田村乃小史
影山 筆
*表紙は田村清顕公の直筆の掟書きの一部の写真を用いた装丁となっている。
*田村清顕公の掟書原本(福聚寺宝物)とその解読書写し(ゝ部、文字不明)
一、向後入寺之者依子細被指置候共門外不出
以ゝ勘忍可被指置候若請御造作候者共身
可ゝゝ及事
一、寺中不行儀者被指置間敷事
一、於御門前悪名之者候者老父如一筆可及取
刷事
天正十年壬午二月吉日 清顕 花押
福聚寺 進献
*田村乃小史 奥付
*編者注
・田村乃小史: もともと田村郡史跡保存会の会員向けに少数発行された小冊子。
著作及び編集は三春町尼谷の新聞記者、影山常次氏。
旧中妻村の神山文書を基にして書かれたものとされる。
著者の序文に始まり、田村郡の沿革、政治、経済、芸術宗教、
学術、凶作、道徳その他の資料によって構成されている。
特に三春地方関連資料が豊富な、175ページに及ぶ貴重な小史。
*手元の小史は、私の祖父 菅 喜代亀が昭和34年春に、
三春町教育委員長付だった時に教育委員長より送られしものとのこと。
当時の三春町長 渡辺政巳氏は喜代亀のいとこなりという。
小史は喜代亀から実質長男(実長男 早世)である私の伯父 正次郎に贈られた。
・天正十年壬午(みずのえうま): 1582年。この年6月に本能寺の変。
・(田村)清顕(きよあき): 三春城の築城年は不明だが、
永正年間 (永正元年(1505)とも13年(1518)とも)に
田村義顕が守山城(現在の郡山市)から三春城に本拠を移した(当時は山城)。
田村氏は田村郡全域を支配する豪族で、隆顕、清顕と三代にわたり三春城主となる。
清顕は一人娘の愛媛(めごひめ)を伊達正宗の正室とし伊達家との絆を深めるも、
秀吉の小田原征伐に参陣しなかった(正宗の指示による)ため、
秀吉の奥州仕置により改易となる。
其の後、伊達正宗代官片倉小十郎、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松下氏らへと城主が変わり、
正保2年(1645)、秋田河内守 俊季が城主となり、
以降、幕末まで秋田氏が三春城主(三春藩主)。
・田村郡: 福島県中通の中部から東部にかけての地域。
・奥州仕置: 天正18年(1590)、秀吉が行った奥羽地方への領土仕置(奥羽仕置とも)。
・秋田河内守俊季(としすえ): 江戸時代初期の大名。常陸宍戸2代目藩主から、
正保2年(1645)陸奥三春へ55,000石で転封。
・宍戸藩: 慶長7年(1602)出羽秋田より 安東愛季(秋田愛季)の子秋田実季が、
常陸宍戸へ50,000石で入ったことにより立藩。其の後実季は蟄居を命ぜられ、
嫡男の俊季が二代目藩主となるも、俊季が三春へ転封となり、
以降宍戸は幕府領・水戸藩領となる。
・安東愛季(ちかすえ/よしすえ) : 戦国時代~安土桃山時代にかけての、
出羽の国の戦国武将。下国(檜山)安東氏8代当主。