徴を連想させた。

その象徴はナヴァホ族の間では、“渦巻く木材”と呼ばれ、“カギ十字”のような形をしているのである。


ホピ族もその口承伝説の中で同じものを使っている。

ホピ族の主だった一族は、“地下から浮上し、”浮上後4つの方向に行き、そしておのおのの地から右に廻って“カギ十字”の形を作ったのだった。

だがそれに続いたグループは、同じく4つの方向に向かったが、今度は左に向かって“逆カギ十字”を作ったのである。


わたしは昔のラコタ族の伝統的な衣装の写真を見て、ここにもビーズ飾りの“カギ十字”を見出した。

それを見て、わたしはわれわれラコタ族もまた、このしるしに関連した古い信仰をもっており、時の流れの中にそれを忘れてしまったのかと怪しんだのだった。


中国には万里の長城というものがあり、中国を蒙古と隔てている。
ところが最近わたしは万里の長城はペルーにも存在することを発見した。

かつて太平洋に浮かんでいた島の実在を信ずる人々は、「これら太平洋を取り囲む世界各地の文化の類似性の源はムー大陸にある。」と言っているのである。


わたしはある日「ラコタ族の発祥の場所はプレアデス・別名7つの星である」というテーマで講演をしていた。

それが終わると聴衆の一人がわたしのもとにやって来て、「自分たちも同じ口承伝説をもっている。」と言った。

そこでわたしは、彼にどこからやって来たのかとたずねると、自分はペルーのインカ・インディアンだという。

ペルーのナスカ高原には、谷底の岩の上に巨大なサンダーバードが彫りこんである。

それについてトニー・モリソンの「神々への道・・アンデス山中の線の謎」という本の中に次のような一節がある。

「そのサンダーバードは「プレアデスの広場」と呼ばれ、それが描かれたとき、この鳥は昇って来るプレアデスをまっすぐ指すように作られていた。」

エルダースとウェルチは、地上の建造物とプレアデスとの関係を調べた結果、エジプト・ギザのケオスプと呼ばれるピラミッドの中の帝王の部屋は、太陽がプレアデスのまわりを一周するに必要な時間に合わせた数学的なデザインをほどこした構造になっているという。

この王の部屋がプレアデスを表すものであるという考えは、わたしにとって実に興奮に値する。

なぜならケーシーの心霊交信の中で、「このピラミッドは古代エジプト人の成人の儀式の行われた神殿だった」ということが語られているからである。

この場所で断食をした人は、霊魂、あるいは神の世界に披露されたわけである。



人類はその起源をプレアデスにもつのだろうか?
これら述べてきた様々な情報は、すべてどこかでつながっているのであろうか?




        *****

写真は

上・チャーチワード著「失われたムー大陸」より。メキシコの4のマークの古代石板
中・同著より。スワスチカとその分解図
下・「人間の集団潜在意識はムー大陸はこの位置にあったとしている」と書かれた太平洋の地図(本書より)




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インディアンの起源その1 アトランティス、シリウス、プレアデス・・「我らみな同胞」より

2009-05-31 | アトランティス


ラコタ・インディアンの生まれであり、インディアン思想の研究をしているA・C・ロスさんの本「我らみな同胞」の紹介を続けます。

膨大な量がありますので、ところどころを抜粋で。

北米インディアンの世界に広く伝わる「われわれは星からやってきた」という口承伝説と、「われわれは東の島からやってきた」という口承伝説について、エドガー・ケーシーの語るアトランティスとインディアンの来歴を並べて、もしかしたら、われわれは本当にアトランティスからやってきたのかもしれないし、7つの星からやってきたのかもしれない、それを否定する理由はどこにあるだろうか?と問いかけています。

アトランティスに関する参照文献は別の記事にします。



*****


わたしは先にエドガー・ケーシーは集団深層意識と交信できる自然の能力をもっていたことに触れた。
彼はその能力を瞑想状態によって発揮する。

そして彼がその状態になっているとき、数回にわたり、深層意識の声が彼を通じて、「レッドマンは地上の二つの地点、北米とアトランティスに現われていた」ことを告げた。

これはまったくラコタの口承伝説と同じなのである。

アトランティスに関する様々の文書によれば、この大陸の沈没はおよそ10000年前だという。

しかしながら、これが沈没する前に、人々は警告を受けていた。

それに耳を傾けた人々は北米大陸に移住し、同じ赤肌をした人々と合流した。

エドガー・ケーシーはその無我の境の中で、「この移住はおよそ紀元前15000年に起こった」と語っている。

このようなことがらは、多くの現代人が信じているインディアンはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に来たという説と矛盾する。


