赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

南会津・鶴沼川上流二岐温泉 ①

2016-06-28 18:34:03 | 私の昔語り・渓流編

◎特集北の渓流”里釣り”ガイド[福島]

星くずと雪中露天風呂とイワナ釣り

南会津・鶴沼川二岐温泉
                     菅 政幸
(『北の釣り』昭和60年3~4月号掲載)

 雪解けの具合にもよるが、毎年三月中旬から四月中旬にかけて
必ず一度は二岐温泉を訪れる。
この時ばかりは家族同伴である。
もちろん釣りが目的には違いないのだが、シーズン初めの一日くらいは
女房子供にサービスしておかないと、
今年一年の釣行計画にイロイロと支障をきたすからだ。

 白河市から真名子経由で車で五十分、羽鳥湖に着く。
鶴沼川を堰止めた人造湖で、未だ漁業区が設定されておらず、
ワカサギ、コイ、ハヤ、イワナ、ヤマメなど豊富な魚族が地元の釣り人達を楽しませている。

 ダムサイトを渡ると丁字路に出る。右は矢吹、須賀川方面からの道路で、ここを左折する。
鶴沼川の右岸沿いに少し下がると、右から赤石川が流入する大平橋に出る。
大平橋から約五キロ下がると左から河内川が入り、さらに二キロ下流で二岐川が流入する。
二岐川を渡るとすぐに左へ上る林道があり、入口に 二岐温泉の看板が立っている。
案内板の地図に従って林道を約五キロ上ると二岐温泉に着く。
 東北自動車道方面からの道順は以上のようになる。

 いっぽう、会津若松市方面からは、国道121号線を阿賀川(大川)沿いに南下する。
途中芦ノ牧温泉の近代的な温泉街を抜け、
約十キロほど南進すると小野観世音のある小野の集落に出る。
左折し大川にかかる橋から下流を望むと、鶴沼川が合流するところを見ることが出来る。
道は鶴沼川にそって続いている。
湯本温泉に行く道と二岐温泉に向かう林道が落合い、前述の案内板が目にはいる。

 二岐温泉には平家の落人伝説があり、珍しいことにその証拠品(?)まである。
 その昔、関東で乱を起こし、自ら親王を名乗ったといわれる将門伝説。
その将門が討たれた時に、将門の妻子を連れてこの地まで逃げてきた家臣、永井平九郎は、
いつも大鍋を持ち歩き、追手が迫ってくるとその鍋の中に身を隠し難を逃れたという。
この大鍋をご神体として平九郎死没の地にまつったのが『御鍋神社』であるという。

 毎年五月十三日に例祭が催されるが、この祭りだけは今でも地元の人だけしか登拝出来ない。
この掟は厳然としたもので、決して破られることはない、と地元の人たちは真顔で言う。
 他に何一つ排他的な面を見せない村人だけに奇異な感じを受ける。
”隠れ里”としての名残なのであろうか、それとも何かほかに特別な意味があるのだろうか。

*     *     *     *

私の定宿である大丸(だいまる)あすなろ荘は、千年以上の歴史を持つ二岐温泉で、
最も古い旅館だそうだが、その歴史のほとんどが謎につつまれている。
様々な言い伝えがあるが、それを裏付ける資料がないのだ。
 いつごろの事か、改築の際に
開かずの間から発見されたおびただしい数の古文書の類が外部に持ち出され、
今は宮内庁や京都御所の資料室に保管されているという・・・。
 はっきりしているのは、江戸時代末期までは各地の大名など、
一部の要人クラスだけしか二岐の地に入ることが許されていなかった、という事と、
千年余の歴史を持ちながら、今なお二軒の商店と、
最近になってできた民宿を合わせても七軒の旅館しか存在していない、という事実である。 

学究肌のあすなろ荘の当主は、自然環境と天然温泉の保護運動に熱心で、
渓流釣りに関しても造詣が深い。
この地区の旅館が南会津東部漁協に稚魚放流の投資をしていることから、
これまで、旅館宿泊者は入漁料無料で優遇されていたが、この制度も
今年(昭和60年)いっぱいで廃止されそうで残念だ、主の佐藤好億(よしやす)さんは話す。
 
ここでは、最近の旅館や民宿にありがちな、おざなりの山菜料理ではなく、
京の懐石料理を思わせるような 心のこもった手料理がうれしい。
頼めばイワナの刺身や熊肉なども出してくれる。

二岐川

 下流部、林道入り口の橋から入渓すると、魚はあまり多くないがヤマメが釣れる。
瀬あり、渕ありの好ポイントが続き、出れば二十七センチ級の良型。
初心者同行の二、三人ほどのグループで、フキノトウなど摘みながらのんびりと釣るのに良い川。
草付きの小石のわきなど、小場所を丁寧に探ること。
二岐温泉の下流にある堰堤まで、約一日コース。

 堰堤は左岸を巻くと、林道から上流へ抜ける小道がある。
堰堤から五百メートルくらいの区間は魚影が薄いが、両岸に大石が現れ、
三メートルの小滝が川幅いっぱいにかかっているあたりから急に魚が多くなる。
良型のイワナヤマメが竿をしならせ、渕には群泳も見られる。
 どの魚も丸々と太っているのは、
温泉の流入で水温が高く、川虫類が豊富なためだと思われる。
ここから二岐温泉までは一キロちょっとしかないが、
大石小石のポイントが多く、三、四時間はたっぷり楽しめる区間である。

