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●沖縄破壊: 「生物多様性の生きた教科書」な「海」や「森」を殺す…「つくづく人間は愚か」(金平茂紀さん)

2017年08月22日 00時00分07秒 | Weblog

[※ 三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



沖縄タイムスの金平茂紀さんのコラム【「驕れる人」久しからず 新基地 時空超えた想像力を【金平茂紀の新・ワジワジー通信(27)】】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/115905)。

 《そして忘れてはならないのは、沖縄県の声に対して聞く耳を持たない強圧的姿勢…ダブルスタンダード(二重基準)を多用する指導者は信用できない…ところがそんな当たり前のことが、自国民である沖縄に限っては通じないのだ。ダブルスタンダード、問題ない。批判はあたらない適切な処置が講ぜられているものと考えております》。

   『●「環境権」を「お試し壊憲」に悪用しつつ、一方で、
        畏敬の念も無く、何の躊躇もなく「海を殺す」人達の愚

 何の躊躇も無く「海」や「森」を殺す人々の大愚。《自然の宝庫》《生物多様性の生きた教科書》な沖縄の「海」や「森」を殺す…《つくづく人間は愚か》(金平茂紀さん)というか、つくづく「本土」のニッポン人は愚か。《彼らの一人一人は、目の前に広がる美しい海が埋め立てられることを本当に望んでいるのか》!?

 レイバーネットの記事【●木下昌明の映画の部屋/ここに日本の〈いま〉がある!~レイバー映画祭2017】(http://www.labornetjp.org/news/2017/0719eiga)によると、《最近のドキュメンタリー映画では、三上智恵監督『標的の島~風(かじ)かたか』がベストワンである。これを観ると、沖縄や宮古島石垣島いま何が起きているか――時代の移り変わりの早さに驚かされる。三上は『標的の村』(2013年)、『戦場(いくさば)ぬ止(とうどう)み』(15年)で米軍基地の拡充に反対する住民とその暮らしに焦点を当ててきた。今度は宮古、石垣などの先島諸島に自衛隊を配備しミサイル基地を設けようとしている動きを追った。日本も「平和」から「戦争」へと向かうのか。圧巻は、本土から高江に1000人の機動隊が押しかけ、抵抗する人々を排除するシーン。それは黒澤明監督の『七人の侍』の野武士の襲来を彷彿(ほうふつ)させる。リーダーの山城博治はさながら〝百姓″たちを率いる侍大将で、そこで非暴力に徹した彼の人となりも浮かび上がってくる》。

   『●『DAYS JAPAN』(2015,APR,Vol.12,No.04)の
                         最新号についてのつぶやき
   『●中学生を「青田買い」する自衛隊: 
     「体験入隊や防衛・防災講話」という「総合的な学習の時間」も
   『●自衛隊配備で「住民分断」: 
     「自衛隊の配備計画…いずれの島でも人々は分断されている」
    「東京新聞の半田滋さんによるコラム【【私説・論説室から】
     島を分断する自衛隊配備】…。《「賛成派が新たな職を得て
     優遇される一方、反対した人は干され、島を出ている」という。
     …自衛隊の配備計画は与那国に続き、奄美大島、宮古島、
     石垣島でも急速に進む。いずれの島でも人々は分断されている》」

   『●「しかし、沖縄にはいまだ“戦後”は 
     一度たりとも訪れていない」…安倍昭恵氏には理解できたのだろうか?
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《しかし、三上監督は最新作『標的の島 風かたか』で、さらに切迫した
     問題を沖縄から日本全国へ提起する。それは現在、安倍政権が
     進めている石垣島、宮古島、奄美大島、与那国島への
     大規模な自衛隊とミサイル基地の配備についてだ。政府は南西諸島の
     防衛強化を謳うが、その実態はアメリカが中国の軍事的脅威に
     対抗すべく打ち出した「統合エアシーバトル構想」にある》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その2)
   『●米中戦争の「防波堤」: 与那国駐屯地による「活性化」? 
                         「島民との融和」か分断か?