わたしも、ある人々はそのようにして移住してきたであろうことを疑うつもりはない。

エスキモーはこの海峡の両側に住んでいるのだ。
この人々は、ベーリング海峡を渡ったのだろう。

そして彼らは現在もその地域に住んでいるのである。

チャールズ・ベルリッツはその本「アトランティスの謎」のなかで、ポルトガルの探検家の発見を述べている。

「アゾレス列島(ポルトガル領の島々)と西アフリカの間にカナリア島というのがあるが、この島に最初に辿り着いたポルトガル人は、その島の人々がまったく船というものを持っていないため、いったいどうやってそこに居着くようになったのか、どこから来たのか、非常に不思議に思った。

そこでいろいろ聞いてみたあげく、ポルトガル人はこの人々は、10人の王によって統治される政府を持っているということを発見した。」


このことを知ったわたしは、プラトンの言っていた「アトランティスの最初の住人はポセイドンで、その妻はクレイトだったということ、この二人の間には五組の双子がいて、それがアトランティスを統治する王となった」ということを思い出した。

これはカナリア島でポルトガル人が発見したことと実に類似している。

この人々はもともとカナリア島にその起源を持っていたのだろうか?
彼らが船を持っていなかったのはそのせいなのだろうか?



ポセイドンを象徴するものは三叉の鉾(みつまたのほこ)である。

これと同じものがラコタの伝統のパイプの入れ物に見られ、これは純粋さを象徴している。

これは新生児がこの世に来る時、純粋な存在としてやって来るからで、そのしるしがその運び籠にビーズで飾ってあるのはそのためである。

これは「ラコタ族はアトランティスにその起源を持つ」ことを語っているのだろうか?

このようなものを他の部族に探ってみたわたしは、アパッチ族の道化の踊り手はこのしるしのついたかぶり物をしていることを発見した。

アパッチ族はこの道化の元の名を「精霊の山の踊り手」と呼んでいた。

そしてその口承伝説によれば、その山はもともと東にあったという。



さらに調査を続けるとわたしは、ペルーの山中にあるピラミッドの脇に巨大な三叉(みつまた)が描かれていることを発見した。

これに関する文献を調べてみると、この三叉は、太陽と金星が共に人々の頭上に来たとき、大いぬ座の「シリウス」を指すようになっている、ということであった。


このシリウスについて思い出したのは、メキシコにある古代マヤ文明のカバリト・ブランコと言う建造物のことだった。

この建物は、矢じりの形をしており、夏至の日に太陽と共に昇るシリウスを指しているのである。



大西洋の反対側のアフリカにあるドゴン族は、一族はシリウスと特別な関係があるという伝承を持っている。

ラコタの人々も、似たような星につながる起源の神話を持っている。

その話は、「われわれは七つの星からやってきて、ブラックヒルの中に置かれた」というものである。

この起源伝説は、「なぜ我々が当初からたった7つの氏族しか持っていないか、なぜわれわれの宗教にとって7という数が特別な意味をもつものであるか?」を説明しているのである。


わたしはこの話に非常に魅了され、調べをすすめ、その7つの星が「プレアデス」であることを確認した。

伝統のラコタの歴史を調べると、「秋になってこの星座が東の地平線に昇ると、われわれは本来の宗教的な儀式の地に戻ることになっていた。」とある。


クリーク族は「緑のトウモロコシの踊り」という神聖な踊りを踊る。

その時部族の人々は、7本のトウモロコシを集めるが、それぞれはこの部族を構成する7つの支族の7つのトウモロコシの畑から持ってくる。

これが行われないと、その踊りは開催できないのだ。

彼らの創造伝説の一つに、「自分たちは星からやってきた」というものがある。

それは7つの星なのだろうか?


