海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

戦争体験の継承

2009-06-01 17:02:00 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 サイパン・テニアンから帰った翌日、あるお年寄りから話を聞く機会があった。その方が長年生活をともにされた方もサイパンからの帰還者で、彼の地で戦争を体験し、二人の子どもを亡くしていたとのこと。戦火に追われて逃げる途中、子どもを抱いて座っていたら、砲弾の破片が子どもを貫通し、その人の内股に刺さった。そうやって一人の子ども亡くし、本人も重傷を負い、さらにもう一人の子を亡くしたのだという。
 話をしてくれたお年寄りも、沖縄戦の体験者である。当時十五歳で、父や兄は防衛隊や兵隊にとられ、目の不自由な母と弟の三人で、沖縄島南部の戦場を逃げまわったという。入っていた防空壕が砲弾の直撃を受けて生き埋めになり、もがいているところを助け出された話や、与座岳の日本軍にスパイと疑われて殺されかけたこと、米兵に見つかって後ずさったら遺体を踏んだ話など、これまで何度か沖縄戦の体験を聞いている。
 話を聞いたお年寄りは、自らの戦争体験から辺野古の新基地建設に反対している。軍事基地に反対し、撤去を主張すると、やれイデオロギーだの理想論だの金目当てだなどという言葉が返ってくる情けない時代になった。だが、沖縄の反戦・平和運動の根底にあるのは、64年前の戦争体験であり、戦争につながるものを否定しようという思いだろう。それを次世代につないでいく努力を、沖縄人は続けてきた。
 思えば30年前、大学1年の時に初めて書き上げた小説は、16枚の短い作品だったが、沖縄戦を扱ったものだった。祖母から聞いた話を基にし、小説を書くことで少しでも追体験できないかと試みた。
 戦争体験の継承の困難さは言うまでもない。しかし、祖父母や両親から直接戦争体験を聞けた世代として、やらなければならない役割があるのではないかと考えている。

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