赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ⑧

2018-05-31 18:55:00 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

*⑦からの続き

(「ハラショウ ボータ」(好く働いた)との(褒美のつもりか)
飯)盒の蓋に一杯。 美味い。

作業引率のロスケの将校、仁丹の広告の様な髭はやした奴、 歌唄え と。
三国干渉に、悲憤慷慨(ひふんこうがい)。
幼年学校の生徒作詞 「血汐と替えし遼東に・・・ロスケを切りて生贄(いけにえ)・・・」
唄ってやると ロスケ(彼らはロスキー) 分かるらしくニコニコしてる。
悪口言われているのに、と話しあったが?
彼らが吾々を殺す と言ったって分からんのだから天下泰平。

明日も水汲みやって、ロスケのチャー飯・・・そうは問屋が卸さない。
翌日はモシカに来て最初の犠牲者(初年兵 山形出身)が出る。
五、六人で墓穴掘りに行く。が、何せ凍土。 鶴嘴はなくバールスコップ(携帯用)。
帰りに 枯れ木を積んで火をつける。翌日、溶けた土だす。
何せ穴掘り人足、片足穴に突っ込んで居る奴等。 幾日かかったか。

そのうちに職業調べ。 それぞれに書いて出す。
特務機関、警察、坊主(坊主只儲け 人民の敵である と)等々は誤魔化せ、と。
愈々本格的になる。 
梅林での大隊編成が可怪しい(怪しい)と思ったらその通り。
工作隊 伐採。輜重隊 搬出。船舶工兵 製材所 (三交替)。 吾々は搬出。

盗まれてきた馬も可愛そう(可哀そう)。六〇六(馬の№)号と意気投合して
ノルマの達成出来ない事。
午前一回、午後一回。 馬も二回目になると絶対動かない。
ある日曜日、馬の手入れに行く。 柴木を束ねて馬の身体をこする。
同病相哀れむ でやっていると、 
ロスケ 「お前は丁寧に馬体の手入れをしている。明日から厩舎に来い」 と。
小隊では ニハラショウボータ (働き足りない。小隊のノルマが上がらない)ので、
一も二もなく承知。 何処でどうなるかわからない。
夜間作業と言っても、朝夕、馬全頭の体温計り。
体温計五、六本持ち厩舎当番に手伝わせる。此れは真面目にやった。

此処にドイツ兵が一人いた。可愛想な位オタオタして、
ロスケを見ると 「スターリン、スターリン」と怖がって居る。
吾々から見れば不思議だが、実際に戦闘を交えた連中、わかる様な気もする。
その彼も 間もなく姿見えなくなる。

小生もラーゲルに居た時は 毎晩十二、三回小用に起きてたが、
それにも開放され、やっと幾分体調が整ってきた頃、同年兵二~三人入院する。
何かと思ったら、盗んできた馬鈴薯の過食に依る下痢。
体力が極度に落ち込んでる時の下痢、命取りだ。 其の後どうなったか不明。

俺の場合は あまりの空腹に耐えかねて馬鈴薯盗み。
マンマと忍び込み、ポケット満杯になった途端、スカートの兵にホールドアップ。
只一つ持って来た馬鈴薯の 美味であった事。
彼女は、救世主?

職業別申請の後、亦々床ヤ「理髪業)いないか。

  *編者注

・三国干渉: 明治28年(1895)下関条約(日清戦争の講和条約)で、
 遼東半島、台湾等を日本に割譲することなどを定めた。
しかし、締結により遼東半島の割取を要求したことに対し
ロシア、ドイツ、フランスの三国が東洋艦隊の武力を背景に、
清国への還付を勧告した干渉事件。

・悲憤慷慨: ひふんこうがい。自分の運命やおかれた状態に対して、
 憤慨し嘆き悲しむこと。

・遼東: りょうとう。中国遼寧省東部、遼河以東の地域をいう。遼東半島。
 明治38年(1905)、日露戦争の結果、遼東半島の南端部は日本の租借地となり
関東州と呼ばれていた。