オーセッジ族の創造伝説は「昔、自分たちは星に住んでいた。」とある。

「それは純粋で、高貴な人々だった。そして地球にやってきて、血肉を持つようになった。」
とある。

同様にイロコイ族の創造伝説も、「自分たちはもともと天上からこの地上に下り、血肉を得た。」と言っている。


ナバホ族の話では、「先祖たちが地上に浮上してこの世界にやってきたとき、先祖たちはこの地上にすでに神が住んでいるのを発見し、その神を暗闇の神と名付けた。

人々が、その神にどこから来たのかとたずねると、「自分の名はディリヘ、7つの星から来た」と答えた。
それはプレアデスのことである。」という。


ホピの創造伝説には、二本角の組合(Two Horn Society)というものがあって、そのメンバーはこの星座が中天に差し掛かると、天地創造の歌を歌う。

ホピ族も他の多くの部族のように、「自分たちは星からやってきた」と信じているのである。



メキシコの古代の町、テオティワカンには、石に十字が刻んであって、それは天上の7つの星と整列するようにデザインされている。

また(マヤ)・アステカの暦には、その下方に創造主の双子が描いてある。

これは男女の双子で、宇宙の中の二元性を現わしているのであるが、その双子の頭の上にはプレアデスの7つの星が描かれている。

(マヤ)・アステカの人々もまた、「自分達は星から来た」と信じているのである。



ラコタの口承の歴史は、「われわれはプレアデスから来た」と教えている。

いったい昔のラコタ族は、肉眼では6つしか見えないこのプレアデスが実は7つの星でできていると、どうして知っていたのだろうか?

人々がそれを知っているのは、自分たちはそこからやって来たからだろうか?


     
     *****


写真は
上・ポセイドンの持つ三叉
中・アンデス山中の三叉の印(ベルリッツ著「謎の古代文明」より
下・「集団潜在意識の世界からもたらされた証拠はアトランティス大陸をこの位置にとらえている」と書かれた地図(本書より)



wiki三叉の鉾(みつまたのほこ)→トリアイナより

トリアイナ(希語:Τριαινα)は、トライデント(Trident)とも呼ばれる先端が三つに分かれた漁具あるいは武器の一種。

トリアイナとは、「三つの歯」を意味する。

ギリシア神話の海神ポセイドンが使用する三又銛、あるいは鉾としても知られる。

もともとは漁師が魚を獲るために使っていたこともあり、ローマ時代の剣闘士の一種であるレティアリィはこの武器と網を使用し、主として魚の兜をつけたムルミッロと試合を行った。

漢字表記では三叉槍(さんさそう)、また先端が戟(げき、ほこ)の場合は三叉戟(さんさげき)となる。



Wikiテオティワカンより

テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。

当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。

テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。

この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。

太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったので都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。

紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。

都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。

メソアメリカの中心的都市として機能していた。
テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。



wikiアステカ文明より

アステカ文明は、先に興ったオルメカ・テオティワカン・マヤ・トルテカ文明を継承し、土木・建築・製陶・工芸に優れていた。

精密な天体観測によって現代に引けを取らない精巧な暦を持っていた。

同時期に隆盛を極めたインカ帝国とは間接交流があったのではないかと推定されているが、直接交流の実態は解明されていない。
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エドガー・ケーシーと インディアンの起源

2009-05-24 | アトランティス
北米インディアン・ラコタ族の生まれで、インディアン思想を研究しているA・C・ロスさんの「我らみな同胞・・インディアン宗教の深層世界」という本の紹介を続けます。

彼は自分の文化を、西洋の文化と相対的に見ることができる研究者であると同時に、自分にとって部族の伝統文化がいかに自分の精神を形作っている根幹であるか、ということを熟知している人でもあります。

そのロスさんが、右脳左脳のバランスをとりながら、次なる課題の解明へと進んでゆきます。

次なる課題とは、インディアンのルーツ探しでした。
「われわれはどこからやってきたのか?」

伝承神話を比較しつつ、彼は探索してゆきます。
以下に抜粋して紹介します。


     *****


集団深層意識の世界と交信することのできる、ごく自然の能力をもった人物はエドガー・ケーシーである。

彼は霊感をもった治癒者だった。
病気の治癒を求める人々は彼の元を訪れ、彼は瞑想の世界に入り、集団深層意識の世界と接触を行った。

そうして心の深いところにある情報を得た彼はそれを解釈して、病を持った人に診断の結果と自然の治癒法を伝えたのである。

わたしが驚嘆したのは、エドガー・ケーシーがこのような情報を得る方法は、ラコタ族および他のネイティブ・アメリカンの聖人(メディスンマン)が同様の目的のために行う方法とほとんど同じだということだった。

