銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

週末は画廊巡り=ちくま新書が出版された陰に、Mr.笠松(東大卒? 筑摩書房勤務)が居た哉? 林文子市長は嘘の条例で弟をいじめた。why?

2024-01-21 20:01:18 | 政治

 このブログですが、最初の総タイトルは、

*a)【坂倉準三氏と大谷石・・・秋葉原のホテルの話+渋谷郵便局での警察の独特なだまし方】でした。が、22日の午前0時半に次のものへと変更しました。

*b)【山本冬彦さんの【週末は画廊巡り】が、出版された陰に、笠松敦子さんのご主人(東大卒?)が居た哉?】で、午前2時半に、少し、語彙を変えて、

*C)【週末は画廊巡り=ちくま新書が出版された陰に、Mr.笠松(東大卒? 筑摩書房勤務)が居た哉?】

*d)【酒井忠康氏も、水沢勉氏も加わっている焚書坑儒の話】

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*1)

 皆様は、大谷石の採掘場跡地へいらっしゃった事が、おありですか? 凄い異界となって居て映画やドラマのロケが行われているらしいです。側に博物館 小さいもの  があって今、建築資材としての大谷石は、流行って居ないらしいのですが、明治 大正期は、大流行して居たらしくて それは父が日吉で家を建てるころにも続いて居ました。然し、今改めてWikipediaを参照すると、最盛期は、しょうわ四十年代だそうです。父が日吉の家を建てたのが、昭和五十一年だから流行の最中だったのでしょう。大量に使って土止めをして居ます。西隣も同じ形式でした。栃木県 大谷地方で、地下に大谷石が有るとなった地主は、それこそ映画ジャイアンツで、石油を当てたジェームスディーンみたいな富裕化があったそうです。

*2)

   ここまで、わたくしは慣れないスマホで、やっとこさっとこ入力したのです。夜8時から8時半ごろまでかかって。場所は湘南新宿ラインの相鉄線乗り入れ車両の中です。Nishi-Ooi という駅名は、ちゃんと認識したのです。それと、渋谷で電車に乗る際にも、「絶対に武蔵小杉で、降りるのよ」と、自分に言い聞かせました。しかし、上の文章を書いているだけで、乗り過ごしてしまったのでした。今は、11時ですが、どこにいるかというと、馬車道のリッチモンドホテルです。

*3)

 さて、大昔は秋葉原のワシントンホテルばっかり利用していたのですが、何回目かの宿泊の際(2010年8月だった)「貸しパソコンを持ってきてください」と、真夜中午前1時ごろ、フロントに頼んだら、なんと、その三年前に渋谷郵便局の二階で、私を精神病院へ入れてやろうとするたくらみを実行した警察の人間と同じ人が、ワシントンホテルのフロントマンらしい形で、わたくしのへやを訪れたのでした。背が高くて、目が大きい当時40代前半の青年でした。渋谷郵便局で何が起きたのかの話は、次の節で、行います。が、ワシントンホテルで、2010年8月に現れた男の目的は、何だったのでしょうか? わたくしを何らかの形で、脅かすのが目的か? それとも、渋谷郵便局での、3年前の彼の狼藉(ただし、彼は、命令された通りのことをやっているので、自分が行っていることを狼藉だなんて、思ってもいないでしょうが)を、わたくしが覚えているかどうかを確認するためだったのでしょうか?

