海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

北緯三十度線

2010-04-05 21:04:56 | 米軍・自衛隊・基地問題
 大田昌秀・佐藤優著『徹底討論 沖縄の未来』(芙蓉書房出版)のなかに大田氏が「なぜ沖縄だけが日本から分離されたのか」という問題について考察した一節がある。戦争に負けたのは日本全体であるにもかかわらず、なぜ四十七都道府県のなかで沖縄だけが切り離されなければならなかったのか。この疑問を解くために大田氏は、アメリカの国立公文書館に何年も通い続け、〈本当にショックを受けるほど多くの事実関係について知ることができました〉(137ページ)という。
 大田氏によれば、沖縄の分離は〈沖縄戦が始まる二年ほども前から米軍が周到に企図していたこと〉(138ページ)なのだという。米軍は1945年3月26日に慶良間諸島の阿嘉島に上陸すると、米国海軍政府布告第一号(ニミッツ布告)を公布する。その内容は、〈同日以後、北緯三十度以南の南西諸島における日本の行政権、司法権を停止して、米軍の占領下に置くというもの〉(139ページ)であった。北緯三十度線は奄美大島の北方、口之島のすぐ北にあり、なぜその線で区切られたのか。大田氏はその理由をディーン・アチソン米国務長官の議会証言の議事録に見出す。

〈それによると、北緯三十度の線から切り離した理由は、一つには、そこが大和民族と琉球民族の境目の線だというのです。つまり北緯三〇度線以北の人々は、純然たる大和民族で、それ以南の人々は、それとは異質の琉球民族だというわけです。いい換えるなら、異なる二つの民族(種族)の境界線が北緯三十度線に当たるというわけです。
 二つ目の理由としては、米軍が占領して基地建設を予定している地域をできるだけ広く取っておきたかったから、奄美大島まで分離する範囲を広げたというわけなんです〉(140ページ)。

 以上のアチソン証言に加えて大田氏は、同線で日本(大和)方言と琉球方言が区分され、生物学上の生態系も違い、琉球王国時代の領土区域を表すなど、北緯三十度線がいくつもの境界線となっていることを指摘する。
 また、戦時中に日本軍部が配下部隊の防衛範囲を定める区分で〈北緯三十度線以北の皇土防衛の担当部隊は「本土防衛軍」と称されていたのに対し、それ以南の防衛部隊は、「南西諸島守備軍」、すなわち「沖縄守備軍」として明確に区分されていた〉(141ページ)ことを指摘する。
 以上のことを踏まえて大田氏は、〈北緯三十度(後に二十九度線に下がる)以南の南西諸島を日本から切り離して米軍の占領下に置いた本当の理由〉(141ページ)を、〈じつは沖縄が日本のアジア侵略の踏み台(基地)の役割を果たしていたという歴史的背景に基づいた〉(142ページ)とする。
 武力によって琉球王国を滅ぼし併合した日本は、沖縄を踏み台にして台湾、朝鮮、中国及びアジア諸国に侵略の領域を拡大していった。その延長線上に太平洋戦争があったが、このような〈歴史的背景があって沖縄は日本から切り離されてしまったのです。つまり、何度も繰り返しますが、沖縄は、日本が未来に向かってアジア侵略を繰り返すことがないようにするための、いわば担保に利用されたことになります〉(150ページ)。大田氏はそう説明している。

 さらに大田氏は、沖縄の分離について日本側の理由も分析している。昭和天皇が「沖縄の将来」について考えを述べた『天皇メッセージ』において、沖縄が〈日本から分離され、外国軍隊の排他的軍事基地化される当事者の沖縄住民のことは、まるで念頭になく、徹頭徹尾、天皇中心の日本の国体、もしくは日本本土の安全だけが関心の的だった〉(154ページ)こと。さらに入江侍従長の日記の一節を挙げて、昭和天皇や政府首脳が沖縄を日本固有の領土とは見なしていなかったことを指摘する。
 そして、戦中から戦後において、米国側では〈軍部が軍事戦略的立場からほとんど自明のこととして沖縄・小笠原の単独占領、ひいてはそれらの軍事基地化を図ったのに対し、最終的には、やや妥協を強いられたとはいえ、国務省が国際政治上の思惑から常に軍部の意向を抑える言動に出て、曲がりなりにもバランスをとっていた〉(166ページ)。
 しかし、日本側では、〈政府と軍部の対立もなく、当初は、軍部も政治家も一体となって、むしろ沖縄の分離に与した〉(166ページ)とする。大田氏は日本の軍部・政治家の沖縄に対する姿勢をこうとらえている。

