何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ドクターワンコ、再び

2020-07-27 00:03:01 | ニュース
17歳2か月のワンコが天上界の住犬になって4年と6カ月
 
ワンコに認知症の症状が出始めた頃、「東京オリンピックを一緒に見ようね」を合言葉にしていたのに・・
下界はとんでもないことになっているよ
 
「stay home」のスローガンのもと緊急事態宣言を発令した時より酷い状態なのに、
「go to travel, go to eat」とか訳の分からないことを言ってるし、
そうは言っても他人事だと思っていたコロナ禍が身近に迫っていることをヒシヒシと感じる事態に遭遇したし、
もう、参ってしまっているよ
 
・・って・・、相変わらず愚痴を聞いてもらったり、
いつまでもお告げ本のお告げに頼ってばかりではいけないのかな?と反省している私に、
ワンコはお告げ本でお返事をくれたね 
 
「ガリレオの苦悩」(東野圭吾)
 
云わずとしれたガリレオシリーズの第四弾
云わずとしれたと書いたけれど、実はこのシリーズを読むのは、たぶん初めてだよ
東野圭吾氏の本はけっこう読んでいるけれど、
このシリーズはワンコお告げでもないかぎり、読まない類の本なんだよ
それは兎も角、
そこに、祖母からもらった水晶に大事なことを決めてもらう少女の話があるんだよ
水晶に紐を通し、振り子に見立て、その指し示す方へと進み、事件解決の糸口をつかんでしまう少女
科学万能主義の物理学者の湯川は、そんな少女やダウジングを鼻で笑うかと思いきや、
そうではないんだな
 
『神秘的なものを否定するのが科学の目的じゃない。彼女は振り子によって、自分自身の心と対話している。迷いを振り切り、決断する手段として使っているに過ぎない。振り子を動かしているのは彼女自身の良心だ。自分の良心が何を目指すのかを示す道具があるなら、それは幸せなことだ。我々が口出しすべきことじゃない』
(第四章「指標す」より)
 
上手く言えないんだけどさ、
「少年と犬」(馳星周)(神の宿る山、わんこ② )の’’多聞’’という名の犬が、
その名のとおり、孤独や死の気配を漂わせる人の心の声を聞く話を読み、
犬は人の守り神ではあるけれど、
愚痴や悲しみを聞かせっぱなしではいけないのかな、と反省していたので、
 
「指標す」の上記の言葉は、
ワンコのお告げ本や、その感想をめぐりワンコとお話することを、肯定されたようで、
嬉しかったんだよ
 
私が私自身と対話する手助けをしてくれているワンコ
ありがとうね
 
ところで、
ワンコは年明けから、新型インフルのパンデミック本や医療崩壊本をお告げしてくれて、
その先見の明には驚いているのだけど、
今世間で問題となっているニュース(ALSと医師のよる安楽死)を彷彿とさせる本を、
一年前にお告げしてくれていることにも驚いているよ
 
OGPイメージ

我が家のドクター・ワンコ - 何を見ても何かを思い出す

ワンコワンコが天上界の住犬になって三年と5か月ワンコと過ごした最後の6月も肌寒い日が多く、何度か片付け忘れたストーブをつけたのを思いだす梅雨...

我が家のドクター・ワンコ - 何を見ても何かを思い出す

 

とっても難しい問題だから、
考えがまとまらないことも、それを上手く表現できないことも当然なんだけど、
このコロナ禍も安楽死・尊厳死の問題も、命の重みと選択権と価値観が複雑に絡み合った問題で、
単純明快な答えがない、という難しさがあるね

安楽死や尊厳死、医療崩壊や感染症パンデミック
ワンコは一歩も二歩も先んじて、「考えろ」と指令を出してくれているのに、
どの分野についても、自分なりの答えは出せないよ

こんな情けない私だけど、あきれずに懲りずに、
来月もまたお告げしておくれよ ワンコ

お願いだよ ワンコ


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神の宿る山、わんこ②

2020-07-20 09:51:25 | 
ワンコが天上界の住犬になって4年と7カ月
恒例のワンコお告げの本も、最近ではその意図をすぐには理解できないことが多くあり、
先月はついに感想文報告書を記録するのを諦めるしかないと思ったのだけど、
そんな私にワンコは、強烈なメッセージでもって「再読せよ」と指令を出してきたね
ワンコが、再読を促すために送り付けてきた本が、直木賞を受賞したよ
 
「少年と犬」(馳星周)
 
