始まりに向かって

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我らの聖なる水を守れ(2)インディアン・スー族の戦いと沖縄へのメッセージ・・沖縄タイムス

2017-02-12 | 北米インディアン



「沖縄タイムス」に、トランプ政権が強行するパイプライン計画に抵抗する北米インディアンの記事、および、彼らから沖縄の基地闘争をする人々へのメッセージがありましたので、ご紹介します。

                 ・・・・・

「米先住民らの抵抗現場を見た 民主主義の抹殺現場「スタンディングロック」 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(23)】
               「沖縄タイムスプラス」2017・02・06


              
アメリカ合衆国第45代大統領にドナルド・トランプ氏が就任した。

ホワイトハウス執務室の椅子に座るや、彼は大統領令を頻発し内外に混乱を引き起こし続けている。

今、世界はトランプ大統領によって引っかき回されていると言っても過言ではない。

僕は、そのトランプ大統領の就任式などを取材するために先月中旬からアメリカへと取材に向かった。


スタンディングロック・スー族居留地のキャンプ=1月、米国ノースダコタ州(筆者撮影)

就任式翌日、全米で「女性大行進(Women,s March)」という大規模デモ行進があった。

いやはや、大変なものだった。

正直に記せば、この女性大行進こそが「歴史的」という形容詞にふさわしい出来事だと実感した。

そのワシントンの数10万人規模のデモ行進の一角に、鮮やかな原色の衣装をまとった米・先住民たちの小集団がいた。

立錐(りっすい)の余地もなく移動がままならない人ごみの中で、僕らは何とか体をずらして少しずつ彼らに近づいていった。

彼らこそ、米ノースダコタ州でダコタ・アクセス・パイプライン(以下、DAPLと記す)という石油パイプライン建設工事に反対して闘っているスタンディングロック・スー族の人々だったのだ。

彼らについてはすでにこの欄で触れてきたが、今回の米国取材で僕らは現地にまで足をのばして、どのようなことが進行中なのかを直接取材することができた。


現地、ノースダコタ州のスタンディングロック・スー族居留地は、州都ビスマークから車で2時間あまり。

現地に近づくにつれ風景が変わっていく。

季節は真冬だ。

雪原以外には何もない白い雪と潅木(かんぼく)のみの世界が広がっていた。

寒い。日本から持っていった携帯カイロをいくつも体に貼り付けて取材にのぞんだ。


先住民たちにとって、この土地および近くを流れるミズーリ川は、先祖代々受け継いできた「聖なる土地・聖なる水」であり、彼らの生き方・世界観の礎となっている。

折から、国連人権理事会傘下の作業部会などが主催する先住民たちからのヒアリングが行われていた。

パイプライン建設に反対する先住民と支援者らの非暴力直接行動に対して、州政府警察、事業主が雇った警備員らが何をしたのか?

それを丁寧に聴き取り、記録していく作業が行われていた。


先住民の生々しい証言が続く。

ゴム弾で撃たれた。

催涙ガスを散布された。

放たれた犬に噛(か)みつかれた。

拘束され大きな檻(おり)に入れられ、腕に番号を刻印された。


ビスマーク市の白人住民多数の社会の反対の声は聞き入れられ、パイプラインのコースが変更されたのに、先住民居留地の近くを通るのならいいのか?

少なくとも現時点では、国連人権理事会はこの問題に重大な関心をもっているようだ。

今現在、現地では工事は止まっていた。

なぜならば、前回この連載で記した通り、オバマ政権下で、工事の許可権限をもつ陸軍工兵隊が、去年12月に環境アセスメントの見直し等を決め、事業主に建設を許可しないという決定を下したからだった。

だが現地に行って先住民たちから話を聞くと、彼らの多くは、これは「嵐の前の静けさ」だと冷徹に認識していた。

そしてその通りになったのだ。

トランプ大統領は就任わずか5日目の1月24日、DAPLを含む石油パイプライン工事の当初計画どおりの工事再開を命じる大統領令を発出したのである。


まさにその日、僕らは現地で取材していた。

何というめぐりあわせだろうか?

「明らかにこの大統領令は先住民たちの顔に平手打ちを食らわせるようなものだ。彼らは環境アセスメントをやる気などさらさらない」(現地にいたアメリカ自由人権協会、ジャミール・ダコワール弁護士の発言)。

先住民が抗議行動の拠点にしているキャンプには、さまざまな意匠に富んだテントが数多く設営されていた。

僕らが訪れた時はせいぜい400人位しかいなかったが、一時は数千人がこのキャンプ地および近郊に結集していたという。


スタンディングロック・スー族の行政庁で歴史編さん部の仕事をしている歴史家ジョン・イーグルさんに話を聞くことができた。

「ここアメリカで主流とされる社会と私たち先住民とでは、〈神聖〉とするものが異なるのです。

私たちの祖先は、この土地から生まれでた。

この土地から、私たちの物語が始まったのです。

アメリカ人のほとんどは、海外から来た人たちです。

私たちの先祖はこの土地に眠っていますが、彼らの先祖たちはここから遠く離れた土地に眠っています。

ですから彼らのこの土地との絆は、私たちが持つ絆とは異なるのです。

土地を守り、水を守るのは私たちの当然の責任だと思っています。

それで私たちは〈水の番人〉と呼ばれるようになったのです。

ですから抗議活動とかデモなんていう軽い言葉は使いたくありませんね」


豊かな知識に裏打ちされた確固とした語り口だった。

実際、イーグルさんの話の内容は、7世代前の先祖たちの予言にまつわるものから、はるか未来の世代への責任など、時間のスケールが桁違いに壮大なのだった。

最も懸念されるのが、パイプラインからの石油漏れだ。

実際かなりの頻度で、石油漏れと環境汚染が起きている現実がすでにある。

「私たちがそれを許したばかりに、子供や孫やひ孫が大惨事に対処しなければならなくなるのです」


イーグルさんは、こちらが切り出す前にすでに沖縄の米軍基地建設に絡んで進行中の出来事のことを知っていた。

「私たちにとって、この世の中にあるものの中で1番の薬は水です。

水は命です。

沖縄の人々にメッセージを持ち帰ってもらえるならば、彼らにこう伝えてください。

彼らが立ち、守っているその土地は、スタンディングロックで私たちが立っているこの土地と同じです。

私たちはそれほど遠く離れてはいません。

心に勇気を持つように、彼らに伝えてください。

私たちは成し遂げることができます。

私は彼らのために祈ります。

この世界でもがき苦しむ全ての人が、共に立ち上がるべきなのです」

はるか遠く離れたノースダコタ州の先住民から、沖縄の人々へのメッセージである。

               ・・・・・

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トランプ氏、インディアンの聖地にパイプライン工事を強行(1)・・スー族の反対運動に共鳴広がる

2017-02-02 | 北米インディアン



トランプ米大統領が、就任直後、インディアンの聖地にパイプラインを建設する工事を強行する指示を出したのですが、この記事は、トランプ氏の大統領就任以前のスー族の人々の運動を取り上げた時のものです。

当時の米大統領オバマ氏は、先住民たちの要求を認めて、無理な工事は強行しないと約束していたのですが。。

まずはトランプ氏登場以前の状況の記事をご紹介します。

           ・・・・・

「「聖地が脅かされる」アメリカ先住民族、石油パイプライン建設に抗議行動」
                        
「ザ・ハフィントンポスト」2016・11・15
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/14/dakota-pipeline-protest_n_12975788.html
         
アメリカ・ノースダコタ州とイリノイ州を結ぶ石油パイプライン「ダコタ・アクセス・パイプライン」の建設をめぐり、建設ルート近くの居留地に住むアメリカ先住民スタンディングロック・スー族が抗議を続けている。

彼らは水源のミズーリ川が汚染されることを懸念している。

Facebookのユーザーたちが、アメリカ先住民族の暮らすスタンディング・ロック保留地に「チェックイン」して連帯を示している。

なぜFacebook上で友人たちが突然、ノースダコタ州の先住民居留地「スタンディング・ロック保留地」に集結しているのか不思議に思うかもしれない。

11月2日、160万人以上がFacebookで保留地に「チェックイン」し、数カ月前から石油パイプラインの建設に抗議をするスタンディングロック・スー族とその支持者に連帯を示した。

これは建設会社「エナジー・トランスファー・パートナーズ」がノースダコタ州バッケン地帯からイリノイ州中部の製油所まで1200マイル(約1930km)にわたって建設している、石油を輸送するためのパイプラインだ。

デモ隊は200以上の部族出身の代表者などが参加し、自らを「水の保護者」と名乗り、パイプラインによって聖地や埋葬地が脅かされ、先住民が飲み水として利用するミズーリ川が汚染されてしまうと主張している。

10月31日の早朝、Facebookのユーザーらはスタンディングロックにチェックインし始めた。

彼らはジオタギング(投稿した写真などから位置情報を取得する方法)を使って治安部隊から監視されているノースダコタ州のデモ隊を守るために「チェックイン」することが必要だとするメッセージを再投稿した。

モートン郡の保安官事務所はジオタギングについて「まったくの事実無根だ」と述べている。

デモ隊キャンプの主導者たちは、事実検証サイト「スノープス」に対し、自分たちはSNSの嘆願には関わっておらず、SNSによる監視に効果があるとは思えないと語ったが、連帯を示してくれたことには感謝した。


今も続くパイプラインの抗議活動への関心は高まり、誤った情報が広がっている。

そこでどうしてこうなったのかを検証し、真偽をはっきりさせよう。


●いつ、どうして抗議が始まったのか?


