赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 21

2018-08-06 18:08:21 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

*⑳からの続き。

(オオ日本の女性)だ。

が、脚線の伸びた彼の国の女性を見慣れた目には、一寸いただけない感じ?
若かった。
昭和二十四年十月三十日午後四時頃? 舞鶴港の復員列車。

燈の灯るころ京都駅着。 窓越しに見えるのはフォームに貼られたロープ
(運動会の綱引き位の一寸細め)。 そして二米間隔位に立つポリ公の背中。
一寸止まっただけで直ぐ出発。 真夜中名古屋駅。
御同様ロープとポリ公の背、背、背。
フォームを隔てた客車ではヤンキーの馬鹿騒ぎ。

夜が明け、暫くして静岡駅着。
婦人会のタスキを掛けた御婦人方に(若い娘も居た)ご苦労様でしたと、
お茶の接待を受ける。 涙に目が霞んで母の顔、姉の顔が交錯する?
何のためのロープ。 ポリ公の厳戒。 何故だ何故?何のため。
胸中去来するものは、空しさと阿呆らしさ。
四年間の空白。それを埋めるものは? 

昨年(昭和二十三年)発令された
マックアサーレッドパーディー(赤追放)その故?
そしてわれわれ、赤の精鋭で有る と?
満四年もソ連に抑留洗脳された積極分子で有る との見解?

冗談じゃない、誰が好ん厳寒の地に、
食糧も無く、栄養失調で斃れて行く仲間を、
何のなす術もなく傍観 (しなければならなかったのか)。
最低のドン底の中で、頼れるものは只自己のみ。
神も仏も? 只有るものは自分自身。 自分に負けたものが敗者。即(ち)死。
(彼等の遺品を)温かい家族の手にと(思っても)、途中下車禁止。

嘗て復員した連中、大挙して入党。可也ハデにやった様だ
(俺達には資本主義と共産主義、比較対照してみれば) 
彼らは若かった。精神的に。且つまた思想的にも染め易かった連中が。
亦それゆえに俺達よりは早く帰れた訳。
満四年も居たから精鋭? とまれ見解の相違。
同化出来得なかったからこそ帰国が遅れた、そのほうが妥当だろう。
先に帰った連中調子込み過ぎ、日本共産党でも厄介者になった。

ヤポンスキー、ワインナプレンナ、ソルダット、ガヂレータ
日本人戦時捕虜兵新聞)に野坂批判なるものが掲載された。
彼らの所業、プラスよりもマイナスの面が多かった。
だからこそ理論的意識水準の低いのが一番困る。
何時の世にも、いつの日も。

上野駅着。家族が迎えに出て居るが、俺には居ない。
此処からは普通列車。迎える人も無く、案内に従って乗車間もなく発車。
見るともなく目に入って来たのはビルの窓から振られる赤旗、赤旗。
何故赤旗が。目を一方に転ずれば前記の都電の姿。
只只無我の境地。好く云えば、只放心した?もぬけの殻。
過去現在が去来する。

宇都宮駅着。長兄が乗る。出征前の兄とは・・・・・・
兄貴かと聞く
終戦の齎した(もたらした)もの、
それは、肉体的精神的にもあまりにも過酷であった。

  *編者注

・ヤンキー イギリスや日本でアメリカ人を指す俗称。

・マックアサー: マッカーサー。連合国軍最高司令部の最高司令官、
 アメリカ人のダグラス・マッカーサー元帥。

・レッドパーディ: レッドパージ。マッカーサーの指令に依り、
 日本共産党員やシンパ(同調者)が公職を追放されたことに連動して、
その期間の前後、共産党員や支持者とした人を公務員や民間企業が
解雇した動きを指す。 赤狩りと呼ばれ、1万人以上が失職した。

・比較対象してみれば: それぞれの主義1良しあしが自分で判断できる。

・日本人戦時捕虜兵新聞: ソ連が日本人捕虜向けに発行した新聞。
 捕虜に対する共産主義教育などを目的とした。日本名では日本しんぶん。

・兄貴かと聞く: 戦前と比べ余りの変わり様に、本当に兄貴か?と。

*22へ続く。

 

 

 

 


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