 急に視界が開けると、右側にあすなろ荘の建物が川にせり出すようにして建っている。
旅館前の河原に露天風呂があり、釣り支度を解いてそのまま入浴できる。
 ここから上流二股橋までのわずかな区間でも良型が釣れるが、
旅館が立ち並び湯けむりが立ち込めて釣趣に欠ける。
 橋から上流は一転、険しい渓相に変わり、
いかにも釣れそうな感じになるが、魚は少なく型も落ちる。

 二岐温泉から車で二十分ほど林道を上り、御鍋神社付近から入渓すると数が釣れる。
小型中心だが、倒木下の落ち込みや岸のエグレなどを丁寧に探ると時折良型も交じる。
林道が川に突き当たるあたりまでが釣り場で、帰路は川下りの方が早い。
なお、この林道は御鍋神社の先でゲートがかかっており、車は侵入できない。

*以下、第②部へ続く


あぁ釣り雑誌

2016-06-23 20:05:20 | 私の昔語り・渓流編




渓流釣り岡目八目
あぁ釣り雑誌
            灯 渓酔
(『北の釣り』昭和60年.1・2月号掲載)

「オレ、何だってこーだに釣りの本買うんだんべ」
「釣りの本が好きだからじゃねエーの?」
 渓善がいともカンタンに答えを出してくれた。
「じゃあ、なんで釣りの本が好きなんだべ?」
「そりゃ、面白いからだな}」
「面白いって、何が?」
「何が、って、オメ、釣りのことがいろいろ書いてあっからおもしれェんだわナ」
「そりゃそうだけど、面白ぐねエのも多いゾ、最近の本は・・・。特にヒデーのは釣り雑誌の情報だな」
 渓善が、ウン、アレはヒデー、とあ相槌を打ちながらビールを差し出した。
「イイがら、飲むんべ!ま、イッパイ」

 渓善はイイやつだ。何たって「オレの渓流釣りは、渓ちゃんのコピーだ」と公言して、
私が教えた川で、私が教えた釣り方でしか釣りをやらない、というところが実にイイ。
去年なんか、雪シロがゴンゴン流れている宮城の横川で、
ほかの仲間がミミズや川虫をエサにして悪戦苦闘しているのに、
「オレは毛バリしか知んねエがら」
と言って悠々と毛バリ釣りを楽しみ、とうとう一日中一匹も釣らなかったくらいなのだ。
本当は私より少し年上なのだが、素直すぎて、つい私の方が先輩面をさせられてしまう。

「今日は飲むべや! ・・・俺ァ、あーだに岩魚がいる川、見たごとねェ。
また行ぐべ、来年、なっ!」 
 無事に釣行から帰ってきた安堵感と、予想以上の好漁をしたせいからか、
今夜の渓善はすこぶる期限がイイ。

「しかし、ホントに居っとこにゃ居るもんだわなァー。
今日はお祝いだ、お祝い!ママ、ビールねェぞ、ビール!」

 実は、渓善と私は、釣り雑誌に紹介されていた飯豊のある川へ出かけて行って、
さっき帰ってきたばかりなのだ。

♢     ♢     ♢     ♢

 昭和59年、七月三日、火曜日。

 私と渓善の乗ったニッサン・サニーは、東北自動車道を一路福島インターへと走っていた。
年代物の車と云えば聞こえは良いが、
その辺の解体屋にいっぱい積み重ねてあるポンコツのうちの一台、
と言った方がピンとくるシロモノなのだ。

渓善がこのポンコツを愛用している理由はただ一つ、
いつ、どこの山中で故障しても惜しげなく捨てて帰れるからだ、ということを、
渓善のところの社員に聞いて私は知っている。

 もと競輪選手だった渓善は、スピード感覚が我々と違っていて、
車体がぶっ壊れそうなほどスピードを出す。
音楽感覚も違っていて、ロックだかなんだかわけのわからない
ただうるさいだけの音楽をガンガンかけながら、狭い街中を飛ばして歩くので、
付近の人たちは「中年暴走族」とカゲ愚痴をききながら恐れている。
ゆっくり行ぐべ、ゆっくり」
 助手席で両足を突っ張りながら、私は気が気でない。

 福島インターから国道13号を西へ向かい、栗子峠のトンネルをいくつも抜けると、米沢市。
目指す白川はもう目の前だ。
 まっすぐ市内を突っ切って、121号線に入り、
戸長里というところから右折して白川ダムへ・・・行くはずだった。
はずだったのに、渓善が道を間違えた。
まっすぐ市内に入らず、13号線を道なりに右の方へ行ってしまったのだ。

「チョ、チョット待って!これじゃ南陽市の方へ行っちゃう。
どっかで左へ曲がらんなくちゃ!」

 よしきた、と渓善は左折した。後は、もう、しっちゃかめっちゃか。
一方通行に次ぐ一方通行で、どこがどこやらわけがわからなくなってしまったのだ。
「地図見っから、止まってってば!」
 私が何度言ったって、イワナを目前にして道に迷い、
頭に血が上ってしまった渓善には、もう何も聞こえない。
「あッ、違う。あッ、行き止まりだ」
ぶつぶつ言いながらひたすら前進とバックを繰り返すばかりだ。

