銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

養老先生の事 を契機として語る、Mr.遠藤と、Mr.J 滝の二人が、二人ともに、東日本銀行勤務であったのではないかという推理

2021-11-07 01:02:13 | 政治

これは、100%前報

養老先生2021-10-25、鎌倉駅地下道に私を威圧する為に出現する。それは9:15 AM浜銀に私が掛けた電話を盗聴して企画された筈   2021-11-06 15:37:20 | 政治

 の続きです。前報、浜銀のところへ、書き足したいことはいっぱいあります。が、あまりにも深く、自分と、鎌倉エージェントとの、どっちが頭が良いかと、言う項目にこだわりすぎるのも、読者の皆様が退屈なさるだろうし、しかも、それを書くために、私は、膨大なエネルギーを使うし・・・・・と考えて、我慢をしているのです。ほとんどのブログ文章で、私は我慢をしているのですよ。これでもです。ただ、皆様の中には、「まさか、書きすぎでしょう」とおっしゃる方もあるかしら? 以前は、「ここでは、60%ぐらいさらします」と、よく言っていましたが、今、かんがえると、それは、60%ではなくて、3~40の真実の開示でしたね。そして、もっと先へ行けば、今書いていることが、実は、40%だったとなるやもしれません。

 それは、行われていることがすべてミステリーの形をとるので、解釈や、謎解きが難しいのです。しかも、本日、旧中谷家が、シェアハウスになると、言うことなどは、中谷家の1980年代の当主・共二氏が、我が家の東北の崖(または、山)を無断で、削り落としてしまったのを・・・・・洗浄化する目的があったものですが、・・・・・そういうミステリーの、しかも、第六番目くらいの、バージョンなのです。それも、数か月にわたって、協議されていたことで、本日は、やっとその秘密とミステリーが、100%公になったのですが、そういう事でも、正しく説明するためには、20万字ぐらい必要で、今は、取り組めません。

 なお、ここで、大切なことをお断りをしておかないといけません。それは、2021年10月20日から書き始めている文章類の真の目的です。それは、最初は、浅尾慶一郎の、今回の衆議院選落選問題で始まりました。合否が、わからない段階から書いて居ます。それから、途中で、ご主人が、慶応大学の理事をしている市瀬紀美子さんの話も入りました。(ただし、ご主人は別姓で活動している可能性が高い。市瀬家へ、養子に入った人だから)。その次に、この養老先生が、使役をされた問題が続くわけですが、それらを書き上げていく、本当に意図するところは、そういう著名人にして紳士であるり、また、大富豪であるマダムを、個人的に、批判をするものではないのですよ。

 私が一番問題にしているのは、瀬島龍三とか、成岡庸司君とか、伊藤玄二郎という、CIAエージェント達です。彼らが、我が家の電話を盗聴して、仕掛けてくる悪を大問題としています。自分たちの方が先に悪をなしているのですが、それをすべて、見破ってしまう私が(彼らにとっては)、大迷惑の人だから秘密裡に、しかも心理作戦を用いて、殺してしまおうとする仕組みの事なのです。

 これ以上の悪はないというほどの悪だと、思っていて、それを顕現させるのに、必死です。

 なお、この一文は、9日の午前2時まで、【養老先生突然に目の前に・・その2・・三菱銀行の二階で待機頂いた上で、みずほ銀の監視camera in Elで最終的timing を謀ったらしい】としておりました。しかし、その時点で変更しました。

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副題1、『最初は、それが、養老先生だとは、気が付かなかった』

 その2021年10月25日には、2時45分ごろそこを出て、今度は、東急ビル(土)か、鎌マン(花)、へ行くために、トンネルを通る。このトンネルとは、鎌倉駅の線路を、駅舎のすぐ北側で、わたるもので、ほかの駅だとこ線橋になっているケースが多いが、ここは、スペースと、道路幅の関係で、トンネルになっている。

