日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

丁寧にほぐす。

2015-05-31 19:49:26 | フォイヤーシュタイン
 明日から6月ですね。
2015年も半年が過ぎたのか~と思うと、驚きです。

 きっと、後5ヶ月したら、
「もう12月だなんて!」と書いてるな、私。

 『「このままでいい」なんていわないで!』という、フォイヤーシュタインについて書かれた本があります。



 フォイヤーシュタインを実践した子どもについてや教材の意図について書かれた本です。

 今、この本を読み直しています。
しかし、頭の中にきちんと具体化されて入ってこないので四苦八苦しています。
でも、大事なことが書かれていると思うので、努力しながら読み直し中です。

 例えば、こんな記述があります。

 認知機能不全の調整は、個人のすべての学習能力の変容において
最も重要なことであるため、すべての教材に含まれている。
機能不全は個人の欠陥や、またその人の行動の不変的な性質として見なされるべきではない。
むしろ、それらは何らかの理由で、
学習課題との間の相互作用の方法が不十分であるとして考えられるべきである。

 教える立場から、認知機能不全は、心的行為の三つの段階に分類することができる。
(イ)入力
(ロ)精緻化、そして
(ハ)出力である。

 「入力」は問題の解明に必要な情報を収集する、個人的行動の段階である。
情報は、外部および内部の情報源から収集される。
「等間隔にある四つの点を見るとき、正方形の概念をそれらの点に投影するために、
自分の記憶の中にある必要な情報を付け加える。」
その他の活動についても、認識し、識別し、関連付けをするために、
二つの情報源(内部と外部)は結合されなければならない。

 入力における不全は、しばしば注意力についての不適切な投入に起因し、
知覚が不鮮明でまばらなものになってしまうことである。
入力段階での不全は試行錯誤、知覚するや否や衝動のままに反応する行動、
かつ非体系的なアプローチに反映されるのである。
目の前の課題の、ある特定の要素にほとんど注意を払わなかったり、
ある要素に必要以上な鋭敏さで焦点を集めるのである。

 不全の原因は、さらに、正確さに対する欲求が極めて低いか、
あるいは必要な概念(例えば上、下、右、左、以前、同じ、異なるといった空間と時間に関する概念)が
欠如しているか、それともその概念を応用しないことにある。

 教師にとって、入力における不全を克服するための教育上の最大の難点の一つは、
生徒が同時に二つの情報源を統合しない場合に起こる。
それらを統合し、全体の構成部分として知覚する代わりに、
その情報源を一つずつ分けて扱うのである。

 入力時のもう一つの問題は、
物体の要素の一部に変化が起きても、物体そのものは不変であることを理解できないことにある。
正方形の位置を回転させても、それを一定不変のものとして知覚することは、
正方形が他の図形と混ざりあっているときにその正方形を識別する上で必要なことである。
同様に正方形の一部に対角線を引いた場合でも、見慣れた向きに正方形を認識する傾向にあるため
正方形を見極めることが困難になる。
それゆえ、正方形固有の要素を教える必要がある。



 この部分を読んで、フォイヤーシュタインの課題(FIE)の中の「点群の組織化」をするときに、
自分の頭の中で起こっていることと照らし合わせると、

 点の中からどんな形を見つけるかをモデル図形によって情報を得る。
得た情報を分析し、形をしっかり把握するために、モデル図形に名前をつける。
点が重なりあったり、モデル図形の向きが変わっても惑わされずに点をつなぐ。
似た図形ができそうでも、頭の中で仮想の線を引きながら大きさを比較する。

などと、色々なことを頭の中では行っているのですね。

 そして、この課題が難しい場合、
上記で記した、入力段階でのつまずきが見られることを意識する。
具体的に、どんな入力のつまずきかも推察する、ということも必要なのですね。
更には、そのつまずきを取り払うための手だてを考える。

 もつれた何本ものネックレスの細いtチェーン。
所々かたく結ばれているチェーンを丁寧にほぐしていく、
そういうことが必要なのだな、と再認識しながら、
では、どんな、どうやって…と頭の中をぐるぐる駆け巡る、休日でした。

 
 