 で、やっと川に着いたのは午後の一時半。昼ごろには着けるようにと八時半にウチを出たのに!
民宿の前には車がいっぱい。
 
林道を少し進むと道端にジープ。フライ釣りのワッペンが貼ってある。
でも、大丈夫だ。いくら先行者がいたって、時間をおいて釣れば関係ないって
書いてあったもの・・・。

 草むらに車を突っ込んで釣り支度をしていると、林道の上手から三人の釣り人が下りてきた。
ジープの持ち主らしい。
「釣れましたか?」
「イヤー、ダメだね。ず~ッと上まで行って来たんだけど・・・」 
私は思わず渓善と顔を見合わせた。
ドースル?ズーッと上まで行って来たんだって───。
「ま、イイや。時間も半端だし、こっからやっぺや」

 美しく開けた渓相、清冽で豊富な水量。
ざら瀬のヨレからふいに飛び出す良型イワナ───
二人とも何の違和感もなく、
もう十年も前からこの川に通い慣れているかのような気安さで、時間を忘れていった・・・。
 翌日は広河原川の西沢と東沢であそび、帰路に着いた。

♢     ♢     ♢     ♢

 私も長いこと渓流釣りをやっているが、雑誌に限らず、
釣りの本紹介されていた川を訪ねて、
期待通りの釣果を上げられたなんてことは、そうザラにない。
「今回は、たまたまあだったんだゾ」というのが二人の一致した意見なのである
「それにしても最近の釣り雑誌の情報ってのは、何であんなにアテになんねェんだんべ」
「なんでって、オメ、雑誌社の人だって
いちいち釣竿担いで現場さ行ってらんめや、このイソガシのに!
んーだがら、担当者があっちこっちの漁協だの釣りクラブだのさ電話して、
川の様子をチョゴッと聞いたぐれェで、ハア記事に知っちまうんだぞ、キット・・・」
出版社の人が聞いたら青くなって怒りそうなことを渓善が言った。 

♢      ♢     ♢     ♢

 たしかに最近の釣り雑誌を見ると、釣りガイドなのか、ガイドを主とした釣行記なのか、
それとも空想や創作を交えた釣行記風読み物なのか、判然としない記事が多い。
 
これは困る。不完全なガイドは、道の渓に憧れている多くの釣り人をがっかりさせるもとだし、
時と場合によっては釣り人を危険に陥れることだってある。
釣り場ガイドはあくまでも正確を旨とした案内文であってほしい。
実際に川を歩いた釣り人が書いたガイドには、
不思議と臨場感があって、読者を納得させるものだ。

 釣行記はウソでもいい。楽しく読めるものがいい。
「釣れたのは25センチくらいのチンピライワナばかりだった」
などというようなおごった文章ではなく、大自然の中に身を置いた釣り人の
体の奥底から湧き出る感動が、そのまま伝わってくるような文章がいい。
知らず知らずのうちに、作者の釣りの世界に引き込まれてしまうような、
そんな素直な文章がいい。

 そうだ、ついでに各釣り雑誌の編集者にも注文を付けさせてもらおっと。
 これでもか、これでもかというように、命がけのザイル捌きや、
激流渡渉の雄姿をやたらに強調したり、
これ見よがしに大型魚のアップで飾り立てたグラビア、
あれ、もう少し何とかならないかなァ。

 もちろんそれはそれでいいんだけれども、あまり毎号じゃ、
あたかも源流釣りこそが渓流釣りの真髄であり、大物志向こそが渓流釣りの最終目的、
みたいな錯覚を起こして、フツ―の釣り人は自信を無くしちゃいます。
海外遠征での大物釣りも同じ。行きたくたっておいそれとはいけないんです、我々庶民は。

 釣りの世界は百人百様、人それぞれにいろんな釣り方があるはずだし
見方を変えればたまごをいっぱい生むはずの大型魚はもっと保護されてもいいはずだし
放流魚をやたらに増やすことは、在来の自然魚を減らすことにもなるはずなんだし・・・。
つまり、釣りというものに対して、これまでの固定観念にとらわれることなく、
もっとろんな角度から取っ組んでもらいたい
───と思うんです。。

♢     ♢     ♢     ♢

 言いたいことを言い合いながら飲んでいるうちに、二人ともだいぶ酔っぱらってきた。
自分では最近決して釣り雑誌を買わない渓善が、ロレツのまわらぬ口調で言った。
「だいたいナ、釣り雑誌なんつーのはナ、なーんにもムズガしごどいんねーんだ。
セーカクな情報!おもしれェ読み物!そして渓ちゃんがイイ川探す。俺が釣る。
そんでイイんだ。そだんべ!今度の川みでーに。アハハハ───」
 そう、それでイイんだ。
私はまだまだ、当分の間釣り雑誌を買いつづけなければならない。


ああ都会人ああ田舎人

2016-06-13 07:47:50 | 私の昔語り・渓流編


渓流釣り岡目八目
都会人あ田舎人

                 灯 渓酔
(『北の釣り』 昭和59年11・12月号掲載)

