荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

荒川遊園煉瓦塀を追ってー2

2020年06月12日 | 散文

荒川遊園煉瓦塀跡の南側です。この広い間口が、現在は団地の入り口ですが、旧荒川遊園の南入り口だったのでしょうか?

 

煉瓦塀が続いています。追って行きます。

 

一部煉瓦塀を撤去して、民家が続いています。

 

ここは荒川遊園のモニュメントの跡でしょうか? 冒頭の説明板によると、王子電気軌道株式会社が経営に参画していたようなので、電車のモザイク画があったとか・・・

 

更に煉瓦塀は続きます。

 

この界隈は隅田川の傍なので水害が多かったのでしょう。かさ上げしています。説明板にあった、「煉瓦塀が土盛りの為の土留めとして利用された」好例です。

 

少し煉瓦塀が無くなります。煉瓦塀を撤去して、土盛りをしないで、土地を広く活用した例です。

 

すぐに煉瓦塀が現れます。ちょっと前時代までの家は土盛りをして家を建てています。

 

最近の家は煉瓦塀を撤去して家を建てているようです。水害の恐れが無くなったのですね。

 

煉瓦塀が在ったり無かったりが続きます。

 

ここは土盛りをした家です。

 

先程から気がついているのですが、土盛りをした部分から上は、説明板でいう「イギリス積み」ではありません。新しく積み増したようです。この付近では荒川遊園が造った煉瓦塀は低かったのでしょうか?

 

現在の「あらかわ遊園」入り口に着きました。

ただ今工事中です。

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荒川遊園煉瓦塀を追ってー1

2020年06月12日 | 散文

荒川区に煉瓦塀に囲まれた住宅街があります。西洋の城壁都市みたいな住宅地で、ここは煉瓦門のように見えます。

 

以前にも紹介しましたが、この説明板が令和2年3月に立て代えられていました。これをきっかけに、もう一度紹介します。

 

先ず、説明板を見ます。「この煉瓦塀は、荒川遊園を取り囲んでいた塀の一部です。南端には一対あった門の片方が残っています。」から始まっています。この場所でしょうか? ここは東端と思いますが??

 

続いて、下部の写真を見ます。奥の住宅の向こうには小台橋です。現在立っている場所の近くです。

 

次の絵を見ます。奥に隅田川が描かれています。現在変電所はありませんが、どうやら私は変電所の土地の左端に立っているようです。

 

最後の写真を見ます。私は一度もあらかわ(現在は平がな表記です)遊園へ行ったことがありません。従って、その変遷は分かりませんが、現在と違うことは分かります。現在は工事中なのです。

 

説明板の右手の煉瓦塀を見ます。突き当たりが隅田川です。つまり、上記説明板にあった旧変電所の端っこに立っているわけです。

 

その塀の裏(塀の内)側を覗きます。そこは民家の庭です。冒頭の説明板に記載されているように、煉瓦塀が境界塀として利用されています。

 

後ろ側(門の左手)も覗きます。ここでも民家のお洒落な塀として利用しています。

 

塀の外側に戻りました。左手にも煉瓦塀が、一部途切れていますが、ずっと伸びています。追ってみます。住宅街の外周を行きます。

 

家を新築した時に、こちらを玄関とした為に、煉瓦塀を撤去しています。勿体ないと思う半面、新旧がマッチした風情とも思います。

 

新築の家の端から見ます。角が見えます。あそこまで行ってみます。

 

ここが塀の角です。

 

角から見た煉瓦塀の南側です。これから行く予定方面です。

 

振り返ります。向こうの黄土色の民家の前からここまでやって来ました。

この話、続きます。

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