今月共産党が第26回大会を開きます。この日本共産党第26回大会決議案(全文)にも、4日の志位委員長の新年の挨拶でも、愛国者の邪論が言い続けてきている救国暫定国民連合政権の提唱がありません。このままでは、安倍自公政権に替わる政権構想問題は、共産党の中においては、ほとんど議論されることなく、推移しくように思います。大変残念なことです。
ところで「対決」とは、「法廷で原告と被告とを向かい合わせて行う審判。対審。両者を相対して黒白を決する」(広辞苑)ということです。自民党・安倍政権と共産党を国民の前で相対して黒白を決するということは、自民党・安倍政権の政策と共産党の政策を国民の前に相対して黒白を決することです。この「黒白を決する」ということは、どういうことでしょうか。
一つは、自民党・安倍政権を温存したまま、その政策の変更を提案し、共産党の政策を実現する。
二つは、自民党・安倍政権には、政策の変更は望めないので、自民党・安倍政権に替わる政権を実現して、共産党の提案する政策を実現する。
自民党・安倍政権と「黒白を決する」とは、以上の二つしかありません。しかし、共産党は、共産党単独では政権はつくれない、「連合政権」と言っていますので、その「連合」の相手、政権の枠組みが問題となってきます。そこで、その際の政権の枠組みとして考えられるものは、何か、考えてみました。
一つは、自民党・安倍政権ではなく、自民党内の別の潮流が、安倍氏に替わって政権をつくって、共産党の提案する政策を実現する。
二つは、自民党・安倍政権ではなく、それに替わり得る自民党の参加した政権ではなく、民主党政権のような政権、今、マスコミが盛んに宣伝している「政界再編」を実現して、その新たな枠組みにもとづく政権をつくって、共産党の提案する政策を実現する。
三つは、国民の要求を実現するための政権公約を公表し、国民的議論で深め、自民党の参加する政権でもなく、また民主党政権の失敗を踏まえて、政界再編による自民党亜流政権でもなく、これまでの自民党型政治と政策的に対決する政策を実現するための政権をつくって、共産党の提案する政策を実現する。
どうでしょうか。「自共対決」を掲げて、国民の要求を実現するというのであれば、これまでの延長線上のような政策提案をしているだけで、国民的共感を得ることはできるでしょうか。総選挙後の都議選と参議院選挙の際の共産党への国民の期待の本質的意味は何だったのでしょうか。
志位氏は、「全党の奮闘によって「『自共対決』時代の本格的始まり」という新しい情勢を開いた」として、以下のように述べています。
昨年は、「『自共対決』時代の本格的な始まり」という新たな情勢を開く歴史的画期をなす年となりました。この情勢は自然に訪れたものではありません。「二大政党による政権選択論」や「第三極論」など、長期にわたる日本共産党排除の反共作戦に抗しての、全党の不屈の奮闘が、この時代を切り開いたということを、私は、強調したいと思うのであります。(引用ここまで)
この発言からすると、それまでの「自共対決」は「本格的ではなかった」ということになります。しかし、そうでしょうか。そもそも、90年代初頭の細川新党による非自民・非(反)共産党政権の誕生と、その後の連立政権の行き詰まりのなかで、820万もの支持を獲得したのです。そのなかでよりまし政権構想論も議論されました。しかし、その提起は、どこかに行っていまったのです。
しかし、自民党をぶっ壊すと称して小泉政権を誕生させたのですが、それでも自民党政権は行き詰まったのです。そうした行き詰まりを反映して、新自由主義的政策からの脱却、従属から対等の日米軍事同盟を求める民主党政権が誕生、しかし、公約違反と自民党化した民主党への失望を第三極騒動をつくりだすことで後景に追いやり安倍自民党政権を実現したのです
本来は、自民もダメ、民主もダメならば、「自共対決」論を掲げている共産党に期待が集まるところでしたが、第三極ブームをつくりだしたのです。共産党も、90年代後半の大躍進にもかかわらず、従来どおりの政策提案型の政治の域から脱出できないまま、民主連合政府型の政権論の枠組みから脱出できないまま、小沢民主党の政権公約に、トンビに政権もって行かれてしまったのです。
しかし、その民主党政権も、支持された国民の運動を組織することなく、霞ヶ関ムラに留まった政治に終始したために自民党化し、国民の失望によって政権の座から引きづり降ろされたのです。それは野合政党である民主党の内部そのものにある自己矛盾によるものです。
