ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

大晦日

2012-12-31 21:28:04 | Letter




今年最後の夕暮れです。ヤコブの梯子……よい予感。



富士山の麓に夕日が落ちて、その光が富士山の後に大きな影を作りました。
富士山の向こう側はどんな風景が広がっているのだろうか?


本日の午後はゴミ収集車が最後のお仕事をしていました。
夜には消防局の車が鐘を鳴らしながら「火の用心」と伝えています。
私たちは様々な方々に助けられて生きているようです。

よいお年を!

父・こんなこと  幸田文

2012-12-22 13:45:47 | Book


『今ここに父を送る野道は細く、人には愛がある。
私は湧きかえる感情を畳んで頸を立てて歩き、喪服はさやさやと鳴った。
つゆ草が一トむら。名にちなむ花よ。』
……「父」より

「父」と「こんなこと」は幸田文の父上である露伴にまつわる二篇の随筆です。
「こんなこと」は文の思春期から結婚、そして出産、離婚に至るまでの、
父(実母はすでにいない。)を中心とした、文とその弟との思い出話です。
「父」は娘の玉子を連れて離婚した文が、露伴のもとに帰った後のことであり、
露伴の看病から最期の看取り及び葬送についての思い出を書いたものです。

女性の生き方が多様化している現代において、それぞれの女性の生き方について
「間違っている」とも「正しい」とも言えない自分がいつもいます。
自らの生き方も含めて、女性の生き方の源流を辿ってみたくてこの本を開いたのかもしれません。

しかし「父」のなかで、介護に心を張りつめ身体を限界まで疲労困憊させている幸田文の姿は、現代でも同じことだと思えます。
どの時代でも介護の当事者よりも外野が煩いことも同じで、当事者の腹立たしさも同じでした。
介護の本質はこの理不尽さゆえに見失われることが多いのです。
女性の生き方の形態は変われども、こうした点では時代を超えても変わらないもののようでした。

けれども、露伴の葬送の時にすべてが昇華されます。文の七歳の春、母の葬送の折の父の言葉「しゃんとして歩けよ。」が彼女の記憶に蘇る。
そして最後はこのように結ばれています。
『親は遂に捐てず、子もまた捐てられなかったが死は相捐てた。四十四年の思い出は美醜愛憎、ともに燦として恩愛である。
これから生きる何年かのわが朝夕、寂しくとも父上よ、海山ともしくない。』
と言い切ったのでした。

さて「こんなこと」に話題を移します。
すでに母不在の家族になって、娘の幸田文のすべての教育は父の露伴が務めることになります。
これについて書いている文はさぞ楽しかったであろうと思えます。読む方も非常に楽しいものでした。
女性が一番幸福な時間とは娘時代なのでしょうか?
認知症になった私の亡母がほとんどの記憶を失くした後に残った記憶は娘時代だったことをふと思い出しました。
  
(ここから少し脱線。)
その母から私へ、そして娘へと伝わった摩訶不思議な形容詞があって、赤ちゃんの髪の毛を「ぽやぽや」と言っていました。
しかし娘が高校時代に友人から「聞いたことがない。」と言われてショックを受けていました。
これは方言なのか?我が一族だけの共通認識だったのか?と初めて疑いを持ちました。
しかし、大いなる味方があらわれました。「こんなこと」のなかに「ぽやぽや」を発見!

『老いて残りすくない祖父の白髪にも、幼くぽやぽやと柔らかい孫の髪にも春日はひかっていた。』

祖父とは露伴、孫は青木玉さんです。
(路線回復。)

 露伴の文への教育は家事家計全般、着物のこと、様々な人間関係など。
どこか無理難題であったり、妙に箍がはずれていたり、皮肉まじりであったりしますが、文の意地っ張りと見事に調和していました。
この調和のなかに深い愛情が立ち昇ってきます。こうして人間はいずれ親のいない(自分が親になる)人生の到来を受け止めて生きてゆけるのでしょう。

さて、ここで私は「女性の生き方」について何を学んだのだろうか?
まず「女性」という枠をはずしてみることでした。
露伴の文への深い(乱暴とも言える。)愛は、文が強く生きてゆく心を育てました。
露伴は文を才色兼備のおとなしい女性ではなく、逞しい農婦のように育てたのです。
女性の生き方ではなく、人間の生き方と愛し方を。
大き過ぎる父の存在と、その愛に向き合った幸田文の健かな背筋を感じました。


