つたわらない。
どんなに苦しみを訴えても、
どんなに思いを伝えても、
どんなに願いを伝えても、
どんなに力を貸してと頼んでも、
どんなに新聞記事を見せても、
どんなにテレビ報道を見てと言っても、
「脳脊髄液減少症」の苦しみはつたわらない。
つたわらない。
つたわらない・・・。
症状の深刻さも、過酷さも。
つたわらない。
毎日毎日、綱渡りのように生きていることも、
死に逃げ出したくなるほどの、終わりのない苦しみも。
つたわらない。
見た目では、病人に見えない私の言うことは
何もつたわらない。
何も信じてもらえない。
加害者はもちろん、
肉親さえ、みんなしらんぷり。
親兄弟にさえ、つたわらない。
無関心な人たち。
無理解な人たち。
もう、怒る気力もわかない。
誰か私に代わってこの人たちに気づかせて!。
自分がしていることの罪の重さに気づかせて!。
今もなお、一瞬の自由を除いては
生き地獄のような苦しみは続いているのに、
必死で生きている、
何の落ち度もない、
交通事故被害者の私がここにいるのに、
社会も、医師たちも、肉親たちもしらんぷり。
親も兄弟もみな自分のことで精一杯。
気持ちも関心も、外ばかりに向いて、
自分たちのことや、他人の世話ばかりに一生懸命で、
死にそうな思いで、助けを求めている
身内の人間の存在に気づかない。
気づこうとしない。
まるで
そばで私が溺れているのに、見て見ぬふりして、知らないふりして
自分たちだけ楽しそうに、
砂浜で談笑しているかのように、感じてしまう。
私の方へなかなか目を向けてくれない。
無理に目を向けさせても、
この苦しい状況が、つたわらない。
いくら言葉を尽くしても
どんなに泣いて訴えても、
経験しないかぎり
この複雑な苦しみは、つたわらない。
励ましの言葉ひとつ、
いたわりの言葉ひとつ、
かけてくれない。
病気のことを、自ら学ぼうともしてくれない。
なんとか伝えようとすると、迷惑がられる。
無理解な社会や加害者に対し、
一緒に怒りに震えてもくれない。
今までも
まるで、この状態を私の未熟さが招いたかのように
冷笑され、あざ笑われ、
バカにされ、さげすまれ、
努力が足りない、だれでもつらい、気のもちようと言われ続け、
医師にさえも、家族にさえも、まともに相手にされずに、
ここまで生きてきた。
今までも、不幸な事故を嘆く私に、
「加害者だって、わざとぶつけたわけじゃないんだから、許してやりなよ。」と
全く誠意のない加害者をかばって、私をたしなめた私の実の兄弟。
耳を疑う言葉だった。
まさか、血のつながった兄弟が、
私より加害者をかばう発言が出るとは
信じられなかった。
世界中の人を敵にまわしても、
肉親くらい私の味方になってほしかった。
親たちも兄弟たちも
この人たちは幸運すぎて、健康すぎて、
何もしらない。
何も知ろうとしない。
想像しようともしない。
長い長い年月の、
精神的、肉体的な想像を絶する苦痛の果てに、
生き残って、
「脳脊髄液減少症」の診断名をもらっても
いまさら、私の周囲の人たちは何も変わらない。
何もわかっていない。
この病気の恐ろしさ、ひどさ、苦しさを。
自分になんの落ち度もないのに
目に見えない怪我をしたために、
何年も何年も「症状と無理解」に苦しめられる過酷さを・・・。
戒められるべきは加害者なのに、
被害者の私が責められる。
事故の不幸を嘆き、加害者を憎み、無理解な社会や家族を恨み
働けない動けない、疲れやすい、いつも具合の悪い私は、
いつもいつも周囲から「低い評価」で責められ続けてきた。
「大切な家族をこんな体にして」と一緒に怒ってほしかったのに、
「そうだね、悔しいね。」と一緒に泣いてほしかったのに、
悔しさも、怒りも、悲しみも、一緒に感じてほしかったのに、
そんな人は肉親にはだれもいない。
まるで私が、
「加害者を許すことのできない、未熟な人間。」であるかのような
「過去にいつまでもとらわれ、前向きに生きられないダメな人間。」
であるかのような言い方で、責める兄弟。
親子って何?
兄弟って何?