「バカにしちゃイケナイ、都会の釣り人を」

誰だって、自分を釣りの天才だなんて思っているわけじゃない。
ワケじゃないんじゃないかナ、と思う。                     
 たしかに、あまり期待していなかった川で大釣りすることもあるし、
今日はダメだろうナ、と覚悟して竿を出したのに思わぬ好漁、なんてこともある。
あるにはあるが、今日はゼッタイ釣れるはずだったのにチットも釣れなかった、
なんてことはザラにある。
 そのたびに、テングになったり、落ち込んだりのくり返しが、
フツ―の釣り人のフツ―の釣りなんじゃないかなと思う。

*       *       *     *     *

 最近の釣り雑誌の記事のなかに、都会(特に東京方面)の釣り人を
バカにしたような印象を与える書き方をした文章が目立つ。
ベテラン田舎釣り師の投稿だと思うが、あまり感じの良いものではない。
 もっとも、バカにしたような印象を受けるのは私の勝手で、
筆者はチットもバカになんかしていない。していないんじゃないかナ、と思う。
 
都会の釣り人が釣れないのは、何も服装のセイばかりでは決してない。
腕が悪いのだ。どうして腕が悪いかというと、都会の釣り人だからである。
 都会には渓流がない。本当の渓流が見たい、という都会の釣り人は、
たまの休みに夜も寝ないで、高速道路を飛ばして釣り場まで行かなければならない。
酔眼朦朧とした状態で川に入ったって、俊敏なヤマメやイワナたちにかなうはずがない。
勝負の前にもう勝負はついているのだ。

 まだある。
 普通の勤め人では、遠出の釣行ができるのは年に何回もない。
仮に近郊の釣り場へ毎週出かけたとしても、せいぜい一シーズンに二十数回だ。
しかもかなりの時間を釣り場への往復に取られてしまうから、
実質の釣り時間は限られたものになってしまう。
 
まだまだある。都会の釣り人はたまの遠出を少しでも実り多いものにしたくて、
釣行先を次々と変える。釣り雑誌の情報に惑わされているのだ。
今日の雑誌の情報は、もはや今日の渓流ではないのだが、
それでもそんな情報に頼らざるを得ないのが、都会の釣り人なのだ。

まだまだまだある。
地元には”自分の川”と呼べる釣り場を持っている釣り人が一人や二人いるものだ。
季節や天候、水量などすべての条件を加味して、釣り場の今日の状態を把握できる釣り人で、
地元でも名人と称されている人たちである。
彼等には都会の釣り人はもちろん、地元の釣り人だってかなわないのだ。

*     *     *     *     *
 
こんなに悪条件がそろっていたら、釣れる方が不思議なんじゃないかナ、と思う。
しかし、だからと言って、都会の釣り人を可哀そうだとか、気の毒だなんて思ってはイケナイ。
彼等はそれが楽しいのだから。
楽しいからこそ釣れても釣れなくても、(たぶん今度こそ釣れるだろう)と期待しつつ、
はるばる遠出をしてくるのだ。都会の釣り人の釣果一尾は、
田舎の釣り人の二十尾くらいの価値があるのである。
 田舎の釣り人よ、たまに数釣れたからと言ってあまりテングになるな。
釣れて当たり前。その当たり前の釣果にさえ
アブレることもあるのが”渓流釣り”なのだから。

「都会の釣り人よ、もっと謙虚になれ」

 やっととれた数日の休暇。仲間と連れ立って思い切り遠出の釣行会。
車にクーラーをいっぱい積んで、帰りは魚で満タンになるであろうと胸をワクワクさせながら、
夜毎地図を広げて夢見たあの沢、この沢を目指す。
 イイですなァ。実にイイ。
 この雰囲気、この気分、渓流釣りをやる者だけが味わうことが出来る特権である。
 ところで釣果の方は、まァ、行く前から大体決まっている。
クーラーのスミに 二、三尾のヤマメかイワナ・・・。

*     *     *     *     *

 クライ話ですな。いえね、別に釣果が釣りの第一目的だなんて言ってるんじゃないですよ。
「釣りに行く」そのことこそが釣りの最大の喜びであり、目的なんだ、と思っていますよ、私だって。
 しかしね、しかしあまりにもクライ話じゃあ、ありませんか。
何日もかけて、ガソリン代かけて、道路公団にもキフをして、
それで二、三ビキじゃあ。

 魚がいないならイイよ、しかたがないよ。魚はいるんだもの。
ヤマメもイワナも決して幻の魚なんかじゃない。
幻は幻でも幻術(目くらまし)にかかった都会の釣り人に、見えないだけなんだ。
田舎の釣り人は釣ってるよ。だって”釣れる”んだもの。
「釣りは釣れてこそ釣りなんだ」 ということを、もっとしっかり認識してもらいたいね。
そのためには、もっと謙虚にならなければダメだよ、謙虚に!

