何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコ物語への道 ③

2018-04-29 12:00:00 | 
「ワンコ物語への道 ①」 「ワンコ物語への道 ②」より

ねぇワンコ
ワンコは、私が思いがけない方向に進んでいっていることを知っているだろう?
するからには徹底しなければ納得いかないという、頑固な私の性格も知っているだろう?
だから、頑張るのだけれど、
やればやるほど、それは自分の望んでいた道ではないと、
人知れず落ち込んでいることも、知っているだろう?

今週はさ、けっこうそれで落ち込んでいたんだよ
何か上手くいかないと、もともと自分が望んでいた方向じゃないもんな、なんて言い訳が頭を回ってさ
だから、ワンコお告げの本について考える時間を持てて良かったよ
も一度さ、ワンコのメッセージが強く甦ってきたもんね ワンコ

ワンコお告げの「物語のおわり」(湊かなえ)は、
たぶん、一つの生き方、一つの目標、一つの夢、
たとえ、そこに一つの区切りがついたとしても、
それが、’’物語のおわり’’ ではない と言いたいんだと、私は思うんだよ

それは、
「物語のおわり」の冒頭にある「空の彼方」という未完の小説の真実を知るまでもなく、
「空の彼方」を読んだ、人生の岐路にある登場人物が、勇気をもって新しい一歩を歩み始めようとすることでも、分かるんだ


「空の彼方」に印象的な件があったと「ワンコ物語への道 ②」で、言っただろう
『ハムさんはわたしを山の向こうや海の向こうには連れて行ってくれるかもしれないけれど、
 空の彼方の世界を見せてくれることはないだろう。
 一度くらい、大きな夢を見たっていいではないか。叶えたいと願ってもいいではないか。
 そのチャンスは今しかないのだ。』(『 』「物語のおわり」より)

うまく言えないんだけどね
たぶん、山の向こうも、海の向こうも、空の彼方も、別々のものではないんじゃないかな
山の向こうや、海の向こうを、空の彼方へ導くことはできるんじゃないかな

「物語のおわり」を読み終わると、そう思えるのだけど、
ワンコお告げの、もう一冊にある言葉を思い出すと、特にそう感じるんだよ

「蒼き山嶺」(馳青周)
「蒼き山嶺」の山は、ワンコのお山ではないんだよ
それどころか、少し苦い思い出のある白馬岳だし、
帯によると、最近の傾向に違わず山に物騒な事件を持ち込んでいる話のようだったから、
ワンコのお告げだとしても、読もうかどうか迷ったのだけれど、
読み始めたら面白くってね、久々に一気読みしたんだよ
いやいや、ストーリー展開はかなり早い段階で先が見えてしまう代物なのだけど、
作者が山に入れ込んでいるのが、ひしひしと伝わってきて、
その熱さが、ものすごく面白かったし、
あの言葉で、なんだか救われた気がしたしね

その言葉は、次回に記すとして、
「蒼き山嶺」には、雲海に感動する場面が何度も描かれているんだよ
 

その場面から、雲海の向こうから昇る朝日に感動の涙を流したことを思いだし、
改めて、この春の家族旅で、水平線から昇る朝日をうける富士山とワンコを思い出したんだよ

すると、なんとなんと、感動したあの言葉が、目に前に現れたんだよ
そごいね ワンコ
ワンコの仕業だね ワンコ
そんな写真もまた次回にね

追伸
ワンコの、それにしても写真が下手だな、という嘆きが聞こえてくるよ
でもさ、知っての通りあの日は、あまりにも晴天で富士山が霞んでしまったし、
お部屋のガラス越しの写真だから、クリアに撮れていないんだよ
あの感動的な日の出と富士山は、
ワンコと私の心にしっかり刻まれているのだから、
写真の不出来は許しておくれよ ワンコ

