赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

大野家文書「戦中戦後を生きた一農民の証言・記録②」

2015-06-30 12:42:56 | 戦後70年、今伝えなければ・・・



 ★大野家に残された文書を判読・意訳したものです

南京の虐殺 これを天皇に見せたいと考えた。
毎日まいにち
老人 子供 婦人 非戦闘員を虐殺。
 工兵隊が揚子江に桟橋をかけて、
 殺した人たちを橋の上からツキトバス。
南京周辺ダケで二十三万余を虐殺した
 今なお世界の話題。
北支那蘭封 三義祭では農民たちを生き埋め。
農家に放火して、君が代唄って万歳。
書き尽くせるモノデナイ

 実に八年間に日本軍が中国の
 非戦闘員一千八十万人
 虐殺したのだ

・・・・・・・・・・・・・

ドコノ戦場にも支那軍の正規兵の死体は
ホトンド見受けラレナイ程ダッタ。
ホトンドが婦人 老人 子供たち
逃げ遅れの民衆たちが虐殺サレタ。

わが身を捩って
  人の痛さを知れ」


人の書いたモノやお話の受け売りでは判らない。
小出藤四郎は誰にも遠慮せず
書ける 潔白さと 大胆と 勇気
日本から仕掛けた戦争だ。
潔白 永遠に戦争は起こすモノデナイ。

*わが身を捩って:わが身を抓って・・・の意か?


「戦中戦後を生きた一農民の証言・記録①」

2015-06-28 16:24:47 | 戦後70年、今伝えなければ・・・



★私のお客さまである大野家に残されていた文書を、
私が判読・意訳したものです


人類の大平和欲
人を殺しては悪いこと
人に殺されては損のこと
人を生して(生かして)勝つこと
人類の命━━━[イノチ ナガク]を
金で売里買い(売り買い)出来ない筈

・・・・・・・・・・・・・・

写真説明
銃を持った上等兵
  小出藤四郎
日本刀を持った軍曹
  小林 通
野戦弾薬庫前
小林軍曹兵器係助手
小出藤四郎は町会議員現職で召集され
天皇の命令で 一銭五厘で召集され
死んで帰れという軍歌で追い出された
  戦地でヤッタ日本軍の仕事
強盗 強姦 放火 虐殺 これが仕事


大野家文書「戦中戦後を生きた━農民の証言・記録、表題」

2015-06-28 16:20:58 | 戦後70年、今伝えなければ・・・

昭和五十年九月二天

日本の運勝明案

大野勝家繁栄

潔白の筆笛と筆刀

作家 小出藤四郎74才

*二天:日天子(にってんし=太陽)と月天子(がってんし=月)の意から、
世界を照らす日・月(夜)を表したものか?  あるいは・・・宮本武蔵の二天一流
(二刀を一刀に使いこなす意)に、自らの「筆笛と筆刀」とを掛けたものか?

*日本の運勝明案:意味不明なるも・・・日本の勝運と、勝さんの勝運とを掛けた         明るい案、というような意か?

*筆笛:意味不明。なるも・・・笛が音曲を奏でるごとく、筆によって万感の思いを書き表す、という意味の造語か?

*筆刀:「刀筆」をもじったものか? 「刀筆」=昔中国で紙の発明以前に、竹簡に文字を書いた筆と、誤記を削り取るために使われた小刀。 転じて筆、さらには”記録”の意にも。

★*印は私の判読あるいは意訳を記したものです。


大野家文書「戦中戦後を生きた━農民の証言・記録」初めに

2015-06-27 19:49:31 | 戦後70年、今伝えなければ・・・

私は今年、2015年9月で、67歳になります。
高校を卒業して社会に出てから早や50年。
これまでに様々な人生体験をしてきました。


今の世の中、
普通に家庭を構えて、
日々を平穏無事に生きていこうとするならば、
自分で自分の考えや想いを、自由に表現し、伝えることが、
果たしてどれだけ出来るものでしょうか?

自分の本当の想いは、オブラートに包み、
なるべく目立たぬように、控えめにしか表現できない━━
というのが 本当のところなのではないでしょうか。

*    *    *    *

今年は戦後70年という節目の年。
日本の歴史の一つの区切り。
私の人生も折り返し点はとうに過ぎました。

言い残しておきたいこと、
後世に伝え残しておきたい事を、
今ここで表現しておかなければ、
きっと悔いを残す・・・

そんな思いから、、
言いたいことは出来るだけ言い、
書きたいこともできるだけ書いていく━━━
という決心をしました。

*    *    *    *

私の父は先の敗戦を満州で迎え、 
ソ連軍の捕虜となって
シベリアへと送られました、
過酷な抑留生活を何とか生き延びて帰還し、
那須の荒野に開拓者として入植。
私と弟をこの世に送り出してまもなく、他界しました。
幼いころ父母に聴かされて思った
「戦争の悲惨さ、バカらしさ」は、                  
年を経た今でもこころから消えることはありません。

今、私は人の健康の維持や回復促進の仕事に携わる 
「整体」を仕事としています。 
人の健康どころか、生命そのものを奪い、奪われる、
「戦争」というものに、断固反対します。

今まさに、戦争を知らない世代の一部の人たちによって、
戦争準備法案、戦争法案ともいうべき
「日本を戦争をできる国」にしよう
という法案が成立させられようとしています。

実際の戦争とはどんなものだったのか? 
私の整体のお客様である大野家に残されていた文書に、
戦争体験者の心の叫び書き記されていました。

原文にできるだけ忠実に、
私なりに判読・意訳したものを連載したいと思います。

私たちの子や孫たちに、 
同じ思いをさせないために・・・