銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

佐村河内守の嘘・・・・メディアの高次利用が、破綻をした時・・・・アカデミズムの弊害△△

2014-02-06 15:20:24 | Weblog

下の文章は小保方さん事案に結構関係があるので、そのリンク先を付与します。小保方事案とは、中に四重に絡まった嘘があるので、文章は、結局のところ、12本となっています。特に真実が出てくる前の文章については後日の結論も、添えておきたいからです。どうかよろしく。

小保方嬢について書いた過去分のリンク先、総覧 2014-4-10時点で  2014-04-10 08:55:14 | Weblog

下の文章ですが、二度目として、推敲をしました。で、恒例の△印を総タイトルの脇に二つ、つけておきます。

副題1、『私は今まで、佐村河内には、一切触れていない。なぜか? 嘘だと直感をしていたからだ』 

副題2、『交響楽を、聞くのはすでにしんどいし・・・・・だから、嘘だとわかったのだ』  

副題3、『古っぽい表現形式なので、<どうして、こんな曲を、現代人が、作るの?>と、疑った』 

副題4、『私は、現代音楽についても、作曲家の狙いだけは、解るのだった』  

副題5、『創作をする人間は、外を出歩きたくないのが、普通だ』  

副題6、『私が、この件を看過し続けて来たのは、これは、政治には無関係だからだ。だが、現代アート(音楽を含む)とメディアの利用の関係という意味で、面白く、また、重要な問題を含んでいるので、急に関心が高くなった』   

副題7、『これは、新垣氏の、のるかそるかの、大博打だ。創作者は、実力を常に蓄えている』 

副題8、『現代音楽と言うのは、ほんの一握りの人にしか、影響を与えられず、話題にもならない。そこが、この事件の最大の要点だ』   

副題9、『日陰の庶子だった楽曲が、高橋大輔選手によって、突然に、陽光浴びる摘出子になったのも、暴露にいたった原因だろう』

副題10、『小林カツ代さんの、嘘とメディア利用の、裏側』

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副題1、『私は今まで、佐村河内には、一切触れていない。なぜか? 嘘だと直感をしていたからだ』

 さて、最近、佐村河内という聾の作曲家にゴーストライターがいたということが大問題になっています。私は<水に落ちた犬をたたく>つもりは無いのですが、最初から嘘だと思っておりました。だから、どこをたたいても、私が過去に、彼について触れた文章が見つかることは無いでしょう。  あのね、はっきり言って、熱心に聴いたこともないです。

 NHKニュースウォッチの大越キャスターが、2014年2月5日分、もしくは4日分のニュースウォッチ内で、「自分がオマージュをささげたことが不見識でした」と、謝罪をしていたけれど、これは今のメディアと、それを利用する側の問題点を見事に明らかにするものなので、そう言う意味では重要ですが、

 曲を、メロディとして聴いたのはそのNHKのニュースウォッチ内での、数十秒だけだったと思います。嘘でしょう。こんなの、とはっきり思っておりましたので、特集番組など聴く気も起こらなかったです。

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副題2、『交響楽を、聞くのはすでにしんどいし・・・・・だから、嘘だとわかったのだ』

 音楽の好みって、年齢によって移動することがあります。今もっている体力に応じるのです。子供のころから、交響曲は聴いていて、パリへ行く前までは、聞いていました。が、突然に、美術の世界で、版画が入って来たし、同時進行的に文章も書き始め、そちらに体力が取られるようになると、シンフォニーは聴いていられません。どうしてかというと、とても、緻密で複雑なものだからです。    ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキーなどの交響曲は、耳になじんでいます。しかし、今でも、『聴いてもいいな』と思うのは、ベートーヴェンの田園と、シューベルトの未完成ぐらいですね。

 でね、新進作曲家の曲なんて、余計聞きません。メロディになじみが無いわけですから、知っている曲を聴くよりさらに体力がいるからです。交響曲って、それほど、緻密な内容を持っているので、鑑賞するだけで、膨大なエネルギーを使うものなのですよ。

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副題3、『古っぽい表現形式なので、<どうして、こんな曲を、現代人が、作るの?>と、疑った』 