 わたくしは、こういう時に、非常に太っ腹で、落ち着いているのです。そして、あれこれ、考えますが、最上の方法で、対処しようと試みます。まず、一手法としては、彼に向って、あなたって、1997年9月27日の早朝六時に、清掃員の格好をして、わたくしが送付の仕事をしている机の周りをうろうろしていた人ですね」というのが、一つ。

 第二は、それがわかっていても、何もしゃべらないという形。わたくしは、むろん後者を選びました。

*4)

 渋谷郵便局(宮益坂)の二階で、何をしてかというと、わたくしの四冊目の自著、【伝説のプレス】の郵送をしていたのです。渋谷郵便局で、26日の午後二時ごろから始めたのに、まったく終わらなくて、27日の午前6時もまだ同じことを続けていたのでした。彼が警察官であるということは、渋谷郵便局の局員の態度の急変で、わかりました。その日、わたくしは、主人に対して、メモで、「渋谷郵便局で、本の発送をするから、遅くなります」と書いてきています。この本は、画廊巡りの話なので、政治には、まったく関係がなくて、安全なはずなのに、編集作業がめちゃくちゃに邪魔をされ、自分の家でできない形だったので、外で、仕事をするので、一冊五千円ぐらいかかっています。でも、非常に真剣だから、それでもいいのでした。だけど、それ以外の部分は、倹約していて、お洋服など、まったく買っていなかった時期です。でも、誇りは満々でした。

 でね。夜9時までには、絶対に帰れないと、いう見込みが立った時点で、主人に電話をかけて、「友達が留まっていきなさいというから、今日は帰れないわ」と、告げました。これは、一応嘘です。だけど、メモを置いているから、理解してくれるだろうと、思っているのに、まったく連想が、発せられなくて、ぎゃんぎゃん怒り出すのです。

*5)

 でね。仕方がなくて、こう言ったのです。「一冊目は、自宅に届けてもらって、400冊だったけれど、ハードカバーだったので、製本屋のスタッフに、重いって、いって、大きく怒られてしまったでしょう。130弾も石段があるから、仕方がないよね。だから、二冊目と三冊目は、大町の三橋ビルにある、あなたのオフィスに届けてもらいました。だけど、この四冊目は、それをやりたくなかったのです。三橋ビルだって、13段の階段で、二階に上がらないといけないっでしょう。だから、渋谷郵便局で、発送をしているのよ。だけど、600冊分は、まだ、終わらないから郵便局で、徹夜するのです」とまで、丁寧に、説明すると、やっと、納得してくれたので、主人に対する誠実さは、果たせました。心配をさせたくないとは、いつも思っています。

 しかし、その電話以降、郵便局の人の態度が突然に変わったのです。午後三時から、宅急便の、申込用紙を書いては、20冊分のお金を払い、それを、10回ぐらい繰り返したのちには、10冊分を、10回ぐらい繰り返して、次には、5冊分を10回ぐらい繰り返してとなり、毎回、毎回、宅急便のカードと、おかねを支払うわけで、「ああ、ずいぶんしんどいことをしているなあ」と、同情をしてくれていたのでした。というのも一つ一つに、短いお手紙を、相手によって、違う文章で書くわけです。それが大変なのですが、すべてに誠実を尽くしたいと願っているのでそれをやるのでした。ところが、主人に電話をして、本の発送をしていると、いったとたんに、郵便局の人の態度が、意地悪になり、二階の右端にあった、トイレ方向への廊下に入るドアが、閉められてしまったのです。大繁華街の渋谷といえども、宮益坂近辺のレストランは、すべて、夜11時には、しまってしまいます。しかも本って、ものすごく重くて、もって外には出られません。ものすごい心痛と苦労でした。

 わたくしが、人気者になると、いうことが忌避されているのを知りました。それでね。できるだけ、トラブルを避けたいので、本を発送しているなどとは、電話では言いたくなかったのです。しかし、主人が、どうしても、鈍感で、表に見えることしか信じないたちなので、こういう苦労をわたくしがするという形になります。

*6)

 ところで、この郵便局員の態度の急変によって、自分を狙うのは、警察であると、はっきりと悟ったのです。というのも、携帯を持ち歩かない主義のわたくしは、渋谷郵便局の目の前に当時は、あった、公衆電話ボックスから、自宅へかけています。その電話で、どうして、郵便局員が、意地悪になるのでしょう? むろん我が家の電話は北久里浜における、横須賀市所有の水道山1200坪が、地積変更届の仕組みを利用して、益山重夫夫妻に、ただで、譲渡された日以来、ずっと、盗聴をされていたと今ではわかっています。というのも益山重夫という人物は元海軍参謀で、瀬島隆三が、元陸軍参謀で、大親友だそうだからです。