本書はね、
いつも誰かを探しているように、ある方向を見つめる迷い犬と、その犬とひと時を共にする人たちとの短編集なんだよ
現時点で、出版から間もないし、直木賞受賞直後ゆえに結末を書くのは控えるので、意味不明な感想となることを許しておくれ ワンコ
 
さて内容だが、
 
東日本大震災後、
年老いた親を抱え、生活費を捻出するために良からぬことに手を出す男と、
その男が偶然であった犬の話「男と犬」から本書は始まる。
男は、偶然出会った犬を、ガーディアン・エンジェル守護天使、守り神といって大切にするのだが、
事情はどうあれ、良からぬことはいつまでも続かず、
分かれの時がくる。
 
一章の男と犬が分かれる原因となった泥棒と、
その泥棒に連れ去られた犬の、その後を描く第二章。
かなりの悪党・泥棒のくせに、というべきか、泥棒にならざるを得なかった境遇から当然というべきか、泥棒は心の底に寂しいものを持っている。
そんな泥棒は、第一章の男から分捕った犬を、自分の守り神と崇めるのだが、
犬が本当の神であれば尚のこと、泥棒の片棒を担ぐような守り神にはなるはずもない。
ただ、その寂しさと人生の結末に寄り添ってやり、次の旅へ出る第二章「泥棒と犬」
 
二章で泥棒の結末を見届けた犬が、探し求める人に向かう旅の途中に出会った夫婦を描いた第三章。
夢を諦めきれない夫と、それを惰性で支える妻。
違う一歩を踏み出さねばならないと分かっているのに、それを話し合うことも実行もできない夫婦の胸の内を聞き、次の旅へと向かう第三章「夫婦と犬」
 
第三章の夫婦と別れた犬が次に出会ったのは、身も心も男に捧げボロボロになってしまった滋賀の女。
岩手から西を目指して旅を続けボロボロになった犬と、ボロボロの心身に秘密を抱える女を描いた第四章「娼婦と犬」
 
ここまで読んでくると、ある種の不安が生じるのだが、それを決定的にするのが、第五章「老人と犬」
娼婦のもとを去り、更に旅を続ける犬が次に出会ったのは、すい臓がん末期の猟師だった。
優秀な猟犬を飼っていた猟師は、その犬が真の家族を探す旅の途中であることに、すぐ気づく。
猟師は、憔悴しながらも家族を探して旅を続ける犬が、なぜ山奥で孤独に暮らす自分の元に身を寄せたのか考えるのだが、
そこで浮かんだ答えが、本の帯や、カバー折り返しに記されている言葉で、
それこそが、ワンコが私に贈ろうとした言葉だと確信している。
 
本の帯より引用
『人という愚かな種のために、神が遣わした贈り物
 傷つき、悩み、惑う人々に寄り添っていたのは、一匹の犬だった』
 
本のカバーの折り返しより引用
『人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。
 こんな動物は他にはいない。』(老人と犬より)
 
ねぇワンコ
ワンコ(自分)が私を一番分かってるから、お告げする本を再読せよ考えよ と伝えたんだろう?
 
そういうワンコの意図はよく分かったのだけど、
単純に作品の感想を云えば、
正直なところ、犬と人との関りをこうまでネガティブに書いた作品の読後感は、そう良いものではないよ
 
本書の犬と人は、かならず孤独と死に包まれている。
本書では犬は、孤独や死の匂いを嗅ぎ分け、その孤独や避けられない死を迎える時のために、人に寄り添い続ける。
それは、犬が真の家族と出会えた後ですら、続く。
犬と人との関りが、このように表現されることに、私は釈然としないものがある。
 
氏の作品には、豊かで厳しい大自然のなか犬と人が共存する素敵な作品が幾らでもあるので、
直木賞受賞がよりにもよって本作でなくても良いのではないか、とは思うが、賞にはその年どしの事情があるので仕方がない。
 
だが、本書の『人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。こんな動物は他にはいない』『犬はガーディアンエンジェルだ』という、犬とともに暮らしたことがある人なら誰でも知っていることを、本書を通じてワンコが改めて示してくれたおかげで、
ワンコお告げの本を再読し、応援の在り方について真剣に考えることができたのは、本当に有難かったよ
今の私にとって、命令指導と応援の仕方を考えることは、大切なことだからね
 