そこで、愛国者の邪論は、マスコミの扇動によって実現した政権交代であった政権でしたが、その歴史的体験を意味づける必要があるように思います。以下まとめてみます。
一つは、小沢民主党の、それまでの民主党の政策変更と政権交代可能な二大政党政治下における政権公約発表が国民に共感をよんだ。学ぶべきは小沢氏の眼力です。本来は共産党がやるべきことでした。
二つは、この「政権公約」と「政権交代」をマスコミが煽って、国民の共感、期待、支持を増幅させていった。マスコミの力です。マスコミを利用しなければならないほど、草の根が張っていなかったことも事実ですが、草の根がなくても、組織の「自力」がなくても政権交代は可能で或ることが証明されたのでした。
三つは、政権交代を実現した民主党は、その寄り合い所帯、野合政党であるが故に、公約実現に当たって、その本質的弱点によって自民党化し、分裂し、国民の支持を失い、失望を集め政権を失った。一致点による政権運営とどこを一致させ、どこが一致していないのか、互いに認め合う政権運営、不一致点は国民の討論と運動で克服するという視点こそ、学ぶべき視点です。
四つは、政権公約を実現するために、国民との共同を追及しなかったことを学ぶべきです。このことは、政権交代をめざす政権公約を国民的議論で練り上げていくのではなく、政党内で、しかも民主党内の小沢派が中心になってつくりあげたという事実と弱点に、その原因があるということです。これでは国民が主人公にはなり得ません。
五つは、共産党の政権交代論とのかかわり強調されている「自力」論がなくても、政権交代は実現しているという事実です。
そこで、政権交代前後の自民・民主・共産の票を一覧してみました。ご覧ください。
|
民主党 |
自民党 |
共産党 |
|||
総選挙 |
小選挙区 |
比例代表 |
小選挙区 |
比例代表 |
小選挙区 |
比例代表 |
参議院選挙 |
選挙区 |
比例代表 |
選挙区 |
比例代表 |
選挙区 |
比例代表 |
96年総選挙 |
6,001,666 |
8,949,190 |
21,836,091 |
18,205,955 |
7,096,765 |
7,268,743 |
新進党 |
15,812,320 |
15,580,053 |
― |
― |
― |
― |
98年参議院 |
9,063,940 |
12,209,685 |
17,033,852 |
14,128,719 |
8,871,703 |
8,195,078 |
07年参議院 |
24,006,817 |
23,256,247 |
18,606,193 |
16,544,761 |
5,164,572 |
4,407,932 |
09年総選挙 |
33,475,334 |
29,844,799 |
27,301,982 |
25,643,309 |
2,978,354 |
4,943,886 |
12年総選挙 |
13,598,773 |
9,628,653 |
18,810,217 |
16,624,457 |
4,700,289 |
3,689,159 |
13年参議院 |
8,646,371 |
7,134,215 |
22,681,192 |
18,460,404 |
5,645,937 |
5,154,055 |
どうでしょうか。一覧してみました。勿論、現在の憲法違反の小選挙区制度を前提として考えたものです。これをみて考えたことは、以下のことです。
一つには、日本において、どれだけの国民的支持を獲得できれば政権が担当できるか、
二つは、これらの獲得票は、どのように得られているか、その検証です。
具体的には、日本の政治の歴史的伝統、歴史的要因、政策とその実現力、草の根力、どぶ板にみる日常活動、マスコミの影響力、政党人の人間力などがあります。大東亜戦争、憲法、日米軍事同盟、大企業に対する評価、国民の生活を保障しているかどうかなど、多面的です。一言でまとめると、共産党が関係する政権が、自民党以上に飯を食わしてくれるかどうか、そこが最大の分岐点です。
三つは、今回の大会決議案でも、「自共対決」時代が本格的に始まったと言っています。志位氏は、挨拶の中で、以下のように述べています。