 瀬島隆三は、戦後のCIAエージェントの中で、最も大物だとされる人物で瀬島機関というものを擁し、反体制人間をつぶしていくと、いわれています。しかし、わたくしが見るところ、瀬島機関というのは、伊藤忠勤務の中から、これはという優秀な人間を数人、選び出して、対わたくしを、宣撫するのに使ったりしていますが、私と対面しない人物、または、対話しない人物としては、主に警察官を使っているのだと、判断をしています。

 でないと、どうして、渋谷郵便局の局員が、急に意地悪になるのですか? 本を発送しているから、今日は帰れませんと、いった自宅への電話だけで、どうして、渋谷郵便局の局員が意地悪になるのですか?

 渋谷郵便局の局員は、警察からの、「目の前にいる人物は、隠れテロリストですよ。気を付けてくれ」という電話を受けて、急に意地悪になったのでしょう。瀬島機関の○○です。と名乗った、人物からの命令で、同じ事を言われても,あれほど、俊敏に態度を変えるとは思えません。

*7)

 しかし、読者の皆様の中には、「警察が登場する話は、聞きたくない。特に、わたくし(=このブログの著者)が、警察に、いじめられているという話はもう聞きたくないよね。うんざりだ」と、おっしゃる方も、多いでしょう。で、ここで、急に東大の話へ移行をします。山本冬彦さんという銀座画廊街、特に貸し画廊街では、有名な目利き、にして、コレクターである人がいます。

 この人が東大卒なのです。この章では、東大が、えらいという意味ではなくて、東大卒から、どうも私がいじめられているらしいという論点で話を進めます。で、東大、東大という語彙が、頻発するので、東大を受験したが、不合格だったという方々には、不評だと思います。しかし、すみませんが、どうか、読んでやってくださいませ。

 山本冬彦さんは、新卒時、三菱レーヨンに勤務しそこで、定年を迎えた模様です。三菱レーヨンは、もちろん、一部上場企業ですが、単純に、一流企業というだけではなくて、工員さんという雇用形態がない企業特有の、高い年収を、社員に与えることのできる企業です。補助事務をする女性たちの給料は低いかもしれないが、今は、一流企業でも、補助事務は、派遣社員で、済ませているところも多いらしくて、工員のいない企業の正社員の給与は、極めて高いのです。わたくしの想像ですが、化学メーカーって、三分の一が研究職、三分の一が、プラントの運営管理、三分の一が、営業や、総務だと、推察しています。

*8)

 銀座の奥野ビル(レトロな趣のあるビル)の、山本冬彦さんのオフィスは、狭いので、家賃が、10万円前後でしょう。しっかりした居室だと、50万円を下らないと思いますが。で、冬彦さんの、お小遣いは、月20万円ぐらいだと思います。5万円をコレクション代にしても、一年で50点を蒐集できます。作家が新進の時代に買えば、一点が、一万円で買えますので。今、78歳ぐらいの冬彦さんが、1000点の作品を収集しているそうですが、上の計算だと、1500点買えるわけですが、それが、1000点ということは、一作品が高いケースもあったと、推察されます。

 わたくしは冬彦さんの坊ちゃんという方にあのオフィスで、あったことがあります。品の良い青年でした。やや、線が細い。そのお顔を見ているうちに冬彦さんの奥さんって、東大時代の、知り合いかもしれないと、思い当たりました。妻が東大卒だったら、何らかの職業についている可能性があります。奥様が、東大卒ではなかったとしても、山本冬彦さんが、普通の形の結婚をしたと仮定すると東大卒の恋愛の相手は、東京女子大か、津田塾となります。または、聖心女子大。もしお見合い結婚だと、仮定すると、お相手の卒業大学は多岐にわたります。女子美とか、武蔵野音大など、また、ICU、慶応、早稲田も、含まれてきます。仮に奥様に収入があると仮定すると、冬彦さんの、蒐集用お小遣いは、ボーナスも入れて、年に、250万円ぐらいになり、一生で、7500万円となります。年金時代に入ると、少なくなるでしょうが、と、同時に美術評論家としての、企画料などの、抽象的な分野での収入が増えてくるでしょうから、蒐集用、お小遣いを減らす必要は、なくなります。