スタンディングロック・スー族がパイプラインに対する抗議を主導している。

パイプラインがミズーリ川を横切ることを承認したアメリカ陸軍工兵司令部を告発した訴訟の中で、スー族は「文化的、歴史的に重要な土地が傷つき、破壊される可能性が極めて高い」と述べ、安全な飲み水の供給が危険にさらされると訴えた。

また建設の一時中止を求めた。

連邦地裁の判事は9月初旬、中止の訴えを退けたが、司法省、陸軍、内務省は同日に「オアヒ湖周辺の陸軍工兵隊所有地またはオアヒ湖地下」から20マイル(約32km)圏内の建設を停止し、この件は引き続き連邦政府機関が調査すると発表した。

それ以降、連邦機関はパイプラインに関してコメントしていない。


● 誰が抗議しているのか?

スタンディングロック・スー族のデモ隊に、他の部族や先住民以外の多くの支持者が加わり、ノースダコタ州のキャンプや連帯を表明して世界中でデモを行うというかたちで参加している。

俳優のマーク・ラファロと公民権活動家のジェシー・ジャクソン牧師もデモに参加した。


● デモ隊は何を求めているのか?

デモ隊はパイプライン建設の完全中止やルートの変更を求めている。

彼らはパイプライン建設現場での事故が近年増加していることを挙げ、水源の安全性が脅かされることを懸念している。

「パイプラインは小さな隙間から石油が漏れ出ることが多く、私たちは漏れているかどうかを知ることができません」と自然保護団体「シエラクラブ」のダグ・ヘイズ弁護士は9月、ハフポストに語った。

「部族の人たちが心配しているのはこういうタイプの問題で、実際そう主張するだけの十分な根拠があります」。

州都のビスマーク付近を通過する最初のルート案が破棄されたことも、こうした懸念の一因だ。

また、スー族と支持者らは、このプロジェクトによって聖地や埋葬地に出る影響を懸念するのもおかしな話だと考えている。


ここは条約で定められたスー族の土地だ。強引に土地を収用するアメリカ政府は国際法に違反している。


● パイプライン開発業者の反応は?

エナジー・トランスファー・パートナーズ社のケルシー・ウォーレンCEOは、9月の書簡で計画を擁護し、文化的な影響について軽視し、抗議者らの水の安全を懸念する声については「何の根拠もない」と述べた。


● 地元当局はデモ隊をどう扱っているか?

抗議が始まってから建設現場では400人余りの逮捕者が出ている。

基本的に不法侵入や暴動に関与した罪で逮捕される。

デモ隊は、警察がトウガラシスプレー、催涙ガス、ビーンバッグ弾(殺傷能力のない散弾銃)を使用していることや、平和的なデモ、パイプセレモニー(先住民の儀式)、そして祈りの輪に武力を行使したことを非難している。

女優のシャイリーン・ウッドリー、記者のエイミー・グッドマン、ドキュメンタリー映画監督のディア・シュロスバーグなど他の著名な支持者らは、デモに参加またはデモを記録したとして逮捕されたり、告訴されている。

3日だけでデモ隊のうち141人が逮捕された。

開発業者の所有する土地でパイプラインのルートを塞いでいた前線のキャンプを当局が撤去したことで暴動が起きたのだ。

しかしデモ隊は1851年に調印されたフォート・ララミー条約のもと、この土地の収用権はスー族にあると主張した。

こうした権力の行使を目の当たりにし、人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は治安組織がどのようにデモ隊に応じているかをチェックするため、調査チームを派遣することにした。

また、国連も治安組織が過度な力を使い、人権を侵害しているというスー族の訴えを受けて調査している。


■ 今後どうなるのか?


どんどん寒くなってきたが、デモ隊は熱心にデモを続けるようだ。

ある部族の指導者はガーディアン紙に「最後の抵抗」をする準備はできていると述べた。

しかし治安組織の方も長期戦の準備はできているようだ。

地元紙ビスマーク・トリビューンは3日、ノースダコタ州の緊急対策業務部が抗議に対応するため、追加で400万ドル(約4億1200万円)の資金提供を受けると報じた。

同じ目的ですでに受け取っている600万ドル(約6億1800万円)に加算されるという。

一方、ノースダコタ州エリアのパイプライン建設はほぼ完了し、今すぐにでもミズーリ川まで到達しそうだ。


オバマ大統領は、ダコタ・アクセス・パイプラインの抗議について「当局には慎むべき義務がある」と述べている。

パイプラインの開発業者は、ミズーリ川の地下を掘る許可がすぐにでも下りるのを待っている。

バラク・オバマ大統領は11月1日、動画ニュースサイト「NowThis」のインタビューで、スー族や支持者の懸念に対処するため、アメリカ陸軍工兵司令部はパイプラインのルート変更ができるかどうかを調査していると述べた。

シアトル・タイムズによると、1月1日までにパイプラインが完成し、原油を輸送できなければ、開発業者と輸送業者の契約は期限切れになるという。


「60年代のような反対運動を立ち上げろ」マイケル・ムーア、選挙後2日目にやるべきことを訴える。

            ・・・・・

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遠い昔、遠い昔、遠い昔・・「一万年の旅路」の記憶(10)

2014-10-20 | 北米インディアン


イロコイ族の父祖から学んだ彼らの歴史の口承史を英語でつづった、ポーラ・アンダーウッドさんの「一万年の旅路」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****

            (引用ここから)