決して、暖かな救いの手をさしのべてくれない、
決して親身になって、力を貸してくれない、
思いやりの言葉もかけてもらえない。
血のつながった私の親と兄弟たち。
そんな人間は私はもういらない。
そんな人間たちとは、もう、かかわりたくない。
私の人生には、そんな人間は必要ない。
あなたたちとつながっているものは、遺伝子だけ。
もう心は・・・・つながっていない。
つながっていたくない。
溝は埋まらない。
もう、あなたたちには何も期待しない。
期待しなければ、失望もしない。
悲しみもわかない。
憎しみも復讐心もわかない。
何もいらないけれど、
せめて「共感」だけはほしいと
最後まで願っていた。
本当は、今も願っている。
しらんぷりの加害者よりも、
しらんぷりの医者たちよりも、
しらんぷりの肉親の存在は、
より私を、
苦しめ続けている。
どんなに苦しみを訴えても、
どんなに思いを伝えても、
どんなに願いを伝えても、
どんなに力を貸してと頼んでも、
どんなに新聞記事を見せても、
どんなにテレビ報道を見てと言っても、
「脳脊髄液減少症」の苦しみはつたわらない。
つたわらない。
つたわらない・・・。
症状の深刻さも、過酷さも。
つたわらない。
毎日毎日、綱渡りのように生きていることも、
死に逃げ出したくなるほどの、終わりのない苦しみも。
つたわらない。
見た目では、病人に見えない私の言うことは
何もつたわらない。
何も信じてもらえない。
加害者はもちろん、
肉親さえ、みんなしらんぷり。
親兄弟にさえ、つたわらない。
無関心な人たち。
無理解な人たち。
もう、怒る気力もわかない。
誰か私に代わってこの人たちに気づかせて!。
自分がしていることの罪の重さに気づかせて!。
今もなお、一瞬の自由を除いては
生き地獄のような苦しみは続いているのに、
必死で生きている、
何の落ち度もない、
交通事故被害者の私がここにいるのに、
社会も、医師たちも、肉親たちもしらんぷり。
親も兄弟もみな自分のことで精一杯。
気持ちも関心も、外ばかりに向いて、
自分たちのことや、他人の世話ばかりに一生懸命で、
死にそうな思いで、助けを求めている
身内の人間の存在に気づかない。
気づこうとしない。
まるで
そばで私が溺れているのに、見て見ぬふりして、知らないふりして
自分たちだけ楽しそうに、
砂浜で談笑しているかのように、感じてしまう。
私の方へなかなか目を向けてくれない。
無理に目を向けさせても、
この苦しい状況が、つたわらない。
いくら言葉を尽くしても
どんなに泣いて訴えても、
経験しないかぎり
この複雑な苦しみは、つたわらない。
励ましの言葉ひとつ、
いたわりの言葉ひとつ、
かけてくれない。
病気のことを、自ら学ぼうともしてくれない。
なんとか伝えようとすると、迷惑がられる。
無理解な社会や加害者に対し、
一緒に怒りに震えてもくれない。
今までも
まるで、この状態を私の未熟さが招いたかのように
冷笑され、あざ笑われ、
バカにされ、さげすまれ、
努力が足りない、だれでもつらい、気のもちようと言われ続け、
医師にさえも、家族にさえも、まともに相手にされずに、
ここまで生きてきた。
今までも、不幸な事故を嘆く私に、
「加害者だって、わざとぶつけたわけじゃないんだから、許してやりなよ。」と
全く誠意のない加害者をかばって、私をたしなめた私の実の兄弟。
耳を疑う言葉だった。
まさか、血のつながった兄弟が、
私より加害者をかばう発言が出るとは
信じられなかった。
世界中の人を敵にまわしても、
肉親くらい私の味方になってほしかった。
親たちも兄弟たちも
この人たちは幸運すぎて、健康すぎて、
何もしらない。
何も知ろうとしない。
想像しようともしない。
長い長い年月の、
精神的、肉体的な想像を絶する苦痛の果てに、
生き残って、
「脳脊髄液減少症」の診断名をもらっても
いまさら、私の周囲の人たちは何も変わらない。
何もわかっていない。
この病気の恐ろしさ、ひどさ、苦しさを。
自分になんの落ち度もないのに
目に見えない怪我をしたために、
何年も何年も「症状と無理解」に苦しめられる過酷さを・・・。
戒められるべきは加害者なのに、
被害者の私が責められる。
事故の不幸を嘆き、加害者を憎み、無理解な社会や家族を恨み
働けない動けない、疲れやすい、いつも具合の悪い私は、
いつもいつも周囲から「低い評価」で責められ続けてきた。
「大切な家族をこんな体にして」と一緒に怒ってほしかったのに、
「そうだね、悔しいね。」と一緒に泣いてほしかったのに、
悔しさも、怒りも、悲しみも、一緒に感じてほしかったのに、
そんな人は肉親にはだれもいない。
まるで私が、
「加害者を許すことのできない、未熟な人間。」であるかのような
「過去にいつまでもとらわれ、前向きに生きられないダメな人間。」
であるかのような言い方で、責める兄弟。
親子って何?
