「坂本龍馬は明智一族の子孫」という話について肯定的な見方をしていることは既にこのブログに書きました。
★ 坂本龍馬先祖の脱出ルート捜査
そこで武市半平太(たけち・はんぺいた)が明智光秀の子孫という説を斬ってみたいと思います。
★ Wikipedia「武市半平太」記事
「そんな説あるの?誰が言っているの?!」
実は、ありません。私自身が言っているだけです。
何故、そんなことを言っているかというと私の高校時代のちょっとした体験から思いついて、以前からそう考えていたのです。
高校1年生のときに同級生に「武智」(たけち)君がいました。
授業中に先生が「はい、次は○ケチが読んで!」と指名するのですが、それが武智なのか明智なのかわからず、二人で中腰で立ち上がって「お前か?俺か?」と顔を見合わせることがしばしばありました。
明智一族は世を忍ぶため名字を変えて暮らしていました。私の先祖も明田(あけた)を名乗っており、明治時代になって政府に復姓を願い出て明智に戻しています。
坂本龍馬の先祖も大浜姓を名乗っていたのを坂本姓に変えています。元の姓に戻さずに、明智一族の本拠地・近江坂本にちなんだ姓に変えたわけです。ということは、元の姓がやはり「明智」であり、そう名乗るのはまずいという判断があったのでしょう。土佐に逃れた明智一族郎党で記録の残っている石谷頼辰(いしがいよりとき)や斎藤利三の家族は石谷、斎藤といった姓を変えてはいません。つまり、「明智」だけはどうにも目だってしまって名乗れなかったのでしょう。
こう考えると、土佐に逃れた明智一族郎党の中でも明智姓の家系だけは姓を変えたと考えられます。
先祖代々受け継いできた姓を変えるときの心境はどのようなものでしょうか?
自分達の身を守るためには変えざるを得ない、でもできるならば変えたくはない!いずれ時代が変わったら子孫には元の姓に戻して欲しい。そう思ったのではないでしょうか。
そういう思いから、他人には明智一族と見破られず、かつ自分達には明智一族の手がかりを残す姓を選んだのでしょう。坂本龍馬の先祖もそう思って大浜(明智一族の手がかりなし)から坂本(手がかりあり)に改姓したわけです。
そう思って見ると「武市」という姓は非常によくできています。
文字を見る限りでは「明智」を連想させません。音を聞くともろに「あけち」にも聞えます。
これが、私が武市半平太の先祖は明智一族ではないか、と考えた理由です。
ところが、Wikipediaの「武市半平太」記事の中に次の2つのことが書かれています。
①武市半平太は坂本龍馬の遠縁にあたる!
(坂本龍馬が明智一族なら、武市半平太も明智一族!!!!)
②江戸に出て入門した剣術道場は「鏡心明智流」
(鏡心明智流と明智一族は無関係かもしれませんし、読みも「きょうしん・めいちりゅう」のようですが、「明智」という文字で入門先を選んだ可能性もあるでしょう)
どうでしょうか。まだまだ「歴史ロマン」のレベルでしょうか。「坂本龍馬との血縁関係」が史料で確認できれば少なくとも坂本龍馬と同じレベルで明智一族といえることになります。高知県の武市家に残されている古文書に何か書かれていないものかと期待しています。
なお、改姓の件についてご理解いただくためには「子孫の思い」を理解していただく必要があるかもしれません。以下のページをご参照ください。
★ 真実解明に駆り立てた「子孫の思い」
★ 織田信長ご子孫の本能寺での一言
★ 子孫のこだわり
【お知らせ】
本ブログは『本能寺の変 四二七年目の真実』著者のブログです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
★ このブログの説明のページ
★ このブログの目次(サイトマップ)
★ 坂本龍馬先祖の脱出ルート捜査
★ 龍馬伝:坂本龍馬と岩崎弥太郎
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は!
★ 日光東照宮桔梗紋説を斬る!
★ 愛宕百韻の解読捜査シリーズ
①捜査開始宣言
②標的の確定
③表の意味解釈
④土岐氏の流れ
⑤完全解読の意義
⑥遂に完全解読
★ 怨恨説を斬る!
★ 野望説を斬る!
★ 本能寺の変は三面記事?!
★ 通説の創作者は秀吉!
★ ノイローゼ説を斬る!
★ 発作的犯行説を斬る!
★ 朝廷黒幕説を斬る!
★ 朝廷黒幕説を斬る!(続き)
★ 足利将軍黒幕説を斬る!
★ 足利将軍黒幕説を斬る!(続き)
★ イエズス会陰謀説を斬る!
★ イエズス会陰謀説を斬る!(続き)
★ イエズス会陰謀説を斬る!(続きの続き)
★ 日光東照宮桔梗紋説を斬る!
★ 「敵は本能寺にあり」を斬る!
★ 「是非に及ばず」を斬る!
★ 安土城放火・織田信雄の冤罪を晴らす!