そう思いながら、本書の犬の名前を注意を向けると、
今の自分にとって大切なことが、もう一つ見えてきたよ
 
本書の犬はね、旅の途中で出会った人によって、色々な名前で呼ばれるのだけれど、
もともとは、多聞という名前なんだよ
そして、この犬は名前のとおりの犬生を送るんだよ
孤独に苛まれる人や、死の淵に立つ人の心の声に耳を傾け続けるんだよ
 
今の時代、人は自分の思いばかり口にし、呟きすら世界を一周するので、
他の言葉に耳を傾けることが極端に少なくなっているかもしれないね
そんな、沈黙や余白の重みや意味に、思いを巡らせることができなくなってしまった現代人にとって、
黙って人の話を聞いてくれる犬は、ありがたい存在なんだね
 
私も随分ワンコに愚痴を聞いてもらい、助けてもらったね
ワンコにだけは素直に、いろんなことを話せたね
時には頬を伝う涙を、ワンコは温かい舌ですくってくれたね
 
だけど、犬に思いや愚痴を聞かせっぱなしでは、いけないんだね
黙って聞いてくれることを切っ掛けにして、自分に向き合うというしんどい作業をしなければならないんだね
でも、未だ成長してないので(そろそろ老成という言葉を使うべきかな?)
これからもワンコに色々相談させてね・・とお願いしていると、
今月の本で答えをくれたね
それについては又つづくと思うよ
 
ところで、最近では信州の山と犬を描くことが多い氏だけど、
本書を読んでいる時に、長年手に入れることができなかった信州のお酒を、入手したよ
      
                
 
御大が学生時代よく訪ねたという諏訪湖のほとりの日本酒で、御大にとって思い入れのあるお酒
それを、本書を読んでいる時に、偶然入手できたのは嬉しいことだったよ
忙しくてなかなか皆で食卓を囲むことができないけれど、
久々に、本の話を肴に美味しいお酒の時間だったよ
そんな時間を贈ってくれたワンコに感謝だよ
 
これからもよろしくね ワンコ穂高

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神の宿る山、わんこ①

2020-07-19 01:08:50 | ニュース
少し前のことになるが知人から、山と渓谷などによる、山小屋のためのCFがあると聞いており、幾ばくかは協力したいと思っていたのだが、こんなニュースまで見つけたので、事態は思っているよりずっと深刻なのかもしれない。
 
<長野県、山小屋支援にCF寄付を> 共同通信より引用
長野県は、新型コロナウイルスの影響で経営が悪化している山小屋を支援しようと、クラウドファンディング(CF)による寄付を呼び掛けている。県によると、都道府県が山小屋支援でCFを行うのは全国で初めて。15日午前10時時点で約250万円が集まった。目標額は1千万円で、8月31日まで受け付ける。山小屋は登山者のごみ処理のほか、災害時の緊急避難先にもなる。登山道の整備のため倒木の除去や除雪も負担しており、山岳観光には不可欠な存在だ。長野県は県内約150軒の山小屋に一律30万円の支援金支給を決定。今回のCFで集まった寄付も均等に配分する方針だ。
 
お願い
記事を全文引用させていただくが、ここを読んでくださった方が、趣旨に賛同して寄付して下さることを願ってのことなので、許可して頂きたい。
 
おうちで上高地の趣旨に賛同し、何度かお世話になった徳澤園の蜂蜜やTシャツを購入した、その写真。
購入時にも書いたが、「ほんの気持ち」のメッセージが添えられたマスクとお手紙が、温かいもてなしをされる、徳澤園の人柄を表している。
 
 
お布団一枚に2~3人詰め込まれることもある山小屋に、密を避けよというのは土台無理な話で、今年はこの私ですら夏山歩きは泣く泣く諦めた。
特に、私が大好きな槍穂山域は、コロナ禍だけでなく、豪雨被害や四月後半からの群発地震による土砂災害も重なり、大変な事態となっているようだ。
それは、客としての登山者が入山しないという収益の問題にとどまらない。
山小屋が機能しないと、いや登山者が山を歩かないことには、登山道は荒れるばかりになるのだ。
そのようなことを少しでも避けるための、CFだ。
 
お世話になったことのある、涸沢小屋、穂高岳山荘、槍ヶ岳山荘、槍沢ロッヂ、蝶が岳ヒュッテ、北穂高小屋、横尾山荘
どの小屋を思い出しても、それぞれに居心地の良い工夫が凝らしてあり、疲れた体を癒してくれた。
そんな山小屋に少しでも恩返しをしなければと思い、その方法を考えている。
 
