21日は午前6時過ぎに普天間基地大山ゲートに行き、連日とりくまれている早朝抗議行動に参加した。台風4号は沖縄島にはそれほどの影響もなく過ぎ、早朝から青空が広がる暑い1日だった。この日の抗議行動には21名が参加し、思い思いのプラカードや横断幕、ゼッケンと声、身振りで、通勤する米兵に抗議を続けた。
基地から出ていくマイクロバスには迷彩服の米兵たちが乗っている。明後日23日には沖縄戦慰霊の日を控えているが、米軍の演習は週末も行われている。国道58号線から坂道を上ってきて大山ゲート前に立つと、宜野湾の市街地と東シナ海が見える。68年前、この海を埋めた米艦船から艦砲射撃が行われ、無差別抗議に巻き込まれて多くの住民が犠牲となった。
そこはまた知覧や鹿屋を飛び立った特攻機により、米艦船への攻撃が行われた海でもある。特攻作戦を評価し、靖国の「英霊」讃える者たちが、一方で米軍に手を振って応援を送っている。米軍に対し余りにも自虐的で、滑稽かつ無様な風景としか言いようがない。戦死した日本兵に想像力を働かせるとして、68年も米軍が占拠している沖縄の状況を、彼らが喜んでいると想像できるのだろうか。
15日に新潟国際情報大学で講演をする機会があった。参加者との質疑応答のとき、尖閣諸島の問題もあるから、米軍がいてもらわないと困る、という意見があった。よくある意見だが、尖閣諸島防衛のために米国が中国と一戦を交えると本気で考えているなら、無知と無邪気さにあきれるしかない。米国民の支持がなければ、米大統領も連邦議会の議員もそういう決定はできない。ヤギしか棲んでいない無人島のために、若い米兵たちに血を流させる。そういう選択を米国民の多数が支持するかどうか、考えたら分かるだろう。
沖縄で鍛えられた米兵たちが、アフガニスタンやイラクで何をしてきたか。子どもたちや老人、女性など、どれだけの市民が米軍の攻撃で殺されていったか。沖縄戦について考えるとき、私たちは同時に、在沖米軍によって殺されてきた世界各地の人々のことも考えなければならない。中国の覇権主義や軍事強化に反対するのは当然である。だからといって米軍に守ってもらおうと考えるなら、彼らにいいように利用されるだけのことだ。軍隊は住民を守らない。それは日本軍も米軍も同じである。