今週は、自主的に掃除習慣にして、ちまちまと掃除しています。
というのも、探し物が多過ぎる!と思っての一念発起。
いや、そんな大げさではなく、
取りあえず、日々、きちんとしろ、自分、です。
言葉の遅いお子さんやあまり話しをしないお子さん。
そういうお子さんたちがいらっしゃいます。
こちらが伝えたことが、伝わっているのか、伝わっていないのかわからずに、
ヤキモキすることもあると思います。
特に親御さんなどは、「わかっているのかしら?」と不安になったり、
何か、教えなくちゃ、言わせなくちゃ、と焦る気持ちもあるでしょうし、
「これで、コミュニケーションとれるよ!」と言われると、飛びつきたくなることと思います。
でも、その前に、ゆっくり、じっくり、お子さんとお話ししたり、
色々なやり取りをしてみてください。
何も聞いていないように思えるお子さんが、
「これ、ちょうだい」「これ、しまっておこうね」というと、
とことこと行動していることがあります。
同じ年齢のお子さんのように「あのね、ぼくね」「やった!」と言葉で表現していなくても、
顔の表情、身振り手振り、声の高低などでたくさんのことを表現していたりします。
出力の方法が、違うので気がつくのが遅れたり、見逃したりしてしまい、
ついつい、心配が募ることも多々、あることと思います。
で、そんなときに「こんな方法で、世の中のことを教え込もう!」とか「これで会話すればうまくいく!」という
スキルアップ的な講座なんかが目に付くと、ついつい飛びつきたくなります。
私もかつて、支援員をしていたときに、表情にもなかなか出ず、
言葉も少ないお子さんと関わることがあり、せめて、その子の感情がわかればなぁ、と、
感情を温度計で表すワークショップに魅力を感じた時期がありました。
ただ、それは、学ぶ機会がなかったり、あったと思ったら何かと重なり、学ばずじまいで終わりました。
でも、その子とは3年間かけて、ゆっくりゆっくり、話したり、怒ったりしながら関わる中で、
「あ、この子うれしいのだなぁ」ということがじわじわ伝わってきたり、
「ああ、この子がこんなに悔しく、泣きそうなのははじめてかもなぁ」と感じたり。
一足飛びに、わかり合える飛び道具のような気持ちのやり取りは普通ないですよね。
色々なことがわかっていくためには、その子、その子によっっての経験が必要だし、
地道にコツコツ、生きていく中でつかんでいくことだってあると思うのです。
そして、言葉が少なかった子が今では、時々、ラインを送ってきてくれて、
会話するときがありますし、かわいい笑顔のスタンプで、
あら、この子、こんなに喜んでくれたんだわ、と嬉しくなることもあります。
凸凹っ子たちは、神の見えざる手で支配されるのが当たり前のように、
色々なことを教え込まれ、それが唯一の正しい道のように洗脳され、
「NO!」と言う声も跳ね返されて、支配の元でもがいていることがあります。
子どもでも大人でも、凸凹があってもなくても、自分の責任のもと、自由に生きる権利があります。
そのことだけは、忘れてはいけないなぁ、と思うことでした。
というのも、探し物が多過ぎる!と思っての一念発起。
いや、そんな大げさではなく、
取りあえず、日々、きちんとしろ、自分、です。
言葉の遅いお子さんやあまり話しをしないお子さん。
そういうお子さんたちがいらっしゃいます。
こちらが伝えたことが、伝わっているのか、伝わっていないのかわからずに、
ヤキモキすることもあると思います。
特に親御さんなどは、「わかっているのかしら?」と不安になったり、
何か、教えなくちゃ、言わせなくちゃ、と焦る気持ちもあるでしょうし、
「これで、コミュニケーションとれるよ!」と言われると、飛びつきたくなることと思います。
でも、その前に、ゆっくり、じっくり、お子さんとお話ししたり、
色々なやり取りをしてみてください。
何も聞いていないように思えるお子さんが、
「これ、ちょうだい」「これ、しまっておこうね」というと、
とことこと行動していることがあります。
同じ年齢のお子さんのように「あのね、ぼくね」「やった!」と言葉で表現していなくても、
顔の表情、身振り手振り、声の高低などでたくさんのことを表現していたりします。
出力の方法が、違うので気がつくのが遅れたり、見逃したりしてしまい、
ついつい、心配が募ることも多々、あることと思います。
で、そんなときに「こんな方法で、世の中のことを教え込もう!」とか「これで会話すればうまくいく!」という
スキルアップ的な講座なんかが目に付くと、ついつい飛びつきたくなります。
私もかつて、支援員をしていたときに、表情にもなかなか出ず、
言葉も少ないお子さんと関わることがあり、せめて、その子の感情がわかればなぁ、と、
感情を温度計で表すワークショップに魅力を感じた時期がありました。
ただ、それは、学ぶ機会がなかったり、あったと思ったら何かと重なり、学ばずじまいで終わりました。
でも、その子とは3年間かけて、ゆっくりゆっくり、話したり、怒ったりしながら関わる中で、
「あ、この子うれしいのだなぁ」ということがじわじわ伝わってきたり、
「ああ、この子がこんなに悔しく、泣きそうなのははじめてかもなぁ」と感じたり。
一足飛びに、わかり合える飛び道具のような気持ちのやり取りは普通ないですよね。
色々なことがわかっていくためには、その子、その子によっっての経験が必要だし、
地道にコツコツ、生きていく中でつかんでいくことだってあると思うのです。
そして、言葉が少なかった子が今では、時々、ラインを送ってきてくれて、
会話するときがありますし、かわいい笑顔のスタンプで、
あら、この子、こんなに喜んでくれたんだわ、と嬉しくなることもあります。
凸凹っ子たちは、神の見えざる手で支配されるのが当たり前のように、
色々なことを教え込まれ、それが唯一の正しい道のように洗脳され、
「NO!」と言う声も跳ね返されて、支配の元でもがいていることがあります。
子どもでも大人でも、凸凹があってもなくても、自分の責任のもと、自由に生きる権利があります。
そのことだけは、忘れてはいけないなぁ、と思うことでした。