そんな長野の山を舞台にした本を執筆されることが多い作家さんが、今年の直木賞を受賞された。
その本こそ、先月のワンコお告げ本の意図が汲めず、感想報告をするのを諦めかけていた私に、再読を促したものだ。
 
引っ張るようだが、それについては又つづく

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たゆたえども・・浮上せよ

2020-07-14 22:07:14 | ひとりごと
夕方、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに、夕焼けを見た。
もうこのままずっと雨が降り続けるのではないかと思うほど雨ばかりの日々の、ほんの一時のことだった。
茜色に染まる空を楽しんでいるのは、人間ばかりではなかった。
どこにこれほどのツバメがいたのだろうか、と思うほどのツバメが、楽しそうに空を舞っていた。
 
そうして君を思った。
 
「玄鳥至る」の候、君にその名の由来を話したね。
農耕民族の日本にとって、本格的なコメ作りを始める時期に南方からやってくる玄鳥は、大切な始まりを告げる大切な存在だと。
そして、玄には、時空を超えて天地万象の根源との意味があるのだと。
 
7月14日 パリ祭
 ”Fluctuat nec mergitur“  たゆたえども沈まず
 
今日という日に、
私にとって新しい日が始まる、この日に、
玄鳥の楽しそうな舞を見ることができたのは、嬉しいことだったけれど、
君が戻ってくる知らせは、嬉しく安堵するものだったよ
 
元気の素よ
また本の話が一緒にできることを楽しみにしてるよ

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神よ地へ降りよ

2020-07-11 19:54:21 | ひとりごと

くそ忙しいということもあるが、今年は魂の洗濯の夏山歩きができないので、魂がすっかり腐りきっている、ところに、その聖地である上高地が大変なことになっているというから、弱りきっている。
それについて記す前に、豪雨災害の被害に遭われている方々に心からのお見舞いを申し上げます。
かくいう私も、今のところ被害はないものの、ずっと大雨(土砂災害)警報が出っぱなしで、夜もおちおち寝ている気分ではなく、少しばかり参っている。

<上高地の宿泊施設に270人余り足止め> 7/8(水)13:04共同通信より配信
長野県松本市によると、土砂崩れによる国道158号の通行止めで、上高地の宿泊施設の客や従業員270人余りが周辺と往来できなくなり、足止めされている。

https://www.gosenjaku.co.jp/live-camera/「五千尺ホテルライブカメラ」

豪雨被害の映像を目にするたび、胸が塞がれる思いがするが、彼の地の清らかな流れが濁流と化している映像にも、胸がえぐられる。この映像を配信して下さっているのは、いつもお世話になっているホテルではないが、五千尺ホテルは、私が穂高を歩く切っ掛けの一つである「氷壁」の作者・井上靖氏が徳澤園と並んでご利用になっていたというので、いつか一度は泊まってみたい、かもしれない。

 

朝六時、いよいよ槍穂へ向け出発という時の、河童橋

登山者しかいない早朝の河童橋ならいざしらず、そろそろ大勢の観光客で賑わっているはずの上高地・河童橋が、今は閑散としている。

緊急事態宣言にともない上高地は開山祭を中止し、「上高地はこれからも、ずっとそこにあり続けます」の言葉とともに宿泊施設は一斉休業を決定した。https://blog.goo.ne.jp/3106moriran/e/06f2f2744bd1baefd952e9359e469efb

コロナ禍と集中豪雨だけではない。
現在 集中豪雨に見舞われている飛騨・北アルプス周辺は、四月後半から群発地震も発生し、それにともなう土砂崩れも起こっているのだ。

この群発地震は活火山である焼岳の活動に由来するものではないそうだが、大正時代の噴火で出現した大正池が年々小さくなっていくのを目の当たりにすると、これももうそろそろな気がしないでもない。

ようるするに、あらゆることが、その時を迎えるタイミングにきているのかもしれない。

それとも、どこかの誰かが云っていたように、地球という生命体が人間を異分子として排除しようとし始めているのだろうか。         

そんな居たたまれないような思いでいた週末、思いがけず探していたものに出会った。

これもワンコの仕業かな
だって、先月お告げ本の意図がさっぱり分からず諦めようとしていた私に、再読せよと迫った、その理由を書いてなかったもんね
https://blog.goo.ne.jp/3106moriran/e/674787a7651e5bc0b019e28b7f4f5685

でも、それについてはまたね


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