本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

愛宕百韻の解読捜査(捜査開始宣言)

2010年05月02日 | 歴史捜査レポート
 明智光秀が本能寺の変の直前に京都の愛宕山(あたごやま)で催した連歌(れんが)を愛宕百韻(あたごひゃくいん)と言います。
 ★ Wikipedia「愛宕百韻」記事 

 光秀の発句(ほっく)として通説となっている「時は今 あめが下知る 五月かな」は羽柴秀吉の手によって改竄されたものであることは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた通りですし、ブログの記事でも紹介しています。

 要は秀吉は本能寺の変という事件を光秀の個人的な怨みつらみや天下取りの野望から起こしたことにしたかったのです。丁度おあつらえ向きの光秀の句があったので、それを少し書き変えて、「土岐氏である自分が天下を取る五月になった」という意味に仕立て上げたのです。まことに残念なことに、秀吉の目論見通りに世の中に浸透して、これが通説となってしまいました。四百年以上に渡って日本人は秀吉にだまされてきた。だから、本能寺の変の真相が謎のままになってしまったのです。邪馬台国の謎と異なり、本能寺の変の謎はこうして意図的に作り出されたものです。

 私は極めて科学的な方法によって、この秀吉の嘘を暴きました。そして、本当の光秀の句は「時は今 あめが下なる 五月かな」だったことも明らかにしました。「あめが下知る」であることを前提として様々な意味解釈が行われてきましたが、その努力が全て無駄な試みだったのです。
 ★ 愛宕百韻全文 ← 無駄な試みの一端がうかがえます

 光秀が祈願を込めた、その意味は「土岐氏は今、五月雨(さみだれ)にたたかれているような苦境に立たされている五月だ」ということでした。「六月になればその苦境から脱出したい」という祈願だったのです。
 ★ 土岐氏解説集(土岐氏を知らずして本能寺の変は!)

 ところで、連歌とは別の人の詠んだ「上(かみ)の句」に別の人が「下(しも)の句」をつけて和歌を完成させるもので、さらにその「下の句」に別の人が「上の句」をつける形で連続して50組の和歌を完成させるのが百韻です。
 ★ Wikipedia「連歌」記事
 
 したがって、光秀の詠んだ発句の後に続く句も発句の意味を継承していなければなりません。それでは、誰がどのような句を詠んだでしょうか。そして、その意味を読み解くことができないものでしょうか。今回はそれを捜査したいと思います。
 またしても「日本史研究での初の試み」です。この捜査結果は続編をお楽しみに!
 
<<続く>>
 ★ 愛宕百韻の解読捜査シリーズ
     ①捜査開始宣言
     ②標的の確定
     ③表の意味解釈
     ④土岐氏の流れ
     ⑤完全解読の意義
     ⑥遂に完全解読
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