じゃあまったね つづく

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ物語 ニュース道草編

2018-04-27 12:30:00 | ニュース
道草ばかりしていてゴメンね ワンコ
でも、こんなニュースを見たら取り上げないわけにはいかないよね ワンコ



<殺処分から一転 警察犬挑戦へ訓練 岡山のシバイヌ「愛ちゃん」> 山陽新聞2018年04月22日21時10分より一部引用
迷子犬として動物保護施設に収容された。人を恐れ、かみついた。飼育は難しいと判断され、殺処分が決まった…。そんな運命をたどってきたシバイヌが、岡山県警の嘱託警察犬になるために訓練を続けている。岡山市の動物愛護団体に引き取られた「愛ちゃん」(推定3歳、雌)。人を信頼することを学び、新たな道を歩み始めた愛ちゃんは25日、総社市である警察犬の審査会に初挑戦する。
「伏せ」「止まれ」「来い」。岡山市南区川張の公園で訓練士の赤木美穂さんが「服従」の指示を出す。赤木さんの目を見て、懸命に動く愛ちゃん。1年の訓練生活で信頼関係が生まれた。
2016年11月、岡山県吉備中央町で迷子になっていた愛ちゃんは、岡山県動物愛護センターに収容された。人を怖がり、かみつくため、新たな飼い主に譲渡するのは無理と判断され、殺処分が決まった。
死を迎える1週間前。動物愛護のNPO法人「しあわせの種たち」(同市)の濱田一江理事長が手を差し伸べた。4年前からセンターに通い、殺処分予定の犬たちと向き合い、命をつなぐ活動を続けている。
初めはおびえ、牙をむくばかりだった。それでも濱田理事長は毎日、寄り添い続けた。5日目には散歩に連れ出せるまでになり、センターから「譲渡」の許可が得られた。
警察犬を目指すことになったのは支援者の一人、会社経営今里明子さん(52)=東京=の提案だ。「愛情と訓練を受ければ、人に役立つ存在になる可能性を示したい」との思いからだった。
昨年1月から訓練をスタート。独立心が強いシバイヌは警察犬には不向きとされる。加えて愛ちゃんのような保護犬は、トラウマから人との信頼関係を築くのが難しく、ハードルはより高いという。
犬の気持ちに寄り添ったトレーニングを心掛ける訓練士の赤木さんは、まずは自由に行動させた。「お座り」を覚えるまでに1カ月。地道な訓練を続け、一つ一つ動作を覚えていった。「警戒を解き、かみついたりする問題行動も収まった。ただ、好奇心が旺盛なので、虫が飛んだり、風が吹いたりしたら集中力が途切れてしまわないか心配」と赤木さんはほほ笑む。今では地域の人気者。訓練中の公園では子どもらから「頑張れ」「かわいい」と声を掛けられる。
25日は基本動作の「服従」と、特定の臭気を探す「地域捜索」に挑む。日本警察犬協会によると、保護犬出身の嘱託警察犬は茨城県警のトイプードルを把握しているだけという。濱田理事長は「結果にかかわらず、諦めなければ未来への道が開けることを愛ちゃんが教えてくれている」と見守っている。


このニュースの末尾にある、「結果にかかわらず、諦めなければ未来への道が開けることを愛ちゃんが教えてくれている」という重い言葉は、今日にも殺処分されそうだったところを救い災害救助犬・夢之丞を育てた人たちの思いににも重なる。

「命を救われた捨て犬 夢之丞~災害救助 泥まみれの一歩」(著・今西乃子 写真・浜田一男)より
『生きていればそれでいい』 
『生きている限りは可能性は無限大だ。
 今日出来なくても、明日できなくても、生きている間にいつかできるようになればいい。
 しかし、今できることでも、死んでしまえば出来なくなってしまう。可能性はゼロとなってしまうのだ。
 生きていることが大切―。』


ここではもう何度も、敬宮様が初等科の卒業文集の課題’’夢’’で「動物の殺処分がゼロとなることを願っている」と記されたことも、殺処分を既の所で免れた夢之丞が災害救助犬として活躍していることも書いてきたが、敬宮様の願いが着実に活き、夢之丞の後に続こうとする わんこが増えていることが本当に嬉しい。(参照、「ワンコと人の絆は永遠」 「神聖な御力とともに」

だが、このように保護された犬が使役犬となることは稀で、殺処分を減らすために非常に重要なのは、保護センターにいる動物の譲渡がうまくいくという事だ。

・・・そう頭では分かっているのだけれど、
気持ちも心もなかなか動き出さないよ ワンコ
ワンコがお空組に引っ越してしまった寂しさから 私が立ち直っていないことを知る人は、
「保護された犬の命を守るという意味を見出せば、また犬と暮らせるよ」とアドバイスしてくれるのだけど、
ワンコに帰って来てほしいと願う私には、それもなかなか難しいことなんだよ ワンコ
それに、もし新たな出会いがあったとしても、
また悲しいさよならがあるのなら、
それは、もう嫌だと思ってしまうんだよ ワンコ
でも、こんな詩?(コピー)を見つけると、心をかきむしられる思いがするよ