はじまりの歌

さて言っておくが、わが一族のはじまりは「大海のほとり」の里よりはるか昔にさかのぼる。

それはあまりにも遠い昔で、誰一人時を数えることもできないほど。

であるにも関わらず、我らの間には次のような物語が伝えられてきた。

遠い昔、遠い昔、遠い昔、、我が一族はゆるやかな群を作って暮らし、太陽がたまにしか見えないほど背の高い木々の間を縫って日々を過ごしていた。

それはのんきな時代。

手を伸ばしさえすれば何かしら熟れた果実に恵まれる時代であった。

それはまた滝をなして降り注ぐ雨が木の葉や枝の付け根にたまり、大地からばかりか、木々からも水を求められる時代であった。

木々の下の地面はしばしばぬかるんで危険に満ちていたから。


こうして一族は時を超える時の間、心安らかに暮らしていたが、やがて世界が変わり始めた。

木のない土地が近づいてきて、大きな木々が大地に捕らえられ、代わりに新しい樹が生えなくなったという報せが伝わった。

大地にしっかりと根ざし、長い長い間、揺るぎなくそびえていた巨木たちが、大地とのつながりを失って一つまた一つと退く森の方へ倒れはじめたのだ。

このためそれまで我らの住処であった木々が、我らを大いに脅すようになった。

そしてこの変化のありさまを見た者達は、草地へ歩み出すことを学んだ。

だがそこでの暮らしは困難を極めたため、多くの者は森に住み続け、最後には木々たち自身から振り落とされるはめになった。

一方新しいやり方を楽々と身に着けた者達は、一族にすばらしい贈り物をもたらした。

それは果実ではないけれども栄養になるものを見つけ、水の探し方を覚えて、生きていく新たな方法を学んだ者達であった。

というのも、雨の降る回数はますます減り、大地のあちこちに水たまりを作りはしても、木々の上に溜まることなど珍しくなったから。


さてわが一族の習性として、ゆるやかな群でほぼ北の方角へ移動していくことになった。

この移動生活を続けながら、手に入れたものをすべて食べつくさずにいくらか蓄えることなど、我らはこの新しい土地での暮らし方を身に着けていった。

我らにとってこれらのことは全体として一つの大きな学びとなった。

そのうち、土地の様子が変わりはじめた。

北と西はどんどん迫り上がって、最後に高くならないのは東だけになった。


そんなある日、一族の間でこう決まった。

東はあまり好ましくないから、北に進み続けようと。

そこで一族はゆっくりと北の西の方角へ上ってゆき、数日後にはその向こうが見渡せる高台に達した。

そしてむこうに広がっていたものは、彼らを仰天させた。

北と西、そして南も、目の届く限り水しか見えなかったのだ。

その大きな水はすべてを覆い尽くしていたので、一族はこの場所にはどれほど雨が降るものかとしきりに首をひねった。

次に一族は、先を急ぐには険しすぎる道を用心深く下りにかかり、ゆっくりと低地へ辿り着いた。

最後に出たところは乾いたザラザラの大地で、足がたやすく埋まってしまうのが、ぬかるんだ大地と違い、歩いても粘りついてこないのだった。

これほどたくさんの水のほとりで、なぜ大地がこんなに乾いているのか、一族は理解に苦しんだ。

さて彼らは一人また一人と、この「大いなる水」のほとりへ歩み寄った。

その水のあまりの大きさに、岸部の波は雷のような轟音を響かせていた。

彼らは水に近づき、意外な発見をした。

というのも、この轟く水に近づいて、有り余る豊かさに手を伸ばすと、それはかつて誰も知らない水だったから。

この水は苦い味がして、舌にも口にも胃袋にも不快だったのである。


一族のある者達は、超えてきたばかりの高地のむこうへ出るもっと楽な道筋を求めて、この「大いなる水」のほとりを北と南に探索したという。

それにより「大いなる水」に注ぐ二つの小さな、しかし素早く流れる沢が見つかった。

どちらも味は苦くなく、舌にさわやかでおいしく感じられた。

そこで彼らの間にはこの美味しい水が手に入り、ここで生きていくことが他と同じくらい容易ならば、この場所を自分たちの暮らしの中心にしてもいいという考えが生まれた。

東には大きな山地、西には「大いなる水」、北と南には見知らぬザラザラの大地が広がるこの土地を。



すべての者が「かつてあった木々」から「まったく木のない所」へ出て、最後にこの「大海のほとり」へ至る、多くの世代にわたる旅をまだ覚えていた。

そのためすべての者が、この土地がどれほど大きいかを心に留めていた。

そこで彼らは今度、この苦い水がどれほど大きいものかに思いを巡らせたのである。

多くの世代にわたって昼と夜が交代し続けるにつれ、彼らは北も南も限りなく歩いていけば、陸がだんだん西へ西へ西へと曲がっていることを理解し始めたのだが、

それでもなお、彼らは水の方が陸地より大きいという理解を失うことはなかった。


さてこうした学びの傍ら、もう一つのことが起こりはじめた。

時折「大いなる泳ぎ手」がやってきたのだが、彼らは我らと同じくらいの大きさか、ときにはもっと大きな体をしていた。

得体がしれなかったので、最初のうちは、我らは彼らを疎ましく思った。
けれども、親近感が強まるにつれ、心配はいらないことが分かった。

むしろこれらの生き物は我らと一緒に泳ぐことが大好きらしく、我らも彼らと共に泳ぐことを心がけるようになり、大海の性質をいくつか教わった。

我らが大海の深みについて、また幼い者達に泳ぎを教える方法について学んだのは、この生き物からだったのだ。



ところが最後に、新しいことがおこった。

そういう集団が一つ生まれ、たいそう後ろ髪をひかれながらも、山地を超えて道の明日へ旅立つことにしたのである。

そしてこれだけではそれまでと変わらないが、この時は次のような違いがあった。

新しい集団には我らの祖先が含まれていて、それ以来今日まで、我らの誰一人として、二度と再びその「中つ地」を見ることはなかったのだ。



              (引用ここまで)


                  *****


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「よき旅をする人々・・「一万年の旅路」の記憶(4)

「自らの内にあるものを見抜き、話し合う・・「一万年の旅路」の記憶(5)」

「一族のあらゆる知恵は語り尽くされるだろう・・「一万年の旅路」の記憶(6)」

「輝く救世主が現れ、アシにより洪水を逃れる・・ナバホ族の神話」

「丸木舟の記憶・・北海道のフゴッペ洞窟」

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我らは海を知る者たち・・「一万年の旅路」の記憶(9)

2014-10-15 | 北米インディアン


 ちょうど2年前に(8)まで投稿していた、北米インディアン・イロコイ族のポーラ・アンダーウッドさんが父祖から受け継いだ口承史を文字にした「一万年の旅路」という本のご紹介に続きがありましたので、投稿します。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

  

               *****


             (引用ここから)


そのころ、わが一族は山を背にし、南の東に面した場所に落ち着いていた。

我らの中心を占める山裾の砂浜は、左右に緩やかな曲線を描き、その端は切り立った崖になっていて、崩れた岩はまっすぐ海に落ち込むのだった。

当時世界が寒いときは、山の懐深く暗い場所が、暖かくて有難がられ、世界が暖かくなると、開けた浜が好まれた。

再び浜は、迫りくる海に飲み込まれた。

満ち潮になると、立っていられる場所もなくなった。

二たび、海面が下がって、砂がまた姿を現した。

そのような時は、世界全体が前より寒くなり、深くて暗い場所の有り難さが増したから、海水の多くがどこかへ行って氷になったと考えるのが道理にかなっていた。

そしてそのような時は、北の西に行くと、世界は海辺よりもっと寒くなったので、「大いなる氷」は北にあると考えるのが道理だった。

というのも、ただ東や西へ行っても、そんなふうに寒くはならなかったからだ。


その当時、わが一族は「物見」の一隊を送り出した。

彼らは毛皮にくるまって戻ると、たいそうな寒さや、誰にも上れないほど高い氷の壁のことを語った。

その近くで生き延びられるのは、わが一族の苦手とする大熊だけだと。

これこそわが一族がまわりの世界のありさまを知り、この「大いなる寒さ」の時、他の者達がどう過ごしているかを理解するようになった時代である。


「海を知る者」たちは、世界が主に水でできていて、その中にところどころ、大小の島が浮かんでいることを知っていた。

しかしいつも大地で暮らす、海を知らない者たちは、世界が大きな川で囲まれている平らな土地だと思っていた。

そしてわが一族はずっと海の民だったのである。

そこで我らは自分たちの道を大切にし、ぜひともそれを守ろうと語り合った。

世界が再び暖かくなり、海面が上がって砂を呑み込んでいく時、一族は新しい時代にもこれまでどおりつつがなく暮らせるよう、世界を立て直さなくてはいけないと考えた。


世界は再び暖かくなり、海が日一日と我らの方へ迫ってきた。

そこで一族も、深くて暗い場所から出て、開けた砂の上で暮らすようになった。

それは人々の数が増えるとともに、だんだんと砂浜が見えなくなっていく時代だった。

そして我らは一族としてどのように共存していくのかを、改めて取り決めなければならないことを悟った。


           (引用ここまで)

             *****


これは、膨大な語りの最初の部分です。

「一つめの主な語り」と題されています。

本文の下の注意書きの部分には、「山のふところ深く暗い場所が暖かくて有難がれ、、」というのは、天然の洞窟のことであろうと書かれています。

また、「世界全体が前より寒くなり、、といった世界の寒暖、海面の上下といった変化は、氷河期にともなう現象。現代型ホモサピエンス発祥以来の時間尺度から考えて、ここで語られる2度の寒暖変化は最近の2つの氷河期ではなく、およそ7万年前から1万年前まで続いた最後のウルム氷期中の変動によるものと思われる」と書かれています。

この記事が2年間、お蔵入りしていた間にも、人々は、2年間、黙々と歩き続けていたのでしょう。
「我ら」とは、もちろんイロコイ族の人々の先祖の方々のことですが、また同時に、あらゆる人間の意識の流れ全体でもあるように思えます。


ブログ内関連記事

「「海は怒れる山のごとく立ち上がった・・「一万年の旅路」の記憶」(1)

「「歩く一族」は大いなる渇きの地を超えた・・「一万年の旅路」の記憶」(2)

「我らは「海辺の渡り」を見ることを選んだ者たちの子・・「一万年の旅路」の記憶」(3)

「古代、黒潮に乗って太平洋を渡った舟はあっただろうか?」


「「ホピの太陽」・・どこから来て、どこへ行く?」



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大洪水の記憶・・ナバホ族の神話(終)

2013-09-11 | 北米インディアン


ナバホ族の神話のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

「聖なる人々」の援助を得て、第四の世界の、初めての人々は、襲い来る危機に立ち向かいます。


               *****


             (引用ここから)


次の瞬間、入口が閉まるか閉まらないかのうちに、外の水が押し寄せる激しい音が聞こえてきた。

水は勢いを増して高くなった。

しかしアシの方がそれよりも早く伸びた。

あんまり高く伸びたので、自分たちの体の重みでアシが破裂するのではないかと皆が心配したほどだった。

幸いにも「聖なる人々」も一緒だった。

アシはまだ伸びていった。

暗闇が迫る頃には、アシは空の頂上までグーンと伸びていた。

あんまり傾いでゆらゆらするので、一番上の方にいた「黒い身体」が自分の頭飾りから一本の羽毛を抜き取り、アシと空のてっぺんとを結んだ。

今もアシに羽毛のような穂があるのはこのためだと言われている。

皆はアシの中に一晩中いた。


次の日、空が白くなると、外を見たが、空への出口をみつけることはできなかった。

セミが空のトンネル掘りに行かされた。

彼は空の向こう側にある、上の世界まで穴を掘った。

そしてそこから大きな湖の真ん中にある小さな島に出た。

足を地面につけた瞬間、鳥が二羽近づいてきた。

そしてセミが勇気試しに勝ったので、鳥たちはいなくなった。

セミが作った空の出口はあまりにも小さくて、大人には通り抜けられなかった。

そこでタヌキが、穴を広げるために送られた。

仕事を終えて帰ってきたタヌキは「第四世界」を被う空のドームの内側の泥で足をドロドロにして帰っ
てきた。

それ以来タヌキは黒い足になったと言われている。


やっと「最初の男」と「最初の女」は、空の出口から皆を連れ出すことができた。

こうして皆無事に「第五世界」の表面に辿り着くことができた。

しかしこれらのことはみな、遠い遠い昔に起きたことだという話だ。


「第五世界」

島があり、それを取り巻く湖があった。

そして湖の縁を高い崖が囲んでいた。

岸の頂上からは広い平原が四方に広がっていた。

最初人々は、島からどうやって湖を渡って岸へ行くか分からなかった。

それで「青い身体」 を呼んで助けてもらった。

彼は湖の底が見えるくらいに、水を減らしてくれた。

それで島から向こう岸へ行く道が出来た。


            (引用ここまで)


             *****


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輝く救世主が現れ、アシにより洪水を逃れる・・ナバホ族の神話

2013-09-07 | 北米インディアン


ナバホ族の神話のご紹介を続けます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

次にまた、大変なことが起こります。


         *****

        (引用ここから)


ある朝、みんながびっくり仰天するような事件がおきた。

夜明けの白い光が、東の空の壁をよじ登ろうとしていた頃、人々は水平線に添って白くちかちか光る変なものに気が付いた。

大きな波が東からこちらに向かって押し寄せて来ていることが分かった。

次の朝、遠くに聞こえていた轟(とどろき)が、着実にその大きさを増していった。

やがて人々は山のような大波が四方八方、自分たちの周りを取り囲んでいるのを目にした。

大波は東から彼らをめがけてやって来た。

南からも西からも、そして北からも押し寄せてきた。

ただ西から寄せてくる波の壁に小さな割れ目があった。

しかしあんまり小さかったから、それを潜り抜けてみんなが逃げるわけにはいかなかった。


丘の上に避難した人々は次にどういう手を打つべきか考えた。

リスの夫婦が助けてくれるだろうということになった。

一匹のリスが松の種を植え、もう一匹が杜松の種を植えた。

種は二つともすごい勢いで伸びていった。

伸びていくさまが実際に目に見えるくらいだった。

木があんまり早く伸びるので、みんなは洪水が来ても大丈夫なくらい高くのびてほしいと望んだ。

しかしそれからは横に枝分かれして、それ以上に高くはならなかった。

水は依然として彼らをめがけて押し寄せてきていた。


これではみんな死ぬのだと覚悟すると、突然二人の男が現れた。

一人は白髪の年寄りだった。

そしてもう一人、先に立って歩く男は若くてもっとしなやかだった。

髪は光輝き、目はきらきらしていた。

二人黙ったまま皆の間を通り抜け、まっすぐに頂上へむかった。

頂上に着くと年寄りが上着から袋を7つ取り出して開けた。

それぞれの袋には土が少しずつ入っていた。

この土は「第四世界」の端にある聖なる山々から取ってきたものなのだと言った。

キラキラした目の若者は「みんなを助けてあげるよ、でもそれには条件がある。まず今の場所から移動して東を向くこと。

それから俺が呼ぶまで絶対に俺を見ないこと。

俺が何をし、どうやってしたか、誰も知ろうとしてはいけない。
それが約束できるかい?」


みんなは、すぐに自分たちが立っていた所から移動して東を向いた。

二、三分後に元いた場所に戻るようにと呼ぶ若者の声を聞くまで黙っていた。

戻ってみると若者が「聖なる土」を地面に撒き、そこに32本のアシを植えていた。

そしてそれぞれのアシには32の節があった。


人々はアシをじっと観察した。

みるみるうちにアシは地面の地下に根を張り、その根がすごい勢いで下に延びていった。

上に向かっても、アシは勢いよく伸びていった。

そして次の瞬間にはその32本のアシが一本の大きな茎となり、東側に入口を開けたのだった。

そこで若者は、入口からアシの中に入るようにと、皆に言った。

皆が無事に中に入ると入口は消えた。

       
              (引用ここまで)


               *****



このナバホ族の神話を読むと、当ブログの主テーマである、ホピ族の伝承との類似に思い至ります。

以前「ホピの笛祭り」として、フランク・ウォーター著「ホピ・宇宙からの聖書」からの引用を紹介させていただきました。

この祭りは、ホピ族が「沈んでしまった島」から移住した記憶を伝える祭りです。

以下に再掲します。


           
             *****


「ホピの笛祭り(1)・・2009・12」より

               ・・・・


笛族の儀式は16日間続く。

祭壇の左側には水瓶と正しく配置されたトウモロコシ。

また中央寄りにはオウムの姿をした木彫りの像と、熱帯産の鳥をあらわす像。

右側には木製の扇または櫂が二つ。

また葦で作られた二つの小さな輪がトウモロコシの葉にくるまれて置かれている。

フルート・スプリングの水は、人が現われ出た水を象徴している。

儀式前と開始後の4日間は、酋長は塩を口にせず、ひたすら祈りと精神集中に費やす。


祭りの16日目の昼、灰笛族と青笛族はフルート・スプリングに集まって「出現の場面」を演じる。

オウムやインコなど、熱帯産の鳥の赤い羽根の頭飾りをつけた男女が、泉を囲んで輪を作る。

灰笛族の長が泉の中に入り、小型のいかだにまたがって、青色の櫂(かい)でこれを漕ぎだす。

歌に耳を傾けながら彼のしぐさを見ていると、その意味が分かってくる。

大波が第三の世界を滅ぼし、人々は葦のいかだに乗って次々と島をわたり、最後にこの第4の世界の岸に現れる。

そしてコーラスが彼らの苦しみを歌い始めると、長は黒い泥の入った器を持って泉から這い上がり、全員の顎を泥で塗る。


一行はオライビに向かって行列していく。

                ・・・・・


「ホピの笛祭り(2)・・2009・12」より

                ・・・・・


笛の音に合わせて歌いながら、灰笛の一団は広場の前で立ち止まる。

指導者は身をかがめ、地面の上のコーンミールで雲のシンボルを描く。

二人の笛娘が杖を使って自分の輪をこのシンボルの上に投げる。


これは輪の象徴する葦のいかだが、島から島へ渡ったことを表わす。

小さな葦の輪は前にも出現の時に使った葦のいかだを象徴しているが、もっと深い意味が隠されている。


今の第4の世界に渡って来る際に、人々がとどまった島をも象徴しているのだ。

この島々は、かつて第3の世界にあった山山の峰だった。

そして、人々が第4の世界に安全に辿り着くとすぐ、島々は沈んでしまったのである。


かつての文明の痕跡をとどめる第3の世界の陸も島々もこうして姿を消してしまった。

このため、笛娘たちは自分の手で輪に触れることができず、常に杖を使って扱わなくてはならない。

それはホピ族にとって、秘密の聖なる知識だからである。


杖もまた聖なるものであり、笛祭りの間中、深く念が込められている。

それはかつての存在についてのホピの秘教的な知識がこもった、魔法の杖を象徴するからである。


他の民族はこの知識を忘れ去ってしまった。

ホピが誰であるかについても、人類の起源についても知らないでいる。

だが、いつの日か次の周期を予兆する大きな地殻変動が起こり、これら海没した島々も再び浮上して、人類の出現に関するホピの秘教的知識を傍証することになるのだ。


オライビでは、笛族の行列は蛇キバの前にあるシパプニ・・出現場所を表わす小穴のところ・・で常に停止した。

ここはとても重要なスポットである。

「ポワム祭」では、二人の聖なるカチナ、エオトトとアホリはこの場所で7つの連続する世界を象徴的に表わし、各世界の中間にある“出現の道”を清めるため、シパプニに水を注ぎ込んだ。

また「蛇・カモシカ祭り」のときには、蛇族の祭司たちが蛇をもったまま隠れ家に近づいた時に、足踏みができるよう、この上に音響板がかぶせられる。

そこで笛族の祭司たちもまた、シパプニの中に水を注ぎ込む。


外にいる2宗団は、笛にあわせて出現の物語を歌い続ける。


歌は4節にわかれ、各説は島から島への旅を物語る。

陽は地平線に沈み始め、広場に影が伸び始める。

歌は止み、二つの宗団は列を作って、暗くなりつつある広場を後にする。


          (引用ここまで・終)

            ・・・・・

             *****



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最初の人々と神々・・ナバホ族の神話

2013-09-05 | 北米インディアン


ナバホ族の神話のご紹介を続けます。

ゾルブロッド著「アメリカ・インディアンの神話」。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

トウモロコシが変身して生まれた最初の男と女は、どんな運命をたどるのでしょうか?



            *****


          (引用ここから)


神々は二人のために小枝や芝で住処を作ってやるよう、人々に命じた。

その家が出来ると、すぐに最初の男と最初の女は中に入った。

「聖なる人々」はこう言って彼らを祝福した。

「ここで一緒に住みなさい。夫として妻としてここで暮らしなさい」。

それから4日目に最初の女は双子の赤ん坊を産み落とした。

しかしその双子は両性具有者だった。

それからまた4日して、二番目の双子が生まれた。

今度は一方が完全に男であり、もう一方は完全に女だった。

この二人は4日後にはもう大人になりその後夫婦として暮らした。

また4日たち、「最初の女」はもう一組の双子を生んだ。

この二人も4日で大人になり、夫婦として暮らすようになった。

あと二組の双子が「最初の女」に生まれ、全部で5組の双子が産まれ落ちた。

その5組の中で、最初だけが完全な男でもなく女でもない組で、彼らだけが4日で大人になった後も夫
婦としては一緒に住まないと決めた組だった。

最後の双子が生まれ4日して、「聖なる人々」が再びやってきた。

彼らは最初の男と最初の女を、東の山にある自分たちの住処に連れて行き、そこに4日間留まらせておいた。

それから二人を小枝で作った家に帰した。

その他の双子も、「聖なる人々」によって順番に彼らの東の山の住処に連れていった。

そこにそれぞれ4日間滞在させられた。

彼らが戻って来てからしばらくすると、彼らが時々仮面をつけるのが見られるようになった。

彼らの被る仮面は「話し神」、時には「家の神」、「呼ぶ神」、あるいは「唸る神」と言われている神がつけるものと似ていた。

お面をつけると、その人たちは良いことや、彼らにとって必要なことが起こるようにと祈るのだった。

良い頃合いに雨が降るように、あるいは豊かな収穫を願って、彼らは祈った。


しかし東の山に行っていた間、彼らは大変な秘密も知ってしまった。

というのは、魔女も彼らのように仮面を持ち、彼らのように近親同志で結婚しているということだった。

夫婦として一緒に住むように最初に選ばれた4組の兄弟姉妹は、東の山から帰ってくると別れてしまった。

今では近親相姦を恥じているようだった。

しかし彼らは自分たちの恥ずべき関係を秘密にして再婚していった。

男たちは、今なら「蜃気楼人間」と呼ばれる人々の女と結婚し、女たちは同じ人々の男と結ばれた。

彼らは東の山で学んだ秘密を決して他にもらさないことを誓いあった。


             (引用ここまで)

               *****

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魔法の儀式で先祖が創られた・・ナバホ族の神話

2013-09-02 | 北米インディアン


引き続き、ナバホ族の神話のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

すごいことが書いてあります。

もうドキドキです!

「聖なる人々」とは?「昆虫人」とは??


             *****


           (引用ここから)


「青い身体」、「黒い身体」がそれぞれ聖なる鹿皮を持ってきた。

「白い身体」はトウモロコシの穂を2本持ってきた。

一本は白で、もう一本は黄色だった。

そのトウモロコシは二つとも、ちょうど今我々が神々に捧げるトウモロコシのように先までびっしり実がついていた。


儀式は静かに進行していった。

神々が一枚の鹿皮を地面に置いた。

頭が西へ向くように気を付けた。

そしてその上にトウモロコシを二本、足が東になるように注意して置いた。

それからもう一枚の鹿皮を、頭を東に向けてトウモロコシの上に掛けた。

白いトウモロコシの下には、白ワシの羽を置いた。

黄色いトウモロコシの下には、黄ワシの羽が置かれた。


それから「聖なる人々」は見ている「昆虫人」たちに、遠くに離れて立つように言った。

風が入ってくるようにするためだった。


やがて東から「白い風」が二枚の鹿皮の間を通り抜けてきた。

そうして風が吹いている間、「聖なる人たち」は地面の上に注意して置いた物の周りを一人一人それぞ
れ4回づつ歩いて回った。

彼らが歩くと、ワシの羽の先が少しばかり二枚の鹿皮の間から突き出ていたのだが、かすかに動いた。

ほんの少しばかり。

目を凝らして見ていた者だけがそれに気づいた。


「聖なる人びと」は歩き終えると、上の鹿皮を取った。

見よ、トウモロコシがなくなっているではないか!

代わりに一人の男と一人の女がそこには寝ていた。

白いトウモロコシは我々の最も古い男の祖先に変身し、黄色いトウモロコシは我々の最も古い女の先祖に変わっていたのだ。

あれらに命を吹き込んだのは風だった。

我々がこうして生きて、日々の生活に精を出している時、我々に息を与えてくれるあの風と全く同じ風だったのだ。

この風が我々の中で吹くのを止めると、我々は口がきけなくなり、やがて死んでゆく。

ほら、指先の皮膚に生の息吹を与えてくれるあの風の跡、あれは誰でも見ることができる。

試しに指先をじっと見てみなさい。

きっと風の足跡が見えるはずだ。

我々の最も古い先祖が二本のトウモロコシから作られた時の風の跡を、そこに見ることができるはずだ。

           (引用ここまで)

             *****

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「第四の世界」で起こった不思議・・ナバホ族の神話

2013-08-31 | 北米インディアン


引き続き、ナバホ族の神話のご紹介をつづけさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

とても魅力的なお話です。


            *****


           (引用ここから)


また、こういうことも伝えられている。

同じ年の秋の暮れ、「新来者」たちは東の方、ずっとずっと向こうの方から、彼らを呼んでいるかすかな声を聴いた

耳をすましてじっと待っていると、まもなく声は前よりもっと近くもっと大きく聞こえてきた。

更に待ち続けていると、三度目の声がますます近くにますます大きく聞こえてきた。

まだ耳をすましていると、前よりもっと大きな声が聞こえた。

今度はあまりにも近くて、まるで頭のてっぺんから直に落ちてくるようだった。


すぐその後、気が付いてみると、彼らは4人の不思議な生き物に取り囲まれていた。

それは今までに見たどんな生き物とも違っていた。

それもそのはず、彼らは「聖なる人々」だったのだ。

今日この世界に住む「地表人」と違って、彼らは地上にしばらく住み、老人なって死ぬが、その後また旅立ってゆく。

魔術も使える頭のいい人達だった。

彼らは死ぬ運命を持つ者の苦しみを知ることがない。

「虹の道」を辿って遠くまで行けるし、「太陽の光の道」をものすごい速さで動くこともできる。

地上のものは彼らの思いのままで、風や稲妻さえ自由に動かすことができた。


「第四世界」の「表面に住む人々」の前に立っていたのは「白い身体」すなわち今ナバホの人々が「話す神」と呼んでいる人であった。

また「青い身体」もそこにいた。

ナバホの人々が今、「水を撒く神」と呼んでいる人だ。

その次は「黄色い身体」と言われる人であった。

ナバホの今の人が「呼ぶ神」、あるいは「家の神」、あるいは「唸る神」と呼んでいる人だ。

そして最後に「黒い身体」、すなわち今のナバホの人々が「黒い神」、時には「日の神」と呼ばれる人だ。


さてその「聖なる人々」は、言葉を使わないで何か指示を与えるかのように、そこに集まった「昆虫人」たちに身振りで合図をした。

ところが流浪の者たちには、その身振りの意味が分からなかった。

だからただ頼りなくそこに立ち尽くして、見守るだけであった。


神々が帰って行った後、「昆虫人」たちは日が落ち、夜が明けるまで、この不思議な訪問について話し合い、それが何の意味だったのか、いろいろ考えた

神々の方では続けて4日間この訪問を繰り返した。

そして4日目に他の神々が帰った後も、「黒い身体」だけがそこに残った。

彼一人だけになった時、「昆虫人」の言葉で話し始めた。


「お前たちは、我々聖人の言ったことが分かっていないようだ。

これから私がしっかり教えよう。よく聞け。我々の願いはこの世にもっと人が増えてほしいとうことなんだ。しかし利口な人間に限る。お前たちのようでなく、我々のような人間だ。
手も足も口も歯も、みんな我々と同じにな。それから我々のように頭を使って、先のことを考えることができるようにな」


12日目の朝、昆虫人は念入りに水浴をした。

水浴が終わるとすぐに、東の遠方からまたかすかな声が聞こえてきた。

この前のように「昆虫人」は耳をすまして待った。


まもなくもっと近く、大きく声が聞こえてきた。

でもさらに彼らは待った。

三回目が前よりももっと近く大きく聞こえたが、それでもじっと待っていた。

まだ耳をすまして聞いていると、もう一度声がした。

前にも増して大きい声で、あんまり近くから聞こえたので、まるで頭のてっぺんから直に落ちてくるようだった。

すべて前の時と同じことが皆起きた。

そして同じく4人の「白い人」、「聖なる人々」が自分たちを取り囲んで立っているのに気付いた。


             (引用ここまで)


               *****


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「第四の世界」から「第五の世界」への旅・・ナバホ族の神話

2013-08-29 | 北米インディアン


ナバホ族の祖先たちが辿った、彼らが今の世界に至るまでの旅のお話です。

ゾルブロッド著「アメリカ・インディアンの神話 ナバホの創世物語」をご紹介しています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****

            (引用ここから)


第4世界の表面は、下のどの世界の表面とも異なっていた。

それというのも白と黒が混じりあい、上の空は白か青か黄色か黒のどれかだった。

それは下の世界と同じようだったが、ここでは同じ色の続く長さが違っていた。

「第一世界」では、それぞれの色が一日と同じ長さをもっていた。

「第二世界」では、青と黒が白と黄色よりもほんの少し長かった。

しかしここ「第四世界」では、白と黄色はほとんどなかった。

というのも青と黒が空に時間を独り占めしていたからだ。

まだ太陽も月もなく、星もなかった。

「昆虫人」たちが「第四世界」の表面に辿り着いた時、生き物はなにもなかった。

しかし雪をかぶった大きな四つの山の頂が、水平線に添って彼らを取り巻いているのが見えた。

探検にゆくと、今までに見たこともないヘンテコな人種をみつけた。

前髪を四角く刈り込み、地下の家に住んでいる。

土地を耕し、物を実らせている。

今はちょうど収穫の時期で自分たちに食物をくれた。

これで新来者の「昆虫人」にとって「第四世界」は下のどの世界よりも大きいことが分かった。

早速次の日、新しくみつかった部族の二人が、追放者の「昆虫人」のキャンプを訪ねてきた。

彼らは「突っ立った家に住む人」と呼ばれていた。

彼らは放浪の身である「昆虫人」を自分たちの村に招待したいと申し出た。

途中で赤い小川にぶつかった。

昆虫人に「歩いて渡るな」と注意した。
「でないと足を怪我するぞ」というのだ。

その代り四本の丸太で作った筏を見せた。

その筏に乗って全員むこうの土手に渡り、「第三世界」から来た「昆虫人」はそこの「第四世界」に住む人々の家を訪ねた。

「昆虫人」はトウモロコシとカボチャをもらい、「ここでいっしょに暮らしなさい」と勧められた。
実際かなり長い間、彼らは尖った家の村で暮らしてみた。

彼らからもらった食物を食べて、楽々と暮らした。

そしてとうとうみんなで一つの部族のように暮らし始めた。

まもなく互いを父よ、母よ、息子よ、娘よと言い始めた。

この地は乾いた土地だった。

雨も雪も降らず、水はほとんどなかったのだ。

しかしそこに住んでいた人々は灌漑をし、物を育てる術を知っており、それを新来者にも教えた。

23日が過ぎ23夜が過ぎていった。

すべてうまくいっていた。

そして24日目の晩、「昆虫人」は身内だけで静かに話し合い、今までの行いを改め、秩序を乱すような馬鹿なことは一切しないと決めた。

ここは良い所だから、放浪の身の「昆虫人」はここに住みつきたいと思ったのだ。


          (引用ここまで)

             *****

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「第三の世界」から「第四の世界」への旅・・ナバホ族の神話

2013-08-27 | 北米インディアン


ナバホ族の神話のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

 
             *****


           (引用ここから)


「第二世界」は青だったけれど、「第三世界」は黄色だった。

追放された「昆虫人」達は「黄色バッタ」の他は誰も見なかった。

「黄色バッタ人」は黄色い国を通り東に流れる川の土手沿いの地下にある黄色い穴の中に住んでいた。

はじめのうち「黄色バッタ人」は何も言わなかった。

ただ黙って新来者の中に集まり、じっと見守っていた。

どちらのグループも互いに一言も口をきかなかった。

朝になり放浪者の「昆虫人」は新しい世界を探検した。

そこに「バッタ人」の二人の大酋長がやってきた。

そして新来者がこう言った。

「どうです。俺たちを仲間に入れてくれませんか?」。

「バッタ人」はそれに同意し二つのグループは一つになった。

お互いに抱き合って喜び、お互いを母ちゃん、父ちゃん、娘、息子と呼び合った。

まるで一つの部族のようだった。

前と同じように、23日が過ぎた。

前と同じように、24日目の晩、新来者の一人が「第二世界」で「ツバメ人」にしたと全く同じことを
「バッタ人」の酋長にした。

どういうことが行われたか見届けると、「バッタ人」の酋長は次のように「昆虫人」に言った。

「なるほどお前たちが下の世界から追い出された訳はこれで納得がいった。以後ここで水を飲んではならん。食物も一切口にしてはならない。空気も吸うな。とっとと出て行ってくれ」。

それで「昆虫人」たちは、またもや飛び立った。

ぐるぐる回りながら、空へ上って行き、やがて地殻の外側のつるっと固い殻に辿り着いたという。

またもや「昆虫人」たちはしばらくの間、空をぐるぐる飛び回らなければならない羽目になった。

まず上の空を抜けてゆく道を、あてもなくさまよった。


やっとのことで、「西へ飛んで、そっちを探せ」と命じる声を聴いた。

そして「赤い頭」が自分たちの動きを見張っているのに気が付いた。

声もそうなら見えた頭も、「赤い風」と呼ばれる人そのものだった。

言われたとおりに西を探すと、ブドウの蔓のようにくねくねと巻いた空の向こう側へ通じる道がみつかった。

それは風のためにそうなってしまったのだ。

「昆虫人」たちはそこへ入り、体をねじってむこう側へ出た。

そうやって彼らは「第四世界」の表面に着いたのだった。

     
            (引用ここまで)


