赤ひげのこころ

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「シベリア抑留」 ② 労働証明書 発行命令書

2018-03-27 11:36:21 | 戦後73年、今伝えなければ・・・


★日本に帰国した
「シベリア抑留者たちからの申請に基づき、
「抑留期間中の労働証明書を発行すべし」
と命令したロシア政府の命令書のひな形。


(仮約)

ロシア連邦政府
命令
1992年3月26日   No. 587-P
於モスクワ

ロシア共和国公文書委員会とロシア外務省は個人の申請にもとづいて
公文書館に保存されている書類により、
第2次大戦のあとソ連領地内における捕虜の時の、労働証明書を発行すべし

                       ロシア共和国副首相
                                A.ショーヒン

ロシア共和国
  大統領府
  第1管理部

*    *    *    *    *    *


労働証明書交付の件について

前略 ご清栄のことと存じ上げます。かねて貴方より申請ありました
ソ連抑留中の労働証明書原本及び日本語文をお送りします。
内容につきましては貴方の申請を極力尊重し、
かつロシア政府公文書の保存書類と照合し、ロシア政府より交付されてきました。
労働証明書の効力については、目下東京高等裁判所で審理中であり、
この結果を待たねばなりませんが、
並行して行政府立法府に対しても、力強く働きかけてまいりたいと存じています。
尚、証明書に記載されておりますルーブル賃銀額は、一九四五年代のもので
そのこと自体に意味のあることではなく 問題は労働期間です。
米英捕虜の場合も実労働期間に依るものでした。
 時節柄、一層ご健康に留意くださいます様に
                                         草々
一九九二年  月  日
全国抑留者補償協議会
(全日本抑留者協会)
    会長 斉藤六郎  全抑協中央本部会長印


「シベリア抑留」 ① シベリア抑留とは

2018-03-12 17:52:38 | 戦後73年、今伝えなければ・・・

 

昭和20年(1945年)8月、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄、
満州や千島列島に侵攻しました。
第二次大戦終結時、降伏、または逮捕された多くの日本人が
主にシベリアへ抑留されました。
その多くは、軍人、軍属、また満州開拓団、満鉄(南満州鉄道)の職員たちでした。
シベリアだけでなく、遠くヨーロッパロシアや、モンゴル、中央アジア等、
約1200か所の収容所や監獄に収容され、強制労働に従事させられました。

日本政府の推定ではその数 約57万5千人。
そのうち 5万5千人が死亡し、約47万5千人が帰国したとされているが・・・
抑留者総数は60万人を超え、死者は6万人を超えるとの説もあります。

昭和21年(1946)12月から、引揚が始まったが、長い人では10年以上抑留された人も。
日ソ共同宣言が行われた昭和31年(1956)年には
有罪判決を受けた者も釈放されほとんどが帰国したが、
そのままソ連に帰化した者もいました。

      *編者注
*日ソ中立条約:
1941年4月13日、モスクワで日ソ中立条約を締結。
有効期間は5年間で、一方が第三国の軍事行動の対象となった場合に、
他方は当該紛争の全期間にわたって中立を守ることを約しました。
同年12月に日本が米英などと戦争状態に入ったのちも日ソ中立は維持されたが、
45年4月5日、ソ連は同条約の有効期間満了後、延長しないことを通告。
更に同年8月9日には、連合国間の協定に基づき、日本に宣戦布告して攻撃を開始した。
日ソ中立条約は、法的には有効期間中に、ソ連によって破棄されたわけである。

*強制労働:土木建設、鉄道建設、採炭、採鉱、伐採、生産工業に強制的に従事させた。

*連合国間の協定:1945年2月4~11日、クリミア半島のヤルタで行われた
ルーズベルト大統領(アメリカ)、チャーチル首相(イギリス)、
スターリン首相(ソ連) の三首脳による会談で、
戦後のドイツ処理問題や東欧問題などの第二次大戦後の戦後処理、

国際連合の創設、などについて話し合われた(=ヤルタ会談)。

ソ連の対日参戦や千島列島のソ連への帰属を明記した秘密協定を含め、
10以上の協定が結ばれました。
戦後、北方領土問題との関連でこの協定の法的拘束力を巡って
日ソ間の論争の的となり、
ソ連解体後は日本とロシア間の交渉に引き継がれています

      *参考文献・資料
本稿は、菅家のシベリア抑留体験者の記録や証言を基に構成しています。
(編者の父や叔父なども抑留されました)。
また、編者注などの解説記事についてはブリタニカ国際大百科事典、
日本大百科全書、ウィキペディア、朝日新聞、下野新聞、
その他のメディア掲載記事も参考にしています。