死ぬのが怖いから
飼わないなんて、
言わないで欲しい。

おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることができる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向き合おうと努力するかもしれない。
貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。

だけど・・・死ぬのがこわいからと言われたら、
犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。
いつかはいなくなる。でもそれまでは、
すごく生きている。すごく生きているよ。
だぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有しているはず。

飼いたいけど飼わないという人がいたら、伝えて欲しい。
犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を預かってみるのは、
人に与えられた、素朴であって高尚な楽しみでありますよと。


これは、「NPF日本ペットフード」の2004年の広告で、
コピーライターの児島令子さんの作品なのだそうだ。

ねぇワンコ
毎月ワンコは本をお告げしてくれるようになり、
なんだかとても密にワンコの心と語り合っているような気もして、
それはとても幸せな感覚なのだけど、
やっぱりワンコの柔らかさ温かさにふれたいよ ワンコ
でもさ、それはワンコでなければ嫌なんだよ ワンコ

だから頭では分かっていても、まだ難しいのだけど、
ワンコは、戌年にいいことがあるよ、と夢でお告げしてくれたから、
それを今か今かと待っているんだよ ワンコ
ねぇワンコ
ワンコ
戻っておいでよ ワンコ

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ物語への道 ②

2018-04-25 23:05:31 | 
「ワンコ物語への道 ①」 「ワンコ物語 道草編」 「ワンコ物語 桜の道草編」より

今月ワンコは、二冊の本をお告げしてくれたけれど、
バラバラに読み、それぞれからワンコのお告げを汲み取ろうとしているときは、
難しかったんだよ
というのもさ、この二冊はもともと少し敬遠していた本だから、
ワンコがお告げしてくれた時は、「ほんとかな?」と半信半疑だったんだよ

そんな一冊目
「物語のおわり」(湊かなえ)

氏がエッセイ「山猫珈琲」で「自分は祭の後世代」と書かれていたことに共通点を見出しているせいか、湊氏の先品はほとんど読んでいるし、たとえそれがトビきりのイヤミスだと云われるものであっても、密かにアルアルと思いながら読むことが多い。(参照、「連作① 山犬ヤクルト」
そんな湊氏も最近では角がとれた作品が増えてきたのだが、その先駆けとなった「山女日記」も、山がテーマとなっていたので、かなり興味をもって読んだものだ。(参照、「女もすなる山」

だが、この「物語のおわり」は、手に取り、本の帯を読み、そのたび買うことも借りることもなく、置き続けてきた。
それは、何か成すことができるはずだと未だに もがいている私の、おわってなるものか、という意地だったのかもしれない。
それが、ワンコのお告げで読まざるをえなくなってしまった。

「物語のおわり」本の帯より引用
『あなたなら、どんな結末にしますか?
「未完の物語」を手にしたとき、新たな人生の歯車が動き出す。

小樽、富良野、美瑛、旭川、摩周湖、洞爺湖、札幌・・・・・
迷いを抱えた人々が向かった先は、北海道。

妊娠三ヶ月で癌が発覚した智子、父親の死を機にプロカメラマンになる夢をあきらめようとする拓真、志望した会社に内定が決まったが自信の持てない綾子、娘のアメリカ行きを反対する水木、仕事一筋に証券会社で働いてきたあかね・・・・・・人生の岐路に立ったとき、彼らは北海道へひとり旅をする。そんな旅の途中で手渡された紙の束、それは「空の彼方」という結末の書かれていない小説だった。果たして本当の結末とは――。あなたの「今」を動かす、力強い物語。』

