ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

百人一首我流解釈 51~55

2023-06-11 09:59:07 | Poem

51

かくとだに えやはいぶきの さしも草

さしも知らじな 燃ゆる思ひを (藤原実方朝臣・?~九九八)

 

「も草」は「燃ゆる」を引き出すためとか?「思ひ」の「ひ」は「火」だとか……。

どうか、この熱い恋心を知って下さいませ……ということかな?

52

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

なほうらめしき あさぼらけかな (藤原道信朝臣・九七二~九九四)

 

夜が明ければ、また日が暮れます。そうしたらまた、貴方にお逢いできると

わかっておりますが、あさぼらけは、やはり恨めしいのです。

 

53

嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は

いかに久しき ものとかは知る (右大将道綱の母・九三七~九九五)

 

彼女は何を嘆いたか? それは夫である藤原兼家の浮気である。

彼女は、帰ってきた夫を家に入れなかったそうです。

この歌に色褪せた菊を添えて、夫に送ったとのことです。

 

54

忘れじの 行末までは かたければ

今日を限りの 命ともがな (儀同三司母・ぎどうさんしのはは・生年未詳~九九六)

 

「決して忘れることはない。」と仰って下さいましたが、それは難しいことでしょう。ですから、今日一日の命であれば良いと思います。

 

55

滝の音は絶えて久しくなりぬれど

名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任・九九六~一〇四一)

 

昔の京都の嵯峨の大覚寺には滝がありましたが、その音が絶えてから久しい。

しかし、その名は語り継がれて、今もなお聴こえているのです。


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