兄弟って何?
決して、暖かな救いの手をさしのべてくれない、
決して親身になって、力を貸してくれない、
思いやりの言葉もかけてもらえない。
血のつながった私の親と兄弟たち。
そんな人間は私はもういらない。
そんな人間たちとは、もう、かかわりたくない。
私の人生には、そんな人間は必要ない。
あなたたちとつながっているものは、遺伝子だけ。
もう心は・・・・つながっていない。
つながっていたくない。
溝は埋まらない。
もう、あなたたちには何も期待しない。
期待しなければ、失望もしない。
悲しみもわかない。
憎しみも復讐心もわかない。
何もいらないけれど、
せめて「共感」だけはほしいと
最後まで願っていた。
本当は、今も願っている。
しらんぷりの加害者よりも、
しらんぷりの医者たちよりも、
しらんぷりの肉親の存在は、
より私を、
苦しめ続けている。
僕は分かりたい、知りたいそんな気持ちでいっぱいです、僕みたいな病気にもなったことのない人間が言っても何の励ましにもならないかもしれないけど、どうかがんばってください!
理解ある家族に支えられている
患者ばかりではないのが現実です。
先日も、テレビで
「脳脊髄液減少症」の治療に取り組む医師が
「家族にさえ、理解されず、自殺してしまった患者さんを、何人か知っています。」と言っていました。
私は、たった一人だけ、血のつながらない人が理解し応援してくれたおかげで治療にたどりつけ、今があります。
そのたった一人のその人と出会わなければ、
私も自殺してしまったかもしれません。
バッフさんのような理解しようとしてくださる、心優しい方がたが、
もっと増えていただきたいと心から願っています。
病気だけじゃなく、それぞれが経験する痛みや苦しみや悲しみは本人にしかわからないよ。自分じゃないんだから伝わらないのはあたりまえ。でも、相手のことを知りたいっていう気持ちが大事なんだろうね、お互いに。
私が幼少期に感じてた気持ちや親の知らない出来事、辛かった結婚生活のことを父や母に話すようになったのはごく最近。ホント、ようやく…って感じ(^_^;)
特に幼少期は、いくら泣いても、何度も何度も訴えても、何をやっても無駄だった。家族というのは、時折ものすごく残酷な存在。
父は「そこまでとは思ってなかった…」母も絶句。20数年経った状態での私の言葉で、やっと事の重大さがわかったみたい。14歳で死ななくて良かったと思う。
でも、そういう私自身も最近、娘たちとの会話の中で、それぞれが小中学生の頃のことを聞かされると、知らなかった事件や当時の大きな悩みを知って反省する日々。。。こんなに弱ってるママに聞かせないでよって思うこともある。
今、親の援助に甘えて療養している私が言うのは変だけど…
ゆめさんがこうやって自分の言葉でブログに現すのはすごく意味のあることだと思うから、思いっきり吐き出して!
全部はわかりあえないかもしれないけれど、共感できる人はいっぱいいるよ!
でも私はこの病気と長い付き合いをするのには反対です。
うめさんはどうですか?
リンクはフリーになってます。 どうぞどうぞ。。
私はPCに詳しく無いので、何をどうしてよいのか分からない状態です。 どうもすいません。
マザーテレサも「愛の反対は無関心」と言ってます。
愛するのが難しいのは、理解することがそれだけ難しいことだからだと思います。
私も病気してなかったら、病人を思いやることの出来ない人間になっていたと思います。修行だと思って、耐えてますよ。。。。
でも、時々泣いちゃいます。。
家族って時に、残酷な存在になることもあるよね。
でも、アクビちゃんは親にわかってもらえて、よかったね。
時間が解決して、わかりあえる日がくることもあるんだね。
一字違いで、クスッと笑わせてくれて、ありがとう。
気分が沈んでいるときって、皆さんのコメントのうち間違いなんかでも、何でもいいから、クスッと笑えたりするだけで、すごく気分が晴れることがあります。
いつも、私が表現できない思いや感情を、
まるで知っているかのように、書いてくださり、
ありがとう。
読むだけで、まるで自分が言いたかったことを言ったかのようで、すごく救われます。
ろくろさんの体験や考えは、とても私と似ているのです。
心静かな日が少しづつ増える事祈ります(*^_^*)