本書「物語のおわり」の冒頭にある「空の彼方」と題された話は、街へ出るのにバスに何十分も揺られなければならないほど山の奥の奥の小さなパン屋の娘・絵美が主人公の物語だ。
乗り物酔いが酷い絵美は、山あいの田舎から出ることなく、山の向こうの世界に空想を広げていたのだが、中学生になったある日 パン屋の常連客のハムさん(高校生)に、山の向こうの町へと連れていってもらう。
読書好きな二人はやがて付き合い将来を約束するまでになる。
その後ハムさんは遠く北海道大学に進学してしまうが、ハムさんは絵美に海の向こうを見せてあげると約束し、また文才のある絵美の書く小説を勧めたりと、絵美の世界を開いてあげる良き恋人であり続ける。
だが、大学生活を終え地元に帰って来たハムさんと絵美がいよいよ結婚という時になり、絵美に有名作家の弟子にならないかという話が舞い込むのだ。
それまで絵美の世界を広げる手助けをしてきたハムさんは、猛然とその話に反対する。
もともと自分の才能にさほど自信があったわけではないが、反対する父に殴られ、ハムさんにまで反対された絵美は、自分の夢にかけてみたいと思うようになる。
そうして、一人バスに乗り山を越え、東京へ向かうため駅についたら・・・そこにハムさんが待ち受けていた。

ここで、「空の彼方」という話は終わっている。
本書「物語のおわり」は連作短編集で、一章ごとに、人生の岐路にあって北海道を旅する人達が登場する。
病を抱える者、夢を諦めなければならない者、実現しそうな夢が本当に自分が目指したものなのか悩む者、夢にむかい頑張ろうとする娘を応援できず悩む者、夢と現実の狭間で苦しむ者。
誰が書いたのか分からない未完の小説を偶然手にした彼らは、そこに自分の生き方を重ね、物語の続きを、物語の(自分なりの)終わらせ方を、考える。
そうして未完の物語の結末を考えながら、自分や自分が愛する者の生き方の答えを見出していく、各章の主人公たち。

テーマは、ずばり夢なんだと思うよ ワンコ
「空の彼方」の絵美が、東京で作家という夢に掛けてみようと決意する時に思う言葉が、私には痛く響いたよ

『ハムさんはわたしを山の向こうや海の向こうには連れて行ってくれるかもしれないけれど、
 空の彼方の世界を見せてくれることはないだろう。
 一度くらい、大きな夢を見たっていいではないか。叶えたいと願ってもいいではないか。
 そのチャンスは今しかないのだ。』(『 』「物語のおわり」より)

自分自身の夢も中途半端な私が、誰かの夢を応援しても、
それは、空の彼方まで連れて行ってあげることにはならないんじゃないか、ってね、
自分の夢と、応援している人の夢を思い、辛く切ない気持ちになったよ

でもね、最後まで読み、そうしてワンコお告げのもう一冊の本の言葉と諸々をあわせると、
違った味わいが醸し出されてきたから、不思議なんだな
ワンコ ありがとうね
それについては、又つづく、として
もう一冊の本に、何度も書かれていた’’感動的な雲海の景色’’を掲載しておくよ

ワンコお告げの本の雲海は白馬岳あたりの雲海だけど、これは蝶が岳を包む雲海だよ
テーマはズバリ、道なんだな ワンコ

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ物語 桜の道草編

2018-04-23 22:04:23 | ひとりごと
「ワンコ物語への道 ①」 「ワンコ物語 道草編」より

ワンコ
今日こそワンコお告げの本について書こうと思ったのだけど、
それはそれは奇麗な贈り物を頂いたから、今日はそれについて書かせてね

そういえばワンコは、宅配便の車の音を聞き付けると、
インターフォンが鳴る前から、玄関に飛んで行って、
私達が箱を開けるのも もどかしいって感じで、箱に顔を突っ込んでいたね

今日の奇麗な贈り物<桜の有平糖>も楽しんだかい? ワンコ

なになに?金平糖なら知っているって?
ものの書によるとね、
金平糖も有平糖もポルトガル伝来の、南蛮菓子らしいのだけど、
有平糖は、天下布武を掲げ岐阜城に在城していた織田信長に、キリスト教の宣教師が献上したものの一つなんだそうだよ
確かに信長は多くのものを破壊したけれど、海外のものや新しいものを取り入れる柔軟さを持っていたね
それらが日本の文化や技術と融合して、文化が更に花開いたのだから、
陋習に固執するのはいけないね
でも、最近 信長について書いていたと云え、(参照「人間50年、から?」 「唯一無二 その壱」
まさか こんな形で信長の時代のお菓子に出会えるとは思いもしなかったよ
先日訪問した名古屋城に鎮座していた織田信長

ねぇ ワンコ 
昔読んだ漫画に、「友達っていうのは、人間に対する最高の尊称だよ」というセリフがあったんだよ
〇年〇組の○○さん、それだけの繋がりで友達になっていた頃には、
この言葉の意味がよくは分かっていなかったけれど、
この年になると、本当に「友達っていうのは、人間に対する最高の尊称だよ」の意味が分かるよ ワンコ

