海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

資料:幻想に終わった沖縄サミット

2010-07-26 15:45:02 | 米軍・自衛隊・基地問題
 以下の文章は2000年7月25日付朝日新聞に掲載されたものです(一部訂正してあります)。

〈幻想に終わった沖縄サミット〉
 
 23日の午後、サミットが終わると同時に土砂降りの雨が名護市を襲い、雷鳴が響いた。まるで抑えつけられていた鬱憤が噴き出したような雨だった……、と書けば、三流小説の典型のような文章だが、サミットなんてしょせんその程度の比喩がふさわしい「幻想物語」でしかなかったのではないか。九州・沖縄サミットが終わった今、改めてそう思う。ちなみに、沿道に植えられた花に水をまかなくてもいいと、地域のボランティアは雨を喜んだらしいが、にわかじたてで植えた花が枯れるよりも早く、サミットへの幻想も消えて、あのばか騒ぎは何だったんだ、という声が大きくなるだろう。
 すでにサミットの開始前には、沖縄の熱狂のピークは過ぎていた。1ヶ月以上前から名護市内のあちこちに立ち始めた警備の警官の姿は、心理的な圧迫や不快感を与えずにはおかなかった。鉄道のない沖縄で、道路交通が大きく規制されれば、商店や営業活動はもとより、日常生活にも不便をきたす。それへの不満に加えて決定的だったのは、7月に入って、少女へのわいせつ事件やひき逃げ事件など、米兵の犯罪が続発したことだった。
 もともと、サミットが辺野古への基地建設とリンクしたものであることは、大半の沖縄人が認識していた。ただ、そのことへの疑念やこだわりは、サミットへの同調圧力の強さに抑えこまれていた。それが1995年の少女暴行事件を思わせる事件の発生によって、一気に表に出た。緊急に開かれた抗議の県民大会やカデナ基地包囲行動には、それぞれ7000人と2万7000人の人々が集まった。
 そういう流れのなかで、地元の新聞2紙も、基地問題に対する立場を明確に打ち出す。19日に沖縄タイムス紙が1面トップで、普天間基地の名護市辺野古沿岸域への移設計画を白紙に戻し、SACO(日米特別行動委員会)合意自体の見直しを主張した社説を掲載する。続いて20日には琉球新報紙が、海兵隊撤収のシナリオを明示することを求める主張を一面に掲載。昨春、サミット主会場に沖縄が決定して以来、県やマスコミ主導で繰りひろげられてきたサミット狂騒曲は、この1ヶ月で少しずつ変化し、沖縄サミット自体がもつ問題点を問い返す視点が強くなっていった。
 その問題点の最たるものが、基地問題をめぐる動きであったのは言うまでもない。特に普天間基地の県内移設について、15年の使用期限問題を含め具体的な論議が日米首脳会談でどれだけなされるか、沖縄人の多くが注目していた。しかし結局、SACO合意に基づいて「整理・統合・縮小」を進めるということ以上の論及はなかった。やっぱりな、しょせんそんなものだろう。そういう白々とした思いを抱いた人も多かったに違いない。平和の礎におけるクリントン大統領の演説にしても、予想されていたとおり、主眼は日米同盟の重要性を強調し、軍事力による「平和」と「安定」を確保するために、沖縄基地を21世紀も使用していくことを宣言したものにすぎなかった。
 日米両軍が最後の地上戦を行った糸満市摩文仁の地で、基地容認の地元知事と女子高校生を従え、沖縄住民との融和の姿を演出したクリントン演説は、沖縄にとっては今回のサミットのハイライトであった。演出効果においてはそれはたしかに成功だったろう。しかし、演説の中身については、沖縄基地の「無期限の維持」を強調するもの(宮里政玄元琉大教授)など、直後から批判が続出している。
 実際、これから沖縄人は、美辞麗句の裏にあるクリントン演説の中身を、身をもって知ることになるだろう。サミットが終わり、棚上げされていた辺野古へのヘリ基地建設問題が動き出す。クリントン大統領、森首相、稲嶺知事の3人が顔をそろえる唯一の機会であったのに、15年の使用期限の問題は議論されなかった。それはこの問題が完全に行き詰まっていることを証明している。行き詰まったままヘリ基地の建設方法を具体化し、振興開発費をえさに強行突破をはかろうとするなら、沖縄内部、沖縄と日本、沖縄とアメリカ軍との関係に激変が生じるだろう。カデナ基地包囲行動という非暴力的で穏健な運動をみて、沖縄人の反基地感情などたかが知れたものだ、などと侮ってはならない。運動形態も住民の意識も情況の変化によっていくらでも変わるのだ。
 22日の夜、ヘリ基地建設予定地の辺野古海岸で行われたニライカナイ祭りコンサートを見てきた。ラストの喜納昌吉の音楽にあわせて、観客が踊り、跳ね、浜の細やかな砂を踏みしめて、手を打ち鳴らす。サミット・オミット・デメリットという掛け声には苦笑せずにはおれなかったが、会場は盛り上がっていた。
 コンサートが終わったあと、住民地域とキャンプ・シュワブを隔てる鉄条網のところまで行き、しばらく基地のなかを眺めた。侵入者を警戒してだろう。100メートルほど離れた場所から数機のサーチライトが浜を照らし出している。これから建設が強行され、この砂浜の埋め立て工事が始まるとき、今、平和のコンサートが行われているこの場所、数百年にわたって辺野古の人々の生活を支えてきたこの海で、どのような事態が生じるか。沖縄人同士が、あるいは沖縄人と日本人、米軍人が血を流しあう惨劇が生じるかもしれない。そう考えるとやりきれない思いがした。
 5000億円とも1兆円ともいわれる莫大な予算がばらまかれる辺野古へのヘリ基地建設は、「本土」の人たちにとっても他人ごとではないはずだ。日米のゼネコンを太らせ、沖縄の自然や地域の生活を破壊し、基地の負担をさらに押しつけるヘリ基地建設を黙認していいのだろうか。

『沖縄/草の声・根の意志』(世織書房)所収。

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