・鶴嘴: つるはし。硬い土などを掘り起こす時に用いる鉄製の道具。
 先端がツルの嘴(くちばし)に似ているところから。 十字鍬とも。

・バール: 鉄梃(かなてこ)。梃として利用する鉄製の棒状の道具。

・スコップ(携帯用): 軍隊用語で円匙(えんぴ)と呼んだ陸軍歩兵の必需品。
 塹壕を掘るときなどや、接近戦では武器としても用いた。

・愈々本格的に: 捕虜生活が本格的に・・・。

・意気投合して~: 担当している馬と気が合って(お互いに無理をしたくない)
 仕事がはかどらない=ノルマが達成出来ない。

・スターリン: 旧ソ連で、1929年スターリン政権を確立。
 1953年に死去するまでの24年間、政権の
座にあり、粛清等 独裁政治を行った。

・ラーゲル: ラーゲリ。本来収容所やキャンプを意味するロシア語だが、
 日本などではソ連における強制収容所を指して使われることが多い。

・馬鈴薯: ばれいしょ。ジャガイモのこと。 

・スカートの兵: ロシアの女性兵士。

・彼女は救世主?: たった一個だが、ジャガイモを お目こぼし。

*⑨へ続く。

★この稿の関連記事。 「入ソ当時の思い出」 栃木県  菅 房雄
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「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ⑦

2018-05-29 17:45:36 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

⑥からの続き。

(当番兵マ) ルマル肥って居る。軍隊地獄の縮図か。
丁度この頃だ。何か外が騒々しい。
黒シャツの兵 (挺身切り込み隊。各部隊より選り抜いて編成)が
黒パン輸送のトラックから四(4kg)パン
(ロシヤパン 大きめの枕位ある)、ラグビーよろしく兵から兵の手。
捕らえ様もない ホンの僅かの時間に目的を果たし、消えてしまった。
好くカンボーイに発砲されなかった と。

或る夜の点呼の時、屋外マイナス四十度位はある。
右へならえで右を見たら、防寒外套の上に何か居る。
瞳を凝らせば「虱」。 魂消たものだ。
翌朝 隣に寝てる丁上等兵、呼べど答えず眠ってる。
好く見れば 永遠の眠りに着いた(就いた)ものだ、彼の虱の持ち主。
虱も身体に喰いついてれば まだ大丈夫 と 変な安心の仕方をする。

その虱も日中 屋外作業のときは実に静かな存在だが、
夜ともなり暖房が効いてくると、仲仲(なかなか)に大変な代物。
不寝番に立った時が彼等との斗い(たたかい)だ。
赤く焼けたペチカの上で、襦袢 袴下を急ほい(いきおい)よく振ると
さながら胡麻を炒る如し。
時の経つのが早い事、交替の時間。

戦友の亡き骸 埋葬しようにも凍土は穴掘るのを許さない。
空家には冷凍鮪宜しく 兵士の屍 累々と山になって居る。
哀れ 諸行無常。

モシカ(地名。蚋(ぶよ亦はぶと)の如き虫。もっと小さい。群生地なのでこの地名)

十二月に入ってからか? 移動。
俗称 盗人米貨(燃費が高くつくので)。 
ソ連使用のトラックは殆ど此れだ。
乗車、その日の中に着く。
幾度となく見てきた本格的収容所 八〇一分所(四地区八〇一)。
千人単位が六百人に減る。 死亡、入院。
「土方殺すにゃ刃物はいらぬ」 唄があったが
「兵隊殺すにゃ原爆も大砲の玉もいらない」
飯を喰わせなけりゃ、栄養失調でドンドン死んでいく。

ここに来ても 亦 而り(然りの意) ノルマによる給食。
携行してきた岩塩(乾パンの袋にいれ各自持って居たが、
間もなく逃亡につながるとの理由で没収される)。
飯盒にお湯沸し岩塩汁、只の水より腹の足しになる。

青白い浮腫の来た身体。 に出来物が一杯、
化膿して袴下に癒着。
動く度にピリピリと痛い。 医務室に行けば 軍医曰く
「何も薬なし。 ロスケに見つからんうちに早く行け」

入所当時は雑用。 病院(此れから使用)清掃、薪割り、水汲み。
ロスケの炊事場、何をやっているのかと覗いたら
油の中にコンビーフ、グリーンピース、其処に茹でた米、ブッ込む、出来上がり。
「ハラショウ ラボータ」 (好く働いた) との(褒美のつもりか)、
飯盒の蓋に一杯。  美味い。

  *編者注

・挺身切り込み隊: 戦局の悪化に伴い、各師団命令等によって編成された特別部隊。 
 爆薬を背負い敵陣に突入、敵人員の殺傷や兵器の破壊を行うことによって、
敵の攻撃能力を低下させることを任務とした、文字通りの決死隊。

・ペチカ: ロシア式暖炉。煉瓦でつくられた暖房兼炊事用の炉。

・襦袢 : じゅばん。和服の下に着る下着のことだが、
 此処では軍衣の下に着用する兵用下着のこと。

・袴下: こした。軍袴(兵用ズボン)の下に着用するズボン下のこと。 

・モシカ: ハバロフスク地方アムール州、イズベスト地区内の地名。 

・米貨: アメリカ製の貨物(輸送)トラック。ソ連への供与は41万台に及ぶ。
 第二次大戦中アメリカは、レンドリース(武器貸与)法によって
ソ連や、英、中、仏その他の連合国に対し、大量の軍需物資を供与した。