   『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
      戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」


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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/115905

「驕れる人」久しからず 新基地 時空超えた想像力を
金平茂紀の新・ワジワジー通信(27)】
2017年7月20日 18:30 金平茂紀 辺野古新基地 辺野古埋め立て
金平茂紀


金平茂紀 (かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。


 驕(おご)れる人も久しからず。「平家物語」冒頭の文章に含まれるこのセンテンスの重みを僕らは今思い知らされている。「安倍一強」などと中世の貴族のごとく栄華を極めたかのように語られてきた政権のありように、国民は今醒(さ)めた視線を送り始めている森友学園問題加計学園問題「共謀罪」法の強引な可決成立のさせ方、政権内での身内・お友だちに対する度を越した庇(かば)いよう、そして忘れてはならないのは、沖縄県の声に対して聞く耳を持たない強圧的姿勢、それらに向けられた国民の視線である。驕れる人も久しからず。

     (名護市辺野古の新基地建設が進む大浦湾内の
      海中の様子(牧志治さん撮影)=2017年7月)

 この「平家物語」に材をとって、平清盛の四男・知盛を主人公に描いた木下順二の戯曲に『子午線の祀り』がある。壮大な歴史叙事詩との確固とした評価を勝ちえた名作だ。つい最近、この戯曲の野村萬斎による新演出ステージをみる機会を得た。実にすばらしい舞台だった。クライマックスは平家が滅亡に至った壇ノ浦海戦だ。当初は劣勢だった源氏軍が、子午線を月が通過したことによる潮力の強力な変化で潮流が逆向きに変わったことから一気に攻勢にたち、ついには平家軍に打ち勝つという筋立てだ。グレゴリオ暦1185年5月2日の出来事とされている。

 平家側にいた当時8歳の安徳天皇は海に身を投じ死に至る。天皇家の正統性を証明する「三種の神器」とともに平家側の高位の者たちは次々に海に身を投げた。つまり集団入水自殺を遂げたのである。海上で展開された人間同士による戦争でも、月の軌道上の移動による潮流の変化という自然の摂理の前には人間など全くあらがうことができない。今から800年以上前にあったとされる海の上での人間の悲劇の根源にある冷徹な事実である。

 ダブルスタンダード(二重基準)を多用する指導者は信用できない。信頼されない。尊敬されない。驕れる人も久しからず。自国民に対しては「美しい日本の自然環境を守りましょう」と説きながら、他国民に対してなら「自然環境を壊すことも仕方がないだろう」と言えば、その指導者は人間としても失格だ。ところがそんな当たり前のことが、自国民である沖縄に限っては通じないのだ。ダブルスタンダード、問題ない。批判はあたらない適切な処置が講ぜられているものと考えております。いけない、官房長官話法がうつったか。

 北部沖縄の大浦湾海域は豊かな自然に恵まれ、とりわけサンゴの群生地もあって、生物多様性の生きた教科書と言われている。海と近接して生態系で深くつながっている「やんばるの森」は環境省が国立公園に指定している自然の宝庫だ。そんな場所に軍事基地やヘリパッドをつくろうという発想自体がまず正気の沙汰ではないのだ。

 ごく普通のアメリカ人100人を大浦湾に招いて、彼ら彼女らに海の美しさを見せたらいいああ、何て美しい海なんだこんな豊かで美しい海をもつあなたたちがうらやましいと言うだろう。キャンプ・シュワブの兵士やその家族だってそのことを本能的にわかっているから、これまでも大浦湾で潜水や水泳を堂々とやっていたそこを埋め立てて巨大なあなたたちアメリカ軍のための新基地をつくるというのだ。おかしいと思うでしょ? 北谷海岸に溢(あふ)れているアメリカ人ダイバーたちに聞いてみてもいい。大浦湾を埋め立てるなんて本当は馬鹿(ばか)げていると思うでしょう? 彼らは軽くウインクするだろう(イエス)。

 6月に僕は、大浦湾の通称チリビシという場所で潜ってみて群生するアオサンゴをみた。かなり大きなアオサンゴが垂直方向に成長していた。大浦湾にはアオサンゴやハマサンゴ、ミドリイシ、ユビエダハマサンゴなど多様なサンゴが生きている。直径5メートルくらいのハマサンゴは500年から1千年生きているそうだ。ミドリイシでさえ2メートルまでなるのには20年近くの歳月がかかると言われている。

