徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

長崎 旧外国人居留地、出島

2008-11-23 | 歴史
長崎 旧外国人居留地、出島

長崎の旧外国人居留地、出島を旅する。長崎4回目にして初めて。はじめの2回は卓袱を食べただけの訪問だった。

大浦
  • 旧香港上海銀行長崎支店記念館
    NYKラインによる長崎ー上海のほうが長崎ー東京より時間的には近かったという戦前の事実。NYKラインは豪華だった。ちょっと感慨深い。

    南山手
  • 「聖コルベ館」(聖コルベ記念室) 旅する長崎学の説明
     聖コルベ神父(1984-1941、1982列聖)(WIKI)が昭和5年に仮の修道院と印
    刷所を構えたところ。暖炉跡(長崎県指定文化財)が残る。聖コルベ神父のアウシュビッツでの話を知って涙する。
  • 国宝 大浦天主堂(1864年建築)
     正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」
     プチジャン神父の協力を得て、ジラール、フューレ両神父の設計図による。
     『信徒発見のマリア像』を見る。信徒発見は1865年3月17日。
     キリシタン資料室のド・ロ 神父の木版画は、背の丈ほどもあった。
  • グラバー園 http://www.glover-garden.jp/
     旧三菱第2ドックハウス 、旧長崎地方裁判所長官舎、旧長崎地方裁判所長官舎、旧リンガー住宅、旧オルト住宅、旧スチイル記念学校、旧自由亭、旧グラバー住宅(1863年建築のあと増築を重ねたらしい、昭和32年(1957)三菱重工業株式会社長崎造船所より旧グラバー住宅及び庭園の寄贈を受け、一般公開を行なったのがグラバー園のはじまり。)高島炭鉱が、グラバー商会と佐賀藩との間で始められた。グラバーは、日本初の蒸気機関車「アイアン・デューク(鉄の公爵)」を現在の市民病院から大浦川附近まで約400mに及ぶ線路を敷設し国産の石炭を燃料に公開運転を行った。グラバーが三菱の傘下にはいったのはグラバー商会が倒産したのち、1881(明治14)年三菱商会が高島炭鉱を買い上げてから。キリンビールの前身もグラバー氏が立ち上げる。

     霧笛の長崎居留地―ウォーカー兄弟と海運日本の黎明 (長崎新聞新書) (新書) ブライアン バークガフニ (著)を購入。
    霧笛の長崎居留地―ウォーカー兄弟と海運日本の黎明 (長崎新聞新書)
    ブライアン バークガフニ
    長崎新聞社

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    東山手
  • 孔子廟
     孔子廟自体は台湾でもいったのでなんということはないが、付設の長崎孔子廟中国歴代博物館の展示がよかった。北京故宮宮廷文物展の展示。今回は清朝の陶磁器が展示されていた。優美。
     http://www4.cncm.ne.jp/~rekidai-museum/hakubutukan/index.htmlに展示品のPDFがある。
  • 東山手十二番館 (旅する長崎学
     活水学院など明治はじめのキリスト教教育について展示あり。
  • オランダ坂

    出島
  • 出島和蘭商館跡 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/
     復元中、西側10棟が公開中。順路どおりに進むと出島通になれる。幕府の貿易統制の仕方。オランダがナポレオンに占領され、蘭領インドネシアも占領されたとき、オランダ国旗が翻っていたのは世界中で出島だけだったという史実(日本は極東のアジールか)など、興味深かった。
     「出島のプリントウェア」展が開催されていた。
    (11月23日)

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