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指導。

2015-05-30 22:03:31 | 発達応援
 久しぶりの雨です。
ふと、思い出すと今週は仕事に行ってバイクを停めたら、
バイクのヘルメットホルダーにヘルメットをぶら下げていました。

 雨も灰も気にならない、良い1週間だったんだなぁ、と
今更ながら、お天道様にありがとーーーー!という気持ちです。

 中学校で支援員をしていたとき、こういうことがありました。

 普通クラスにいる子どもでしたが、こだわりが強く、
色々なことで固まったり、同級生ともトラブルを起こしていました。

 その子は学校の中の掲示物がまっすぐに貼られ、
四隅は画鋲4つでとめてなくてはいけない!というこだわりがありました。

 そんな風なので、学校内でも少しでも曲がった掲示物は、
気がつけば貼り直しをしている、そんな子でした。

 あるとき、教室でその子が暴れている、と同じクラスの子たちが呼びにきました。

 その子は同級生に飛び蹴りか何かをして、
怒った飛び蹴りをされた子に殴られ、負けそうになり両手をぐるぐる回しながら、
同級生を追いかけ回した、ということでした。

 どうして飛び蹴りをしたのか、理由を聞いても、
元々、あまり話しをしない子で、たまに話しかけてくるときは一方的に自分の話したいことだけを話す、
コミュニケーションが上手くない子どもでした。
聞けども聞けども、ただただ涙をぽろぽろぼろぼろ流すだけ。
理由が分かりませんでした。

 コミュニケーションの上手い子ではありませんが、普段はとてもおとなしい子です。
部活もして、クラスでも悪ガキの中心にいるような子に、飛び蹴りするなんて考えられないことでした。

 先生方が、入れ替わり立ち代わり、理由を聞いていると、
一部始終を見ていた、同級生の子が話しをしてくれました。

 なんでも、飛び蹴りをした子は昼休みにクラスで気になる掲示物の貼り直しを
ひとりぶつぶつ良いながらやっていたそうです。

 そこへ、クラスの悪ガキ数人が、
「こっちの掲示物もっ変だよ。」「あっちはしないの?」と、
わざと掲示物を歪ませていたそうです。

 自分のこだわりで、クラスの中の掲示物の貼り直しをしていたのに、
悪ガキたちが何度も貼り直しをした掲示物を歪ませて、
掲示物の貼り直しをいくらやっても終わらずに、
ついには、飛び蹴りに至ったようでした。

 悪ガキたちとはいえ、飛び蹴りなんかをしたことについて十分反省をさせました。


 それと同時に、悪ガキたちも「何をしていたか?」ということを、
ひとりずつ聞いていきました。

 そして、掲示物を直して回るのがおもしろい反応ということで、
結託はしていないものの、みんなで何となく繰り返したということでした。

 このような、何かこだわりを持つ子が、
学校の中ではからかいの対象になったり、利用されたりすることがありました。

 こういうときに、いつでもどこでも見守られている訳ではありません。
同級生が代わって状況を話してくれるとは限らないのです。

 こういうこともあるので、
自分が言いたいことをメモする習慣、言いたいことを上手にいうってことは、
発達障害が有る無しに関わらず、大事な視点だなぁ~と思いました。

 言いたいことを言えるようにするっていうのは、
とても大事なことかも…、そんなことを考えた一日でした。

 そして、指導する側も
何があったのかを知るだけでなく、何が引き金かを注意深く観察し、
適切な注意を心がける必要性を、しみじみと考えたこの週末でした。


 
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フットバス。

2015-05-29 23:25:19 | アロマテラピー
 早朝の仕事後、家に帰り洗濯をし、歯医者さんに行くと
テレビで口永良部島で噴火があり、火砕流も流れたと言っていてびっくりしました。

 桜島の噴火が毎日にあり、噴火といわれても「ふーん」としか思わないのですが、
口永良部島での噴火の様子や避難している人々を見ていると、
「ふーんじゃないぞ。」と思いました。

 私はいつもの日常が保証されているような気で日々過ごしているのだなぁ、と
つくづく思うことです。

 今日はアロマトリートメント前のサービスメニューのフットバスのお湯を分けてもらいに、
早朝、一緒に仕事をしている、蒲生にある秘湯米丸温泉の女将さんのもとを訪ねました。