このような治癒の方法以外にも、さまざまな類似性が両者の間には存在する。


例えばエドガー・ケーシーが深層心理の世界から得た情報と、ネイティブアメリカンが「自分たちはこの北米大陸につねに住んでいた。」と主張するその神話である。

わたしは多くのネイティブアメリカンの創造神話を調べたが、その内一つとして「ベーリング海峡からやってきた」と言っているものはない。

カール・ユングはすべての文化の中にある神話はそこに真実を含み、かつそれらは集団深層心理の世界からやって来たものであると言っている。

ネイティブ・アメリカンの口承の歴史は、「人々はこの地にその起源を持つ」と述べているのである。

そしてエドガー・ケーシーが集団深層心理の世界から得た情報も、これまた「インディアンは1000万年前、北米でその発祥を得た」と言うのである。


最近サンディエゴの海岸で、頭骸骨が発見され、学者はこの頭骸骨をデルマー・マンと名付けた。

そこで学者はその年代をカーボン14方式というので調べようとしたが、失敗に終わった。

それはあまりにも古すぎて、探知が不可能だったからである。

ところがその後、新しい年代探知法が発明され、そこで分かったことは、その頭骸骨は50000年の古さだということだった。

それを読んでわたしは考えた。
「いったいこの人間はどうやってそこに辿り着いたのだ?それはベーリング海峡が開くより、2万年も前の話ではないか?」

結局あのインディアンの創造伝説は、正しいのではあるまいか?



今から25年ほど前、わたしは自分のルーツ、自分の部族の歴史の起源を辿る研究を始めた。

そこでわたしは並列的に次の5種類の起源伝説を発見したのだった。

1、ネイティブアメリカンは、北米大陸で生まれた。
2、ネイティブアメリカンは、地下の世界から浮上した。
3、ネイティブアメリカンは、東の島からやってきた。
4、ネイティブアメリカンは、星からやってきた。
5、ネイティブアメリカンは、西の島からやってきた。

というもので、これらの伝説の一つ、またはそれ以上が、多くの部族の中でそれぞれに信じられ、伝承されている。

ダコタ国家のさまざまな氏族はこのうち最初の4つのものを信じている。

ダコタ語はスウ語圏という大きな言語区分の中の一つだが、この言語を話す部族は全部で36ある。

そこでこれらの部族の起源伝説をさらに比較してみると、それらは皆、「自分たちはもともと東から、あるいは水底から、あるいは東の島からやってきた。」と言っているのである。

マヤ文明は、「自分たちは東の島からやってきて、その島は海底に沈んだ。」という起源伝説を持っている。

ではこのマヤ文明の語る「海底に沈んだ島」というものは、ダコタ族の信ずる「水底からやってきた」という伝説と何らかの関係があるのだろうか?


     *****


アメリカ大陸の東というと、大西洋になります。
そこに沈んでいる島とは?

アトランティス?

なぜインディアンの人々は、そのような伝承をもっているのでしょうか?
ほんとうに不思議です。。



wikiエドガー・ケイシーより

エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)は、予言者、心霊診断家。

支持者からは「20世紀最大の奇跡の人」と称される人物である。
彼の得意とする手法はリーディングと呼ばれる。

まず、彼は他者による催眠状態において第三者からの質問により、アカシックレコード(アカシャ記録)と言われる宇宙意識から宇宙の知識を引き出す。

次に、それに基づいて個人の体を神経の状態や各臓器の状態また体の状態なども透かしたように話し病気の治療法などを口述する。

彼のリーディングの記録は14000件にもおよび、米国のAssociation for Research and Enlightenmentで利用可能な状態で保管されている。

彼の表層意識が答えているわけではないので、予言者というより、治療者・回答者であるとされる。

そして、未来のことは確定しているわけではなく、人の意思にかかっているときっぱり言い切っている。


アメリカ合衆国ケンタッキー州ホプキンスビル出身。 幼少期より予言を行い始める。

保険のセールスをしていたが、咽頭をこわし、会話がままならなくなり写真家に転向。

ノストラダムスやジーン・ディクソンとともに世界三大予言者と言われているようだが、彼の予言者的な部分は一部分であり、半数以上が病気治療のフィジカル・リーディングと呼ばれるもので自己治療に貢献している。

リーディングへの対価は募金制だったため、生活は苦しかった。

身体的な悩みに解決、治療方法を示した「フィジカル・リーディング」に対し、「ライフ・リーディング」と呼ばれる、人生について悩める人々に与えた助言の数々がある。

彼の「ライフ・リーディング」は、人の魂は死後も永遠に存在し続け、転生を繰り返すという、自身が信教していたキリスト教の教義や現在の常識ではにわかには受け入れがたい概念を根幹としており、人生において存在する一見不可解な問題や様々な悩みは、前世との因果関係を知ることによって、その存在理由を明確にすることができるというものである。

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