脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「孤立死」を防ぎたいなら、脳脊髄液減少症患者を見逃さず早期発見せよ。

2012年03月20日 | 他の病名との関連性

以前にもこのブログに書いたけれど、(この記事の後半に書いてあります。)

NHKの「真相ファイル 追跡」の「札幌の孤立死」の内容を見て、またとても気になった。

しかも、死因は司法解剖の結果「脳内血腫」

それって、髄液漏れでも起こる「慢性硬膜下血腫」ではないの?

って思ってしまう。

 とても気になる。

こちらも読んでみて。)

(報道特集はこちら。)

 

「追跡」によると、

42歳の姉は、体調を崩し、仕事をやめた後も、

知的障害の妹とともに、札幌で暮らし、

体調不良を抱えながら、必死に求職活動をしていたという。

 その体調不良の内容について、

番組で亡くなった姉の知人が語っていた内容が

妙にひっかかった。

 「朝起きられない。起きようと思うんだけれど、吐き気がして起きられない。」と

亡くなる前に言っていたと・・・。

 好きだった野球関係のブログに書き込んだ文字も、

「野球を見に行きたいけれど、

体力がもつか・・・・」

 就職活動をしたり、野球を見たいという気持ちはあるのだから、

うつ病ではないと思う。


そういういろんなことに興味や関心はあるのに、体がついてこない、仕事がやっと決まっても体調不良で続かない病って、

いったい何なの?

それって、脳脊髄液漏れの可能性ないの?

 脳脊髄液漏れって、雪道で転倒したって

起こりうると私は思う。

 生きようとして、2012年の家計簿まで作っていたのだから・・・

なのに、死に至るまで放置された体調不良。

単に経済苦で栄養不足が原因で病死したわけではなく、

体調不良で働けなくなったことがそもそもの原因ではなかったか?

おそらく医師も一度くらいは受診していただろう。

にもかかわらず、

のちに脳内血腫を起こすほどの、じわじわ進む体調不良って

いったい何なの?

 

朝起きられない、起きようと思うんだけど吐き気がする症状って、

それっていったい何なの?

 

たしかに、司法解剖の結果死因は「脳内血腫」だろうけど、

それに至る原因は、いろいろ考えられるはず。

 症状は、

かつての髄液漏れが放置されていた時期の私の状態をそっくりだよ。

私も一歩間違っていたら、「髄液漏れ」に殺されていたかもしれないと思ってしまう。

もし、私が、慢性的な髄液漏れで、「脳内血腫」を起こして、

死んでいたなら、

私自身も、誰にもそれまでの体調不良も、

死亡に至った脳内血腫を作ったそのまた原因も、

それが「交通事故が原因で起きていた、脳脊髄液漏れ」が大元の原因だと知られないまま、誰も想像もしないままだったかもしれない。

 

私は、なんで自分が死んでしまったのか原因もわからないままだったろう。

 

亡くなった姉のこずえさんが、

脳脊髄液漏れがあったかどうかは、もはやわからない。

 でも、

死に至らしめるような重大な病が

 

誰にも気づかれず、見逃され、適切な医療に救われないまま、

無理に無理を重ねながらも、求職活動をして、働いて生きていこうとしたことだけは確かだと思う。

 

なぜ、亡くなった40代の姉は

3年前には肩こりと診断され、

脳外科受診歴もあったというのに、

 

死に至るほどの体調不良があったにも関わらず、

医療にその不調の原因を見つけてもらい、

適切な治療を受けて救われなかったのか?

 

見逃した脳外科医とはいったい誰なんだと思う。

 

なぜ、生活保護が受けられ救われなかったか?よりも、

私はむしろ、そっちの方が非常に気になった。

 

 脳脊髄液減少症では死にはしないなんて、医師も患者も

軽く見る人たちも多くいるが、

 

私は自分の経験からも、

「脳脊髄液減少症」の見逃しや、放置が、

「孤立死」と無関係だとは、全く思わない。

 

一人暮らしや、身よりのない孤独な人が、

もし、ある日、転倒などなんらかの事故により「脳脊髄液減少症」を発症したなら、どうなるだろうか?

 

もし、本人も受診した医師も、「髄液漏れ」という

ケガの存在を全く知らなかったら、どうなるだろうか?

 

もし、ケガをした当初は、大丈夫であっても、

じわじわと症状が出てきて、働けなくなったり、

体調不良で日常生活もままならなくなったらどうなるだろうか?

 

仕事はおろか、やがて買い物にも行けなくなるだろう。

やがて、入浴も歯磨きも、炊事も、食器洗いも

だるくて、疲れて、しんどくて、

できなくなるだろう。

 

朝はもちろん、起き上がれず、やっと起きても吐き気で普通におきられないだろう。

 

 もし、それでも病名がつかず、原因不明とされたら、

どうなるだろうか?

 

少し考えて見てほしい。 

 

脳脊髄液減少症の現実を知っている人なら、

脳脊髄液減少症の発見が遅れ、治療もされず放置されれば、

孤立死に至る可能性も十分あることが

想像できることだろう。

 

もし、本気で今、

社会が「孤立死」を防ごうとしているのなら、

 

たとえどんなにありふれた初期症状からでも、「脳脊髄漏れ」や「脳脊髄の減少による症状」は

絶対に見逃さない医療体制を確立しなければならない。

 

そのためには、「起立性頭痛」が絶対条件の

 あんな診断基準では絶対にダメだと思う。

あの診断基準では人は救えない。

脳脊髄液減少症患者も、早期発見できない。

 

だって、実際に「詳しい検査でしっかり髄液漏れがあった。」私でさえもあてはまらないような

診断基準なんだから・・・・

 

あの脳脊髄液漏出症の診断基準では人は救えない、

孤立死も防げない。

患者を早期発見、早期治療にも導けない。

患者を見逃し、再び「異常なし」とほうりだし、

 

患者は苦しんだあげく、症状による突然死や孤立死や、

自殺にまで追い込まれかねない

深刻な事態を招くだろう。

 

つまり、救う人より、見逃しほうりだされる人を多く出しかねない、

人殺し診断基準。

 

そんないい加減な診断基準、私はいらない。

髄液漏れ患者の私にさえ、歓迎されない、

脳脊髄液漏出症の診断基準って、いったい何のために作られたんだ?

「診断基準、診断基準」とうるさい患者をだまらせるため?

全体の患者のごく一部の患者しかあてはまらないように間口の狭い厳しい診断基準を作って、

脳脊髄液漏れだと診断される患者を絞りこみ、「少なく」して、

補償しなければならない患者を減らすため?

 

診断基準って何のためにあるの?

 

人の命も救えない診断基準って

いったい何?

 

私は断言する。

「脳脊髄液減少症の早期発見と見逃しのない早期診断と早期治療は、

孤立死も自殺も防ぐ」と。

 


※2020年12月22日上の本のリンクを貼りました。

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「なんとなく不調」の一因に... | トップ | 第10回 脳脊髄液減少症研究会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。