 もし親の家が、山手線内にある、そういう家柄だと、家を建てる費用がいらないので、(リフォームをするとしても、土地代が要らない)さらに、心理的な余裕が生まれ、今、彼が誇っている、有名な作家の作品を含んでの、1000点、というそれだけのコレクションも、悠々できる立場ですねと、なります。

 もし、山本冬彦というのが、ペンネームだと、仮定をして、山本夏彦家と、奥様か、自分が関係があるとすると、夏彦さんの、家の資産も活用できるとなります。しかし、これは、ないでしょう。あまりにあざといので、ないと思います。ただし、山本夏彦さんの本当の坊ちゃまが、2011ねんには、ホテルチェルシー(23rd st インNY)に、引きこもりに近い形で、住んでいたことを知っているわたくしとしては、冬彦さんが、夏彦さんの息子ではない・・・・・だろう・・・・と、確信をしています。ただ、本当の坊ちゃまが社会人とか、職業人としてはさえない人なので、夏彦家の、お嬢さんと結婚をしたから、夏彦さんから、お許しが出て、冬彦を名乗ったと、いう可能性はあります。?????

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*9)

 さて、さて、ここで、本当に問題なのは、わたくしが、苦労に苦労を重ねて【伝説のプレス】を、準備している同時期に、同種の書物【週末は画廊巡り】が、筑摩書房から、ちくま新書として、出版をされたということなのです。

 これは、伊藤玄二郎+、井上ひさし、そして、東京住まいの、CIAエージェントのすべてにとって、橋頭保だったと思います。これこそ、彼女(=このブログの著者、雨宮舜=本名、川崎千恵子)に勝つ、最大にして、最高の手段なのだと、確信を与えたことです。

 しかし、実は、内容としては、わたくしの文章の方が香華は高かったのですよ。冬彦さんのものよりもね。だからこそ、山口みつ子さんが殺されたのです。これが、また、非常に切ない話でね。語るに語れないのです。でも、わたくしは、美術評論をやめてしましました。このいきさつは、ナンバーアルファ節に続けます。

 ここでは、急にですが、銀座から、鎌倉に戻ります。

 しかし、わたくしの敵さんたちは、わたくしの力が、(2010年の2月から、画廊をやめる)、山口みつ子さんと連帯し、より、強くなることを恐れて、みつ子さんを殺したのでした。

 だからこそ、鶴岡八幡宮様の大イチョウが2010年の3月に倒壊したのでした。同じ、2010年の、一月17日に山口、みつ子さんは、殺され、そして、毎日新聞が、自殺と、訃報を書いたそうです。大イチョウ倒壊は、3月4日だったかなあ? 真夜中でした。午前3時ごろだったかなあ。大音響は聞こえて、目が覚めました。

 嵐でもないです。それから、病変もないです。だって、倒壊した後から、ものすごい数のひこばえが、生えてきて、それを、有力者に、差し上げたと思いますよ。銀杏を育てられるほどに広いお庭があるお宅にでしょうが。

 それほどに、山口みつ子さんを殺したことを、天は、お怒り召されているのですよ。

*10)