・八〇一分所: モシかにあった第八〇一収容所のこと。 ロシア革命当時、
 捕らえた白系ロシア人たちを収容し、シベリア鉄道本線のイズベストコーワヤから
コモリスクに通じる森林鉄道を完成させたといわれる。
 

・肢: し、または、え。体のえだの意から、手足のこと。

*8へ続く。

★この稿の関連記事。 「入ソ当時の思い出」 栃木県  菅 房雄
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「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ⑥

2018-05-27 08:39:27 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

*⑤からの続き。

(アンペラを巻めて担いで居るもの、ドラ) ム缶半切り、駕籠かきよろしく担ぐ者。
各人の腰には缶詰の空缶 針金で把手(とって)を付けたのをブラブラ。

道路端を流れる水。満州の水と違い実にきれいだ。
それをチョイチョイ飲む。水が充分に飲めるだけましか。
只 夢遊病の如く歩く。歩く。
暗くなり大きな建物に入る。土間、コンクリート。アンペラを敷き横になる。
寒さは寒いが疲れて居るので眠る。

朝起きて炊飯。高粱の原穀、一寸位じゃ煮えたものじゃない。
炊き上がらない飯盒担いで出発。 編上靴 氷水にすべる。千人が一列縦隊。
蓬(よもぎ)の葉(タバコ代用品)なぞ一枚もない。
例に依って腹痛、便意を催す。意を決して排泄。
病状特有。仲仲(なかなか)意の儘にならず。
「コンボーイ」 (=カンボーイ) マンドリン抱えて立って居る。
終わって服装正し終わったら 「手を上げろ」。 身体検査、目ぼしいものは何も無し。
御守り袋を見つける。 「此れなんだ」 と言うから胸で十字架を切って見せる。
わかったのか返して呉れる。此の為、小休止無し。

昼、飯盒降ろして、亦 炊く。一時間では食するに至らず、亦ぞろ担いで出発。
薄暗くなって収容所に着く。 空家、それにしても随分多い。
却って(かつての誤植)革命の折、囚人を大量に送り込んだ跡だろう。
やっと高粱飯にありつく。
十一月の幾日か分からない。只 有るのは望郷の念。

テルマにて

十一月六日、凍結した河を渡り、丘陵地に段々に建てられた道路沿いの建物に入る。
明けて七日、革命記念日とか。 作業無し。
作業と言っても燃料の木板やら 丸太一本も担ぐと、板一枚位の高さでも躓く(つまづく)

二十歳の若人が、男性のシンボルは只 排水の用にあてるホース?

やっと防寒被服になる。
編上靴ではたまったものではない。凍傷予防に絶えず足踏み。
極度に衰えた体力ではどうにもならん。
ソ連領に入って初めて井戸らしきものを見る。
ソ連人も此処から水を汲んで行く。
井戸らしきものは、後にも先にも此処だけ。

此の頃から黒パン支給される。上等兵殿分配。
アグラかいた股の間に入るのが多い。 
吾々初年兵最低。 使役は初年兵。
捕虜になっても、何々古兵殿、某々(なにがし)は何々をします。
飽きれて話しにならん。
「オイ、お前達、何年居ても、初年兵は来ない。好い加減にしろ」と、
吾々は歌の文句じゃないが オ腹と背中がひっつくぞ(・・・と言いたい)。

将校室の前を通ると好い匂いがして、ツイ脚が止まる。
当番 マルマル太って居る。

  *編者注

・高粱の原穀: ( こうりゃんの玄穀)イネ科モロコシ属の植物。
 実を食養や飼料とする。
特に玄穀は
2時間炊いても硬くて食べづらく、消化も悪い。

・テルマ: ハバロフスクからシベリア鉄道で西へ約200キロ地点の
 イズベストコーワヤと、北の第2シベリア鉄道、コムソモリスク駅とを結ぶ線の
ほぼ中間あたり(北緯50度くらい)。

・編上靴: へんじょうか。編み上げ靴。特に、旧陸軍で軍靴のことを言った。

・黒パン: ライ麦の粉で作った黒茶色のパン。

・アグラをかいた股の間に: 初年兵の使役中も胡坐をかいて坐って居られた
 古年次兵達のところに 多くのパンを分配 の意。

*⑦へ続く。

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「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ⑤

