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感想:『天地明察』

2010年03月07日 21時51分11秒 | 天地明察
天地明察天地明察
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-12-01


読み始めてすぐ、20ページ辺りで読む手が止まった。図付きで算術の問題が書かれていた。『今、図のごとく釣(高さ)が9寸、股(底辺)が12寸の勾股弦(直角三角形)があり、内部に直径が等しい円を二つ入れる。円の直径はいくらか。』

1時間は猶に考えたが、答えが出ず。読み進めると答えは書かれていた。その後に、解法も書かれてはいた。しかし、解法に至る道筋、なぜそうなるのかが書かれていない。
高さをa、底辺をb、斜辺をcとする(それぞれ9寸、12寸、15寸)と、{2ab/(a+b+c)} ・ {c/(a+b)}で答えが得られると書かれているがその式がどうやって出てきたのか書かれていない。読み終わった今もときおり考えているがさっぱり道程が見出せない。ネット上でも「へいほう!」さんの「『天地明察』算術の問題」という記事を目にしたくらいで、解き方を書いたサイトは見つけられなかった。

この棘が引っ掛かって楽しめなかった……のならばそこまでの小説だが、非常に面白く読むことができた。時は四代家綱の時代。戦国の気分が時代の空気から消え去ろうという時代だ。士道に新たな価値を付与しようとした保科正之による文治の精神が、暦、囲碁、算術などをメインにした本書のテーマ性と合致し上手く表現されている。
主人公渋川春海の人物像もよく描かれている。周囲のキャラクター、特に年上の人物たちの造形が印象に残った。ただ、時代小説の陥穽である、歴史上の動きを描く部分で中盤以降はそれに傾きがちになり、主人公の視点による描写が減ってしまったことは残念。個人的にはもう少し科学的な説明も欲しかったが、これはバランスの問題なので仕方ないだろう。

武家階級のみとはいえ、江戸の雰囲気をしっかりと表現できていた点も評価したい。江戸時代は、時代劇というファンタジー的なものから、史料に基づいたリアルなものまで様々な像がある。それは、ともすれば「常識」という虚像に流されてしまいがちになるところを、踏み止まっていると言える。時として、勉強した分を書き過ぎたきらいもあるが。

冲方丁を読むのは初めてで、作品の傾向からして本書で評価するのは難しいが、他の作品も読みたいと思わせるものがあった。早速、代表作である『マルドゥック・スクランブル』の1巻目を予約。楽しみにしたい。(☆☆☆☆☆☆)

■分割して面積から計算
Tenchi00

■相似から計算
Tenchi

■辺から計算
Tenchi01

■この比が謎
Tenchi02





感想:『もいちどあなたにあいたいな』

2010年03月07日 20時54分33秒 | 本と雑誌
もいちどあなたにあいたいなもいちどあなたにあいたいな
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2010-01-20


『ひとめあなたに・・・・』を読んで以来、のめり込むように読んだ新井素子。当時刊行されていた全ての作品を見境無く買い捲り、特に気に入った作品は何度も何度も繰り返し読んだ。好きな作家は何人かいるが、新井素子は特別だった。
でも、それは80年代前半の、一瞬に凝縮された期間、その鮮烈な煌きに心奪われていただけだったのかもしれない。非SFが増え、刊行ペースが落ちるにつれて、少しずつ気持ちが離れていったのか。いや、好きな作品は繰り返し読んでいた。「星へ行く船」シリーズを別として、85年頃以降にそんな作品がなかっただけか。『チグリスとユーフラテス』にしても、インパクトはあったが、好きな作品とは呼べない。
ゼロ年代になると読書離れをしてしまったせいで、『ハッピーバースデー』『チェックメイト』は読まず仕舞い。新刊に接するのは、10年以上振りとなる。

新井素子の文体は独特だ。本書を読んで強く感じたのは、これは通常の一人称の文体ではないということ。一人称は確かに「わたし」の内面を読み手に記す構造だが、新井素子の一人称は「わたし」が読み手に直接語り掛ける一種のメタフィクションとなっている。
これは新井素子のデビュー時からの傾向であり、読み手を強烈に引き込む要因となっている。ただ本書はそれがこれまでよりも強く現れているようにも感じた。

この文体の仕掛けは、「わたし」と読み手との共感関係の構築を目的としたものだ。だが、本書でそれが十分に成功しなかったため、この仕掛けが目に付くこととなってしまった。
本書は設定上はホラーやオカルトではなくSFである。日常生活の中の異物を描いたものだが、それを周囲の視点から描き出そうとした。しかし、メインの主人公と「異物」たる彼女の叔母との関係に厚みを感じさせず、主人公の父母の視点も物語を統合するものではなく、バラバラに詰め込まれた印象を受けた。
人の変容という視点の面白さはSFに合ったテーマなだけに、もう少しなんとかならなかったものか。終盤の失速感も含め、期待外れの作品となってしまった。

現在のライトノベルにも連なる、むしろ源流の一人である新井素子。文体は多くのフォロアーを生み出したが、しかし、揺るぎない独自性を未だに持ち続けてもいる。それだけに、彼女にしか書けない物語を生み出して欲しい。日常的な世界観より非日常の観念的な作品にこそ生きると思うのだが……。(☆☆☆)