 さて、ここで、冒頭にあげた坂倉準三設計の、鶴岡八幡宮、ない、旧・神奈川県立美術館・本館に戻ります。*10から、突然に間を、すっ飛ばして、美術館へ戻ります。

 平家池に生える、白い箱型の建物です。

 2022年、【鎌倉殿の13人】が、大河ドラマとして放映をされていた時期には、この旧美術館を、鶴岡八幡宮様は、【鎌倉殿の13人館】と、呼びました。しかし、観客数は増えなかったと思います。鎌倉殿の13人は、大泉洋が出ていますね。これも、問題があるのだけれど、一番の問題点は、この外壁が、大谷石の上を新建材で、覆ってしまったことにあります。

 それこそ、明瞭にわたくし攻撃でした。

 下の写真を見てください。弟が、実家を売った後に、三軒に、分割されて、一軒が7800万円で、売り出されあっという間に売り切れたそうです。

 土留めを見てください。大谷石です。1951年の築土です。当時の東急は、不動産部門が、わかれていたかどうかは、知りませんが、山そのもので売ったのでした、で、平らな部分は、80坪程度しか、なかったでしょう。それを父が大谷石で、築土したのです。それが、二枚のうちの下の方の写真です。

 

黒い部分は、晴れた日に、前のマンション(二階建て、8戸のマンション、亀山ろうそくの社宅だった)の陰ですが、目視に近い形で、直しました。

 ここから先、2000時ぐらい書いたつもりなのに、消えています。ものすごく重要なところだから、徹夜明けで、苦しい苦しい状態ですが、再び書き表しましょう。

 まったくおなじ、大谷石の築土なのに、新築物件が三軒もたっています。しかし、弟が、建て直そうとして、横浜市に相談をすると、「大谷石は、弱いので、築土をやり直さないと、新築物件は建てられません」と言われたそうです。横浜市の条例だそうです。でも、上の方の写真をご覧ください。実際に全く同じ築土(=大谷石で、12段)をそのまま使って、新築物件が三軒もたっています。つまり、林文子市長は、嘘をついたわけです。きっと、伊藤玄二郎たちが発案して、それを、松尾崇・鎌倉市長経由で、林文子横浜市長に、新しい、嘘の条例を作らせたのでした。

 ところで、こういうことを全部わかっていたのですが、なかなか書けません。特に弟が、実家を売った後で、その理由として、大谷石が、弱いからと、言われたと、私に教えてくれたので、後の祭りです。

 さて、旧、神奈川県立美術館、本館ですが、大谷石の外壁を新建材で、覆ってしまったのは、むろん、私のブログが原因だったのです。

 この美術館には、中庭があって、そこにイサムノグチの愛らしい彫刻(こけし風の男女)が、置いてあります。その周辺の壁は、まだ、大谷石が、残っている筈です。しかし、降格と、それも覆われてしまうかもしれません。

 で、ともかく、元の美術館の写真が、【白い小箱】という書物に出ている筈だと、思いながら、ホテルで、午前三時ごろ、突然に、それも盗まれている可能性が高いと、気が付いて、全く寝ないで、朝五時にホテル発で、帰って来て、点検したら、無いです。

 これは、アマゾンでも買えないです。どこにも形跡が残っていない。眉村卓のミステリー小説で、同タイトルのものがあり、で、盗んだのは、プロの画家です。ただし、井上さん(ペンネーム、岸田淳平)ではないです。名前を伏せている画家の方は、我が家の合いかぎも持っているし、こういう盗みをすることによって、お金をもらっていると思います。この日本って、本当におかしい国です。ところで、白い小箱、または、白い箱を、盗む様に、彼に命令した人物は、酒井忠康氏でしょう。で、酒井氏から、直接か? 間に誰かを挟んだ、可能性は、有りますが、ともかく、盗まれており、かつアマゾンでも買えないです。これは、本当に焚書坑儒の典型であり、かつ、工事は、鶴岡八幡宮様依頼という形で、行われていますね。だから、八幡宮様に、参拝客のお金が少なくなったのです。(あと註1の説明にあたる章が、これ)

 寝不足なので、説明不足を、そのままにして、突っ走ります。リンク先も示さないで蛇足に入ります。

(蛇足1)