 日本では、右側通行だから、西から東へ向かう私は、トンネル内で、右端を通った。しかし、私よりさらに、ショーウィンドー側を通ってくる男性がいる。壁との距離が、20cmもないでしょうと言うほどの、接着状態で歩いてくる男性がいる。マスク姿だ。そこを歩くのは、不自然な、選び方だと、感じる。

 彼は、こちらへ向かってくるわけだから、普通の人間だったら、右側通行をするはずなのに、そこを通るのは、左側通行にあたるので、太閤方向から来る普通の人と、ぶつかりかねない。ので、日本人一般の常識からは、相当に、離れている。変だなあとは、思った。

 その人物は、目線を自分の足元へへ向けて、いかにも不幸せそうだった。一種の、うつ病気味だと、感じた。鎌倉のインテリには、そういうタイプは多いしと、思った。最近の私は、控えめに、かつ、低エネルギー気味に動いているので、彼に「どうして、こっち側を通っているのですか。それも、壁すれすれを、いかにも、世捨て人みたいに」などという、言葉がをするなど思いもよらず、『変な人ですねえ』と思っただけにしておいた。これが、2001年から2005年ごろだったらまるで違う。

 ニューヨークで、三か月だが、二回も、一人暮らし、かつ、版画研行、べったりの日々を送って帰ってきた直後であって、勇気凛凛、元気いっぱいだったし、オープンマインドの塊みたいな人だったから、「どうしたんですか? ここって、右側通行でしょう?」くらいなことは、明るく、かつ、失礼ではない様に、語りかけたと思う。

 ただ、髪型に特徴があった。左右に出っ張っている四角形。これは、あまり見ない髪型である。彼が、至近距離二メートルに近づいてきたときに、「あ。養老先生だ」と、気が付いた。しかし、むろん、「あ、あなたは、養老先生ですね」と、声をかけるつもりはない。

 即座に、おお、おお、・・・・・ガン無視作戦の究極の人物として、養老先生までをも、使ってきたのだ・・・・・と、わかったからだ。しかも、養老先生は、そういう任務に従うのを恥じていらっしゃる。それが、瞬間的に、わかった。「先生、あなたの今の行為や、裏にある任務やその意味や、誰が命令をしているかを、私が知っていますよ」と、先生に、告げるのは、先生が、かわいそうではないか? 伊藤玄二郎も残酷なことをするものだ。

 スコティッシュフォールドの【まる】も死に、ご自分も、心筋梗塞(血栓ができた)を患っておられるだけで、伊藤玄二郎たちに協力をされたことへの、天の処罰は下りている。それなのに、また、使役をされて、従容としてその、任務をご遂行である。かわいそうに。

 繰り返しにもなるが、「今日、あなたが、なぜ、ここを歩いているのか、その裏側を、私が知っていますよ」と、養老先生に、リアルな世界で、知らせるのは、あまりにも、先生が、かわいそうである。ご母堂のエッセーなどの出版以来、伊藤玄二郎には、お世話になっていると、言う意識が養老先生側に在るのだと、推察される。

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副題2、『養老先生が、使役をされた経過は、以前、京橋で、馬越陽子さんが、使役をされた経過とそっくりだった。で、その時も彼らの意図は、全く通じなくて失敗だったのに、また、また、おんなじ事をやってきているのだった。なんと浅はかな頭脳だろう。そういう中学生並みのお馬鹿さんが、【バカの壁】が大ヒットをした、東大名誉教授を、自分たちの道具として、使役して、しかも、養老先生は、それに、黙って、したがっておられる。慫慂と、言う言葉は、こういう状況を指すのだろうと、思い当たった。

