ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

183、USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンター 

2008年09月02日 | Weblog
ニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウにある、その年最後のグランドスラムが行われるUSオープンの会場で、現在2008年大会の開催中です。
1922年の清水善造選手以来86年ぶりのベスト8(準々決勝)進出の期待がかかった錦織圭選手は残念ながら4回戦で敗退。
USオープンは1881年に「全米男子選手権」の第1回大会が開催され、男子のシングルス、ダブルスが行われました。。
女子シングルスはそれから6年後の1887年に第1回大会が行われ、同ダブルスは1889年、混合ダブルスは1892年から開始されました。
初期は5部門がそれぞれ違う会場で行われていました。
1968年からオープン化され「全米オープン」となり、男女シングルス、男女ダブルス、混合ダブルスの5部門がすべて同じ会場、クイーンズ区のフォレストヒルズ「ウエストサイド・テニスクラブ」で行われるようになりました。
「フォレストヒルズ」は全米選手権やデビスカップ決勝戦を指す代名詞のような言葉として、テニス選手たちにとって憧れの地になりました。
ウエストサイド・テニスクラブでは現在も世界のトッププロが出場する大会が開催されていて、私はすぐ近くに住んでいたこともあり何度か見に行きました。

1978年 から現在のフラッシング・メドウのUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで行われています。
フォレストヒルズのサーフェースは芝から1975年にクレーに変わり、USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターはハードコートです。
サーフェースが2度も変わったのはUSオープンだけです。
3種類のサーフェースで優勝している唯一人のプレーヤーが、ジミー・コナーズです。

1997年にUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターに、新しく「アーサー・アッシュ・スタジアム」が建設され、2万5千人以上を収容できる世界最大のテニス・スタジアムが完成しました。
1996年までセンターコートとして用いられたコートには「ルイ・アームストロング・スタジアム」の前が冠されました。
ジャズ界の巨星、サッチモこと故ルイ・アームストロングがこのフラッシング・メドウのあるクイーンズ地区に住み、この地を愛していたということから名づけられたそうです。
私が毎年見に行っていた頃は現在のルイ・アームストロングスタジアムがセンターコートでした。
アーサー・アッシュ・スタジアムの辺りは芝生の広場で、幾つものテントが建てられサンドイッチやホットドッグ、ハンバーガーなどの食べ物や、大会のオフィシャルグッズが売られているスペースでした。
周りのコートで試合を見たり、芝生の上で休んだりして一日中楽しむことが出来ました。
写真で見るとそのようなリラックスできる場所が無くなってしまったようです。
当時のセンターコート、ルイ・アームストロングスタジアムに初めては行った時はその大きさに驚いたものですが、アーサー・アッシュ・スタジアムに比べると小さく見えます。
これではオペラグラスならぬ、テニスグラスが必要です。
1番大きいのがアーサー・アッシュ・スタジアム。
2番目がルイ・アームストロング・スタジアム。
3番目がグランドスタンド。

3番目(当時は2番目)のグランドスタンドはこじんまりしていてアガシ、サンプラス、グラフなどのトッププロを間近で見ることが出来ました。
③辺りにNO,3コートがあったと思います。(スタンドがあるコートで当時3番目に大きなコートでした)
私は1980年から1992年まで13年間毎年見に行きましたが、当時と全体的な雰囲気が変わっています。(世界最大のアーサー・アッシュ・スタジアムが出来たので当然かも知れません)
写真はGoogle Earthより

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