 川を渡り、木々に囲まれた細い小径を行くとその温泉はあります。
温泉は「とげ抜きの湯」として知られていて、
不思議なことに、温泉に浸かると色々な作業で皮膚に刺さった刺が出てくるそうで、
受付のところには、刺さっていた刺が抜けたと持ってきてくれたものが飾って(?)ありました。





 刺だけではなく、狩猟中に誤って散弾銃で撃たれた方が、
腕に残った弾が手術不可能といわれ、ここの温泉に浸かっていたところ、
徐々に弾の場所が動いて、皮膚の表面に近いところに出てきて、
無事に手術で弾を取ることができたというエピソードもあるそうです。

 さらに不思議なのは、刺さった刺は刺さった場所が隆起して出てくるのではなく、
刺さった場所から、更に皮膚の中に入り、反対側や別のところから出てくるそうです。
骨や筋肉、血管や神経も通る体の中。
一体、どうやって別の場所に行き着くんでしょうね、摩訶不思議です。

 そういう不思議な温泉ですが、
湯冷めをしにくく、体を温めてくれる効能もあるようなので、
モニターのアロマトリートメントが終了した時点で、
「フットバスに使いたい!」と温泉の女将さんに相談したら、
にっこり快諾してくださいました。

 実際、温泉にも入りましたが、色が濁った温泉で、効き目もありそう!
たまたま、ぬるめのお湯でしたが、浸かっているとあるときからぶわっと汗が出てきて、
その後、バイクで15分ばかりの道のりを帰り、更に遠出もしましたが湯冷めもしませんでした。

 初めての方や体が弱っている方には、
1時間以内であがってくれるようにお願いしているそうで、
それだけ、温泉成分が濃厚なのでしょうね。

 私の細々と営むannonのアロマトリートメント、秘湯のフットバスでお待ちしております

 



 
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トレーシングペーパー再発見。

2015-05-28 18:01:04 | 日記
 テレビが壊れて10日あまり経ちます。

 昼間、テレビを入れることはほとんどないので、不自由しなかったのですが、
朝のテレビは私にとって時計の役目を果たしています。
「このコーナーだからだいたい何時!」と時間を見ずとも時間が計れるので、
音だけ聞いて、弁当を作ったり、準備をしたりしています。

 そんなふうなので、テレビがない間は時間に余裕を持って、ちょっと早めに起きるようにしていました。

 ないならないで済むんですが、修理が済んでちゃんとつくようになりました。
久しぶりのテレビは少し賑やかで、それはそれでよいものですね。

 昨夜は高田ケラー有子さんというデンマーク在住の造形家の方の講演会に行きました。
トレーシングペーパーを使った作品を作っておられて、
その作品は、トレーシングペーパーの持つ透明なような不透明なようなとても不思議な素材感があり、
大きいのに(たぶん)圧迫感がなく、自分の家の天井が高かったら吊るしたい!と思うものでした。

 不謹慎かもしれませんが、
お盆を意識する季節に仏具を扱うお店で、
盆提灯の見本がほぉ~っとした灯りを照らしながら、たくさんゆらゆらしている光景が好きなのですが、
それに近しい感じを受けて、高田さんの作品とてもいいなぁ~と思ったのでした。

 本題は、作品のことではなくデンマークでの暮らしについて。
福祉や教育のお金がかからず、真っ平らなデンマークの国土さながら、
人々も競争や勝ち抜くということとは無縁な感じで暮らしているというような、
高田さんの目を通したデンマークの暮らしぶりについて語られたものでした。

 小学校~中学校に当たるところで、0年生という仕組みがあったり、
中学校卒業するくらいの9年生の後10年生というのが選べたり、
大学も無料だったり、返さなくて良い奨学金があったり、
「へぇ~」と知らないことがたくさんでした。

 また、最低の所得税が48%で消費税も20%というのも、
教育費無料、医療費無料、色々な福祉の恩恵があるのだからそうなんだろうな、という感じでした。

 デンマークの人々は、他人が受けている恩恵について、自分がそれを受ける立場にないとき、
うらやましがってみたり、ひがんでみたりすることがない国民性という話しは、良いなぁ~と思いました。

