何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

誇りをかけた料理

2015-06-22 19:24:01 | ひとりごと
天皇の料理番 (TBSテレビ60周年特別企画 日曜劇場)

この題名を見れば、「もう見るしかないだろう」と番組が始まる前は思っていたが、いざ数回見てみると話はとても良いのだが、フランスに料理留学するのにBGMはイギリスの第二の国歌「威風堂々」というのも微妙に?だし、他のBGMも少々大仰だったので、しばらく見ていなかった。
が、家人が「今日(6/21)のは見るべし」と言ってきかないので、見た。

良かった。

これは明治から昭和を料理一筋に生き、最高位の料理人・宮内省大膳職司厨長に就任した秋山徳蔵氏をモデルにした小説「天皇の料理番」をドラマ化したものだ。

ドラマを初回から通じて見ているわけではないのでドラマ全体の感想は控えるが、秋山氏が大正天皇が御即位される御大礼のための2000人分のディナーを任された6月21日放送は文句なく感動的で、昨日の放送分だけでも印象的な場面はいくつもあった。

何をしても長続きしない荒唐無稽な主人公秋山氏をいつも励まし続けた秀才のお兄やんが、御即位の御大礼のディナーの成功を知って亡くなる場面の迫真の演技は涙なしには見ることは出来なかった。

今も宮内庁大膳職で務めるというのは大変に名誉なことだと思うが、やはり時代背景というのは大きいのだと、改めて感じた。
「誇りを与えて欲しい」
これは、優秀でありながら病に倒れ何一つ希望を叶えることが出来ないお兄やんが、弟を励ましつつも弟に夢を重ねて綴った手紙の一部だが、大正天皇御即位の御大礼のディナーを任され思い悩むときに、死の床にあるお兄やんの「誇りを与えて欲しい」という言葉が思い出されるほどに、大正天皇陛下御即位の御大礼に関わるということは重い意味があったのだと、ひしひしと感じられた。

マスコミにリークする宮内庁関係者という構図ばかりが目につく昨今なので、陛下にお仕えするという意味の重みが失せて久しいが、大正から昭和にかけて天皇陛下にお仕えするということは、今では想像もつかないほどに重い意味があったのだということは、秋山が大膳職を一喝した言葉からも伺える。

御即位の御大礼を前に、大膳職のしきたりについて右も左も分からない洋行帰りの秋山が突然トップを任されたことを厭う雰囲気が充満し、食材の扱いから包丁の使い方に至るまで、秋山の指示が通らない。
就任当初は様子をみていた秋山も、招待客が2000人の要人と知り、御大礼を前に大膳職料理人を喝破する。
「こんな調理方法では海外の要人に笑われる。それは陛下に恥をかかせることにつながる、それでいいのか」
この一言で、即座に全ての料理人が態度を改めるのを見ると、「国のため、陛下のため」という思いの強さと重みが改めて感じられたのだ。

あまりにもジャンルが違うが、これで思い出したのが絵本の「世界でいちばんやかましい国」(ベンジャミン・エルキン)だ。

騒々しい国ガヤガヤの、騒々しいのが大好きなギャオギャオ王子様の「世界で一番うるさい音が聞いてみたい」という願いを叶えるため、「王子様の誕生時刻に世界中で一斉に音を立てるべし」という御触れが出るのだが、世界中の人が「自分も世界で一番うるさい音を聞きたい、自分1人くらい音を立てなくても他の皆がいるので大丈夫だろう」と皆が思い、誰も音を立てなかった。
すると、世界で一番静かな瞬間が起こった。
生まれて初めて静寂を知った王子様はそれを気に入ったので、国民も静かに平和に暮らすようになった、という話しだ。

「大きな音を立てろ」「静かにしろ」という御触れは微笑ましいが、それが一人の嗜好によることを考えれば、誰かを奉り、その誰かの為に一斉に同じ方向を向いてしまう危険性は、もちろんある。
しかし、「誰かのために、その誰かが体現している国の名誉のために、誇りをかけて成し遂げたい」という心意気がすっかり感じられない時代を長く生きてきたので、「このような仕事ぶりでは、陛下に恥をかかせることになる」という言葉に背筋を伸ばし、「陛下の御為に」と誇りをかけて成すべきことを成すことの何と清々しく素晴らしいことかと気づかされた。

絵本では、やかましいのが好きな王子様のために「誕生時刻には大きな音を立てよう」と思いながらも、「(つい)自分くらい」と思ってしまう国民たち。

この塩梅が難しい、そんなことを考えさせられる「天皇の料理番」であったが、もう一つ印象的な言葉があった。

それは、つづく

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