 夜の夜中に高速道路をスッ飛ばしてきて、
まだ眠っている地元の人たちの家の軒下をくぐり抜けてだね、
誰よりも早く沢の入口にたどり着いて、
懐中電灯片手に沢沿いの杣道をさらに上流へ登り始めるなんてネ、そりゃあ怒るよ、
山の守だって、水神様だって。
第一、危ないよ、寝不足で沢へ入るなんて。
遭難したり怪我したりすれば、結局地元の人たちの世話になるんだから・・・。

 日帰りの釣行の場合には、まあ、それも仕方がないけどネ。
3日くらいの休暇が取れた時なら、昼間ゆっくり出発しなさいよ。
朝8時に出かけたって、夕方6時までは10時間もあるんだ。
大概の釣り場には行けるハズだよ。夏ならまだ外は明るいよ。
釣り場の下調べだってできる。

 もっと早く約り場に着いたときには、車を降りて釣り場付近を歩くのもイイね。
釣り券を扱っている民家や雑貨屋も開いているし、いろんな村人たちに逢える。
こちらから先に声を掛ければ、大概の村人は何かを応答えてくれるはず。
ひょっとしたら穴場だって教えてくれるかもしれない。
田舎なれども同じ日本。もっと口をきかなきゃダメだよ、口を。

 そうやって釣り場全体の下調べを済ませてから、
ゆっくり休んで、次の朝早く出かければイイじゃない。
わけもわからずに未知の沢に突進するよりは、よほどイイ釣りが出来る筈だよ。
 1日存分に楽しんだなら、三日目はもう竿を出すのはヤメ!
昨日の釣果を参考にしながら、付近の別な沢を見て歩いたり、
村人とのふれあいを深めたりしながら、
新しい釣り場を開拓することだよ。
これが次回の釣行に大きく影響してくるんだ。

*     *     *     *     *

 こういう釣行を何回か繰り返していると、
いつの間にか自分に合った釣り場というのが見つかってくるもの。
自分の釣り場が見つかったら当分そこへ通うことだよ。
恋愛と同じことだよ。ひたすら思いつめ、いや、通い詰めているうちに、
四季を通じてその川のカオ(状態)がわかってくるようになる。
そうなればしめたもんだ。川と友達になれたって事だからね。
 
川と友達になれるってことは、その川の周辺の生き物たちとも友達になれるってことだ。

 こうなったら、もう、釣れない方がおかしいよ。
釣行のたびに、必ず、魚の方からかかってくれる様になるよ。
 明るいねえ。たのしいねえ。
「釣りは釣れてこそ”釣り”なんだ」ということが初めて実感できるはずだよ。
そのために二、三年費やしたって、決してソンはしない。
一端渓流釣りのコツを身に付けてしまえば、あとは全国どこの渓流へ行ったって同じなんだから。
 田舎へ釣りに出かけたら、田舎から学ぶこと。
 自然の中へ身を置いたら自然から学ぶこと。
それが謙虚になれといった意味なのです。
 都会の釣り人よ、ガンバレ!!


夢釣の毛バリ

2016-06-04 19:07:00 | 私の昔語り・渓流編

 

夢釣の毛バリ
             灯 渓酔
(『北の釣り』 昭和59年9・10月号掲載)

  夢釣(むちょう)は、長いものが大嫌いな男だ。
 うどんでもラーメンでも、ミミズでも駄目である。
そのくせ、釣竿と人間の髪の毛だけは平気だという。
もっとも髪の毛については床屋という職業柄、ガマンしているのかもしれない。
それなら下の方の毛はどうなのか、と気にかかるが、まだ聞いてはいない。

 房総の浜育ちで、昔は海釣りばかりやっていたらしい。
が、那須高原に流れ着いてからはどこにも海がないので、
ヒマを持て余していたらしく、私が渓流釣りに誘うと一も二もなく付いてきた。
岩手県遠野市のはずれにある琴畑川へのイワナ釣りだった。
もう、かれこれ七、八年前の話しである。


 以後、渓流釣りに目覚め、毎週火曜日になると、
甥っ子のアキオ君を連れてあちこちの渓流に通うようになった。
アキオ君はめきめきとウデを上げたが、夢釣は一向に上達しない。
それでもあきらめずに、火曜日が来ると出かけて行った。

 夢釣は決して一人では渓流へ行かない。
車はあるが運転は奥さん任せの、
いわゆるペーパードライバーということもあるのだろうが、
何よりもヘビが怖いからである。

 私もヘビは好きではないが、夢釣の恐れ方は異常で、
ヘビの姿を見ただけで足がすくんでしまい、
まるで金縛りにかかったように、一歩も身動きが出来なくなってしまうのだ。
たぶん前世がカエルだったのではないかと思う。

 今年の春、私と夢釣の長年の夢が叶い、
渓流釣りクラブ
「那須渓酔会」が誕生した。
「渓流に酔い、酒に酔い、花鳥草木、歌に酔い、恋にも仕事にもなんにでも酔える───
そんな人生を送れたらいいなァ・・・」 
という呼びかけからもわかるように、
釣果よりも釣趣を第一とした会で、夢釣の精神が大いに活かされている。

 夢釣は仕事柄、会の釣行に顔を出せないときもあるが、
仲間たちも心得たもので、三回に一回くらいは、床屋の休日である火曜日か、
第三日曜日に釣行会を計画して、「渓酔会」設立の功労者に敬意を表している。
 