もちろん、伊藤玄二郎達は、こうも、考えているだろう。そしてそれを、養老先生に告げる。「彼女は、実は、公の、(株式会社形式の)出版社からは、一冊も著書を出していません。立派な出版社から、ヒット作を連発し、主なものだけでも、それらが、100冊を超える先生とは、雲の上の存在と、マンホールの住人ほどの差があります。それが、対等に先生を批判するのですから、読者は、あきれるでしょう。で、彼女のブログから、読者を引っ剥がす役目に役立ちます。また、後で、ここを、ちょん切った形、もしくは、概略を知らせるという形で、利用をします。そうなれば、こっちの勝ちです。だから、どうか、一肌脱いでください」と。だが、私の方は、神様を信じている。神様は、正しく、かつ、俯瞰的に、すべての出来事をご照覧あるはずだ・・・・・と、深く、深く信じている。だから、ひるまないで、ここにこう言う文章を書く。後で、伊藤玄二郎がどういう風に利用しようとも、彼に従った人は、浅尾慶一郎が、落選をした様に、また、養老先生の【まる】が、死んでしまった様に、(もし、その人が善人だったら、特にだが)災禍が訪れる。しかし、悪人だったら更なる繁栄が訪れる。』

 養老先生は、たぶん三菱銀行二階のラウンジに午後一時頃から、伊藤玄二郎ほかと、一緒に詰めていたと、考えられる。

 ここなのだけれど、最初期の、メモには、書かなかった文章を挿入したい。

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副題3、『私は、三菱銀行、二階のラウンジで、「ここは、決まったお客しか入れないのです」と拒絶をされた日があった。その時、妙本寺に娘を、嫁入りさせた、遠藤夫人の事をとっさに考え及んだ。今回、養老先生が、これほどに、タイミングよく、目の前に現れるのは、三菱銀行二階のラウンジで、待機なさっていた時間が寄与していると、推察される。したがって、遠藤家の、娘さんの、妙本寺へのお嫁入りの件をここで、書かないといけなくなった。

 養老先生は、妙本寺側の仲人として、そのお見合いの席に出席されていたと、推察される。それが、わかったのは、TVからだった。長らく,遠藤家と、妙本寺という、資産状況を言えば、圧倒的な、格違いの、家の縁結びが不思議だったのだが、養老先生と、川合良一先生が、仲人だったら、妙本寺側も御の字だったと、思われる。それが、ネコメンタリーの第二ヴァージョンで、わかった。養老先生が妙本寺をご訪問をなさった画面が出て来て、急にお見合いへの、彼らの考えと経過への、理解が可能だった。養老先生は、同番組で、過去に伊藤玄二郎と、井上ひさしが、画策した、各種の悪の洗浄化をなさっておられる。四つのお寺を訪問なさっているが、すべて、伊藤玄二郎達が企画した悪と、関連している。ただし、光明寺さんだけは、イノセントだ。光明寺さんが、問題というよりは、そこを舞台にして、【鎌倉アカデミア】の研究会を開いていた、図書館の館長と、伊藤玄二郎や井上ひさしとが連動して行った【演劇界、2011年6月号の、行方不明という】悪との関係を、洗浄化しようとして、間接的に光明寺が出てきた。光明寺は、のら猫に対しても親切だし、いいお寺である。

 この不思議な縁組には、裏がいっぱいある。遠藤夫人は、自分の子供とその友達が、我が家の西側の壁(窓が少ない。そこは、中古部分であって、前の住民がそれを好んだ)に、サッカーボールをけり上げることを注意しないばかりか、数十年後、それを私の方が問題にすると、「やっていません」と、強弁した。なぜ、数十年後にそれを問題にしたかというと、彼女が毎日、神経質そうに、庭を掃くのだが、そのごみを毎日一メートル低い我が家の敷地内に掃き入れるのだった。窓がないと言っても、三つぐらいはあって、そのうちの一つ(特にトイレの窓)からは、毎日それが、見えるのだから、悩みに悩んだ。

 相手は40代の、母親であり、長子は、付属を出ている。その後の高校と大学は知らないが。次子は北鎌倉女子学園に通って居る。旦那は、銀行マンだと、私は推察していた。家は、最初は賃貸で、築50年に状のぼろやだが、途中で、購入したと、聞いている。ともかく、鎌倉に、持ち家を持っていて、旦那は、銀行マンで、彼女は短大卒(多分、そうである。自分が得になる事には、やけに頭が良いが、全体的に言って、知性が高いとは、とても言えない。教養があるとか魅力があるとも言えない。まったくもって、自分本位で、最近では、小錦みたいに太っている。浄明寺近辺にお住まいだと、聞いているが、今でも、きっと、自分本位の人であろう)、子供は優秀大学へ進学しました・・・・というタイプ主婦に、どうやって、やめてくださいと、言ったらいいだろうか?

