徒然なるまままに

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萩焼

2005-08-12 | 美術
萩焼

萩焼のHPの抜粋とリンク集です。

人間国宝:三輪休雪についてインターネットでGooすると:休和(10代休雪)は「休雪白」、純白の藁灰釉を創案、萩に新境地をもたらし、さらに寿雪(11代休雪)は「休雪白」を実質的に展開、「鬼萩割高台茶碗」などは破格の造形感覚で茶陶界にも新風をもたらした。(アート飛田のHPから)人間国宝に休和(10代休雪)は1970年に認定され 寿雪(11代休雪)は、1983年に認定されている。(DNP Musueum Informationから)

11代の作品は、こちら

山口大学農学部宇都宮宏氏による萩焼旧萩藩藩窯坂窯と三輪窯の開窯と発展(抜粋)

毛利輝元は、豊臣秀青より、1592年からの文禄の役の時、朝鮮固より渡来して大坂にいた李勺光を預かり、また1596年からの慶長の役時に、李敬が朝鮮固から対馬・肥前を経て、来萩した朝辞の掛青沙券匠をかかえ安芸の広島を経て1600年9月15日の関ケ腐の合戦で負けて1604年萩に入府する萩城の縄張は、1604年2月18日1萩城の‘鋤初’が同年6月であり、毛利輝元の萩城入城は、11月11日である.

萩鹿の開窯に関しては、李勺光によって萩市椿郷東分松本中之倉に、萩藩の藩窯が築窯され、1605年に開窯と考えられる.その後、李敬に受け継がれ、登り窯と裏山の唐人山の地土(赤褐色土)を生かし、使用・活用されて現在も作陶が継続されている.この窯が坂窯である.初代~3代までの作品
を「古萩」と呼んでいる.また11代までは朝鮮系の作風であるが、12代は楽焼・絵付の技法が顕著である。

○ 坂窯
初代李敬(帰化して日本名坂本助入、後、改姓して、坂助八。1625年11月22日萩藩初代藩主毛利秀就より高麗左衛門道忠の名をいただく。号は入唐山、韓峯山(1585-1643) (略)--- 10代坂高麗左衛門秀輔(道輔の次男、雅号韓峯、1890-1958)---11代坂高麗左衛門信夫(秀輔の養子、雅号韓峯.1975年山口県無形財文化財萩焼保持者に認定.1912-1981)---12代坂高麗左衛門達雄(信夫の養子、雅号熊蜂(ゆうほう、日本工芸会)正会員、1949-)と続いている.

萩鹿の薄窯に、もう一軒三輪窯がある。1663年萩藩2代藩主毛利綱広の時、三輪息兵衛利定が「御雇細工人」に採用され、1700年藩命により楽焼(一入時代)を修業。また1744年4代利之も楽焼の技法を修得して、萩焼に楽焼の手法を顕著に取り入れている。

○三輪窯
「萩藩譜録」から赤穴内蔵之助(父は朝鮮国から石見へ、内蔵之助は、石見から萩へ移住)---初代三輪忠兵衛利定(普入、法体休雪) ---(略)---10代三輪邦広(1927年2月より休雪と号し、1956年年8月山口県無形文化財萩焼保持者に認定。1967年5月隠居して、休和と号す。1970年4月重要無形文化財萩焼保持者に認定。品・三○十代・休雪造・休雪・和・休和の印と刻銘がある。---11代三輪節夫(1967年5月までは、休と号し、1967年5月11代休雪を襲名してからは”雪”を刻銘している。1960年日本工芸会正会員。1972年山口県指定無形文化財萩焼保持者認定。1983年重要無形文化財萩焼保持者認定。1910-)

現在、このように旧萩藩藩窯の流れをくむ坂窯と三輪窯の両窯の萩焼は楽焼化した萩焼であると考えてよいであろう.
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