 ところで、夢釣は図体が大きいうえに、膝の関節が悪く、
おまけに高所恐怖症であり、およそ渓流釣り師のイメージからは程遠い。
しかも、釣りの途中で一ぺんでもヘビに出くわしたらもうダメで、
竿をたたんで同行者の後ろにピッタリとくっついて離れない。
こんな時は、普段の遡行では考えられないほど駿足になる。

 数時間たって、もうそろそろ大丈夫だろうと、同行者が先をゆずろうとしても、
その日一日は全く受け付けない。
魚にとっても同行者にとってもありがたい存在で、
だから仲間たちは彼とペアを組むことを決して嫌がらない。

 そんな風だから、ウデの方はいつまでたっても上達しない。
釣り人というのは、だれでもタテマエを口にしたがるものだ。例えば、
「魚は釣れなくても、自然に浸れればそれでいい」 とか、
「釣ることよりも釣りの雰囲気をこそ楽しめ」 とかの類である。

 しかし、ホンネは誰だって釣りたいのだ。
それもより多く、より大型を釣りたいのだ。

 いわば夢釣の渓流釣りの師に当たる私などは、ホンネしか教えなかった。
「釣りは釣れてこそ初めて釣りである」
[より多く魚を釣れ。その上で釣りの何たるかを考えればいい」
「常に魚の気持ちであれ、だから、ゴミは決して川へすてるな」
───こんな具合である。
 しかし夢釣は師匠の教えに従わなかった。
「釣りは釣れなくても釣りである」
「一尾釣れたらその日一日何も言うことはない」 という具合で、
夢釣にとってはまさにタテマエこそがホンネなのである。

そんな夢釣にも素晴らしい特技が一つある。
毛バリつくりである。
 
数年前のあ冬の夜、たった一度だけ、彼を呼んで、
私が毛バリを巻いているところを見学させたことがある。
私が毛バリの自製を始めてから約十年。
やっとどうにか納得のいく毛バリが、十本に二、三本は混じるようになった頃である。 

夢釣は、水割りを飲みながら、飽きもせずに私の手元を見ていたが、
そのうち、見よう見まねで自分で巻きだした。
確か二、三時間ほど居て、巻いたり、ほぐしたりしていたが、
まぁまぁのヤツを3本ほど巻き上げた。
 帰る、、というので、
私が巻き上げたうちから、出来のよさそうな毛ばりバリを二、三本と、
グリズリーの羽毛をひとむしりミヤゲに持たせた。

  それからひと月。私は散髪に夢釣の店を訪れた。
私の顔を見るなり奥へ引っ込んだ彼は、
平べったい小さな桐箱を持ってきて、黙って私の前に差し出した。
 なんと、毛バリがびっしり並んでいるではないか!
それも、全部、ミノ毛がピンと張った見事な出来栄えのヤツばかりだ。

「イヤ、たまげたなア! コレ、全部自分で巻いたのげ?」
 聞くまでもないことを口にした私は、よほどアワテテいたのにちがいない。
「ん~だ。あれから帰ってすぐ、渓ちゃんにもらった毛バリぃ、
そいつを見ながら練習したんだわさ。まァまァ、何とかなるだんべ」
 
まァまァどころではない。私が十年かかってやっと体得した毛バリ巻きを、
いくら毎晩練習したからって、そんな、たった一ヶ月で・・・。
 私なんか、まだ十本のうち二、三本しかミノ毛をピンと張れないのに、
夢釣のはどれもこれも、さもうまそうに毛を立てている。
 私は思わずつばを飲み込みながら、
毛バリの一つをつまんでみた。
ミノ毛とフックの間に黄緑の太い糸が巻きつけてある。

 通称”リボン”と呼ぶこの仕掛けは、私のオリジナルだ。
七年前、只見川でイワナの毛バリ釣りをしていた時に、
毛バリを無視していきなり(空中の)目印に飛びついた尺イワナがいた。
その時の目印の糸である。以来私の毛バリにはすべてこのリボンが結んである。
イワナもヤマメも、リボンのない毛バリに比べて五割以上は食いが良いのだ。
それに何より視認性が抜群である。何しろ”目印”付きなのだから・・・。
 も
っとも、そう思っているのは私だけで、ほかの釣り仲間に言わせると、
あんな派手な毛バリで釣れるわけがないという。

 私はやっと落ち着きを取り戻した。
そうだよ、このリボンがなくちゃ、
どんな立派な毛ばりでも釣果は半減だからな───
そう思いつつ、今度はハリ先を見て、また落ち着かなくなった。
カエシはすべて、丁寧にペンチでつぶされ、ハリ先は、
これ以上研ぎようがない、というくらい鋭く研ぎすまされていた。
試しにハリ先をツメにあててみると、触れるより早くツメに食い込んだ。

 「フーッ」と大きなため息とともに毛バリを箱に戻すと、
私はおもむろに散髪用の椅子に腰をおろした。

「ま、なんだな、ハリ先があんまり細いと折れやすいし、
倒木なんかにもひっかかりやすくなっかも知んねエわな」
 今まで一遍だってハリ先なんか研いだことのない私は、
精いっぱいの負け惜しみを言った。
そして散髪の間中、夢釣の声はうわの空である。
イロイロ考え事をしていたのだ 