 今月13日に、地元ダイバーたちが大浦湾に潜って、キャンプ・シュワブ内の「K9」護岸工事地点先端からわずか30メートルほどの海中にコブハマサンゴが生息していて、周囲をサカナたちが泳ぐ姿を確認したという。その護岸からは今も次々に砕石が海中に投入されている

 沖縄防衛局海上保安庁沖縄県警および本土派遣の警察官、砕石をピストン輸送する建設業者は、彼らから見れば「全員一心一丸となって」、逆から見れば「まるで、ぐるになって基地建設工事を推進している。今現在も彼らは時々刻々作業にまい進している。彼らの一人一人は、目の前に広がる美しい海が埋め立てられることを本当に望んでいるのか

 滅私は僕ら日本人の得意技だ反対派の人々が体を張って工事を止めようとしている。抗議船や手こぎのカヌーで海に繰り出す。圧倒的な物理的な力で排除される。美しい海の上を毎日のように防衛局や海保の警備艇が航行する。防衛局に借り上げられた漁船が海上をたゆたっている。それで決して少なくない日銭が銀行口座に振り込まれる。

 僕はその海上の実景をみながらもう一つの光景を幻視していた。平家が滅亡した壇ノ浦の海戦の頃からすでにこの大浦湾で生きていたサンゴを、800年以上の時を経て、今僕ら人間はそれを殺そうとしている。その「驕れる人たち」は、海を殺すばかりかその海で代々生活を営んできた漁業者たちから漁を奪おうとしている運用年数40年、耐用年数200年という設計仕様で巨大な軍事基地を、海を埋め立ててつくろうとしている

 できてしまえばもっと長く使われるかもしれない。嘉手納基地普天間基地もできてからもう70年以上がたっている。アオサンゴは100年単位で生きている。驕れる平家の時代から生きているのもいる。つくづく人間は愚かだと思う。それでいいはずはない。

(テレビ報道記者・キャスター)=随時掲載
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●行ってはいけない: 「それでも日本には戦前の過ちを踏まえた「戒め」がある。海外で武力行使をしない」

2016年11月22日 00時00分01秒 | Weblog


東京新聞の社説【南スーダンPKO 新任務より撤収の勇気を】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016111602000134.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016111602000138.html)。

 《南スーダンに派遣される自衛隊部隊に「駆け付け警護」などの任務が追加された。憲法が禁じる海外での武力の行使につながりかねない危うい任務だ…◆非軍事支援、検討急げ》。
 《助かる人がいる。その半面で日本の海外での武器使用の範囲は拡大する▼慎重論に対して、「仲間が襲われているのに、見捨てるのか」という批判を聞く。なるほど、その言葉は突き刺さる。それは卑怯なことではないかと▼これだけは、言える。それでも日本には戦前の過ちを踏まえた「戒め」がある海外で武力行使をしない》。

 どんな「戦況」で、何があろうとも撤収させる気などさらさらなく、自衛隊に重大な「問題」が発生することに期待している、としか思えないアベ様や稲田朋美防衛相(パートナーはアノ株主)ら。閣議決定で「駆け付け警護」の付与を決定できる?、一体、この国はどうなっているのですか?
 ……それでも「海外で武力行使をしない」べき、と信じる…《これだけは、言える。それでも日本には戦前の過ちを踏まえた「戒め」がある海外で武力行使をしない》。

   『●「人殺し」なんぞには行かせたくない
   『●戦争できる国へ: アベ様をはじめ
     自公議員・翼賛野党議員の皆様がまずは「丸太」に
   『●アベ様の「誇りある国へ」
      =戦争で「殺す側になる」「人殺しに加担する」、でいいのか?

   『●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」
               という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」

   『●壊憲法案・戦争法案: 「撃つより撃たれよう」
       と自衛隊員に考えさせる場面、あまりに残酷
   『●自衛隊員の「息子に迷惑をかけぬよう、
      「縁を切った」上で」、戦争法案に反対する平和子さん
   『●「あとの祭り」: 「駆けつけ警護」は『任務遂行型』の武器使用
                      =違憲な自己防衛を越える武器使用
   『●自衛隊を弄ぶ「トンデモ答弁」「言葉遊び」「詭弁」…
           「戦闘」「戦闘行為」ではなく「衝突」「衝突事案」
   『●「武力衝突は、変化を予測しやすい天候とは違」う、
      「きょうの安全があすの安全を保障するとは限らない」
   『●アベ様、稲田・高市氏「この国の政権の
     重要閣僚がヘイト団体と仲良し」…どの辺が「インテリジェンス」?