〈両者の発想・言動に一貫して目立ったのは、日本の国家的利益を図ることさえ可能なら沖縄を犠牲にするのもやむを得ないとする姿勢をとっていたことです。換言すれば、日本政府にとって、沖縄は、けっして「不可分の固有領土」といったものではなく、一旦緩急あれば、容赦なく切り離し、政治的「取引の具」に供して構わない存在でしかなかった、という一語に尽きます〉(166ページ)。

 大田氏は多くの資料を引用しながら論述しているが、ここでは極めておおざっぱにまとめた。詳しくは『徹底討論 沖縄の未来』に直接当たってほしい。あるいは、以下のサイトの講演の後半でも同趣旨の発言がなされているので、参考にしてほしい。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1.html

 大田氏のこの北緯三十度(後に二十九度)線による沖縄の分離問題についての考察を紹介したのは、鳩山政権が普天間基地の「移設」先として挙げているキャンプ・シュワブ陸上案、勝連半島沖埋め立て案、徳之島案などを見るとき、すべてが北緯三十度以南の南西諸島に限定されていて、自ずと大田氏の考察を思い出してしまうからだ。
 昨年は1609年の薩摩による琉球侵略から400年の節目の年だった。奄美・沖縄では薩摩の侵略を今日の視点から捉え返すシンポジウムがいくつも開かれ、メディアの連載企画なども活発に行われた。そういう後に鳩山政権が「県外移設」の対象として徳之島を挙げたことを見て奄美・沖縄では、ヤマトゥンチューのなかに根深く巣くう差別意識を感じ取った人が少なくないであろう。
 鳩山首相をはじめ普天間基地「移設」問題に関わる閣僚たちには差別という自覚はないかもしれない。しかし、奄美・沖縄での受け止めは違う。「県外移設」先としていくつか挙がった案から「本土」=ヤマトゥの案は除外され、薩摩侵略以前は琉球と深いつながりのあった奄美諸島の徳之島が残ったことにより、薩摩による支配や明治の「琉球処分」、大田氏が指摘する戦中・戦後の分離などの歴史に対する意識が呼び起こされる。
 そうやって喚起された歴史意識から基地問題が捉え返されることで、沖縄も徳之島も〈一旦緩急あれば、容赦なく切り離し、政治的「取引の具」に供してかまわないものでしかなかった〉北緯三十度線より南の島であることが再認識される。ただでさえ沖縄への米軍基地集中という差別政策への反発があるなかで、鳩山政権は奄美・沖縄へのヤマトゥの歴史的仕打ちを思い起こさせ、繰り返される差別への反発を強めさせているのだ。
 徳之島への「移設」に熱心らしい鳩山首相は、それで自らが「県外移設」に取り組んでいる姿勢を見せているつもりかもしれない。しかし、歴史に関する無知と発想の根底にある奄美・沖縄への差別に無自覚であるが故に、問題をより難しくし、反発の火に油を注ぐ愚を犯している。
 しかし、これは鳩山首相や政府閣僚だけの問題ではない。琉球・奄美・沖縄がたどってきた歴史と、それが基地問題に関しても影響を与え、人々の意識を重層的に形成していることに、今のヤマトゥの政治家、メディア関係者がどれだけ気づき、考えきれているか。

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1 コメント

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意識変革 (tajitaji)
2010-04-06 11:21:31
大田さん上記の発言、彼の『沖縄 平和の礎』岩波新書にも同趣旨のことが書かれてあったように記憶します。


 目取真俊さんのおっしゃるように徳之島では、やはり話にならないでしょう。


 おそらく「ヤマトゥ」の限界かもと。


 新城郁夫さん(『到来する沖縄』)もお書きのように、民主主義という制度の下では、「マイノリティー」の沖縄の意見は、多数決原理に抗することができないようです。


 「マジョリティー」の「ヤマトゥ」の意識が変わらない限り、沖縄は「捨て石」であり続けるのかと。


 マス・メディアは絶望的ですし。


 とはいえ、闘うしかありません。
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