★ 安土城放火・織田信雄の冤罪を晴らす!(続き)
★ 坂本龍馬先祖の脱出ルート捜査
そこで武市半平太(たけち・はんぺいた)が明智光秀の子孫という説を斬ってみたいと思います。
★ Wikipedia「武市半平太」記事
「そんな説あるの?誰が言っているの?!」
実は、ありません。私自身が言っているだけです。
何故、そんなことを言っているかというと私の高校時代のちょっとした体験から思いついて、以前からそう考えていたのです。
高校1年生のときに同級生に「武智」(たけち)君がいました。
授業中に先生が「はい、次は○ケチが読んで!」と指名するのですが、それが武智なのか明智なのかわからず、二人で中腰で立ち上がって「お前か?俺か?」と顔を見合わせることがしばしばありました。
明智一族は世を忍ぶため名字を変えて暮らしていました。私の先祖も明田(あけた)を名乗っており、明治時代になって政府に復姓を願い出て明智に戻しています。
坂本龍馬の先祖も大浜姓を名乗っていたのを坂本姓に変えています。元の姓に戻さずに、明智一族の本拠地・近江坂本にちなんだ姓に変えたわけです。ということは、元の姓がやはり「明智」であり、そう名乗るのはまずいという判断があったのでしょう。土佐に逃れた明智一族郎党で記録の残っている石谷頼辰(いしがいよりとき)や斎藤利三の家族は石谷、斎藤といった姓を変えてはいません。つまり、「明智」だけはどうにも目だってしまって名乗れなかったのでしょう。
こう考えると、土佐に逃れた明智一族郎党の中でも明智姓の家系だけは姓を変えたと考えられます。
先祖代々受け継いできた姓を変えるときの心境はどのようなものでしょうか?
自分達の身を守るためには変えざるを得ない、でもできるならば変えたくはない!いずれ時代が変わったら子孫には元の姓に戻して欲しい。そう思ったのではないでしょうか。
そういう思いから、他人には明智一族と見破られず、かつ自分達には明智一族の手がかりを残す姓を選んだのでしょう。坂本龍馬の先祖もそう思って大浜(明智一族の手がかりなし)から坂本(手がかりあり)に改姓したわけです。
そう思って見ると「武市」という姓は非常によくできています。
文字を見る限りでは「明智」を連想させません。音を聞くともろに「あけち」にも聞えます。
これが、私が武市半平太の先祖は明智一族ではないか、と考えた理由です。
ところが、Wikipediaの「武市半平太」記事の中に次の2つのことが書かれています。
①武市半平太は坂本龍馬の遠縁にあたる!
(坂本龍馬が明智一族なら、武市半平太も明智一族!!!!)
②江戸に出て入門した剣術道場は「鏡心明智流」
(鏡心明智流と明智一族は無関係かもしれませんし、読みも「きょうしん・めいちりゅう」のようですが、「明智」という文字で入門先を選んだ可能性もあるでしょう)
どうでしょうか。まだまだ「歴史ロマン」のレベルでしょうか。「坂本龍馬との血縁関係」が史料で確認できれば少なくとも坂本龍馬と同じレベルで明智一族といえることになります。高知県の武市家に残されている古文書に何か書かれていないものかと期待しています。
なお、改姓の件についてご理解いただくためには「子孫の思い」を理解していただく必要があるかもしれません。以下のページをご参照ください。
★ 真実解明に駆り立てた「子孫の思い」
★ 織田信長ご子孫の本能寺での一言
★ 子孫のこだわり
【お知らせ】
本ブログは『本能寺の変 四二七年目の真実』著者のブログです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
★ このブログの説明のページ
★ このブログの目次(サイトマップ)
★ 坂本龍馬先祖の脱出ルート捜査
★ 龍馬伝:坂本龍馬と岩崎弥太郎
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は!
★ 日光東照宮桔梗紋説を斬る!
★ 愛宕百韻の解読捜査シリーズ
①捜査開始宣言
②標的の確定
③表の意味解釈
④土岐氏の流れ
⑤完全解読の意義
⑥遂に完全解読
★ 怨恨説を斬る!
★ 野望説を斬る!
★ 本能寺の変は三面記事?!
★ 通説の創作者は秀吉!
★ ノイローゼ説を斬る!
★ 発作的犯行説を斬る!
★ 朝廷黒幕説を斬る!
★ 朝廷黒幕説を斬る!(続き)
★ 足利将軍黒幕説を斬る!
★ 足利将軍黒幕説を斬る!(続き)
★ イエズス会陰謀説を斬る!
★ イエズス会陰謀説を斬る!(続き)
★ イエズス会陰謀説を斬る!(続きの続き)
★ 日光東照宮桔梗紋説を斬る!
★ 「敵は本能寺にあり」を斬る!
★ 「是非に及ばず」を斬る!
★ 安土城放火・織田信雄の冤罪を晴らす!
★ 安土城放火・織田信雄の冤罪を晴らす!(続き)
『龍馬伝」は、初回しか見なかった、歴史オンチでズボラな人間ですが、以前、職場近くの歴史を調べておりました。
鏡心明智流の道場後が、御近所なのです。
同時に、明智さまの御本を拝見していて、「あれ?御関係あるの?武市さんは”たけち”と読むし??」
少々、混乱しました。
歴史は過酷な世界ですが、御関係者さまだと、勝手に、少し、嬉しいです。私は全く無関係なんですが。