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016111602000134.html

【社説】
南スーダンPKO 新任務より撤収の勇気を
2016年11月16日

 南スーダンに派遣される自衛隊部隊に「駆け付け警護」などの任務が追加された。憲法が禁じる海外での武力の行使につながりかねない危うい任務だ。

 一九九二年のカンボジアから始まった自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加は、二十四年を経て歴史的転換点に立っている。

 政府はきのう国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加する陸上自衛隊の部隊に「駆け付け警護」と「宿営地の共同防護」の任務を追加で与えることを決めた。二十日から順次、現地に派遣される十一次隊から適用される。


◆一発も撃つことなく

 「駆け付け警護」は自衛隊部隊が活動する近くで非政府組織(NGO)などの関係者が襲われ、速やかに対応できる国連部隊が存在しない場合、自衛隊が救出する任務。「宿営地の共同防護」は自衛隊が他国の部隊とともに活動拠点とする宿営地が武装集団に襲撃された場合、共同で対応する任務である。

 ともに、安倍政権が昨年九月に成立を強行した安全保障関連法で可能になり、陸上自衛隊は新しい任務が遂行できるよう、訓練を重ねてきたという。

 問題となるのは、自らを守るという武器使用の一線を越え任務を遂行するための武器使用が可能になることだ。

 自衛隊のPKO活動は「五原則」に基づいて派遣されてきた。

 紛争当事者間で停戦合意が成立していることや、紛争当事者が日本の参加に同意していること中立的立場を厳守することで、これらの条件が満たされない場合、撤収できると定めている。また武器の使用は必要最小限のものに限っている。

 この五原則に基づく派遣で二十四年間、自衛隊は一発の銃弾も撃つことなく任務を遂行してきた。


◆武力の行使に発展も

 戦後日本は、先の大戦で国内外に多大の犠牲を強いた反省から憲法九条の下、専守防衛に徹してきた。自衛隊を創設したものの、防衛力の整備は自衛のための必要最小限度のものにとどめてきた。

 海外で武力の行使はしないという抑制的な姿勢が、戦後日本の国際的な信頼と経済的繁栄をもたらしたことは紛れもない事実だ。

 五原則に停戦合意を盛り込んだのも自衛隊が戦闘に巻き込まれ海外での武力の行使を禁じた憲法に違反するような事態が生じるのを避けるためである。

 しかし、南スーダンは今、専守防衛という戦後日本の国是を脅かしかねない危険な情勢にある。

 自衛隊の宿営地がある首都ジュバでは七月に大統領派と反政府勢力との大規模な武力衝突が発生して二百七十人以上が死亡。十月中旬にはジュバから約六百キロ離れた地域での戦闘で五十人以上が死亡した、という。

 政府は治安情勢の厳しさを認めながらも、現地を視察した稲田朋美防衛相は「ジュバ市内は比較的落ち着いている」と強弁する。

 反政府勢力は国家に準ずる組織とは言えず、停戦合意などの五原則は維持されているという論法だが、それは、現実を直視しない、安保関連法に基づく新任務付与の実績づくりを優先した派遣継続ありきの姿勢ではないのか。

 市民を巻き込んだ戦闘の危険すら否定できない情勢で現地にとどまることが、日本の活動として本当に適切なのだろうか。

 駆け付け警護に当たる自衛隊が武装勢力との間で本格的な戦闘に発展すれば、双方に犠牲が出ることも避けられないだろう。

 戦闘相手が、五原則で想定している国家や国家に準ずる組織でないとしても、憲法が禁じる海外での武力の行使と同様の軍事的行為に当たるとの批判は免れまい。

 共同通信社が十月下旬に実施した全国電話世論調査で駆け付け警護の任務付与に57%が「反対」と答え、賛成の31%を大きく上回ったのも、新しい任務自体の危険性や憲法との関係に対する危惧を感じているからではないか。

