作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

防衛省と国防省

2006年11月21日 | ニュース・現実評論

 

防衛省と国防軍


昨日の私のブログ記事で国防軍の問題について触れたのにちなんで、防衛省と国防省という国軍の所轄官庁の呼称の問題について考えてみたい。

国防省という名称であるが、現在の防衛庁の昇格にあたって、自民党などは、「防衛省設置案」などで「防衛軍」や「防衛省」という名称を予定しているようである。しかし、それは、彼らの最悪の日本語教本「改正?教育基本法案」などと同じく、自民党員の言語感覚の水準を明らかにすることになっている。

「防衛軍」や「防衛省」の呼称の根本的な欠陥は、国民国家の軍隊の本質である「国を国民が護る」という基本概念が、そうした名称には顕われないことである。

成熟した民主主義国家の国民と国家体制が行なう戦争とは、自衛の戦争しかないから、ことさらに「防衛」などとうたう必要はない。それなのに、わざわざそんな名称にするのは、日本のように民主主義が未熟で、文民統制に自信のもてない潜在意識があって、だから国民や政府は、せめて自国の軍隊に「防衛」という名称でも付しておかないと、いつ自国軍がクーデタをおこしたり他国を侵略するかも知れず不安で自信がもてないためではないか。

イギリスやアメリカの軍隊も「国防軍」であり、それを統括するのは「国防省」である。わが国の軍隊も、国際的にこれらの諸国と国軍として同格であるべきであり、その意味でも、自国の軍隊やその所轄官庁を呼ぶのにも「国(防)軍」や「国防省」が適している。

 

 

 

 

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