2018-05-18 17:25:12 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

 

 

*④からの続き

汽車の旅

(何時発車したのかわからない。目覚めて見たらシベリア鉄道東進して居る。
我が軍の戦車)  が攪座してる。ソ連の戦車に比べると、なんと貧弱な事よ。
大きな戦車に歩兵が乗り、スカートの兵も居る。
「ヘイ  ヤポンスキー」 と怒鳴り、親指を立てる。(ソ連軍は)№1の意味だろう。
全く頭にくる。 
吾々は実戦に参加してないから、負けた気がしない。

輜重が通る。四輪馬車に追い手綱。日本の輜重に比べれば機動性がある。
真っ赤な太陽が沈み始める。 愈々綏芬河(すいふんが)。
帝政ロシア時代の立派な駅舎だ。満州最後の街。

時に昭和二十年十月二十五日。国境線 百米(メートル)巾位を借り払ってあるだけ。
パイ缶を開け、皆で食べる。
牡丹江の編成替えで小隊長は工兵曹長。隊員も工兵隊下士官候補の兵長だが、
海林、牡丹江と一緒だったので、お互い故郷の話しやら、ふる里の味自慢。

夜になり大きな駅に着く。サア此処こそが運命の分岐点。
ロスケ曰く、朝鮮軍(朝鮮駐屯軍)に依って ウラジオストークに至る。
線路破壊されて居る(ので)、此れを修理しながら日本に帰るのだ と。
誰もが其れを信じていた。 此れこそが逃亡防止の最良の策であった訳だ。

真黒暗(真っ黒闇)の中を汽車はヒタ走りに走る。
その中に(うちに)曹長の悲痛な声。掌には隠し持って来た磁石がある。
当列車は北進中 と。 万事休す。

途中何回か停まる。 此れが大変だ。
車中にある石油缶簡易トイレでは、用達(用足し)ができない(悪臭充満)。
小の方は扉を開け、二~三人で後ろから摑んで居て貰い ハジク。
風が強いと、生暖かいのが自分に帰ってくる時も有るが、マァー大はそうはいかん。
一斉に下車して始めるが、いつ出発するとも分からない列車。 始末が悪い。
小生、海林でアメーバー赤痢。チョイチョイ腹痛 便意を催すが処置なし。

二日目の朝か、窓からのぞいていた兵が 「オイ、海だ」
吾も吾もと覗いてみたら どうも様子が可笑しい。
鉄道らしきものも見える。
「オイ、此処ハバロスクじゃないか」 
黒龍江、松花江、ウスリー江の合流点。 河巾の広い筈だ。

失意の中に列車は西北のイズベスト
何時の間にか進路変わったと思ってる中に コレドール
中に知ったかぶりか、本当に知っているのか、
(ここには)シベリア唯一の温泉があり、
シベリア出兵当時、此処いらまで日本軍が来たとの事。
ソ連人の女子供が居る。日の丸の旗ネッカチーフ替わり。
却って(かつての誤植?) 哈爾浜で白系ロシアの女見てるので大した珍しくは無いが、
チビッ子に 万才(万歳=降伏の意)された時には頭にきた。

漸く歩くと収容所に居た日本兵、此れが、彼の一〇八大隊?と。
口きくまもなく 「ダバイ、ダバイ」で追い立てられる。
アンペラを巻めて(まるめて)担いで居る者。
ドラム缶の半分(を)駕籠かきよろしく担ぐもの。

    編者注

・ヤポンスキー: ロシア語で、日本人の意

・綏芬河市: すいふんがし。中国黒竜江省東南部の都市。
 ロシア沿海地方と国境を接する。


・牡丹江: 
ぼたんこう(市)。中国国黒竜江省東南部の都市。


・ウラジオストーク: 
ウラジオストク。中国と北朝鮮の国境近くに位置する
 ロシアの主要港湾都市。ここから船で日本に帰れるものと・・・。

・当列車は北進中: ウラジオストクに向かうなら、綏芬河からさらに東進
 しなければならないのに、北のハバロフスク方面へ向かっている と。 

・アメーバ赤痢: 赤痢アメーバによる消化管の感染症で、
 下腹部痛や下痢、血便など。重症化すると死に至ることも。

・ハバロスク: ハバロフスク。ロシア極東ハバロフスク地方の中心都市。

・イズベスト: イズベストコーワヤ地区。ハバロフスク地方アムール州。
 
・コレドール: イズベストコーワヤから北のコムソモリスクを結ぶ線の途中の村。

・アンペラ: 高粱の茎の繊維などで編、んだ、薄いむしろの様なもの。

 *⑥へ続く。

★この稿の関連記事。 「入ソ当時の思い出」 栃木県  菅 房雄
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「わが青春の譜」 菅 房雄のシベリア抑留記 ④