 南スーダンは最も新しい国連加盟国で、国づくりには国際社会が協調して取り組む必要がある。憲法前文の精神から言っても、日本が率先して支援するのは当然だ。


◆非軍事支援、検討急げ

 専守防衛に徹する平和国家であり、欧州各国とは違ってアフリカを植民地支配したこともない日本だからこそ得られる信頼がありできる貢献があるはずである。

 政府は各国に呼びかけ、インフラ整備をはじめ医療・衛生、教育・人材育成など非軍事の民生支援の検討を急いだらどうか。

 日本から遠い地で、厳しい状況下で任務に当たる自衛隊員には敬意を表するが、有意義な活動ができない治安情勢に至った場合、安倍晋三首相には躊躇(ちゅうちょ)なく撤収を決断する勇気を求める。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016111602000138.html

【コラム】
筆洗
2016年11月16日

 映画「七人の侍」(黒沢明監督、一九五四年)の後半の場面で、三船敏郎さん演じる「菊千代」は銃を構える敵に対し、ひるむことなく、立ちはだかる。シナリオから引く。<勘兵衛(叫ぶ)「菊千代っ!何をする!危ない!」><ダーン!-銃声。菊千代、一歩ふらっと出る。また、一歩>…▼菊千代は野武士と相打ちの果て絶命する。映画ならばこれでよい。しかし菊千代の親ならお逃げなさい」「別の方法を考えなさいと止めるだろう別の方法はないのか。政府が閣議決定した南スーダンPKOの新任務の駆け付け警護である。陸上自衛隊は現地で国連職員らが襲われた場合、武器を持って赴き救出に当たる。助かる人がいる。その半面で日本の海外での武器使用の範囲は拡大する▼慎重論に対して、「仲間が襲われているのに、見捨てるのか」という批判を聞く。なるほど、その言葉は突き刺さる。それは卑怯(ひきょう)なことではないかと▼これだけは、言えるそれでも日本には戦前の過ちを踏まえた「戒め」がある海外で武力行使をしない。新任務はその戒めに本当に触れぬのか▼武器を取るのは難しくない。難しいのは戒めを守りつつ安全で効果的な国際的な平和維持活動を日本がどう築いていくかである。武器を取らぬことで批判もあろう。が、その茨(いばら)の道を選ぶのは卑怯ではない菊千代とは違う勇気の形もある
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●『松下竜一未刊行著作集3/草の根のあかり』読了(2/2)

2009年07月28日 07時50分42秒 | Weblog

【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一 未刊行著作集3/草の根のあかり』
 「松下センセの『怒りていう、逃亡には非ず』に、マドンナという名で登場する人」(p.299)。
 「死刑囚の息子とひんぱんに面会するために、北海道の故郷を捨てて一人で東京郊外に移り住んでいるのだ」(pp.334-335、412)。「不自由な足で杖をついて久々に息子の面会に訪れた母を、拘置所は規則によって拒んだのだ」。
 「一歩も引かずに国家(建設省)とわたりあった人物」蜂ノ巣城主の室原知幸さん、その夫人ヨシさん(p.320)。
 広川隆一さん(p.361)。
 小田実さんと、瓢鰻亭の主の前田俊彦翁(p。363)。

 仁保事件(p.33)。

 「いのちき」(p.53、73、195、294、406)。「・・・三十余年をペン一本でいのちきできたのですから、よほどの好運に恵まれたのだと考えるしかありません。いい編集者とやさしい読者に恵まれて・・・・・・」(p.195)。
 「クーラーのない松下センセの家は、風通しも悪くて夏は蒸し風呂の有様なのだ。「暗闇の思想」の教祖としてはクーラーなどつけるわけにはいかない」(p.162)。

 「「読書絵日記」・・・「本との〝出会い〟は楽しい」、「背表紙が光る」とあって、棚の一カ所がキラッと光っている。・・・/「この本ともそーやって出会った」という説明の第二コマで、文庫本の棚から引き抜かれる本が松下センセの『潮風の町』なのだ。・・・/もっと嬉しくなるのは、本を買った男が書店を出てくるシーンである。彼の頬は紅潮し、ドキドキと胸の鼓動が昂まっているのが分かる。これから分け入ろうとする作品世界への期待をあらわにして、真の読書家はこのように一人ひそかにときめくものなのだ」(pp.55-56)。
 