「オレも、今までみたいに、河原の小石でハリを研ぐのはやめて、
ヤスリか砥石でチャンと研ぐべ。カエシもペンチでつぶすべ・・」

 その日から、無釣は毛バリ釣り師になった。
 ウデの方は相変わらずで、魚と他のメンバーを喜ばせているが、、

彼の釣りはまたひとつ、夢が広がったようだ。 

 

 

 

 


 


渓流魚を増やすために

2016-06-03 16:23:46 | 私の昔語り・渓流編

渓流魚を増やすために
おおいにヤマメ・イワナを釣ろう
                                     灯 渓酔
(『北の釣り』 昭和59年7・8月号掲載)

 一般に、渓流魚は産卵期を迎えた秋から翌年の春まで、禁漁にしている河川が多い。
民間の釣りクラブで、独自の体長制限や尾数制限を決め、守っているところもある。
また、ルアーやフライの愛好者の多くはキャッチ&リリースを信条としているとも聞く。
 いずれも、乱獲を慎み、渓流魚の保護、増殖を図ろうとの精神からで好ましいことだと思う。
 
 ところで、毎年のように渓流魚の棲む生活環境が悪くなってきている。
河川改修と称する護岸工事。渓流に沿って奥へ奥へと進む原生林の伐採。
それに伴って延長される林道工事や、治水のための堰堤工事。
工場排水や特に一般家庭、山小屋、民宿などからの
合成洗剤を含む生活排水、等々数え上げたらきりがない。
 ことに、これらのことは文化的な生活の向上を望む人間の側の事情もあって、
すぐに対策を講じるというわけにもいかない。
 そこで、我々釣り人にもカンタンに出来る渓流魚の増やし方は無いだろうか、と考えてみた。

 一番良いのは、絶対に釣りに行かない事だ、と自然保護団体に言われるかもしれないが、
それでは釣り人は納得できない。私はむしろ、大いに釣ってやるべきだ、と主張したい。
畑の菜っ葉や山の植林と同じで、適当に間引いてやってこそ魚は増えるし良型にもなる。
限られた生活圏では、限られたエサしか存在しないからである。
 『東北の温泉と渓流』の著者、故、阿部武氏も全く同じことを言っていた。
「イワナは釣ってやらなければ増えない。したがって、川に出ているイワナは残らず釣ってよい。
釣り、または自然の間引き行為が行われない限り、渓流におけるイワナの交代期は早く、
川にいる期間はわずか一年で、すべての魚が地下水に消えていくのである…云々」

 今から十五年ほど前になるが、私は会津桧枝岐の渓流を良く釣り歩いていた。
その時、地元の人は誰も入渓しないという小沢に、沢を間違えて足を踏み入れたことがある。
足を一歩踏み出すごとに、メダカの様な無数の小イワナが、パーッと逃げ散るのを目撃した。
ためしに、さほど遠くない源流まで遡ってみたが同じだった。
 近くのM沢に入渓するためには、どうしてもその小沢を横切らなければならないので、
翌年、翌々年も同じ光景を目にすることが出来た。

 しばらく桧枝岐から遠ざかっていた後、私はふと思い立って行きつけの山小屋を訪ねた。
目指すはもちろん同じM沢である。
 ところが例の小沢にさしかかると、数年前にあれほどいた小イワナの群れが見えない。
不思議に思って立ち入ってみると、、なんと、ボサの下に25センチくらいのイワナ一匹、
上流を向いてユラユラしているではないか!
本流から迷い込んだのかしら?
と思いながら、尻尾の先にポツンと毛バリを落とすと、
クルッと向きを変えて毛ばりに寄ってくるなり一気にくわえこんだ。
 上流の次のポイントでも同じくらいのイワナが釣れた。
夢中になって釣り上って行くうちに、水流が細くなり、
落ち込みのポイントもめだって小さくなってきたが、イワナは逆に大きくなってくる。
いよいよ水が少なくなり、小さなカーブの水たまりに半分背中を水面から出すようにして
泳いでいる大イワナを掛けたところで納竿した。
この間二時間半ほど。釣ったイワナは二十数匹。
そのほとんどが二十センチ以上の良型で、尺上が五匹程混じっていた。

 信じがたいことだが、最後の水たまりのイワナは尺二寸(三十六センチ)あった。
ビクは満杯である。デ、そいつが暴れてびくからくねり出た。
岸よりのエグレに潜り込もうとして尾だけ見せている。
「な~に、腹ワタは抜いてある。カンタンに手づかみに出来る」と思った。
ススッと尾が消えたが、両手を突っ込むとイワナの胴体にさわった。
ヌルヌルしていてなかなかつかめない。そのうちにフッと魚の感触が消えた。
「こんな小沢だ。どこへも逃げられるはずはない。まして瀕死の重傷だ・・・」
・・・三十分後、私はやっとあきらめた。
逃亡現場の上下流百メートルくらいをくまなく探したのだが、
さっきのイワナはどこにも居なかった。

 後年、前述の安倍氏の著書で
「川の下にも川がある。川の横にも皮がある。それがイワナ、ヤマメの渓川である」
との説に出会って、深く共感したゆえんである。
 余談だが、以後、私は釣った魚は必ずその場で頭をたたいてシメてから
腹ワタを抜くようになった。これだと鮮度を保つためにも良い。
 