2018-05-09 14:06:01 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

*③からの続き

(一日の仕事がそれだけ) だから、湿地に穴を掘り、水(を得る)。
満州独特のひどい水を。
それもほかの連中に盗られるので 絶えず交代で見張り。

虱(しらみ)の大量発生 赤痢の発生。
哀れなのは、第五軍。 夏服の上に戦闘部隊なのでロスケの使役。
われら第四軍冬服。使役は一回。
飛行場まで黄色薬(五十kg爆薬)運搬。(掩蔽壕破壊)。
河での沐浴一回。此の時、時計 万年筆等殆ど(ほとんど)ロスケにまきあげられる。

一山裏の拉古では朝夕 ラッパの音。
起床、消燈、時には突撃ラッパまで。
夜は周辺の山でドンパチ、赤や青の照明弾。 ここに飛んで来なきゃ気は楽だ。

九月も半ば過ぎた頃か。千名単位で出発と 海林編成第一号、 一〇八大隊。
吾々の間で、帰国頃迄 謎の一〇八大隊と呼んで居たが
どこに行ったのか出て行った。
十月に入ると我々も大隊編成 一三五大隊。
石山大尉(三中隊長)他の将校達、海林着と同時に見えなくなった。
話は前後するが、九月末 一等兵に進級。分隊兵曹長になる。
階級章 古兵の(を)貰って一つづつ(着ける)。

十月十日 海林収容所より牡丹江へ。
途中、拉古収容所(民間人)で 弥栄の佐藤食堂に居たご婦人に逢い、一言二言。
牡丹港通信隊 旧兵舎跡、日中燃料集め。
病院跡で懐かしい字を見る。第六次 肥後村と壁に大書してある。
鶴立県の連中だ。が、既に牡丹江、民間人を見ず。

十月二十四日出発。 途中小休止。
何気なく缶詰の空き缶と思って蹴飛ばしたら、ズシリ重いパイ缶(大)。
何とも言い様なし。

貨車に乗るロスケの監視兵がマンドリン銃を持って立って居る。
かなり大きな駅(牡丹港)で、貨車が何本も入って居る。
そして吾々同様 乞食同然の兵の姿。
此処で驚いた事を見る。逃亡者が出る。千人単位。
一人でも欠員が出れば、カンボーイ(ソ連監視兵)の責任。
他の部隊に員数つけに来る。彼らは自分たちの責任さえ果たせば良い。
マンドリンで撃ち合いまでやる。
吾々は、此れからカンボーイに守られ、
変な話だが、自分の責任下にある兵だと分かると待遇が良い。

彼らに任せて飯盒炊飯 手当たり次第 燃える物を持ってきて燃やす。
粟が少量 何遍でも水を入れ、亦入れ。
水を入れれば、入れるほど増える。 砕ケ米位になる。
口に入れれば水っぽいが、胃の腑を満たすには此れよりほかに術なし。

汽車の旅

何時発車したのか分からない。目覚めて見たらシベリア鉄道東進して居る。
わが軍の戦車が攪座してる。


  *編者注

・掩蔽壕: えんぺいごう。掩体壕ともいう。爆撃や銃撃から航空機などを守るために、屋根をコンクリートで覆うなどした塹壕。

・拉古: 拉古駅(ろうこえき)。中国黒竜江省牡丹港市海林市に位置する
 浜綏線(ひんすいせん)の駅。当時ソ連軍の収容所があった。

・古兵: 新兵に対してそれより古参の兵隊。軍隊では一日でも先に入隊した兵の方が
 幅を利かせることが多い。同階級あるいはそれより上の階級者であっても、
自分より先任の(軍隊歴の長い)兵に対しては気を使う というような風潮があった。
 二年次兵殿、三年次兵殿、あるいは単に古兵殿など と。

・マンドリン銃: 第二次大戦中ソ連軍が使っていた代表的な短機関銃。
 楽器のマンドリンに似た円い弾倉をつけているところから。別名バラライカとも。

・員数つけ: いんずうとは人や物の一定の個数。 員数をつけるとは、
 旧軍隊の隠語で、装備品などの欠品を他の部隊などから盗んできて数合わせをする事。
ここでは、捕虜の人員でさえ、
よそから連れてきて数を合わせる、の意。

・攪座: かくざ。動けなくなって放置されていること。

*⑤へ続く

★この稿の関連記事。 「入ソ当時の思い出」 栃木県  菅 房雄
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