《追記》
この記事は清水哲男さん発行の《Weekly ZouX 309号(12月16日付)》に掲載されたものです。


(平成23年・第76刷・新潮文庫)

任侠ヘルパー

2012-12-20 22:11:25 | Movie
任侠ヘルパー予告


任侠ヘルパー・オフィシャルサイト

いやはや……やくざ映画は苦手です。血みどろの争いがあるし、大体理不尽すぎる暴力だし。
某友人の強いお薦めに背中を押されて、ウォーキングがてら徒歩35分の映画館(Movix)に足を運びました。

やくざがいる町。そしてさびれた観光の町のホテルや旅館を介護施設に変えようとする議員&弁護士がいる町。
その町へ主人公のやくざの若者が訪れる。

この映画は日本の老人問題を含めて、善良でありながら社会的に弱小で貧しい人間たちが、
いかに悪い人間たちの餌食になりうるか、ということをはっきりと主張しています。

それに立ち向かう、やくざの若者が正しき任侠を貫くんだね。傷だらけになって。
(任侠とは弱きを助け、強きをくじくことです。念のため。)
この映画の最後は、明るい結果までは見えてはこない。ただ彼の決意が表明されるところで終わる。
テレビドラマもあったようですが、それはどういう最後だったのかはわからない。

しかし、いつまでも政府が後回しにして、どんどん厳しくなる老人福祉問題に、切り込んだ映画であることは確かなこと。
そこに「やくざ」がからみ、非情と任侠が向き合うことになるのだが、皮肉なおはなしと言える。

そして、この映画のなかで、生きる希望を失った老人たちが助け合いながら自力で立ち上がる力を得るというシーンは感動的だった。
老人たちよ。生きることは悪くないぜ!

ベン・シャーン展・線の魔術師

2012-12-13 23:21:15 | Art

快晴の12日午後、埼玉県立近代美術館にて。

ベン・シャーン展・線の魔術師オフィシャルサイト


1930~1960年のアメリカを代表する画家であるベン・シャーン(Ben Shahn・1898年9月12日 - 1969年3月14日)は、
リトアニア(当時は帝政ロシア領)のカウナスに貧しい木彫職人の子として生まれた。両親ともユダヤ人だった。

1906年、7歳のとき、移民としてアメリカに渡る。
ニューヨークのブルックリンに住み、石版画職人として生計を立てていたシャーンは、肉体労働者、失業者など、
アメリカ社会の底辺にいる人々と身近に接していた。
シャーンは社会派リアリズムの画家として、戦争、貧困、差別などのテーマを追い続けた。
その仕事は壁画、ポスター、挿絵、写真など、グラフィックアートのあらゆる分野に及ぶ。

1954年の核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにしたシリーズ、
フランスの「ドレフュス事件」をテーマにしたシリーズなどが知られている。

また世界の政治家、運動家(ガンジーなど。)の人物画はその人の全体像を的確に捉えている。みごとだ。


 《ガンディーと『不思議な少年』》

わたくしが魅かれた作品は「ハレルヤ・シリーズ」の一連の作品で、それぞれの楽器とその奏者を描いたものです。


 《バイオリンを弾く少年/神をほめたたえよ/ハレルヤ・シリーズ》


 《キタラを奏でる男/その大能のみわざのゆえに/ハレルヤ・シリーズ》


さらに、晩年(1968年)に詩人リルケの『マルテの手記』をテーマにした石版画連作である。
おそらく、「マルテの手記」のこの部分の各一節ごとに絵があるはず。
展覧会の最後に観たこの連作には興奮さめやらず。
わたくし個人としては、これだけを記憶しておけばいいように思えてしまう。




 《星くずとともに消え去った旅寝の夜々》


 《愛に満ちた多くの夜の回想》


 《一篇の詩の最初の言葉》

わたくし個人の観方で言えば、ベン・シャーンの描いた作品は、言葉を持っているのではないか?
それでも語りつくせないものがあって、絵画の背景と周囲に言葉の森があるようだ。