 ここから先、紆余曲折があるが、すでに書いて居るものがあるので、それを後刻見つけておきたい(後注2)。だって、大変に嫌な話だから、それを今再現すると、私は体力を多大に、消耗するので。ただ、そのころ、回覧板か何かを渡しに行ったらご主人から、「うちはやっていませんよ」と恫喝をされた。で、私はびっくりして、そのころ、第一次としてこれを書いた。もちろん、遠藤家という実名は伏せた。だが書かないと、相手が、ご近所様に噂話として、自分の方がいいもんであると、言う情報を流す可能性があるからだ。

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副題4、『お前さあ、ずいぶん威張っているみたいだけれど、金持ちには負けるだろう。それからさあ、東大卒には負けるだろう・・・・・と、常に井上ひさしから言われている・・・・・と、私は考えている。特に、2007年に、猛・台風が来た時に、まぐまぐというサイトの占い欄を利用して「膝下に下れよ」という命令を受けたが、あれは、当時では小沢一郎発だと、考えていたが、今では、井上ひさし発だったと考えている。』

 そう言う専業主婦特有の、噂を利用して、自分が勝つという仕組みと現象は、1975年ごろ、北久里浜で、すでに、経験済だった。J滝夫人から、悪口を、周辺にばらまかれたのである。

 私のブログは、メルマガ時代から、常にハッキングを受けているし、特に読み手として、井上ひさしが読み、そこから、対私への攻撃策を案出する仕組みになっているので、第一回目の、実名を伏せて、遠藤夫人のお掃除方法・ごみ処理問題を書いた時から、それが、仮名であっても、・・・・・これは、シメタ。いいことを思いついた。当該の家を探し出すべきだ。で、遠藤家だって? 家族構成はどうなっている。で、お嬢さんがいる。北鎌倉女子学園に通って居る。じゃあ、その遠藤家の娘をしかるべき名家へ、嫁がせたら、それは、決定的に、彼女(=雨宮舜、本名、川崎千恵子)の負けになる。・・・・・というわけになり、それからは、伊藤玄二郎が持つ、情報網を駆使し、妙本寺に適切な青年が、いると言う事で、お見合いが設定されたと、私は、考えます。

 私は、1987年だったかなあ。新聞の神奈川版、高額納税者というところに18番で、名前が載りました。で、そのころは、三菱銀行、鎌倉支店でも大切にしてもらって、昔は、二階にあった、応接室(一番北側のスペース=リフォーム後の、今は、トイレなどになっている場所)に、「どうぞ、どうぞ」と招じ入れられたものです。しかし、海外で、版画研修をすることにすっかりお金を使ってしまい、かつ、CIAの弾圧によって、何をやっても、お金が儲からない様にさせられているので、今では、すっかり貧乏です。

 遠藤家のお嬢さんが、妙本寺に、お嫁入りなさったと言う案件は、決定的に政治的な案件で、眞子様、圭君の結婚と同じく、CIAが画策した政略結婚です。それについては、遠藤家が引っ越して行った後での事(?)・・・・・または、それが決まっての、直後引っ越して行った後なので、・・・・・何も知らないでいる私に対して、ご近所の富沢夫人を通じて、わざわざ、情報が伝えられたことでも確かです。富沢夫人という女性は、この山でも、もっとも育ちが良いと、私が認識している女性で、背が高くてスリムで、(したがって、八頭身である)声もきれいです。それで、私が評価を高くしていて、道端でも、素直に会話ができる相手だったのですが、最近、6回ぐらい、嫌なことで、敵さんから使役を受けているので、とうとう、私がお冠りになって、はっきりと縁を切ると、決めた相手です。そういう彼女に、我慢強い私がさりげない態度で、接していた時期に、「遠藤家のお嬢さんが、妙本寺へお嫁入りしたのよと、わざわざ、教えてくれたのでした。そのころ、私が、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの真実について、何か、一段ランクアップした真実を書いて居たので、「やっつけてやれ」と、子供じみた考えで、富沢夫人を使役したのだと、思います。誰が、発令した? 富沢夫人と伊藤玄二郎は、直接の交流はないはずですが?????