こうした情勢のもとで、日本共産党は、都議選、参院選を目前にして開催された5月の第7回中央委員会総会で、「自共対決」というスローガンを正面から打ち出しました。7中総報告では、つぎのように呼びかけました。「他党がみなそろって、『自民党へ、安倍首相へ』となびくなかで、国民とともに安倍政権の暴走と正面から対決しているのが日本共産党であります。……『自民党対共産党』の対決――“自共対決”こそ、参議院選挙の真の対決軸であります。この真の政党対決の構図を押し出しながら、必ず勝利をつかもうではありませんか」(引用ここまで)
しかし、これは間違い、スリカエです。共産党の「自共対決」論は、昨年に始まったことではありません。以下の第21回大会(1997年09月26日)をご覧ください。以下まとめてみました。
①“総自民党化”の土俵のなかで、にせの「対立軸」、にせの「受け皿」をつくる試みがくりかえされた。しかし、あれこれの新党づくりや、看板のかけかえが、どんな意味でも新しい政治を生みださず、自民党による悪政の推進を助ける役割しかもたないことは、新進党、民主党、社民党などの現状によって、実証されつつある。
②これらの一連の成果は、政党間の力関係を、大きく前むきに変えつつある。とくに、政権党である自民党にたいするわが党の得票比が、総選挙で約四割になり、都議選では約七割にまでたっしたことは、こんごの躍進いかんでは政権の問題を現実に展望できるまでに、日本共産党の政治的比重がましつつあるという点で重要である。これらは、自民党と日本共産党との対決――“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸であること、それが政治路線のうえでの対決だけではなしに、現実の政治的力量のうえでの対決にもなりつつあることをしめしている
③今日の日本で、国民的利益を実現する道は、大会決議案がしめした民主的改革の路線への転換にこそあります。私は、ここに、“自共対決”が今後の政治展開の軸となるという展望の政治的基盤があるし、また、二十一世紀の早い時期に、民主的改革を実行する民主的政権をめざすべき国民的な必然性があるということを、強調したいのであります。
④自共対決の選挙戦をたたかう
⑤民主的改革の国民的多数派を結集していくかなめとして、全国革新懇(平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会)がはたすべき役割は、ますます大きなものとなっている。革新懇は、政治革新の三つの目標での共同を追求しつつ、そのすべてで一致しなくても、悪政反対の一致点で、共同の意思をもつすべての団体・個人に、さまざまな条件におうじた形で働きかけ、国民的共同を追求している。革新的無党派との共同だけでなく、保守的無党派までふくめた新しい運動が、全国的に成長してきている。…日本共産党と無党派との共同は、少なからぬ地域で、すでに現実に行政の担い手となっている。それは、革新・民主の自治体――日本共産党が政党としては単独与党だが、多くの住民と手をたずさえ、「住民こそ主人公」の行政を推進している地方自治体のひろがりとなって、大きく実をむすびつつある。革新・民主の自治体が、その行政の実績をつうじて、国民の信頼をひろげることは、革新・民主の勢力が国政において政権をになううえで、国民に信頼感をもってもらううえでも、きわめて重要である。わが党は、日本共産党と無党派との共同の発展に努力しつつ、二十一世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘するものである。(引用ここまで)
四つは、これらの位置づけを具体化するものとして、98年「参議院選挙の結果について」のなかで、「自民党は過半数をえているとはいえ、いまや国民の支持を失った“虚構の多数”であることは明白です。日本共産党は、自民党の政治の枠内でのたらい回しではなく、ただちに衆院を解散して総選挙で国民の信を問い、国民の意思を反映した国会をつくることをつよく要求します。そのために野党が、国会解散をもとめる共同をはかるために戦力をつくします」と「自共対決」論の具体化を国会解散・総選挙として主張していたのです。
ところが、その後の選挙においては、どうだったか、「『二大政党による政権選択論』『第三極論』など、長期にわたる日本共産党排除の反共作戦に抗して」とありますが、「共産党排除の反共作戦」は常套手段であることは明らかです。だからこそ、「自共対決」論を打ち出しながら、「21世紀の早い時期に、民主的改革を実行する民主的政権をめざす」と打ち出したのではないでしょうか。
