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●「武力衝突は、変化を予測しやすい天候とは違」う、「きょうの安全があすの安全を保障するとは限らない」

2016年10月29日 00時00分42秒 | Weblog


東京新聞の社説【週のはじめに考える PKO撤収の見極め時】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102302000157.html)。

 《過去に一度だけ、途中で撤収した例があります。中東シリアのゴラン高原PKO…隊員の安全を確保できない可能性があるとして閣議で撤収を決めました》。

 《大野氏は「官僚は情報を包み隠さず、まっすぐ上げること。そして政治家は冷静に判断すること」と教訓を伝えます》、《必要とあれば大胆に撤収を命じる気骨が政治家には求められます》…言葉遊びで自衛隊を弄ぶアベ様やアノ防衛相ではそんな思考は無理ではないでしょうか? 《武力衝突は、変化を予測しやすい天候とは違》う、《きょうの安全があすの安全を保障するとは限らない》…そんな想像すら、自公の議員のアタマには思い浮かばないようです。そんなに「安全」だというのならば、不断の外交努力さえしないアベ様自身が「前線」の最先端で働いてみれば良いのです。

   『●「人殺し」なんぞには行かせたくない
   『●戦争できる国へ: アベ様をはじめ
     自公議員・翼賛野党議員の皆様がまずは「丸太」に
   『●アベ様の「誇りある国へ」
      =戦争で「殺す側になる」「人殺しに加担する」、でいいのか?

   『●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」
               という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」

   『●壊憲法案・戦争法案: 「撃つより撃たれよう」
       と自衛隊員に考えさせる場面、あまりに残酷
   『●自衛隊員の「息子に迷惑をかけぬよう、
      「縁を切った」上で」、戦争法案に反対する平和子さん
   『●「あとの祭り」: 「駆けつけ警護」は『任務遂行型』の武器使用
                      =違憲な自己防衛を越える武器使用
   『●自衛隊を弄ぶ「トンデモ答弁」「言葉遊び」「詭弁」…
           「戦闘」「戦闘行為」ではなく「衝突」「衝突事案」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102302000157.html

【社説】
週のはじめに考える PKO撤収の見極め時
2016年10月23日

 アフリカ・南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊。新しい任務を与えるのも、撤収を決断するのも政治家の責任です。

 PKO協力法にもとづく自衛隊の海外派遣は一九九二年から始まり、南スーダンで十四回目。任務達成によって活動は終わりますが、過去に一度だけ、途中で撤収した例があります。中東シリアのゴラン高原PKOです。

 派遣されていたのは食料品などを運ぶ輸送隊と司令部要員。活動は十七年近くに及び、自衛隊内部で「PKOの学校」と呼ばれるほど安定した海外活動でした。


◆ゴラン派遣では決断

 二〇一二年十二月になってシリア内戦が激化し、まともな活動ができなくなり、防衛庁(防衛省)と派遣部隊との間で何度もテレビ電話会議が開かれました。

 「『大丈夫か』と聞けば隊長は『大丈夫です』と答えます。そこで『こんな事件があったようだが…』と聞けば『ありました』と認めます。現場の意見は重要です。しかし、任務をまっとうしたい思いがあるのでうのみにはできない」と防衛政務官だった大野元裕参院議員は振り返ります。

 中東問題の専門家でもある大野氏は現地へ飛び、PKOの司令官らと会って情報を集めました。「すべては話せませんが、想定していない勢力が台頭し、現地情勢は変化していました」

 政府は大野氏の情報をもとに「停戦の合意」を含む参加五原則は維持されているとする一方、隊員の安全を確保できない可能性があるとして閣議で撤収を決めました。参加国で最初の撤収となりましたが、直後に複数国のPKO隊員が拘束されるなど急速に治安状況が悪化、間もなく主力のオーストリア軍も撤収し賢明な政府判断だったと証明されました。


◆武力衝突は予測困難

 さて南スーダンPKOです。一二年の派遣開始のころ、政府は陸上自衛隊施設隊(約三百五十人)と政府開発援助(ODA)を扱う国際協力機構(JICA)、非政府組織(NGO)が連携するオールジャパンを掲げました。

 自衛隊に「外交団」が編成され、施設隊の仕事を探して地元政府などとの調整に走りました。イラク派遣で成功した人道復興支援の手法を南スーダンでも実行したのです。ところが、日本色が強まることにPKO司令部が反発、外交団は廃止されました。日本の独自派遣だったイラクと異なり、各国が参加するPKOは日本の思い通りにはならなかったのです。

 浄水場解体など自衛隊とJICAが連携した例はあるものの、治安悪化によってJICAは二度目の退避を余儀なくされ、オールジャパンはかすんでいます。

 治安悪化によってPKOそのものの目的も「国づくり」から「文民保護」へと変わりました。宿営地のある首都ジュバを挟んだ東および西エクアトリア州まで拡大した自衛隊の道路補修は中断され、宿営地に逃げ込んだ避難民の生活支援へと軸足を移しています。

 今月八日、稲田朋美防衛相がジュバを訪れたときのことです。南スーダン政府の要請で急きょ、ナイル川にかける橋の視察に向かうことになりました。小一時間かけての移動は悪路との闘い。自衛隊はPKOで過去二番目の長さとなる五年間活動し、道路補修を続けているのにこのありさまです。

 国連の予算ではアスファルトを買えず、簡易舗装にとどまるので雨期に入れば、道はぬかるみに戻ります。終わりのない賽(さい)の河原の石積みのようです。

 どこまでやれば南スーダンPKOは任務達成となるのか。当の国連でさえ見通せていない。ジュバでは七月に市民数百人や中国のPKO隊員が死亡する大規模戦闘があり、国連が四千人規模の治安部隊派遣を決めましたが、稲田氏は七時間の滞在で「落ち着いている」との見解を示し、安倍晋三政権は駆け付け警護などの新任務付与の検討を始めました

 武力衝突は、変化を予測しやすい天候とは違いますきょうの安全があすの安全を保障するとは限らないのです。人々の移動の妨げになっている雨期は来月には終わります。最初の武力衝突があったのは一三年十二月、雨期明け直後でした。警戒が必要なのはこれからなのです


◆現実みつめ判断を

 大野氏は「官僚は情報を包み隠さず、まっすぐ上げること。そして政治家は冷静に判断すること」と教訓を伝えます。

 南スーダンの部族衝突は牛の盗難に端を発し、石油利権をめぐる争いが混乱に拍車をかける。日本の常識では測れないアフリカの現実をみつめ、必要とあれば大胆に撤収を命じる気骨が政治家には求められます
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