忙しい忙しいと私が愚痴っていたものだから、
桜を楽しむ余裕がなかったのではないかと心配してくれたんだね
海外出張も多い友人の方が、私より何倍も忙しいはずなのに、
こうして優しい贈り物を届けてくれるのだから、
本当に有難いね
この友人とは、梅雨時の京都を楽しむ旅の計画を立てているから、
その報告は、また再来月にするね ワンコ


追伸、
それにしても、60円のMONO消しゴムより小さな有平糖
うっとりするくらい可憐で、溜め息ができるくらい繊細なお菓子だね ワンコ
もったいないから当分鑑賞する予定なんだよ
無粋だとは分かっているけど、包みをほどかない写真でゴメンね

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ物語 道草編

2018-04-22 10:00:00 | ニュース
「ワンコ物語への道 ①」より

ワンコ
ワンコは犬見知りも人見知りも激しくて、
17年と2か月の間に、触れ合った わんこは親兄弟姉妹だけだし、
体を触らせた人間は、私達家族以外は、わんこ実家両親とわんこ病院の方々だけだったのに、
お空組になってからは、お空でも地上でもお友達を増やしているね

日々の思いを綴ることで精一杯で、なかなかコメントに手が回らない私に代わって、
ワンコが、出かけて御挨拶してくれることもあるんだね
おかげで長年憧れていた美魔女チェロさんとお話しできて嬉しかったよ

研ぎ澄まされたチェロさんの音がずっと響くように、
チェロさんとお父さんのご健康を、一緒に祈ろうね ワンコ

でね、「ワンコ物語への道 ①」で「天声人語」が話題になったから、
久しぶりに「深代惇郎の天声人語」を読んでいたんだよ
子供の頃、家は読売新聞を取っていたのだけれど、なぜか「深代惇郎の天声人語」の単行本が書棚の目立つ場所に置いてあったんだよ
これが夜寝る前に読むのにちょうどいい本だったから、子供だてらに私は「深代惇郎の天声人語」の愛読者だったんだよ
あれから何度も本棚の整理をしたはずなのに、
読み返す度に、その凝縮された文体に惹かれ、ずっと手元に残されてきたんだよ
そのくせ私の文は、いつまで経っても「※後から、後悔する」ってな感じで、情けないな ワンコ

ほんとはさ、ワンコお告げの本と旅について書くつもりだったのだけど、
その「深代惇郎の天声人語」に、今世間を騒がしている問題のようなものが書かれていたから、
「人間って奴はいつまで経っても進歩がない」ってことを記しておこうと思うんだ ワンコ

「セックス・ゼネスト」(昭和49・4・16)より一部引用
『井上ひさし氏によると、大辞典で男についての言い方を調べると、愚夫、健児、小丈夫などざっと二百三十。ところが女の方を調べたら、なんと七百以上もあるので卒倒せんばかりだったといっている。鬼女、美姫、悪女など男の三倍もあるのは、つまり女は男の三倍化けるからだというのが、作者のゆるがぬ信念であるらしい。
男と女で思い出すのは、ギリシャ喜劇「女の平和」だ。ギリシャの男どもは「ハタを織っていればよい」といって女の口出しを許さず、「戦争は男の仕事だ」と公言して人殺しに熱中している。そのくせ「我が国には人物はいない」と、往来でいつもうなずき合っている。それほど人物払底ならばと、敵味方の女たちが団結してセックス・ゼネストを起こす。ついに双方の男たちは降参して、和平が成立するという筋書き。
「インフレは男の仕事だ」「我が国には人物はいない」とうなずき合う男たちの声が聞こえてきませんか。』