 この富沢夫人がもたらした情報は、この2021年10月21日、歌舞伎座のエレベーターに、小学校時代の友人市瀬紀美子さんが突然乗り込んできて、日比谷線、東銀座駅改札口そばで、玉三郎の切符を種に、「(同じ演目をひと月以内に)四回も見たわよ」と、自分の富裕度を自慢した時と、同じ程度に、嫌な思いをしました。しかし、市瀬さんの方は、直後に書き始めたものの、遠藤家のお嫁入りは、なかなか、書けませんでした。

 しかし、心の中には、重く沈んでいて、ある日、それが、噴出したのです。ただし、あくまでも、ハートと、脳みその中だけでですが。

 それは、三菱銀行の貸金庫を出し入れしているときに、ドアの向こうから、「何々様、コーフィーにします。それともお茶ですか?」という声が聞こえたのです。で、私は、貸金庫の担当者に、「え、ラウンジがあるのですか? 私でも利用できるのですか?」と、質問をすると、「会員限定です」と答えが返ってきました。一億円以上の定期を預けている人などが、会員なのでしょう。

::::::::::::ここで、スピンオフをして申し訳ございませんが、1999年の、11月、私は、NYで版画修業中でしたが、急にメトロポリタンオペラに行きたいと思って出かけ、もちろん当日券はなかったのですが、最終的には、その日の【アイーダ】を見ました。四階の最前列で見ました。これは、意外にラッキーです。座席の前の手すりに、イタリア語を英語に翻訳した、セリフが、三センチ幅ぐらいで現れ、流れていくのですが、角度としては、最適な角度であって、舞台と、それの両方を無理なく、一視野に収められるからです。一階をも買ったことがあるのですが、そうはうまくいきませんでした。角度がだめなのです。翻訳を見ると舞台がお留守になります。四回の最前列って、最高の角度でした。

 ところが、その日、切符受け渡し場で、ダフ屋めいた若い女性に私を引き合わせ、その日の切符を急に、買える様にお世話してくれた上流婦人が、切符購入後「外で、食事をとりなさい。」と何度も勧めるのです。しかし、私はメトロポリタンオペラ別翼(別ビル、リンカーンセンターがあるところだと思われる)にあるはずの食堂に、夫人が夫と一緒に、行くらしい、とみてついていったのでした。すると食堂の入り口で、黒服が「なになに様、いらっしゃいませ」と言ったので、『あ、ここは上流階級専用で、一見の客は入れないのだ』と、察して、何も言わずに、その場を離れました。その時は、悲しいとも思わず、『へえー驚いた。アメリカ人でも、上流階級のマダムだったら、こんなに、繊細に、気を遣うのだわ』と、思っただけです。だって、アメリカの富裕層と、私を比較したら、桁が、6桁ぐらい違う資産内容でしょう。リンカーンセンター内食堂に入れないのも仕方がないです。ともかくの事として、アメリカ人でも、上流階級の女性は、ひどく繊細です。中流以下で、ひどい人間もいますけれど。特にNY在住の日本人女性の中にひどいタイプが居ます。:::::::挿入から元へ戻ります。

