海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

9月27日の普天間基地野嵩ゲート前行動

2012-09-29 00:40:00 | 米軍・自衛隊・基地問題

 大山ゲートから移動して午前10時過ぎから野嵩ゲート前での行動に参加した。基地のガードマンや沖縄県警が警備する中、参加者はゲート近くの土手や歩道で抗議行動を行っていた。土手の前には水を入れて重しにするプラスチックの黄色い車止めが並べられ、ゲート前の車道に出られないように阻止線が張られていた。午前7時からの9・9県民大会実行委員会による集会の後、平和運動センターを中心とした抗議行動が8時から行われており、何度か阻止線を突破しようとしたが、基地ガードマンや県警に阻まれていた。

 午前11時20分頃、平和運動センターの山城事務局長がマイクを手にシュプレヒコールを始めた。その直後、土手にいた参加者が一斉に車止めを越え、基地のゲートに向かい車道に出た。私はカメラマンでもなければ取材に来ているわけでもなく、行動に参加しながら合間に乾電池式の安物デジカメで撮っているだけなので、この後しばらくは写真は無し。車止めを越えると同時に襲いかかってきたガードマンや警官を振り切り、路上を転がりながら四方から押さえ込もうとする手を振り払い、車止めを越えて次々と市民が入ってくるのを確認した。

 警官4人に両手両足をつかまれて車止めの外に排除されたが、少し写真を撮ってから再び車止めを越え、車道に座り込んだ40人ほどの中に入った。

 11時半頃、警察も排除できなくなり、野嵩ゲート前の車道の一角を占拠した。

 9月末になっても沖縄の日差しは強い。アスファルトの熱を防ぐためにゴザを敷き、ビニールシートとノボリの竿を使って簡易テントを作った。そうやって臨機応変に対応し、場所を確保する知恵も沖縄の運動の力である。

 その場に座り込みながら「てぃんさぐぬ花」「一坪たりとも渡すまい」などの歌をうたい、抗議のシュプレヒコールをし、参加者のリレー発言を行った。政治家や団体の代表者だけではない。大学生や沖縄戦の体験者、宮森小学校の事故の目撃者など、多様な人が自主的に発言して、お偉方の発言が並ぶ集会とは違う、ともに汗を流している市民の手作りの集会が作られた。飲み物やおにぎり、サンドイッチなどの差し入れも相次いだ。にふぇーでーびる。

 午後4時半頃、日米両政府が翌28日にオスプレイ配備を強行しようとしていることにシュプレヒコールで抗議し、野嵩ゲート前に通じる車道の横断歩道を往復するデモ行進を行う。警察がデモを規制したことから、抗議する市民との間で激しいぶつかり合いがあった。

http://www.qab.co.jp/news/2012092738249.html

 県警の警察官や基地のガードマンも大半は沖縄人である。沖縄人同士がぶつかり合うのはやりきれないことだ。しかし、そのことを傍観射的立場から訳知り顔に指摘して終わりにしてはならないはずだ。沖縄人同士がぶつかり合うような状況を作り出しているのは誰か。オスプレイ配備を強行しようとする日米両政府であり、米軍であり、沖縄に米軍基地を集中的に押しつけて意に介さない大多数の日本人=ヤマトゥンチューである。行動している人々は単純にぶつかっているのではない。沖縄人同士が対峙していることへの複雑な思いは、傍観者とは違う身を切る痛みを伴っている。 

 抗議行動のようすを望遠カメラで写真に撮っている米兵が二人、ビデオカメラで撮っているのが一人。今まで何度も野嵩ゲート前で集会をやっているが、ここまで米軍が注視しているのは初めて見た。早朝から始まった大山ゲートでの抗議行動をふくめ、米兵たちもこれまでとはレベルが違う沖縄人の怒りを感じているのは間違いない。日本政府に言っても埒があかないから米政府に訴える。それにも意義はあるだろう。しかし、米国まで行かなくても、目の前にいる米兵たちに肌身で感じるほどの怒りを伝えれば、その情報や分析は米政府に伝わっていく。

 夕方になり日差しが和らいだので、テントを取り外して座り込みを継続する。同時に、米軍機の飛行に抗議して風船上げや凧揚げも行われた。抗議行動の間、くり返し米軍機が頭上を通過した。機影にオスプレイを重ね合わさずにいられなかった。

 午後6時になって県警機動隊が座り込みに対する包囲を解いて引きあげた。それを見て抗議行動の参加者は野嵩ゲート前全体に広がった。6時10分頃、ガードマンたちが野嵩ゲートの門扉を閉めた。住民の基地突入を警戒してのものである。野嵩ゲートを閉めさせたぞ!普天間基地閉鎖の第一歩だ!という声があがり、拍手が起こった。

 野嵩ゲート前を占拠しての集会のさなか、オスプレイの28日配備が台風を理由に延期になったことが伝えられた。午後7時頃、学生が県警の車の前をデモ行進している間に、普天間爆音訴訟団の宣伝車が野嵩ゲート前に進入し、門扉をふさいで停車した。高江では北部訓練場の一部ゲートを車でふさいでいるが、普天間基地のゲートをこのような形で封鎖するのは、まさに画期的なことである。

 すでにあたりが暗くなる中、発言者の話を聴きながら座り込みを続け、午後8時半過ぎにこの日の行動を終えた。当初は翌日まで座り込みを行う構えだったが、オスプレイの飛来が延期になったことと、ゲートをワゴン車で封鎖したこともあり、いったんは引きあげることになった。

 100人ほどの人数でも、その気になればここまでできる。本気の市民が1000人が集まれば、普天間基地の全ゲートを封鎖して、人と物の出入りを完全にストップさせることが可能である。そうなればオスプレイをはじめ他の軍用機を飛ばすことはできない。住民が抵抗を強めて自由な使用ができなくなれば、米軍が沖縄に基地を置く最大のメリットが崩れるのだ。日本政府にいくら要請しても聞く耳を持たないのなら、もはや相手にする必要はない。日本政府がどれだけ引き留めようとしても、米軍が自ら沖縄を出ていくように、基地に対する直接的な行動を強めていけばいい。

 うちなんちゅーよ、そーいじ(本物の勇気)見してぃまんなー。

 

 

 

 

 

 

 

 


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