 NHKニュースウォッチ内で、数十秒聴いただけですが、あまりの古っぽさに驚きました。私は、音楽の専門家ではないけれど、音楽が、潮流として、4つに大別されるのは知っています。中世宗教音楽の時代、古典派の時代、ロマン派の時代、現代音楽の時代。

 佐村河内の曲は、どこに所属するかといえば、数十秒を聞いただけの認識ですが、ロマン派程度の時代的風潮があります。  ところで、ロマン派は、100年ぐらい前に終わった形式であって、現代作曲家は、そんな雰囲気の曲は作りません。

 私はNHKの音楽コンクールの優秀者の演奏会をテレビで、聞くのは好きなのです。その本選会は、池袋の芸術劇場で、やっているらしいのですが、それを聞きに行く人は、本当の音楽好きで、しかも体力も時間にも、金銭的にも余裕がある人だと思います。    だが、その本選会をまとめて、順位下のほうから、聞かせていく優秀者の大会をテレビで見るのは、体力的に楽なので、好きですね。特にソリストの部門は面白いです。2013年度版で、男性歌手ですが、関西の大学を出た、バリトンかな? 非常に優秀だと思いました。が、よい賞をいただいていないです。

『う、例のごとく、芸大派閥が、ここでも、闇の力を発揮したかな?』と、一瞬は思ったものです。最近書いているケースでも、そこから、芸大派閥の持つ問題点へ波及する予定ですし。しかし、歌手なら、本当に実力があれば何とかして、表に出てこられるでしょう。そして、メディア的ブレイクが無理で、高校の先生としてだけで、人生を終わっても、実力があるので、生徒に尊敬される先生には、なれるはずです。

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副題4、『私は、現代音楽についても、作曲家の狙いだけは、解るのだった』

 ところで、私の方に心身の余裕がある時は、作曲部門も優秀者大会を聞きます。美術の世界では、最先端のものに、毎週たくさん接しているわけです。だから、画廊全体を、見回して、作品を把握するのに三分も要りません。そして、作った人が画廊にいる場合は、その作家の狙いどころについて話し合ったりします。   現代における作家とは、作曲家も同じですが、どこかに、目新しいものを作り出し、入れ込まないと駄目だという自覚があるのです。  先人の轍を踏まないという覚悟です。

で、そういう訓練をつんでいるので、現代音楽についても作曲家が誇る、独自の工夫などが解るのです。ただし、大変な集中が必要です。ものすごく集中して聞かないと解りません。 良さにも目新しい部分についても気がつきません。

でもね、時間や体力に余裕のあるときに、現代音楽も、注意深く聴いているから、佐村河内の楽曲にそこで見つけている目新しさが無いのに驚いて、『この人はどういう経歴なのだろう』と、その点には、興味を抱きました。すると、音大を出ていないということです。  その時点で、『嘘だわ、この現象って』っとはっきり判ったのです。

音大を出ていなくても、音楽の世界で活躍することはできます。だけど、シンフォニーを作曲するのは、難しいでしょう。尾崎豊や、尾崎紀世彦になったり、古賀政男になることはできます。加山雄三にもなれるし、さだまさしにもなれます。ただし、こう言う有名人は、だれも、シンフォニーを作っていません。

彼らは、楽想が豊かであるから、内面から沸き起こってくるものを、すぐ曲にすることが好きなので、長時間かけて、シンフォニーを作ったりは、しないのです。

 ショパンの場合ですが一瞬にして、完成品が頭に浮かぶそうです。だが、それを楽譜に直すのに、呻吟しつつ、2ヶ月もかかったのです。楽器をひとつしか使っていなくてもですよ。それをシンフォニーでは、たくさんのパートがあります。音大を出ていない素人には、絶対に不可能です。そばで見ている、ジョルジョ・サンドが、子供たちの反発を抑えて、ショパンと、長期間一緒にいたのは、その呻吟する姿への深い尊敬があったからだと思われます。佐村河内君の姿には、呻吟する、やせ細った肉体というものが見えないのです。だから、嘘だとわかっていました。

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副題5、『創作をする人間は、外を出歩きたくないのが、普通だ』