「なにしろ、本の洪水である。そんな中から、読者はどうして私の本と最初の出会いをするのだろう。目立つほどに並んでいるわけではないし、公告されている本でもないのだから、不思議な気がする」(p.338)。

 「ジンジャーによせて(1988.9)」(pp.68-83、111)。〈表現〉に目覚めた梶原和嘉子さんとの深い〝師弟愛〟。

 「もう一人の例外的な存在が得さんで、勤勉なくせにもうけることを知らぬこの男もまた、恒常的な貧しさにその生き方を規定されているところが、傍で見ていてあわれというしかない。/松下センセと得さんがなぜかくも厚い友情で結ばれているかの秘密は、この共通項にある。・・・傷をなめ合うような共感が二人の間をつなぎとめているのだ。・・・こういう不安の共有こそが友情をつちかっていくのである」(p.110)。「ふっと思ったことだが、六十歳を過ぎて連れ立って万華鏡を買いにいそいそと行く友を持つことは、たぶんとてもしあわせなことではないだろうか。・・・/だがつまりは、このコンビが続いてきているのは、表層に現れているさまざまな相違点はともあれ、一番奥にひそむロマンティシズムがそっくり同じであるからに違いない。万華鏡を連れ立って買いに行く二人だもの」(pp.208-209)。
 「「小さなさかな屋」は梶原鮮魚店の物語であり、・・・小心なる和嘉子さんにいたっては、なんとなくおびえる気配でもあった。/「こんな不器用で損な生き方をしてはいけませんよという、反面教師やないかしら・・・・・・」」(p.168)。

 「洋子病」という奇病(p.127)。

 「文部省公認作家?(1989.5)」(pp.129-143)。無実の罪でガサイレを受けた作家の作品が娘の教科書に載るなんてとんでもない、というクレーマーとセンセの電話での問答。「・・・その著作権の及ばないのが教科書・・・教科書に限っては勝手に載せても構わないことになっているのである。「教科書に載せてやるんだ、ありがたく思え」という国定教科書時代のおカミ意識の名残なのだろう」。「なんと、小説の章で松下センセは志賀直哉と並んでいるではないか。・・・/少年の日に仰ぎ見た〈小説の神様〉と並んで自作が掲載されているのを見たときの、松下センセの胸の高鳴りは察していただけようではないか」。

 「編集者の命名センスに脱帽したのは、『五分の虫、一寸の魂』のとき。・・・/・・・という書名を示されたとき、私はアッと思った。・・・/なにしろ五分の虫、一寸の魂なのだから、容(うつわ)である身体よりも魂の方が倍も大きいときている。/電力という国の基幹政策に環境権の旗を掲げて挑んだ七原告は、法律知識もなければ裁判体験もないのに弁護士もつけずに無謀な裁判に邁進したのだった。ただただ環境権確立の心意気だけに燃え、身のほど知らずに魂が舞い上がっていたというしかない。〈七人の侍〉だとうそぶいていた」(p.378)。センセの著作から九年後の出版で、チョモランマ登山隊長であり、初代の南極越冬隊長でもあった西堀栄三郎さんにも同名の書があったとは!

 最後は、梶原得三郎さんの「松下さん、あなたが記憶される限りまだ希望はある、と思いたい」(pp.405-413)。「属国と化したこの国の現状」。「・・・ブッシュ大統領めがけて、イラク人記者が靴を片方ずつ投げつけたのです。・・・「イラク人からのさよならのキスだ、犬め」、「これは夫を亡くした女性や孤児、殺されたすべての人のためだ」といいながら投げた・・・一般にイスラム世界では「犬」と呼ぶのも靴を投げつけるのも「最大級の侮辱」だということです。/・・・訪問先の国でこれほどの怒りを直接にぶつけられたことは長く記憶されるべきだと思います。・・・イラクに攻め込んで十万人もの人々を殺したブッシュに対する抗議としては控えめに過ぎるといわねばなりません」。山田泉さんの死。大道寺将司・益永利明さんのTシャツ裁判の一部勝訴。伊藤ルイさんは「一国の人権レベルは獄中処遇にあらわれる」と。
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