 さて、ビクがいっぱいなので目的のM沢をあきらめ、山小屋に帰った。
小屋の主人に事の次第を話すと、数年前に大きな台風が桧枝岐を襲い、
「その時の出水で小イワナが吹き飛ばされてしまったのだろう「」と言う。
もともと釣りの対象となる沢でなかったので、誰も釣り人が入らぬまま、
生き残ったイワナが悠々と成長したものらしい。
 自然による間引きの一例である。
その後、数は少ないが、常に一定の良型が釣れる沢として一部の釣り人に親しまれている。
 これほど極端ではないが、似たような沢はいくらでもある。
小沢なのに同類の数が多すぎて、十分な採餌が出来ず、成長できないのだ。
大いに釣って、常に新しい魚をこの世(地上の川)に出してやるようにすれば、
いい釣りができる沢へと変わるはずである。

 もう一つ、釣られ過ぎて魚がいなくなったといわれる川がよくある。
ウソである。試しに、夜、懐中電灯を以て川を覘いてみるとよい。
いないはずの魚がウジャウジャいて驚かされるはずである。
 最初から魚の棲めない悪沢や、川底のゴロが土砂で埋まってしまって
地下水との連絡がなくなってしまった下流域の川は別として、
魚の棲める(釣れる)川でいくら釣ったところで、魚は釣りきれるものではない。
 
 では、なぜその川が釣れないのか?
釣り人、それもヘタな釣り人の入渓が多すぎて、
川に出ている魚を釣らずに、ゴロに追い込んでしまうからである。
川に魚が出そろったところを襲う”夜突き”も同じだが、
魚はおびえて日中は川に出てこなくなる。
川に出ていた親分格が釣られて引退しない限り、
次の魚は地下から地上へとデビューできないのだから、
いつまでたっても「釣れない川」ということになってしまう。
このような川では、雨後、濁りが入ったりすると思わぬ大釣りができるものだ。

・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

他人のゴミも回収しよう

 最近は釣り人の期待に応えようと、どこの漁業組合でも稚魚の放流を盛んに行っている。
しかし川の下に隠れ棲むことを知らない放流魚たちは、
解禁当初にほとんど釣られてしまい、それで終わりである。
釣り人から逃れ続けて成長し、卵を産むまでになる魚はごくわずかであろう。
むしろ各漁業組合に臨みたいことは、遊漁規則の中に
「自分で持ち込んだゴミは必ず持ち帰ること」
という一項を加えてもらいたいということである。

 そんな当然のことを、と反論されるかもしれないが、
その当然のことを実行できない釣り人があまりにも多すぎるからだ。
各地の釣りクラブにもお願いしたい。できればもっと積極的に、
自分が持ち込んだゴミを持ち帰ることはもちろん、渓流で目についた
『他人が捨てたごみ』をも回収するように指導してほしい。
 私も渓流へ行くたびに実行しているが、一回の釣行で最低一個、
というように数を限定しないと、バカらしくてやっていられない。

 全国二千万人といわれる釣り人が、釣行のたびにこのことを実行していったなら、
海や川は見違えるようにきれいになるはずである。
 釣り場にごみが無くなれば、それだけで魚が増えるとは私も思わない。
しかしこのような運動が釣り人から登山者へ、登山者から家族連れの行楽客へと
その輪を広げていったなら、必ず国民一人ひとりの自然に対する意識が変わる。
自然とむやみに敵対し、生態系を破壊しようとするのでなく、
自然に溶け込み、自然と共に生きようという姿勢が生まれて来る。
このことこそが渓流魚をはじめとした自然界の生物たちを繁殖させ、
人間と共存できる最も確実な方法であり、道なのである。

*   *   *   *   *

 氷河の昔から生き抜いてきた、とされるほど生命力の強い渓流魚たちに、
われわれ人間が接するようになったのは、
山奥にすむ人々を含めたとしてもせいぜい二、三千年くらいのものだろう。
いわゆる”渓流釣り”と称する人間たちとの出会はたかだか数十年に過ぎない。
 イワナもヤマメも、いわば自然界の大先輩である。
大先輩である渓流魚たちに逢いに行く以上、
自分で持ち込んだゴミを持ち帰り、他人のゴミををも回収して、
彼らの生活環境を脅かすことのないようにする位の気配りは、
当然のことであるといわなければなるまい。
 大いに魚を増やし、大いに魚を釣りたいものだ。
私達だけでなく子や孫の世代までも・・・

                                         (栃木県黒磯市)

*筆者後記

いま読み返すと思わず顔が赤らむような稚拙な文章だが、

筆者が初めて一般誌に投稿した思い出の記事である。
無駄な気負いが出過ぎている反面、物事、
特に渓流釣りに対して真剣に向き合っている様子が感じられて、
ほほえましくもある。
その後、釣り雑誌や新聞等にいくつかの記事を投稿し、掲載された。
順次公開していきたいと思う。
一老釣り師の、今は昔の思い出語りとして、
読み流して頂ければさいわいである。
*灯 渓酔:筆者(菅 政幸のペンネーム)