「女の場立ち」(昭和50・10・2)より一部引用
『「私 作り人 僕 食べる人」というラーメンのコマーシャルが、槍玉にあがっている。女性隊の抗議は、こういう「差別コマーシャル」の影響は恐ろしい。小、中学校で料理の時間になると男の子は「ボク、食べる人」、掃除のときは「ボク、遊ぶ人」と言い出す始末だという(週刊朝日)。
ラーメン会社にも知恵者がいて、では、男女のセリフを逆にして「僕 作る人 私 食べる人」にしたらどうかを検討中だそうだ。情報社会では、騒ぎもまた情報量の増大になり、宣伝効果をあげる。「あなた 騒ぐひと 私 もうけるひと」という結果に終わるかもしれない。
では、男女の役割を逆にすれば女性尊重になるかといえば、話はそれほど単純ではない。パパがエプロン姿でカレーを作るコマーシャルもあれば、女剣士が男たちをバッタバッタとなぎ倒す活劇もある。こういうのが受けるだろうと考えるのは「男なのに料理を作る」「女なのに剣に強い」という意外性の効果を計算するからだろう。「強いのは男」「料理は女」という通念の上で作られる、という点では変わりない。~略~
差別反対の女性たちが「ニュースのアナウンサーはなぜ男ばかりなのか」と、NHKに食い下がっているのはいい。コマーシャルや流行歌の、すぐ消えてなくなる言葉に騒いで、相手の宣伝をしてあげるより、こういう問題の正面から取り組む方が生産的ではないか。なぜ、女性に刑事は勤まらないのか。なぜ、女性はダンプカーを運転できないのか。なぜ、女性の場立ちはいないのか。なぜ、女は入れない商船大学なので。
男が答えるのに苦しい問題は、たくさんある。』


今世間を騒がしているのは、まさにインフレターゲットなるものの旗振り役の御大将なので、40数年前の記事を笑うに笑えない。
この記事から40数年、今では女性アナウンサーはニュース(報道)の顔として浸透しているが、今回の件で、表(表現)だけを取り繕ってみたところで、そこへ至る報道の現場(取材と編集)では、相変わらずの状態であることが露呈した。

しかも、深代氏のお膝元ともいえる現場での出来事だ。

深代氏が答えるのに苦しい問題は、未だにたくさんある。


ところでさ、本書には昭和50年5月に来日されたエリザベス女王ご夫妻の御様子が記されているんだけど、
今日、愛犬家として知られるエリザベス女王の記事を見つけたんだよ ワンコ

<エリザベス女王、最愛のコーギーを亡くしてペットロスに> FIGARO4/20(金) 22:40配信 より一部引用
愛犬家のエリザベス女王は、幼い頃からコーギー犬をこよなく愛し、いままで途切れることなくコーギーを飼い続けていることはよく知られているが、このほど最後のコーギー“ウィロー“が亡くなり、女王はこれほどにないほど落胆している模様だ。
女王が最初に飼っていたコーギーである“スーザン“の子孫だったウィローは、あとちょっとで15歳の誕生日を迎えるところだったが、現地時間の4月15日、ウィンザー城で息を引き取ったという。
ある事情通は「Daily Mail」に、女王の現在の様子について、次のように説明している。
「女王は、もちろんこれまでにも何度も愛犬の死を目の当たりにし、その度に深く哀しんできたけれど、ウィローの死にはこれまで以上に動揺している」
「これは推測だけど、ウィローは女王にとって、ご両親と子ども時代の思い出を繋ぐ最後の綱だったのかもしれない。これでひとつの時代が本当に終わりを告げた気がする」
とはいえ、女王のそばには、“ヴァルカン“と“キャンディ“という2匹のミックス犬(コーギー×ダックスフンド)が残っている。2匹から少しでも哀しみが癒されることを祈るばかりだ。


愛する わんこを喪う哀しみは、女王陛下も庶民も同じなんだね ワンコ
誰にとっても わんこは特別な存在だけど、
女王としてでなく、一人の人間としてエリザベス(女王)を大好きな わんこの存在は、
きっとエリザベス女王にとって格別のものに違いないと思うんだ ワンコ
そのように命を大切にされるエリザベス女王は、
ウィリアム王子の御成婚にあわせて、第一子継承となるよう手を打たれたんだよ
いつまでの男子誕生を待つことになる「男子優先、女でも良い」ではなく、
第一子継承

21世紀のはじめに、いと高き処ご自身が女性蔑視でいくと宣言された我が国
そして、今世間を騒がせている問題

変わろうはずがないね ワンコ

つづく

追記
※録画していた「文書捜査官」とかいう刑事ものによるとね、
「後で、後悔する」という言葉は間違いなんだって
「後悔」という言葉は、「後に悔いる」という意味だから、「後で、後悔する」では重複だって
きっと私は、この手の文章ばかり書いているよ
あぁ~頭痛が痛いよ

参照、
「日英の絆」

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする