【皇室】皇太子殿下、52歳のお誕生日[桜H24/2/23]
・・・・・・・動画ご提供は「龍やん」さまです。
皇族問題と小和田家や皇室に有害な有識者会議などは切り離して考えるべき
どこの家でもそっとしておいてほしいこともあるのではないか、
それと最初は批判的、だんだんエスカレートしてきて土足で上がりこみ、批判という名のもとで遠慮なく貶める。
何をとっても「許し難い」こととして、血に飢えた狼のごとく吠えまくる。
そこには節度というものがいつのまにかなくなってきている。
批判が感情として抑制がきかず、ついに両陛下まで口汚くののしる。
そこを利用したのが北朝鮮と懇意のデヴィ夫人、彼女もそのひとりであった。
日本国籍を持たずして、そして北朝鮮の重要なゲストとして・・・。
私も雅子妃は好きではなかった。しかし今はお気の毒だと思っている。
ひとりを際限もなく「袋」にする、ミスしたことを待ち構えたように。
そこには鷹揚な気持ちの余裕などない。非情なまでに性急かつ攻撃的である。
これは感情の爆発ではないのか。いわゆる火病。
どうしても許せないのが両陛下へのバッシング、
「祭祀もさぼっている」「なぜ建国記念の日に検査か、静養していたではないか」などどうして<指図>のような批判が
できるだろうか。
こんな危険な状態で被災地を激励し、暑い夏も寒い冬も節電し、被災地の食事を思って缶詰をおかずにされていた。
それを「美智子」だなんて、いったいどんな資格があって口汚くののしるのか。
それは「人間性の問題、品位の問題」である。
これをいうことが、どんな正義か?
また、何を発表しても、段落ごとに非難する。まるでハイエナだ。
では自分の書いた文章はあらゆるところで「不遜」はないのか。
批判が憎しみの連鎖となって広がると、文化大革命やフランス革命の人民裁判のようにヒステリックになる。
確かに十分でない説明しかなくて、お諌めしなくてはならないこともある。
ただ、精神的な病人がいるということ、この痛みも十分に察してさしあげるべきだろう。
小和田家や有害な有識者会議などを批判するのと、皇族を個人的につるしあげるのとは別問題である。
「~してあげている」「批判してあげている」などときいていて心が痛む。あきらかに分を超えているから聞き苦しい。
私がみたところ『皇室全般画像掲示板』『長期株式投資』などに書かれている内容は、非常に汚い記事であり、悪意を感じる。
他にも思い当たるところもあるが、それはまたにする。
☆ 諸葛亮は劉備の子を全身全霊で補佐した。また岳飛は宋の皇帝、徽宗が明君でなくても、僻地へ連れさられたのを必死で
取り返そうとした。 これらは庶民の心を打つものであった。
また、魏徴は皇帝に誠意をこめて意見し、「人生、意気に感ず」と自作の詩に書いた。
私たちはこうしたことには、時代を超えて感動し心を打つものである。
失策を待ち構えたかのように叩くのは正しい批判ではない。
私は1995年「文藝春秋」に寄稿された江藤淳氏の「江藤淳『皇室にあえて問う-民の惨状を余所目になぜ中東へ向かわれた ...』」の文は感動した。その中には大きな悲しみと説得が悔恨の気持ちで書かれていた。
(彼は雅子妃の親戚に当たる。本名は江頭敦夫、後に自殺)
また、政治家は「士は己を知る者の為に死す」ということもどうぞご理解いただきたい。
「真正保守」を期待する。 (ベッラ)
・・・・・・・動画ご提供は「龍やん」さまです。
皇族問題と小和田家や皇室に有害な有識者会議などは切り離して考えるべき
どこの家でもそっとしておいてほしいこともあるのではないか、
それと最初は批判的、だんだんエスカレートしてきて土足で上がりこみ、批判という名のもとで遠慮なく貶める。
何をとっても「許し難い」こととして、血に飢えた狼のごとく吠えまくる。
そこには節度というものがいつのまにかなくなってきている。
批判が感情として抑制がきかず、ついに両陛下まで口汚くののしる。
そこを利用したのが北朝鮮と懇意のデヴィ夫人、彼女もそのひとりであった。
日本国籍を持たずして、そして北朝鮮の重要なゲストとして・・・。
私も雅子妃は好きではなかった。しかし今はお気の毒だと思っている。
ひとりを際限もなく「袋」にする、ミスしたことを待ち構えたように。
そこには鷹揚な気持ちの余裕などない。非情なまでに性急かつ攻撃的である。
これは感情の爆発ではないのか。いわゆる火病。
どうしても許せないのが両陛下へのバッシング、
「祭祀もさぼっている」「なぜ建国記念の日に検査か、静養していたではないか」などどうして<指図>のような批判が
できるだろうか。
こんな危険な状態で被災地を激励し、暑い夏も寒い冬も節電し、被災地の食事を思って缶詰をおかずにされていた。
それを「美智子」だなんて、いったいどんな資格があって口汚くののしるのか。
それは「人間性の問題、品位の問題」である。
これをいうことが、どんな正義か?
また、何を発表しても、段落ごとに非難する。まるでハイエナだ。
では自分の書いた文章はあらゆるところで「不遜」はないのか。
批判が憎しみの連鎖となって広がると、文化大革命やフランス革命の人民裁判のようにヒステリックになる。
確かに十分でない説明しかなくて、お諌めしなくてはならないこともある。
ただ、精神的な病人がいるということ、この痛みも十分に察してさしあげるべきだろう。
小和田家や有害な有識者会議などを批判するのと、皇族を個人的につるしあげるのとは別問題である。
「~してあげている」「批判してあげている」などときいていて心が痛む。あきらかに分を超えているから聞き苦しい。
私がみたところ『皇室全般画像掲示板』『長期株式投資』などに書かれている内容は、非常に汚い記事であり、悪意を感じる。
他にも思い当たるところもあるが、それはまたにする。
☆ 諸葛亮は劉備の子を全身全霊で補佐した。また岳飛は宋の皇帝、徽宗が明君でなくても、僻地へ連れさられたのを必死で
取り返そうとした。 これらは庶民の心を打つものであった。
また、魏徴は皇帝に誠意をこめて意見し、「人生、意気に感ず」と自作の詩に書いた。
私たちはこうしたことには、時代を超えて感動し心を打つものである。
失策を待ち構えたかのように叩くのは正しい批判ではない。
私は1995年「文藝春秋」に寄稿された江藤淳氏の「江藤淳『皇室にあえて問う-民の惨状を余所目になぜ中東へ向かわれた ...』」の文は感動した。その中には大きな悲しみと説得が悔恨の気持ちで書かれていた。
(彼は雅子妃の親戚に当たる。本名は江頭敦夫、後に自殺)
また、政治家は「士は己を知る者の為に死す」ということもどうぞご理解いただきたい。
「真正保守」を期待する。 (ベッラ)
私もベッラさん同様、雅子様については正直いい印象は以前はなかった。ただ、それが正しいことなのか?印象操作されているだけかもしれない、貼った動画で水島社長がいっているように皇族といえ1家族。それに他人がどや顔で批判してもいい物なのか疑問に思っていたところでした。簡単に批判できるものではないということです。皇族は公人でもあるが個人でもある。政治家の公務に対して批判は構わないが
何の問題もない個人的なこと(麻生元総理が休日に娘と食事に行ったり墓参りをしたことを批判記事として某3流クズゴシップ新聞は報じていいた)などと同じだ!
いわれように有害な有識者会議と称するものもそうですね。園部とかいう元裁判官はとんでもない人物です(詳細はググってください)こんなのが女性宮家、女性天皇をすすめる胡散臭さや悪意を感じます。
長文失礼しました。
私は思うことを書いてみました。横から父が話しかけてくるので集中できないのですが、なんとか。
でも、こうして自分の考えを書いてみるとよく整理できますね、動画を頂いてぼやっと見ている間に考えたことを書いたので、きちっと書けていないところもあると思いますが、水島さん、いいことをおっしゃっています。
これが「良識」というものなんですね。
余計なことを申し上げた気がして。。。一応ごあいさつに参りました。
もし失礼がありましたらお許しください。
さて、天皇皇后両陛下は、昔、偶然国立能楽堂でご来賓あそばされておみかけいたしました。本当に仲睦まじく、そこだけ輝いてみえました。心が洗われるような気がいたしました。
陛下のご快癒を心よりお祈りしております。
雅子妃殿下のバッシングというのは何とも品位に欠けた行為。そもそもバッシングそのものが下品きわまるのにそれを御皇室にたいして向けるとは。
ただし小和田家はじぶんたちの立場をわきまえてないことは確かです。
口をつつしみ、じぶんたちの家から皇太子妃が輩出されたことにもっと粛々とすべき。
デヴィ夫人は茶の間の暇つぶし番組のタレントと思ってるといたい眼にあう可能性がありますね。日本の選挙民はアホなので彼女みたいのを国政に参加させかねません。
ラ・チチョリーナが国会議員になるイタリアの例もあります。他国からみれば笑い事だけど、、、。
おかあさまの介護で大変な苦労をなさったこと、お察し申し上げます。
私も父がご近所にご迷惑をおかけして、その時はご近所にお詫びしながら、でも私の町は下町なので、ご近所が優しくて御親切で、父が具合が悪かった時も、お世話になったりしました。
面白いのは父がご近所訪問?した時も、昔から知っている家だけで、新しく引っ越ししてきたところには行っていない、・・・なるほど、父は分別?しているんだな、なんて思ったものでした。
両陛下のご日常は質素で堅実、またお優しいお心は国民である私たちの心を和ませ、また勇気づけるものということが、阪神大震災のころ、激励においでになった時、理屈ぬきに感動させる大きさは圧倒的でした。
被災地に激励にいらっしゃることは「無私」の境地、また皇后さまの優しさは、気丈にしていた被災者もふと心をゆるめ、こどものように涙を流したこと。
これも、「国民と共に」歩まれた両陛下のお姿と感じ入りました。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
訂正とお詫びです。
もう、ハイエナのようなひどいバッシングで、何を言ってもいい、という雰囲気が感じ取れるので不安です。
小和田家は口をつつしみ・・・おっしゃる通りです。
そして天皇陛下のお見舞いに、ご兄弟が仲良くいらっしゃったことに心があつくなります。
周囲が反目させるように仕向けているのかもしれません。それをパッと遮るようなおふたりのさわやかなお揃いでした。
デヴィ夫人のブログは昨年から時々見ていましたので、彼女が北朝鮮の立場でものを考えていることも知っていました。
スカルノ大統領(当時)は、北朝鮮に行く時は必ず第3夫人を連れて行っていたことも、なぜなのか、考えるとデヴィ夫人の立ち位置がハッキリします。
オペラやコンサートにもデヴィ夫人はパトロンとしてお金を出して応援しているようですが、
そこに出演した人たちは、どうなんでしょうね。アタマが上がらなくなっているようです。
日本国籍を持っていませんが、もし国籍を得て国会にでも出てきたら恐ろしいですね。
その崇高な精神性で国、国民の安寧をお祈りくださるお姿に、
国民のひとりとして一意専心の気持ちで皇室をお支えするべきだと考えています。
今上天皇皇后両陛下の今の御姿は、
常に国民に心を寄せる皇室でありたいという仰せを
体現されてこられたものだと思います。
以前の皇后陛下の御言葉にみられるように、
どんな批判も自分を省みるよすがにと仰せです。
そういう御立場の方に自分で確かめたことでないことで、
安易な批判をするべきではないと思います。
ましてや皇位に民意が反映されることなどあってはならないことです。
と思ったものです。
お声が出なくなった時、災害地で励まされた方々が「あんなお優しいかたが」と親身になって心配していたことも、(これは阪神大震災より前ですが)思います。
さらりんさまがしみじみとお書きになった皇后さまのお言葉、私もよく覚えています。
今は酷いものです。言いたい放題は許せない思いでエントリー書いたのです。
これを書くことにより、私自身が少しは成長したことも、ほんの少しですが感じます。
お見舞いに皇太子殿下と秋篠宮殿下のご兄弟が仲良く病院にお見舞いに行かれたことは、ほほえましくうれしいニュースでした。