海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会

2012-05-14 22:51:49 | 米軍・自衛隊・基地問題

 13日は県民大会のあと午後5時から普天間基地第1ゲート前広場で「オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会」も開かれた。主催は基地の県内移設に反対する県民会議/普天間爆音訴訟団/嘉手納爆音訴訟団/高江住民の会。小雨が降る中、200名ほどの参加者があった。
 前日12日の県内紙は、米軍が7月にもオスプレイを沖縄に運び込んで那覇軍港で組み立て、試験飛行を行って普天間基地に配備する意向であると報じている。5・15県民大会でも、第1ゲート前広場の集会でも、オスプレイ配備を強行しようとする日米両政府への怒りと批判の発言が相次いだ。

 2007年12月14日付沖縄タイムスに〈普天間飛行場 オスプレイ配備規定方針 宜野湾市が米軍情報入手 92年計画に記載〉という見出しの記事が載っている。

〈【宜野湾】米軍普天間飛行場内に海兵隊の垂直離着陸機「MV22オスプレイ」の整備格納庫や駐機場を整備する計画が一九九〇年代初頭に策定されていたことが十三日、分かった。宜野湾市が情報公開法に基づき米政府から入手した九二年六月作成の「同飛行場マスタープラン」に記載されていたもので、オスプレイの配備が同飛行場の移設計画以前から既定方針だった実態が改めて浮き彫りになった。同プランでは、「既存の施設はオスプレイ運用には適さない」とした上で、同飛行場内の北西の森林部分を「オスプレイが配備され駐留する場合に備え、その運用と整備のために確保する」と記述、将来的にオスプレイの配備計画を示した〉…以下略。

 1992年6月作成の「普天間飛行場マスタープラン」にすでにオスプレイ配備が記載されていたというから、実に20年も前にオスプレイの沖縄配備が計画されていたわけだ。にもかかわらず、日本政府はこの20年の間、県民の問いにしらを切ってあざむき続け、辺野古「移設」に係る環境影響評価でも調査対象としなかった。その上で、県民の圧倒的多数が反対しているオスプレイを、7月に前倒しして配備しようとしている。
 明日15日で沖縄の施政権が日本に返還されてから40年になる。明治の琉球国侵略で併合したが敗戦によって失った領土を、日本国家がナショナリズムを煽りつつ、沖縄基地の自由使用を米国に保証して取り戻し、再併合した。それが「日本復帰」の実態である。過酷な米軍支配から逃れ、平和憲法のもとにある日本に「復帰」しようとした沖縄人の願望は、ナショナリズムと国家への幻想を克服できずにまんまと踏みにじられた。
 オスプレイの配備をめぐる日米両政府の対応をみれば、沖縄はしょせん再併合された領土として、米本国・日本「本土」とは違う基準で統治され、軍事的に利用される場所にすぎないことが分かる。ハワイのように環境アセスも行われなければ、岩国のように反対の声が聞き届けられることもない。「日本復帰」は沖縄差別を克服するものではなく、延長するものでしかなかった。

 「復帰」30年を迎える前から日本はバブル経済がはじけ、不況と貧困層の増加が進んでいた。3・11から1年2ヶ月経って迎えた「復帰」40年の今、それはさらに深刻化している。日本は右肩上がりの時代が終わり、高齢化と人口減少、市場の縮小が進んでいく。アメとムチの手法は財政危機のもとで、これまでのように振るえなくなるはずだ。
 沖縄戦や米軍統治下の沖縄の苦難を知る政治家も一線から消え、これから日本の政治は沖縄に対してさらに粗雑になり、幼稚化し、傲慢さを増していくだろう。それは沖縄と日本の間の断絶を深め広げていく。政治家・官僚・御用文化人たちがいくら「復帰」40年を祝ったところで、「差別」という言葉が示すウチナンチューの不信や苛立ち、怒りを消すことはできない。オスプレイの配備強行は、沖縄に地雷か時限爆弾を仕掛けるような愚行である。日本政府は計画中止を米国政府に求めるべきだ。

 


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