  本日6日に裏にいた本当の作曲家・新垣さんが、顔をさらしました。『なるほど、そうでしょうね』と思う雰囲気です。いかにも現代音楽の作曲家という風情です。美術の世界にも分野によって、その人となりに特徴があるのですが、音楽の世界も大衆相手の、演歌歌手である、八城亜紀さんと、クラシックの世界のごとうみどりさんなど、まったく雰囲気が違うわけだし。・・・・・というわけで、そりゃあ、佐村河内君よりも新垣さんの方が、現代音楽の作曲家としては、ふさわしい風情を持っています。

 だけど、私が『違うでしょうね』と、確信をしていたのは、風情ではなくて、時間の使い方なのです。あんなに社交的な振る舞いをしていて・・・(というのは、この場合は、テレビに出まくるということですが)、・・・創作と両立するはずが無いというのが、私の信念です。シンフォニーを書ける筈が無い。というのが信念です。

 ショパンは社交生活と両立をしていました。が、若死にしていますね。それと当時のサロンって多くても総勢100人程度の人間が在室しているだけです。その数に、身をさらすのと、数百万人が見ているテレビに、わが身をさらすのとは、ストレスが違うでしょう。また、広島市から賞を受けたそうですが、そう言う際には式典があります。公会堂などのホールで行われるはずで、少なくとも、500人の人がつめているでしょう、その視線を浴びるのです。その式典の前後一週間程度は、仕事にならない筈です。

 で、このコンビですが、実は、新垣さんは、単純にだまされていたわけではなくて、分業意識があったと、私は推察しています。社交的な部分・・・・・それは、対外的な交渉を含む部分ですが、・・・・・それは、すべて、神経のより太い、佐村河内に任せて、より繊細な自分は、奥で、ひそかに、作曲に専念する・・・・・そう言う意識が無かったわけでもなかろうと思いますよ。

 だって、だまされたり、脅迫をされながら、美しい曲が作れますか? それは、不可能です。で、二人羽織という、言葉を私はよく使いますが、この二人は、まさしく、二人で、一人だったのです。

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副題6、『私が、この件を看過し続けて来たのは、これは、政治には無関係だからだ。だが、現代アート(音楽を含む)とメディアの利用の関係という意味で、面白く、また、重要な問題を含んでいるので、急に関心が高くなった』

 副題6の二重がっこ内に書いてあるとおりです。佐村河内君と、新垣隆さんの約束は、政治には無関係です。大衆に向けた、一種のだましでしたが、永田町に直接の関係はないし、広島市の税金が無駄に使われたといっても、曲を皆さんが一時期は、好んだのだから、それなりの楽しさは享受したわけで、その分のお金が無駄遣いだったとも思われません。

 だが、私が突然に、強い関心を寄せたのは、メディアを利用する利点を、二人は知っていて、18年間は、二人とも納得をして、その路線を突っ走ってきたと思われ、そこに大いなる研究課題を見つけたからです。

 18年間に、20曲を作曲して報酬は700万円だそうです。となると、脱税に絡む話しでもないです。だが、ここで、いよいよ全世界に向けての、本当のメジャーデビューが近くなったので、新垣さんの方が、突然に、約束違反をしたと、私は見ています。だから、体格が大きい野性味のある佐村河内君のダメージは、そりゃあ、大きいでしょう。世間に、顔を見せたくないというのは当たっていると思います。  だけど、佐村河内君の方が一方的に得をして、すべての富を独占していたかどうかは、怪しいですね。金銭的な仲間割れというよりも、ソチ五輪で、高橋大輔選手が曲を使うことにしたところに、すべての、秘密が隠されているでしょう。

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副題7、『これは、新垣氏の、のるかそるかの、大博打だ。創作者は、実力を常に蓄えている』

 ゴーストライターという名前からくるものは、ゴーストライターの方が常に損をしているという関係です。日本でもっとも有名なものは、北畠八穂さんと、深田久弥氏との関係です。このケースでは、悲劇性は、北畠八穂さんの方に多く見られ、それは衆目の一致するところでもありましょう。ところが、今回は、男女の間柄ではありません。もしかすると同性愛の関係にあった可能性はありますが・・・・・私はもっと、違う要素が、影に、あって、こう言う特殊な関係が持続したと見ています。

 それは、メディアをどう利用するかということに対する認識そのものです。それが、もっとも大きな原因だったでしょう。

 で、どうして、メディアの利用法が重要になるかというと、現代音楽を作曲しても、まるで、お金にならないということがあったと思います。それは、美術の世界でも同じです。むしろ、現代アートの方がもっと、つぶしが利かないので、貧乏でしょう。音楽家の方は子供に楽器を教えればいいのです。基本はピアノで、ピアノ教授など、音大を出るほどの人なら誰にでもできます。しかし、お絵かき教室は、効果がさして顕著に出ません。だから、お金をもらえません。

 音楽を教えて、月に謝礼が、1万円もらえるところが、5千円しかもらえないし、生徒もそれほど、たくさん集まりません。

 新垣さんは、桐朋の講師だったということです。それは、子供たちへ高校音楽部への入学のお世話もできるので、お月謝は高くとることができて、生活の面では安定していたと思われます。だから、18年間で、謝礼が、700万円でも、我慢をすることができました。謝礼に不満があったら、とっくに分裂していたと思われます。

 で、今回の露見によって、悪人度としては、<佐村河内氏の方に、罪が大きい>と、一般の人は捕らえていると思いますが、私はそうでもないと見ています。

 むしろ、この二人羽織において、主導者は新垣氏のほうだったと見ています。ともかく、風情、風体としては、繊細で、弱々しく見えますが、この件に関しては、強者は、最初から新垣氏でしょう。強者というか、主導者は、と言った方がいいのかな?

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副題8、『現代音楽と言うのは、ほんの一握りの人にしか、影響を与えられず、話題にもならない。そこが、この事件の最大の要点だ』

 私は、ニュースウォッチで、大編成オーケストラ用の曲、HIROSHIMAを、ほんの触りの部分を、数十秒聞いただけでしたが、『これって、ずいぶん古っぽい音楽ですね。まるでロマン派のものみたい。変だなあ』と思ったわけです。が、佐村河内君が音大を出ていないと、説明を受けて、そうなんだと、いったんは納得をしました。アカデミズムの弊害と言うのがあって、美大を出ている人は、それゆえの制限を受けるのをよく見ているからです。横尾忠則と言う人は美大を出ていません。だから、破天荒な絵が描ける。

 ここですが、語りだしたら、キリがないほど、いろいろな事が、美術の世界において書けますが、ここでは、ひたすら筆を押さえて、自分としては、よく知らない音楽の世界を語りたいです。その世界への推察を及ばせたいと思います。

 私が短期間、クラシック歌曲のおさらいをしていた頃の話ですが、感情をこめると、ピアノ伴奏の先生が、顔をしかめて嫌がりました。彼女は私より、年上なので、従わざるを得ませんでした。伴奏の先生は、私立音大の出身でしたが、くらしっく部門の世界の雰囲気が、彼女のしかめっ面で、よくわかりました。自分が、このブログの世界で、よく言うスノッブと言うのの、ひとつの典型です。ただ、お歌の方の先生は、芸大出身で、しかも、徳川慶喜公のひい孫に当たる方だったから、お上品なことは限りが無いのも、無理はないので、そちらには、完璧に従っていました。

 が、それでも、伴奏の先生がいない日もあるので、そう言うときは「美術家のパーティで歌うのが、主たる目的です」と、お話しをした上で、特にお願いして、ドラマチックで、感情をもろだしにする曲も、おさらいをしていただきました。カタリと、オーホリーナイトです。

:::::::::::::ここで、挿入として語らせていただきますが・・・・・

 一時期、平原綾香さんが、カタリをリメイクしました。それこそ、私が、このブログや閉鎖されているメルマガの方で、「自分は男性歌手の持ち歌が好きで、その例がカタリです」と、何度も書いているから、起きた現象だと推察しています。

  敵さん連中が『それなら、カタリを、プロの歌わせて、彼女(=私)に恥をかかせ手、劣等感を抱かせ、うつ病にさせよう』したのでしょう。それは、中央公論社の、婦人公論の編集者だった時代の、湯川有希子さんが、「もし、婦人公論に星占いを載せるのなら、あなたではなくて、もっと、有名人に書かせます」と1981年か1982年に、豪語されたのですが、それと同じ発想です。

 そして、鶴岡八幡宮で、平原さんのこの曲が披露をされました。その時から突然に、八幡宮の夏の音楽会が、入場制限をもうけるようになったのです。これもまた、私に、『平原綾香に負けていることを強く意識せよ』と言いたい鎌倉エージェントたちが、八幡宮様へ提案したことでしょう。

 表向きは抽選だと言うことでしたが、伊藤玄二郎などは大量の切符を、采配できたと思います。その頃です。朝早くから、「マイクの試験です」と大音響で、絶え間なく放送が、流されたのは。次の年か、その次の年に、だれか、私以外のご近所さんが「どうか、少し静かにしていただけませんか?」とお願いに行ったそうで、やっと、朝早くからの『マイクの試験中』と言う放送はなくなりました。

 私が本・・・(特に、印刷する前のIT的データ)・・・を作っているときに、それが、とても難しい仕事であるがゆえに、雑音によって妨害をしてやろうと考えた連中がいて、鶴岡八幡宮様に、「大きな音を、長時間にわたって立ててください」とお願いをしたから、ああなったと推察しています。・・・・・・

 元に戻ります。ともかく、芸大では、オペラを演奏するのすら、下品だと思われていた時期もあるのです。佐渡裕さんなど、芸大を出ていないからこその、大衆受けする人気かもしれないのです。プロでありながら、大衆(しろうと)との中間に立つことができるからです。

 と言うわけで、エリート音大、エリート美大を出るほど、その表現には、縛りが加えられるのです。他者から明瞭に注意を受けると言うこともあるでしょう。私みたいに、ピアノ伴奏者に、顔をしかめて嫌がられると言う。・・・・・あ、ここで、ひとつの救済を語らせてください。先生の方は、声については、とてもほめてくださいました。私の声は、質においては、すばらしいそうです。まあるくて、明るくて、美しい。

 と言うわけで、佐村河内君の名前で発表された数々の楽曲は、新垣さんとしては、18年前には、とても恥ずかしくて、自分の本名では出せない類の楽曲だったと、推察しています。情感がこめられすぎていて、それは、大衆的と言うのと、直につながりますし、ロマン派風な、楽曲を今の時代に作っても、人・・・・(この場合は、音大出身のプロのクラシック系作曲家集団)・・・・に笑われるのが落ちですからね。

 最近は、だいぶ、その垣根が崩れてきました。上に挙げた、佐渡裕さんが常に指揮棒を振っている、テレビ朝日の「題名の無い音楽会」などが、寄与しているのかもしれません。

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副題9、『日陰の庶子だった楽曲が、高橋大輔選手によって、突然に、陽光浴びる摘出子になった。そこが、今回の暴露の最大の原因だろう』

 Huffiton post と言う頁を最近、よくあけます。ニュースが出てくる頁ですが、詳細です。で、私は副題8までは、一切の情報や、文章を読まずに書いたのですが、このニュースが、新垣さんの言葉を全部載せているらしいので、それを、今、読みました。それを読んだ後に、自分の意見が変わるかどうかを、心の中で、点検をしているのですが、まあ、変えなくていいと思います。

 新垣氏は、自分も共犯者だと言っています。そのとおりでしょう。そして、「佐村河内君は、耳は聞こえる」と言っています。だけど、本日より、もっと前に、それを誰にも話さなかったのは、『大衆的人気を得るための、一便法として、そう言う脚色もあり』だとの、認識を、新垣氏も、持っていたからでしょう。二人は売らんがための、一便法として、それを使っていることは、共通認識として持っていたと思います。それをここで、新垣氏がばらすのは、ずるいです。

 そして、大衆的人気を得る、ご自分のこれらの曲は、ご自分が本名で発表するものとはまるで、異なっているはずです。どこかで、不協和音の曲で有名な作曲家だと出ていました。

 それが、佐村河内君が、今言っている、『新垣氏の方にも発表をしづらい事情があったはずだ』と言うことにあたるでしょう。

 ところが、ここで、ソチ五輪、フィギュアー部門で高橋大輔選手が、自分が作曲した「ソナチネ」を伴奏音楽に使ったことで、世間的・状況も、新垣氏の心構えも、両方ともが、一変をしたのです。

