あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Kill A People Love ~愛が人を殺す~

2016-06-15 19:58:29 | 存念
理想のぷろぽーうって言うと、ぷろぽーうって何?
私は日本語をしっかりと話せないのかっ。
理想のプロ―ポーズというと、私はなんといってもアレですね。
あのアニメの中のプロポーズです。
「妄想代理人」っていう今敏監督のシリアスなアニメの第三話のあのプロポーズが
私は大好きで、いいな、すごくいいプロポーズだなと思うんです。
でもまたこのプロポーズする男性がそれを狙ってたらダメなんですよね。
ごく自然に、本人が本当にふっと思いついてプロポーズするというような
狙って出せるプロポーズじゃないんですよね。
真剣に好きなあまりに「お茶、淹れてもらえませんか」と同じ調子で言ってしまった。
みたいなプロポーズなんです。

ただかなりシリアスなアニメなので、ちょっと何度も観る気になれないという
あそこだけ観てもしょうがないし、観るなら全編通して観なくちゃダメだし
ダメだので、勇気が要ります。

このアニメはほんと、シリアス過ぎるんだよな……好きなアニメなんですけれども。
でもこのアニメはこの世の真理が隠されているようなアニメで、それだけにとても深いアニメなのです。

疲れた現代社会を癒す人気マスコットキャラクター「マロミ」をデザインした鷺月子は、ある夜、通り魔少年バットに襲われた。突如世間に現れた少年バットは次々と人々を襲いはじめ、市井の人々を恐怖へと陥れていく。しかし、幾人も被害者が出、多くの目撃者がいるにもかかわらず、少年バットは一向に捕まりそうになかった。
少年バット事件を担当する刑事の猪狩慶一と馬庭光弘は、捜査を進める中で、被害者の持つ『不思議な共通項』に辿り着く。


というストーリーで一見少年犯罪のアニメかと思われるかもしれませんがまったくかけ離れたテーマなんです。
不思議でぞわぞわと来るある意味犯罪とかの何百倍もの怖い話です。

人間の価値観、概念などをぶっ壊すようなテーマと言えます。

そうゆうものをお求めの方は是非ご覧になったほうがいい。すごく面白いアニメです。
しかも音楽は平沢進です。

でもそのプロポーズだけが気になって仕方ないという方はこの第三話の


【妄想代理人】【第3話】『ダブルリップ』



これだけ観てみてください。(セックスシーンの音声から始まるので音量には気を付けてください汗汗汗)
人間の闇、そんなものを覗きたい人もこのアニメは面白いと思います。
なんかちょっと笑ゥせぇるすまんっぽい言い方な気がしたけど
笑ゥせぇるすまんも怖い漫画だよなぁ…

人間の闇を描いた漫画……「惡の華」って漫画も途中まで読んでたけれども、一体どういう終わり方をしたんだろう。
そういえば楳図かずおの「洗礼」って漫画も最後まで読めてない。
望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」は昔に読んでものすごく面白かったですね。
こういうテーマの小説は一度は書いてみたい。
極限状況で人がどう化けるか、というのはよくテーマにされているけれども
化け方というのも一人一人違う化け方なんじゃないかと思うし、それを想像だけで作り上げていく作業というのは
非常に難しくて面白いと思います。

「人間の闇を描いた漫画、鬱になる漫画」で調べてましたが
私の一番好きな華倫変(かりんぺん)の漫画を挙げている人が一人もいなかった。
あんな漫画を描ける人はもう現れないんじゃないか。
華倫変という人は、まさに極限状況で描き続けた稀有な鬼才の漫画家でした。
人間のどうしようもない闇を描いているのにあんなに切ない気持ちになる漫画は他にありません。
あんなに美しい切なさのある漫画は他にないなぁ……

なぜ美しいかというと、ものすごく深い悲しみで描かれているからです。
なぜ深い悲しみは美しいのかというと、悲しみで普遍的で代表的なものというと、
愛する者を失うこともあると思いますが、愛されないことの悲しみだと思うんです。
これは自分含めての。
自分が自分に愛されないことの悲しみ。
なぜ悲しいかというと、愛されたいと人間は願っているからです。
愛されたいのに愛されていないことの悲しみ。
愛されたいと望むこと、愛を求めること自体が私は愛だと思っています。
なんでその悲しみ(愛)は美しいかというと、愛というものを美しいと人間は感じる本能があるからだと思うんです。
その愛が深いほど美しいと感じるように人間は創られている。

マザー・テレサは「この世で一番大きな苦しみは、一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです」と言いましたが、大きな苦しみは大きな悲しみと言い換えていいと思います。
これは実際そういう人のことではなく、そうだと自分で感じている人という意味だそうです。
「誰からも自分は愛されていないように思う」その「誰からも」というところに自分も入っているわけです。
それが苦しいほど、その人は愛を求めていることになります。
愛を求めることは愛であるので、その人、その存在自体が愛です。
自分が憎い、自分が嫌い、だと感じている人もそれは苦しいことですから、その苦しみ自体が愛であることの証なのです。
深い自己憎悪、自己嫌悪から様々な問題や犯罪は起こりますが、それも愛の仕業なのです。
「愛が人を殺す」「Kill A People Love」をGoogle翻訳すると「人々が愛して殺す」と出ました。

愛はこの世で一番苦しく悲しいものであり、一番美しいものなのです。






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