 笠松敦子さんが、敵の陣営の、人となってしまったのが私に分かったのは、1997年に、山本冬彦さんの【週末は、画廊巡り】を、手に入れてからでした。この書物ですが、全く知らなかったのです。すると、奥野ビルの或る画廊(オーナーは、男性で、五階の北側に、位置する画廊、2ブースか、3ブース借りている男性)で、オーナーから、これ読んでみてと、渡されたのでした。もちろん、山本冬彦さんは、そのビルの三階にいるわけで、その人とは、ご近所様だから、冬彦さんが彼に頼んだ可能性もあります。しかし、違うと思います。冬彦さんの坊ちゃんのお上品な様子から考えて、「自分の方が勝っている本だから、負けているあんたも、これを読みなさい」と、そういう風に冬彦さんが、出てきますか? まるで、中学生の番長みたいではないですか? 東大卒の人が、それほど、子供っぽいしぐさで、対応しますか? しないでしょう。鷹揚に構えて、私の事なんか気にしないと思います。いや、笠松敦子さんの夫が東大卒だとは、だれからも聞いたことがないのですよ。

 しかし、東大卒の弁護士であり、高校時代古文の輪読をたった四人だけで、毎日お昼休みに行った青山敦子さんが、北久里浜の実質的大詐欺事件ののち、8年後、激変していて、もう助けてあげないというのです。前の時は、自宅で、ご家族用のお昼を一緒にごちそうになったのでした。ご主人は、勤務ですが、夏休みだったので、彼女は、弁護士業を、休んで、三人のお子さんの面倒を見ていたのです。さて、青山敦子弁護士のご主人は、。同じく弁護士ですが、その人とは、直接あったこともないし、話をしたこともありません。

 ところが、笠松敦子さんのご主人、ミスター笠松とは、2011年の五月に、直接電話で、話し合う機会があったのです。が、その様子と言葉遣いと、が、何から何まで、激変後の青山敦子弁護士と同じだったのです。それで、あ、この人も東大卒だ。で、東大卒の人の間で、何らかの悪口(讒言)が、回っていて、この人もそれを信じていると、感じました。で、ちくま新書も、残念ながら敵としてのミスター笠松が、かかわっていると判断をしています。

 しかし、奥様の敦子さんの方には、天から試練が与えられたのです。そこに私は、期待をして、ずっと、「普通の感じです。相変わらず、友達です」という態度を貫いてきました。どうしてかというと、私にも小学校一年生の時に、背負いきれないほど、重い試練が与えられて、それゆえに、どんな友達よりも、考察が深いと、感じています。で、自分に合う友達というのを見つけるのが困難です。だから、彼女は、貴重なお友達の一人だったのです。ところが、やまゆり園事件が起きた時に「だめだ、この人も」と感じました。

 手をつなぐ親の会が、俊速で、植松聖を、責める声明文を発表したでしょう。あれは、笠松敦子さんが、会長と相談して、文章を決め、キーボード入力をして、ネットに載せたと、見ています。

 わたくしは植松聖を擁護するから、手をつなぐ親の会の声明文を悪いと言っているわけではないのですよ。ただ、47人もの死傷者が出たというメディアの報道が嘘なのです。それなのに、報道通り信じるなんて、「だめだ。こりゃあ」と思いました。

 しかし、この間、泥棒の反対方向で、2016年の、学長ご招待記念クラス会の、集合・記念。・写真が、その14年後に、

私の寝室に入れ込められていたのです。しかし私は、招待を受けていません。で、顔も、みんな違って、だれがだれだか、わからないので、「あのね。笠松さん、あなたは、これに出席なさったの? それだったら、どういう形で、招集が来たの?」と、質問をしました。すると、Line で、招集がかかったそうです。で、続けて、8050ママから、年賀欠礼が来ていて、亡くなった方のお名前は、ご主人ではなかったと、教えて貰いました。さあ、ここで、12時なので、寝ます。完成していませんが、・・・・・

 

 

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