何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

心をつかむ胃袋

2015-06-23 19:00:00 | ひとりごと
「誇りをかけた料理」では、「陛下のため、陛下が体現される国の名誉のために、成すべきことを成す(宮内省大膳職)」ことの素晴らしさを書いたが、では、晩餐会に出席された方々の外交(役割)とはどのようなものだろうかと、ふと考えてみた。

「外交と料理」でいえば近年、首脳外交の格付けを語る際に、「晩餐会アリか、昼食会か、食事なしか」が話題となる。
昨年春に来日されたオバマ大統領は来日直前まで国賓待遇(晩餐会アリ)を固辞していたというが、仮に晩餐会がなかったとしても、その前日には日本食を堪能してもらうために、わざわざ総理が名高い寿司屋に案内して共に食事していることから最高の「おもてなし」の心で迎えたことには違いがない。
更に記憶に残っているのが、蜜月関係にあった小泉元総理とブッシュ元大統領だ。ブッシュ元大統領来日時は晩餐会はなく、小泉元首相の案内で居酒屋での食事だったが、この時のブッシュ大統領の嬉しそうな表情は印象的で、首脳外交での食事は欠かせないとしても、儀礼的なものからフランクなものへと移行しているのかと感じていたが、「外交と料理」などというテーマで自分の乏しい記憶に拠るのは頼りないので色々と検索していると、いやいや、どうして、まだまだ形式がものを言う世界!の面白い記事を見つけた。「ワイン外交の舞台裏~メニューを見ればすべてがわかる!」(手嶋龍一氏)

自分的に興味深い箇所を引用させていただくと。
西川 たとえば、安倍晋三総理が二〇〇六年十月に、中国に訪問したときの例をみてみると、興味深いです。
手嶋 日中関係は、靖国参拝問題でこじれにこじれていましたから、安倍総理の訪中で催される饗宴は、
   高度に政治的な意味を帯びていました。西川シェフの出番です(笑)。
西川 当初、中国側のメニューでは、「ナマコのスープ」が出される予定だったのです。で、日本側がそれに
  「ちょっとおかしいんじゃないか。ツバメの巣のスープに変えてほしい」とクレームをつけたんですね。
   日本側の認識では、最も格が高いのは、「ツバメの巣」、次に「フカひれ」、そして「ナマコ」という 
   順だったんです。
   ただ、僕の取材したところによると、「ナマコというのは現在、非常に珍重されている食材だ」という
   ことだったから、決して格を下げたわけじゃない。中国側もそのように伝えたんですが、日本側には、
   ツバメの巣のほうが上だという固定観念があって、それにこだわったんですね。
手嶋 あれは興味深い展開でした。結局、中国側が譲って、ツバメの巣のスープを準備したそうですね。

ここだけを読んで、ツバメとナマコごときを拘る小さい日本などと判断してはならない。

「女王陛下の外交戦術p37~38」(君塚直隆)によると、中国も拘っている。
2006年4月ワシントンDCを訪れた胡錦濤元国家主席は国賓待遇でもてなされたものの、ホワイトハウスで出された食事は正式な「晩餐」ではなく、「午餐」であった。これについて、訪米前に中国政府がやはりアメリカに抗議し、「午餐」から「晩餐」に格上げするよう、かけあっているのだ。ちなみに当時はイラク戦争以来のシコリが米中関係にあり、米議会に対中懐疑派が多かったため、あくまで「午餐」に留まったそうだ。

こうして見ると、政治の場における「外交と料理」は、「晩餐」か「午餐」かに始まり、出されるワインやスープの具材の格付けに至るまで腹を探り合い、にこやかに笑いながらテーブルの下では相手の脛を蹴飛ばしているという、かなりキナ臭いもので、おちおち味わってもいられない。

では、「皇室の親善外交と料理」はどうだろうか。
明治維新から半世紀が過ぎ「西洋に追いつけ追い越せ」のなかで、昭和天皇御即位の御大礼の晩餐会に国の威信をかける心意気で臨んだ「天皇の料理番」秋山氏と料理人たち。
それから更に100年近く経た現在も、大膳職の方々の料理にかける真摯な心意気は変わらないことだと思うが、国威発揚やキナ臭さはからは遙かに遠く、そこは友情を育む「おもてなし」の場であり、相手国の文化を尊重していることを示す重要な場であるのかもしれない。

「女王陛下の外交戦略」には、1939年ジョージ国王御夫妻がルーズヴェルト大統領の私邸で「ホットドックとビール」を食されたことが書かれている。
『イギリス国王がホットドッグを食べたのは歴史上これが初めてのことである。しかしそれだけではない。ホットドッグとビールといえば、まさにアメリカ庶民の伝統の味である。それを出されたときに嫌な顔ひとつせずに食べられるか否かが、その国(あるいは共同体)にとっての仲間として受け入れられるかどうかを意味するのである』
ジョージ国王ご夫妻がホットドッグとビールを喜んで食されたのを、アメリカ人が喜んだのと対照的に、1940年アメリカ駐在のイギリス大使(子爵)がホットドックを食べようとしない写真が新聞で報道され、お高くとまった貴族外交官として前世紀の遺物のように扱われたそうだ。

これで思い出すのが、皇太子様の食事である。
皇太子様は好き嫌いなく何でも食べられるように、かなり厳しい躾けを受けられ、幼少の頃は食事を残されると廊下に立たされることさえあったそうだが、それは「将来、さまざまな国と交流されることになる皇太子様が、どのような国の食事であっても気持ちよく食され、相手の国に失礼のないように」というお考えによるものであった、と何かで読んだ記憶がある。

子爵が見向きもしないアメリカ庶民の味ホットドッグを国王ご夫妻が喜んで食されたことで、王室がアメリカ人の心を掴んだことを考えると、皇室・王室の親善外交にとって食事の場は敬意や友情を示す場であり、その際胃袋は相手国の心を鷲掴みにする重要な役割を担っているのかもしれない。

共に食事する人への敬意や友情を示す場という意味で、「天皇の料理番」で印象に残った言葉がある。
それは、つづく
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誇りをかけた料理 | トップ | 速報 なでしこの勝利 »
最新の画像もっと見る

ひとりごと」カテゴリの最新記事