 たくさんのデンマークの福祉や教育の良い点も聞けた講演会だったのですが、
高田さんが冒頭で自己紹介も兼ねて話された、
自分の作品を表現するのにトレーシングペーパーという素材に行き着いたことや
複雑に見える作品が三角形を何万枚も組み合わせて作られている、ということに私の頭は持っていかれました。

 そんなわけで、ボンドとトレーシングペーパーであんな作品になるなんて!という
気持ちのわくわく感でいっぱいで、今日は家にあるトレーシングペーパーを矯めつ眇めつすることでした。


コメント (6)
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進歩後退の日常。

2015-05-27 17:35:23 | 日記
 家の中を吹き抜ける風も生温く、
猫たちもそれぞれ暑そうに伸びていたので、
私としては今季初!エアコンのスイッチを入れました。

 ひとりで涼むのは、なんだかもったいない気もしますが、
毛族の3猫と共に涼むのなら、苦しゅうないだろう、と勝手に妄想です。

 エアコンを入れて、乾いた冷たい風が部屋の中を駆け巡ると、
一番長毛の桃ちゃんは、なぜか居間と廊下の間の引き戸の前で、
目に見えぬ何かに阻まれているかのようにぴくりとも動かず、涼しい部屋には入ってきません。

 涼しい部屋で涼んでいた毛深めのちぃは、引き戸を開けて出て行きました。

 梅ちゃんは、私の膝の上で丸くなっています。

 エアコンが欲しかったのは、私だけですね。
私のためだけにエアコン入れて涼みました。

 猫って、まぁ、暑さには強いのだわ、と再認識。

 ふと、考えると、
昨日のインスタントラーメンではないけれど、親に教えられたことは、
親から離れて、30年になっても染み付いているものだな、と驚きます。

 私は、家の中でも察しながら生活するということを、
親元に居るときに割と身に付けさせられたなぁ、と思います。

 小学4,5年生の頃、振替休日か何かの日に、私は漫画だか本だかを読んでいました。
午前中だったので、母は洗濯をし、掃除をして…と日常のことをしていたのですが、
そのとき、母が
「あんた、よく、人が掃除したりしているときに本かなんか知らんけど、読めるね。
仕事をしている人が居たら、手伝うのが当たり前でしょう。
それもできないくらいの今読まんとけ死ぬような本ね?!」と言われました。

 私は全く悪気もなかったのですが、言われてみれば、
掃除してる人の横で、ごろりとなって本読んでるのはどうかと思い、
掃除が終わってから本はよめばいいし、と思い掃除を手伝いました。

「言われんとできん!」とぷいっと別のところの掃除に行く母を、
ばつの悪い、ざらりとした心持ちを抱えながら掃除をしたのを覚えています。

 考えてみると、万事がそういう感じで、
相手の人にも必要そうなことはする、しないまでも一声かける、
断るのは相手の自由だから、それについてつべこべ言うのは押し売り、
そんなことを言われながら育ったように思います。

 だからといって、察しの利く人になってかは疑問で、
人並みに、ああしたほうがいいかな、こうかな?いや引いたほうがいいな、くらいを考えてるに過ぎません。

 それでも、例えば、早朝の仕事で、
「ああ、ここはこっちが先のほうがいいだろうな。これ後だと、ボスは機嫌悪いだろうな」などと、
考えながら仕事をしていると、
なーんにも考えずに「なんで、今、それ?」という仕事をする方にため息が出たり。

 でも、これは、私が勝手に察したことを勝手にだれかに押し付けてついているため息ですね。
難儀なこっちゃ、です
 
 察するなどというのは、小さな家庭の中では生きますが、
社会の中で自分がして欲しいことなど察して欲しいのは山々ですが、
察してもらうことなんて不可能に近いし、
勝手に察せられてへんてこな方向に導かれるのを断るのも面倒なので、
言葉にして伝える方法が一番だな、と今は思っています。

 そんな風で、今は、少し、早朝の仕事も横着をして、
何も見ず、流れに任せてしてみたりしています。

 でも、ぐだぐだなると、いらっとくるので、
やっぱり、時々、「優先順位、そっちじゃないじゃん!」と叫んでいます。

 色々、日々進歩、後退の毎日です。
 
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