 しかし、その日は平気だったのに、三菱銀行のラウンジに小柄で貧相なおじいさんが入って行って(定年退職後だし、お金持ちだからかえって、洋服にはこだわらないタイプなのでしょう)丁寧な扱いを受けているのを見聞しているときに、突然に、遠藤夫人を思い出して、ひどく傷ついたのでした。遠藤家と、妙本寺では、資産内容が違い過ぎるでしょう。しかし、もし、ミスター遠藤が、東日本銀行(旧名常盤相互銀行)勤務だったら、この縁組が推進されたのだろうなあと、思い当たるのでした。ともかく、こっちの方が、家を二つも保持していて、賃貸で、住んでいる遠藤家よりは、相当に富裕なはずだったのに、今では、全く逆転して、グサッと、言うぐらい胸をえぐられた。そして、このことをブログで書いた後だったと思うが、遠藤夫人が、不二や前に姿を現して、私をにらみつけた。小錦みたいな巨体を左右に揺るがせながら。これもまた、遠藤夫人を使って、私を脅かそうという仕組みが企画をされ、主人に、「出かけますよ」という合図を出す日、または、金曜日(税務申告用の領収書を入れに必ず、貸金庫を開ける日)に準備をさせ、それこそ、三菱銀行二階のラウンジに待たせておいて、尾行者の連絡とともに、遠藤夫人が目の前に姿を現したと、推察できる。で、そういう予行練習があったからこそ、威圧のために、養老先生が、使われたと、即座に分かったのだった。

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副題5、『ここで、J滝家という一家について、特に娘さんについて、語らないといけなくなった。もし、ミスター遠藤が旧ときわ相互銀行(現在名、東日本銀行)勤務であり、特に東大卒だと仮定をすると、すべてのつじつまが合ってくるのだった。横浜銀行と、東日本銀行が合併して、コンコルディアと名前を変えたのも、私のブログに、その両者がたびたび出てくるからだった。井上ひさし主導の、この改名は、横浜銀行にとっては、大損だったと思う。だから、株を買う人以外に向かっては、いまだに、横浜銀行で通している。

 ところで、ミスター遠藤は、実名をさらしているのにミスター J滝は、半仮名にしておいてあるのは、こちら側の登場人物が五歳の、お嬢ちゃんだからである。この子は我が家で、毎日お菓子を盗み食いをした。もちろん叱ったし、お菓子を隠したりもした。しかし、だめなんだ。どうしても言う事を聞かない。

 五歳の女の子を、これほどの根性悪にしてしまうのは、むろんの事、お母さんが悪い。お母さんが、愛情の偏りを、持っていて、お兄ちゃんは愛するが、こっちの子は、どっちでもいいと思っている。そして、(子供のころにお父さんがいなかったという)お母さんは、その苦労によって、鍛えられているために、ずる賢くて、かかあ天下であって、夫を、いかようにも操作できる。たぶん、こちらも遠藤家と同じく、同じ銀行内の、同僚として勤務しているうちに、社内恋愛で結婚をしたと推察できるが?

 この奥様が、私をどういう人間だと、見ていたかをまず、語らないといけない。夫に彼女は、こういう風に言っていたであろう。「ねえ。あなた。川崎さんって、育ちがいいらしくて、ほんとにねんねなの。バカじゃあないかと、思うほど、世間知らずで、相手を丸め込めないのよ。でもね。子育てだけは上手なの。あそこの家って、いつも子供が遊んでいて楽しそうなの。その上、〇〇さん(当時の北久里浜におけるご近所様)も言っていたけれど、川崎さんって、公平無私なの。だから預けていて安心だわと。だからねえ。下の子を、幼稚園に行かせるのやめましょうよ。上の子を一年間行かせてみたけれど、ここの幼稚園って、何にもしてくれないのよ。だけど、月謝だけは、一万円なの(当時月給が11万円でした。だから、月収の10分の一でした)。行かせるのってバカみたい。川崎さんに預けて居れば、幼稚園より、ずっと楽しく、うちの子、過ごせるわよ」と。

 ところで、1974年の四月からは、三歳の内の下の娘と、五歳のそのお嬢さんが、二人だけで、我が家内で遊ぶこととなりました。そこは地形的に細い半島状態で、ご近所の数が少なかったのと、頭の良いお母さんは、よその家で、お世話になれば、それだけ、負担をかけることだと知っていて、幼稚園や、小学校から、年上の子供が帰宅いてから、彼らと一緒に、外で、遊ばせようと考えていたからです。賢い。とても賢い。その上、子供を愛している。