しかし、その21回大会の方針が国民のものにならなかったの何故か、その検証は曖昧です。その最大の問題点は「民主的政権」論と「民主的政権構想」論が国民的議論に付されなかったことです。それは小沢氏の政権公約によって証明されました
今、自共対決」が「本格的時代に」と言っても、一覧表の推移にみるように、「共産党排除の反共作戦」を上回る作戦を国民に示していかなければ、90年代後半から今日までの誤りを繰り返すことになるのは、事実が示していると思います。それは、救国暫定国民連合政権構想論にもとづく政権構想を国民に提案していくことです。これを国民的議論に付していくなかで、マスコミを動かし、共産党の姿を広げてういくことです。そうしたなかで、国民の要求を草の根から実現していくこと、飯を食わしてくれる共産党への信頼を築くことです。これは「自力」を構築していくことと一体的にすすめていかなければ実現できない課題です。
ところが、現状はどうでしょうか。今、マスコミは、「一強他弱」論の弊害を流布することで、強い野党の出現づくりを煽っています。その行き着く先は、新たな政界再編劇です。またまた「共産党排除の反共作戦」の焼きなおしです。自民がダメだから、民主に、民主がダメだから、第三極に、そして自民がトンビの政権をかっさっていった。ところが第三極も自民党の補完物であることが浮き彫りになってきた、安倍自民党も、危ない!そうすると、それに替わる受け皿として、共産党が浮かび上がってくることだけは、何として防がなければならない、そうすると、政界再編劇しかないのです。中選挙区制時代は自民党の派閥が、その交替劇演じていました。小選挙区制時代は、自民党に替わる政党をつくらねばならないという局面で、如何にして共産党が浮かび上がってくることを防ぐか、これが日米軍事同盟容認派・財界の利益擁護派の最大の関心なのです。
こうした構図と作戦は判りきっていることです。では、それに対してどのような有効な作戦を考えるか。ところが、26回大会議案も、今回の志位氏のあいさつも、政権交代を体験した歴史的国民的経験からみると、あまりにかけ離れていると言わざるを得ません。何故か。
一つは、共産党は、自分の政策をどのように実現していくのか、「一点共闘」を発展させて統一戦線をと、国民的運動は提案していますが、政策変更を具体化するための政権構想=公約までは提案していません、そのプロセスを国民の前に明らかにしてはいません。勿論、ブラック企業や消費税中止法案などを国会に上程しています。北東アジア平和共同体構想などは提案しています。しかし、この「提案」をどのように具体化するのか、国民には判らないでしょう。国民とともにどのように実現していくのか、国民は蚊帳の外におかれているのです。これで共産党への期待は集まるでしょうか
二つは、志位氏の挨拶が、「拡大」(なんとも不思議な言葉です。新聞と人間を「拡大」)の「成果」の話から始まっていることです。確かに「成果」の背後にある運動と国民の意識の変化を意味づけることは大切なことでしょう。しかし、国民にとっては、関心のないことです。国民が、今関心のあることは、何でしょうか。この関心に、全国の草の根の支部がどのように向き合って実現のために奮闘しているか、そのことの活動と国民の要求がどのようにすれば解決できるか、そのことをたたかいのなかでリアルに意味づけることこそが、共産党の真骨頂ではないでしょうか。
三つは、同時に、全国的課題でたたかわれている政治課題を解決するための展望を示すこと、安倍自公政権の暴走を食い止めるためには、安倍自公政権の継続で良いのかどうか、国民に提起していくことではないでしょうか。そのためにも、救国暫定国民連合政権の提唱を国民の前に明らかにしていくことではないでしょうか。
そのような視点のない、党内向けの、内向きのあいさつ、新自由主義によって生活を困窮化させられている、また日米軍事同盟によって生活の不安を解決できていない全ての国民に呼びかける共産党のあいさつとは程遠い内容だった新年のあいさつだったように思います。
筆者さんの意見に大賛成 筆者さんのような人が共産党幹部にいたら 筆者さんの柔らか頭に拍手 これからの時代 筆者さんが いつも言う 連帯が大切 今の共産党の独り善がりは孤立的であり 進歩が無い 筆者さんの前衛的な意見が大事