              *****


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「第二の世界」から「第三の世界」への旅・・ナバホ族の神話(2)

2013-08-24 | 北米インディアン



ナバホ族の神話の続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


              *****


             (引用ここから)


青い頭の生き物は「ツバメ人」の仲間だった。

そこには「ツバメ人」が住んでいたのだ。

「第一世界」は赤だったけれど、ここは青だった。

「ツバメ人」は青い家に住み、家々は広々とした青い草原に散らばって建っていた。

家はトウモロコシの形をしていた。

頂上の入口に向けて尖っていた。

はじめ、「ツバメ人」たちは、新しく移って来た人々の周りに集まり、黙って彼らを観察していた。

しかしどちらのグループも相手のグループにはまったく口をきかなかった。

「どうも俺たちはだだっぴろい青い平原のど真ん中にいるらしい。どこへいっても仲間もいない。食べ物もない。山や川もありゃしない。」

「ツバメ人」が訪ねてきたので、新来者の「昆虫人」はこう提案した。

「君たちはいろんな点で俺たちに似ている。俺たちの言葉もわかるし、俺たちのように足があり、身体があり、羽があり、頭がある。

お互いに仲良くしようじゃないか」。

「ツバメ人」はそれに対してこう言った。

「仲間としてお前たちを歓迎しよう」。

こうして二組の人々は一つの部族として互いにつきあうことになった。

お互いに溶け込んで、親しみを込めた名前で呼び合った。

23日間みんなで仲良く暮らした。

ところが24日目の晩に、新来者の一人が「ツバメ人」の酋長の妻とねんごろな仲になってしまった。

次の朝、前の晩に何が起きたかわかった酋長は新来者にこう言った。

「俺たちはお前たちを歓迎し、仲間や親戚として扱った。だのにこれがお前たちの歓迎の仕方なのか。これでお前らが仁義っていうものを知らないって、下の世界から追い出された理由がよくわかった。ここからも、とっとと出て行ってくれ。お前らはもうここにはいることはならん。どっちにせよここはよくねえ土地だ。俺たちにだって十分食物が行き渡らない。飢えのために人が毎日死んでいる有様だ。たとえおまえらの住むのを許したとしても長く生きることはとてもできまい」。

そこで新参者たちは、どこへ行くあてもなく、空へ向かって飛び立って行った。

大気の中へ入っていった。

高く高く、舞い上がって行った。

頭上の空のすべすべとした殻に辿り着くまで、ぐるぐる旋回しながら飛んでいた。

下の世界の空と同じように、この空にもすべすべした固い殻があった。

下と同じように、どこにも入口が無いように見えた。

「昆虫人」の群れがそこに辿り着くと、下にも上にも降り立つ所がなく、ただぐるぐる回るだけだった。


しかし回りながら地面をじっと見ている「白い顔」に気が付いた。それは「風の人」の顔だった。

「ここだよ。南のここに入口があるよ。こっちへ来いよ」。


そこで南に向けて飛び降り、すぐに空に上向きの南に裂け目を見つけた。

一人一人そこを抜け、裂け目の向こう側に飛んで行った。

こうして「昆虫人」は「第三世界」の地表に着いたのだった。

           (引用ここまで)


             *****


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ナバホ族の神話・・「第一の世界」から「第二の世界」への旅

2013-08-22 | 北米インディアン


ナバホ族に関する本として、次に「アメリカ・インディアンの神話・ナバホの創世物語」(ポール・G・ゾルブロッド著)を読んでみました。

北米インディアンの神話として、ホピの神話との類似など、興味深い問題が含まれています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
     

           *****

         (引用ここから)

出現

これから述べるいろいろな話は、みな遠い遠い昔から伝えられた話だ。

ある場所で、東の方角から「白」が生まれ、それが一日の始まりと考えられた。

その場所を「水の流れが出会うところ」と今われわれは呼んでいる。

南からは「青」が生まれた。それも一日の始まりと考えられた。

おかげで既にその場所に住んできた一族は自由に動き回れるようになった。

彼らは「空気の精の人々」とよばれている。

西では「黄色」が生まれ、夕べの到来を知らせた。

その後北から「黒」が生まれ、そこで「空気の精の人々」は身体を横たえ眠りについた。

「流れの集まる場所」から川が四方に流れていった。

一つの流れは東へ、一つは南へ、一つは西へ、一つは北へと流れた。

それらの流れに添って村ができた。


ずっと昔、黒アリが地底に住んでいた。

赤アリもいた。黄カブトムシも住んでいた。

コウモリもそこを住処にしていた。

12種類もの生き物がそこから生まれ出たのだ。

我々は彼らのことを「白い人々」、すなわち「空気の精の人々」と呼んでいる。

彼らは、この世に生まれ出て、しばらくの間だけ地面に住み、盛りの時期に死に、そしてこの世から消
えていく「五本指の地表の人々」たちとは違っていたからだ。

彼らは空を旅し、風のようにすいすいと飛び、そこ以外のどこにも住んでいないのだ。

「空気の精の人々」が仲間内でいさかいをしたことだ。

そのいきさつはこうである。

つまり彼らは互いに貫通の罪を犯していたのだ。

悪いと思って止めようとしが、どうしてもだめだった。

東の長「水の中のものを掴む人」は、彼らの行いを嘆いてこう言った。

「やつらは、ここが嫌になったのに違いない」。

南の長は言った。「奴らのしていることは間違っておる」。

西の長も怒った。

そして「空気の精の人々」の所に行ってこう言った。

「俺がここの長である限り、お前たちはここへこれ以後出入りはまかりならん」。

北の長もこう言った。

「ここにも出入り禁止だ。この国からとっとと出て行け。今すぐに」。

しかしそれでも「空気の精の人々」は行いを改めなかった。

姦通のしあいを続けた。

4日4晩が過ぎた。

そしてまた同じことをするので、長たちは怒って「お前たち、誰もここに入ってはならん。帰れ。もう戻って来るな」と言った。

その晩「空気の精の人々」は話し合いをした。

しかし何一つ決めることができなかった。


四日目の晩、ようやく話が終わりかけた時、東に何か白いものがあるのに皆は気づいた。

南にも、西にも、そして北にも現れた。

それはまるで切れ間のない白い山々の連なりのようだった。

それは彼らを、ぐるっと取り囲んでいた。

するとまもなく、ものすごい速さで彼らを閉じ込めようと、それは襲ってきた。

そいつはとても乗り越えられそうものない水の壁だったのだ。

しかも、ありとあらゆる方向から流れ落ちてきた。

どこへも行くこともできないので、彼らは飛び立って行った。

空の中へ、高く高く舞い上がって行ったという。

彼らはずっと上の、つるつるした空の殻に行き着くまで、上に向かって旋回しながら飛んで行った。

もうこれ以上上がって行けなくなった時には初めて地上を見、今や水がすべてを包み込んでいるのがわ
かった。

そして上を見ても下を見ても、着地する所がどこにもなかった。

その時突然、青い頭をした人が現れて、彼らに呼びかけた。

「ほらこっちだよ。東のここに穴があるよ」。

それで彼らはその穴をみつけ、その中へ入っていった。

一人ずつ縦になって空の反対側へと抜けて行った。

そうやって彼らは「第二世界」の地表に辿り着いたのだった。

     
          (引用ここまで)

          *****

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共に生きるという祈り・・河合隼雄のナバホへの旅(対談編)(7・終)

2013-08-20 | 北米インディアン


引き続き、心理療法家・河合隼雄氏の「ナバホへの旅」のご紹介をさせていただきます。
ぬくみしほさんとの対談です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


          (引用ここから)


