海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

南燈慰霊之碑慰霊祭 1

2010-06-24 16:39:16 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 23日は本部から今帰仁に寄って名護に戻り、午後2時から行われた南燈慰霊之塔慰霊祭にも参加した。



 南燈慰霊之塔は県立名護高校の敷地内にある。校門から入ると正面に、前に紹介した沖縄県立第三中学校校歌の歌碑と並んで県立第三高等女学校校歌の歌碑がある。





 慰霊祭は遺族、三中・三高女の同窓生、名護高校の生徒・職員・教育実習生の参加の下に開催された。
 発言者の全員が、沖縄戦を振り返り、戦没者への追悼の思いを語ると同時に、普天間基地問題をはじめとした沖縄の基地問題についても語っていた。65年が経っても沖縄戦と基地問題が密接に結びつている沖縄、名護の現状をよく示しているので、長くなるが個々の発言も紹介したい。



 最初に南燈同窓会副会長の松田憲和氏が開式の辞を述べた。

 今年も6月23日がやってきました。私たちの恒久平和の願いとは裏腹に、軍事基地の強化、並びに最近はこの名護市に、新たな基地建設がされようとしております。私たちは心を一つにして、恒久平和を願い、そして、基地反対をいたしまして、これからの私たちは、平和を願って邁進していく必要があると考えます。
 それでは平成22年度、南燈慰霊之塔慰霊祭を挙行していきます。









 戦没者の冥福を祈って全員で黙祷を行い、道福寺住職の稲福真海氏の読経の後、南燈同窓会会長の玉城勲氏が追悼の辞を述べた。録音ミスで残念がながら最初のところが欠落している。途中から紹介したい。

 ……米軍の圧倒的な物量の前に、多くの若い命が喪われてしまいました。当時の学徒隊の年齢は、現在の中学1年生から高校2年生に該当する年齢です。私たちの子どもや孫の年齢と重ねて考えると、言葉を失うのではありませんか。戦争はすべてのものを破壊し、人身を一新させます。戦後65年が経過した今日、戦争体験者は年々減少し、戦争を知らない国民が増加し、戦争の惨禍を語り続けねばなりません。
 すべての人が世界の恒久平和を願って、諸活動が展開されている中で、本県では基地から生じる諸事件の発生、とりわけ基地縮小問題、普天間飛行場の移設問題が、日米間の合意事項と県民の意思とは異なり、多くの課題を抱えた状況下にあります。
 また、文部科学省の教科書検定では、高校の歴史教科書の記述の中で、沖縄における「集団自決」が削除されたり、教育基本法の改正、国民投票法、防衛省の設置、防衛大綱の見直し等、いつか来た道に逆行するのではないかと不安になります。
 平和を希求する私たちは、現状を肯定することなく、過去の過ちを二度とくり返すことがないことを固く誓い、戦争反対を強く訴えます。それが無念の思いを残して亡くなった諸先輩方の御霊への供養であり、私たちの義務であると思います。
 現在、旧制中学校、高等女学校の卒業生が高齢化し、同窓会解散の声が聞かれる中で、私たち南燈同窓会は組織を強化し、南燈慰霊之塔をしっかり維持管理していきます。平成20年12月には、南燈慰霊之塔の碑文を取り付けました。平和学習、戦争を語り継ぐ一助にしていただければと思います。
 黙して語ることのない三中、三高女の375柱の英霊の皆さん、永久に安らかでありますようお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。
 平成22年6月23日、南燈同窓会会長玉城勲。

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