 ところで、五歳とか三歳という年齢の子供の年の差って、ものすごく大きな機能を果たすのです。あの条件が無かったら、J滝家のお嬢さんも、ああいう事(お菓子の盗み食い)はしなかったかもしれない。ともかく、二人だけしかいなくて、しかも遊び相手は、徹底的に手下でありいう事を聞かせられる・・・・・しかも川崎家で、おやつが提供されるのは、以前から、知っているし。それが、どこに置いてあるかを見つければ、自由自在に好きなだけ食べられる・・・・・と考えたのでしょう。大体、いつもビスケット、(森永チョイス)だったら、三枚から五枚わたる様に分配していました。だから、それを六枚食べたいとか、七枚食べたいと考えた可能性があります。

 結局悩み抜かされて、かつ、消耗が激しすぎた私は、お母さんを、我が家に予備現場を見せました。押し入れの中で、客布団の間に隠れながら、白いシーツを生キャラメルでべとべとにしている現場を見せました。J 滝夫人にとって、それは、恥ずかしかったと思います。でね、その四年後、例の大詐欺事件(しかし、書類上は地積変更届と、体裁が整っているので、犯罪として、訴えることが出来ない・・・・・ともかく、横須賀市の水道山が、一山全部、或る私人にわたってしまった案件)が起きた当時は、瀬島龍三たちは、J 滝一家を利用しました。ただ、ここで、重要なこと(しかも初出の事)は、その後も、J滝一家を利用し続けたと仮定します。

 それが、あの傲慢なミスター遠藤(鎌倉の方の西隣)の、「やっていません」という言い方になったのではないかしら? 瀬島龍三(戦後日本の最大のCIAエージェント。表向きは伊藤忠のトップ)は、ミスターJ 滝に、「やっていなかったと言う事にしなさい。証拠なんか残っていないだろう。やっていなかったと言う事にすれば、川崎千恵子が悪者だと、なるし、一石二鳥だ」と、言い聞かせたのではないかしら?

 その後、J 滝一家に出会う事はありません。ただし、こちら、鎌倉雪の下の、西隣の前の住民、ミスター遠藤に、「あなたが、この前言っていたあの件ですが、うちの家内は、やっていませんよ」と、言い放たれたときに、非常に不思議な気がしました。その時まで、一般的に言って、普通の人だと、思っていたのに、急に違うッと感じました。その時は、彼に向かって、「あなた、ときわ相互銀行勤務ですか?」とか、「J滝さんを、知っていますか?」とは質問をしなかったのですが、今では、この推察は正しいと、信じています。

 引っ越してきた直後から、ご主人と、息子さんお嬢さんの三人は、どうも暗いなあと、思っていたのです。彼について、「東大卒ではないかしら?」と何かが起こる以前から、思っていたのは、東大卒でも、勝ち組気質を持っていない人もいるからです。意外と、人生を暗い感じで、過ごす人もいるからです。威張りまくって暮らす人もいるが、頭がいいだけに現実社会に合わなくて、暗い気分で過ごす人もいるのです。遠藤家って、古い木造の平屋で、南側に大きな木が生い茂っている如何にも暗い家でした。・・・・・アンナ、古ぼけた家に、しかも貸りて住むなんて、何か、隠しごとの有る人たちだ。ともかく、ひっそりと秘密を抱えて住んでいる・・・・・と感じていました。が、もし、J 滝家と、知り合いでCIAエージェントたちに頼まれて、あそこに移り住んでいたと仮定したら、あの暗さと、秘密主義もぴったんこカンカンであたりとなります。

 ミスター遠藤一家の子供が大出世を遂げた様に、J 滝一家も大出世を遂げている可能性があります。お嬢さんはそれこそ、猫をかぶって東大卒の、銀行マンと結婚をしている可能性は高いです。それも横浜銀行か、三菱銀行のね。

 ところで、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)達の画策が子供たちの出世という側面に表れているケースを、これから語りたいと思います。反対に、うちの子は、非常に弾圧をされていて損をこうむっています。本当にひどい話で、ただ、ただ、神様に聞いていただきたいと思って、これを語ります。

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コメント
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