 美術の世界でも同じですが、全部の作品が同じレベルで、出来上がるとは限りません。『駄作だな』とか、『普通だな』とか、『傑作だな』と言う、差のある作品が、できるのです。それは、作品の大小にも、関係がなく起きるし、作品に掛けた時間の量とも関係がない形で、生まれます。

 そして、作った側には、それが、駄作であるか、傑作であるかは、わかっています。だから、高橋大輔選手の伴奏音楽に使われたとき、この曲が、傑作であることが、新垣氏には、もともとあった感想が、さらに、確信をされたことでしょう。

 フィギュアーに使われる伴奏音楽は、クラシックの場合、名曲が多いです。ラフマニノフ、チャイコフスキー、ショパン、リスト、

 たまたま、モーツァルトが少ないのは、リズムが小刻みで、優雅に流れる様な、レガートな部分が少ないからだと思います。フィガロの結婚の最終場面の4重唱などは、レガートですけれど。

 今までは、その楽曲類は、新垣氏にとって、正妻には隠したい庶子みたいなものでした。ところが、その子が親孝行で、自分をチャイコフスキーや、ショパンと肩を並べる大作曲家に仕立て上げてくれたのです。そうなると、のるかそるかの大博打を打ってでも、自分が真実の作曲家であることを、表明したくなって、週刊文春を動かすと言うことになったとしても、当然でしょう。

  著作権料のことは、私は触れたくないです。また、今、問題になっている、その「ソナチネ」を、献呈をされた少女が、佐村河内守から、何か、セクハラめいたことをやられていたらしいのですが、それにも言及をいたしません。

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副題10、『小林カツ代さんの、嘘とメディア利用法の、裏側』

 上の副題1~9までは嘘と言うことを問題にしており、それが、メディアを利用する、便宜上、生まれたものだろうと推察しています。ところで、私は後注1に示すリンク先にて、「小林カツ代さんの生活には、種々さまざまな嘘があっただろう」と匂わせています。が、たった、4日後にそれが、証明される形で世の中に、出てきました。

 ※女性セブン2014年2月20日号に出ているのですが、実際には離婚済みだったということです。と言うことは、取材、記事を書く、印刷をするという一連の作業を入れれば、ずっと前に、その情報を、その週刊誌側が把握していたこととなります。

 それを聞いて、「そうでしょう。そのとおりでしょう」と、頷くのみです。だって、主婦として母として、ちゃんとやろうとしたら、あれほどの、働きを、外ですることは、できないです。

 特にマガジン9条の会を立ち上げたり、神楽坂女声合唱団を主催したりするのは、余計なことです。そんな、八面六臂の大活躍ができたのは、実際には、主婦でも母でもなかったから、可能だったのでした。

 彼女は、メディアの世界での勝ち組です。だが、心の内部を覗き込めば、安定とはほど遠い修羅の道だったと思いますよ。

 そして、マガジン9条の会です。これは、「戦争に反対だ」、と標榜をする、大変大切な組織のように見えます。ところが、実際にやっていることは、テレビに出る人を、自分たち側で、占有して、新しい人材を入れない様に、阻止することなのです。人的コネを、囲い込みフェンスとして、その内側にいる人だけをテレビに出しましょう。または、光を当てて、受賞をさせましょう。と言う、そう言う目的で、利用をされています。

 と言うわけで、私が身近に、その活動を、つぶさに見ている、美術9条の会などは、ただ、・弾圧するためと、井上ひさしたち、鎌倉エージェントの、個人的な復讐に、使う私兵として、利用するために使われているのに過ぎないです。それをこれから書いていきますが、メディアの弊害を如実に示す二つの例でした。

 現代音楽と、料理番組とは、まるで違うのですが、現代人を動かすものとしてのメディアと、その弊害が、語りたかったので、両例を並列しました、

    2014年2月6日  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

 なお、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は2021222です。うわ、2月に使う数字としてなんてきれいな数字でしょう。ぞろめ、が、数え様によっては、三回繰り返されている。(笑い)

(後注1)

小林カツ代さんて、もろ、現代政治の悪のパペットです+神楽坂女声合唱団・ケンタロウ 

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