河合

ナバホの人たちはみな、調和を守るためには禁欲が必要なんだということを知っていたし、それを守ってきた。

逆に皆が取れるだけ取れるのが幸福なんだと考えて、何でもどんどん取ってきたのが近代西洋なんです。

しかし今それが終わりを告げてきて、本当の幸福にはある種の禁欲が必要なんだということがみな分かってきた。

家族がどんなに大事かということも分かってきた。

しがらみを切るばかりの奴は、実は損をするのだ、と。。

その辺を、もうちょっとみな賢く生きたらどうだ、というのが僕の考えです。

いやそんなことはやりたくない、という人は勝手に生きて、しがらみを切って、孤独に死にたい人はそうすればいい。
強制はできません。

しかしその点はよーく考えなさい、実はそれは下手なやり方なんですよ、と僕は言いたいですね。


ぬくみ

この辺が限界だと感じて止める、あるいは曖昧でもいいじゃないかということですね。

わたしは学生時代に、住んでいたニューヨークから初めてナバホに行った時に、ナバホの人たちと話せば話すほど、日本に帰ってきた感じがしました。

それは白か黒か、イエスかノーかをはっきりさせろ、というアメリカ社会ではなくて、物事には曖昧なこともあると考える人たちのところに来たからだと思うんです。


河合

曖昧の良さ、イエスノーでは割り切れないこともあって、それこそが本当の文化なんだということを、もっときちんと言語化して、彼らに説明する努力をしていかなくてはならないですね。

でも自然と繋がることができる、人とすっと関係を作ることができる、、そうした方法を人に伝えるのは難しい。

やはりいっしょに生きないと駄目です。

だから日本でもやはり氏神様にいって、森へ行って、正月に拝んだりするということ、お節句のような季節の決まり事をきちんと皆で行うことはものすごく大事だと思いますね。

それはどの神を信じているかという問題ではないんです。

どう生きているかという問題なんです。

どういう姿の中で生きているか?

その辺を、今、みんなサボっている。

旬のものは何なのかを知って、それを頂くことも忘れてしまった。

昔はきゅうりの時期はいつかみんな知っていましたが、今はきゅうりなんて一年中食べられる。


ぬくみ

ナバホが運営している小学校の農業の先生がおっしゃっていました。

先生が谷へ遠足に連れて行った時に、大きな木の下に子供たちを集めて
「お前たちはアメリカ人か、インディアンか、それともナバホか?」と聞きました。

子ども達は「ナバホ」と答えます。

すると今度は、「ナバホであるとはどういうことか?」と聞きました。

子ども達はわからない。

すると先生が
「この谷で採れる物を食べることだ」と教えました。

「この谷にどういう動物が生きているのか、どういうサボテンが生えているのか、どれが何に効く薬草なのかということをきちんと知っていることがナバホなんだ」と。

そして先生は子供たちに「君たちはインディアンにもネイティブ・アメリカンにもアメリカ人にもなるな」と言いました。

すばらしい授業でした。

わたしもそれを聞きながら、日本人であるってどういうことなんだろうと考えさせられました。

          (引用ここまで)

            *****


>やはりいっしょに生きないと駄目です。

>だから日本でもやはり氏神様に行って、森へ行って、正月に拝んだりするということ、お節句のような季節の決まり事をきちんと皆で行うことは、ものすごく大事だと思いますね。

>それはどの神を信じているかという問題ではないんです。

>どう生きているかという問題なんです。

>どういう姿の中で生きているか?

>その辺を、今、みんなサボっている。


という、河合氏の言葉は、心に響きました。

いっしょに生きること・・これは近代社会の生活にすっかり慣れてしまった現代人にとっては、最大の弱点かもしれないと思いました。

ある程度いっしょにいると、限界がきてしまい、早く一人になりたいと思い始める。

私もそうですから、だからこそ、ここに言われていることに心惹かれます。

どういう姿の中で生きているか、、私の課題でもあります。




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美しい生き方をいかにして守るか・・河合隼雄のナバホへの旅(対談編)(6)

2013-08-17 | 北米インディアン


引き続き、心理療法家・河合隼雄氏の「ナバホへの旅」のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

本書には、ナバホの地に通い、ナバホの心に魅了されたぬくみしほさんという女性との対談も載っていました。

ぬくみさんの言葉には、彼女が愛してやまないナバホの人々と一つに溶け合っているかのような、穏やかな清らかな美しい魂を感じました。

               *****


             (引用ここから)

ぬくみ

ナバホの人たちの生き方を、いっしょに生活する中で見せてもらっていると、言葉は使わないけれども交わされる自然との対話があって、自然の時間で動いている感じがします。

ナバホには「ホッジョー」という、美しく、和に包まれた世界を意味する言葉がありますが、調和のとれた気配というか、世界が、本当にあの人たちと一緒にある。

そして、あそこで暮らしてみると、その調和というのが、実はバランスなのだということが分かってきます。

食べ物にしても、取り過ぎてはいけない。
食べ過ぎてもいけない。

鹿を狩った時には、体の一部を土に戻して埋めてくる。

ユッカという植物の根っこでシャンプーを作るときは、まず祈って、根を取らせてもらって、また上の葉の部分を土に戻して、また祈る。

染料もいろんな植物から取りますが、けっして取り過ぎない。
根こそぎにしないんです。

バランス=「ホッジョー」を保つためには、必要な分しか取ってはいけないんです。

そうした自然とつながって生きる「掟」が、しっかり身についています。

ナバホの方々は、朝日が昇った時にナバホの大地が目覚める、
その時、人の魂も目覚める、
新しい一日が始まる、とおっしゃって、

太陽の神、母なる大地、父なる空、そして東西南北に向けて朝のお祈りをします。

まず、世界のことから祈るんです。

それはなにも大仰な唱え事ではなく、雨が降りますようにとか、ナバホの皆に十分な食糧が行き渡りますようにとか、家畜たちが元気に育ちますようにとか、そういう生きる環境としての世界について、まず祈る。

その後に、家族の健康と幸せと、遠く離れた町に暮らす子供たちや孫たちが元気に過ごせますようにとお祈りをして、
最後に自分のことを祈ります。

もう、祈ってしまわずにはいられない場でもありますね、いわば祈りが日常のなかに溶け込んでいるんです。

キリスト教文化とは、根本的なところで考えが違いますね。


河合

しかし白人もそろそろ自分たちが本当に今後もキリスト教によって生きていけるのかどうか、考え始めました。

たとえば神、人、自然という考え方だけで、果たして環境問題を解決できるのか?

それから本当に一神教なのであれば、イスラム教徒と戦い続けるしかなくなってしまう。

それを止めて、共存するためにはどうするか?

本来なら潰してしまいたいんだが、仕方がないから共存するんだ、という妥協ではなく、「共存する方が良いのだ」という答えを導きだすのは、今のままでは難しい。

ジョゼフ・キャンベルというアメリカの神話学者は、「もう唯一の宗教が強力であり続けることはできなくなってくる。
世界のことを全部説明出来るという意味での宗教はなくなってくるのではないか」と言っています。

そして「もしそういう宗教があるとすれば、それは仏教だけだ」とはっきりと言っているんです。

なぜかというと、仏教はいわゆる宗教とは違って超越者をたてていないから。

仏教にもたとえば阿弥陀様をご本尊にしているということもありますが、そこが人間の面白いところなんですよ。

やはり超越者がいないとどうしても分かりにくいから、なんとなく誰かを中心に置きたくなってしまうんです。

一方で唯一の神がいるといっても、やっぱり周りに天使だのを置かないと、これまた人間は落ち着かないんです。

こういうふうに、人は一神教的な世界観と多神教的な世界観のバランスをとっているんです。

天皇は、僕に言わせると「日本的中空構造」の象徴みたいなものだけれど、それを急に「中心」と言いだした時、つまり戦争中は明らかに一神教ですね。

このように簡単には言えない面白いバランス感覚があって、そのどちらを前面に出すかで味が違ってくる。

僕は、これからはその一神教的なものと多神教的なものとの相補性を、人が個々に、意識的に持っていないといけないのではないかと思っています。

今自分はわりと一神教的に行動している。。
ではなぜそうしているか?
しかもそれは絶対ではない。。

そういう複雑なことを、もっと掴んでいけたらいいんじゃないかと思いますがね。


しかし困るのは、たとえば今回のタリバーン勢力とアメリカの戦争を見ても、単純な人の方が威勢がいいということです。

パワーとして見ると、それが正しいか正しくないかの問題ではなくて、白人の文化の方が圧倒的に強いんです。

それに対抗するために、僕は「強力なる臆病者」になろうと考えているんです。

威勢のいい奴に絶対に負けない、臆病な人間。

そうしないと彼らのパワーの前には、調和のとれた非常に美しい生活は完全に蹂躙され、土地を追われたりする。

ナバホはそれでも自分の土地に戻ってこられたけれど、アパッチのように完全に追われた人たちはもう魂を奪われたも同じです。

           (引用ここまで)

             *****

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