何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

どのような時にも幸いの種を①

2021-02-23 01:01:01 | ひとりごと
お誕生日のお祝いメッセージが一週間以上も遅れるのは相手が誰であっても失礼なことだが、それが天皇陛下のお誕生日なら尚 失礼極まりないことは重々承知している。だが、先月から続く(ちょっと過労死しちゃうよ的な)忙しさに、両親の体調不良による検査通院が加わり、ダウン寸前なので、どうしようもない。
それは現在も続いているのだが、励ますようにワンコが現れてくれたおかげで、少し元気になったので、ひな祭りの今日お祝いの気持ちの写真とともに、おめでとうございます!の気持ちを記させて頂きたい。
(記載 令和三年桃の節句 掲載日 日本一の日 富士山の日 天皇陛下のお誕生日)
 
万両 花言葉 寿ぎ
 
昨年、御即位されて初となるはずだったお誕生日の一般参賀を、コロナ禍に配慮され見送られたのに続き、今年の一般参賀も (首都圏緊急事態宣言発出中により)お見送りになった。
一般参賀の中止が知らされた時には、まだこのコロナ禍がこれほど酷いものになるとは思いもしていなかったのだが、あれから一年。
世界観は一変したかもしれない。
 
密を避けるため、感染予防のため、両陛下お出ましのご公務は絞られ、お姿を拝する機会は極端に減った。それは、その地方行脚が半ばショー化していた平成との違いを際立たせるもので、時代時代の皇室のありかたを考えさせられるものでもあるが、皇室を想い考える時、それを伝えるマスコミの相変わらずのクズっぷりも、まざまざと見せつけられた。
 
ご病気もあり御会見がままならない時には、それを叩きのめしていたマスコミが、新年にあたり両陛下お揃いでビデオメッセージをお伝えになっても、ほとんど取り上げられないかった。
被災地を思い、またコロナ禍にあって様々に困窮する国民に思いを寄せるお言葉を多く紡がれても、大見出しで踊るのは、筆頭宮家の長女のドタバタ婚約騒ぎとの絡みのみ。(それも、天皇陛下は「両親とよく話し合うこと」「弟が言うように、国民が喜んでくれる状態になることが望ましい」と、たった二行ほどのお言葉を述べられただけにもかかわらず、なぜか見出しは「天皇陛下の厳しいお言葉により、長女さんは駆け落ち婚しか手がない」というという見出しになる )
 
ようやっと天皇ご一家が皇居にお移りになられる話題も、先日の地震にからめ「耐震に重点をおかれ8億の改修費」と伝えられたが、筆頭宮家が聞いたこともない呼称の皇嗣家となるためにお住いに50億近い費用が投じられらることは、あまり伝えられない。(増改築費に33億、その間の仮住まいのために10億円の新築)
 
マスコミの、今に始まったことではない不愉快な偏向報道に怒っていても仕方がないので、お誕生日の御会見にあった、他では聞いたことがない視点について記しておきたい。
 
がその前に、不思議で有難いことを記録しておこうと思ったのだが、
それは又つづく、とする

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ホタルより星、転じて…

2021-02-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬になって5年と一月
今月のワンコ本の真意は未だ測りかねているので、
まずは心からのお礼を
 
ちょっと過労死するよ的な忙しさは体力的にキツイのだけど、
それよりもしんどかったのが気持ちの面だったよ
それは、
仕事仲間という範疇を越えて家族ぐるみで付き合っている後輩同僚に騙されていた?とまではいえないけれど、
少なくとも嘘をつかれている、と感じていたことに大きく起因していたんだよ
今は部署が変った後輩だけど、彼が残している功績足跡は多いので、
それを目にするたび、自分の何が悪かったのかと反省したり落ち込んだりしていた時間が過ぎ、
徐々に怒りと腹立たしさが増幅し、
でも、そんな自分にまた落ち込み、
これからの、自分のやり方にも迷いが出てきて、
二進も三進もいかない気分になり、
ついに先日心のなかで叫んだんだね
ワンコしんどいよ、と
愚痴や泣き言はいっても、基本ワンコにお願い事は言わない私には珍しく、
ワンコ助けて、と
そうしたら、その日のうちにワンコは対応してくれたんだね
ふきのとう花言葉 
真実は一つ 仲間
 
 
色々まだ思うところはあるけれど、
少なくとも、騙されていたり嘘をつかれていたわけではないのだということは判ったんだよ
それを私が知ったのは、ワンコにお願いした翌日のことだけど、
後輩側の事情が発せられたのは、まさに私がワンコにお願いした数時間後のことだったので、
本当に驚いたし感謝しているよ
他にも先週は、家人の健康も気遣ってくれて本当にありがとう
 
こう書いていると、
ワンコが今月のワンコ本で何をお告げしたかったのか?は分からないけれど、
ワンコの意図は分かったような気がするよ
ありがとうね
 
今年は庭のフキノトウが不作で、写真のたった四つしか見つけられなくて
貴重なフキノトウは天ぷらにして頂いたよ
そこから広がった食卓の話題も、ワンコお告げ本に(少し)つながるかな?
それは又つづく、とするね
ワンコの日の今日は心からのお礼を

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是非に及ばず 違うだろう

2021-02-07 23:14:57 | ひとりごと

日曜の夜8時が待ち遠しい、この一年だった。

最終回の今日、自分はやはり信長が好きなのだということに改めて気づき、この一年は何だったのだろうかと、気を悪くしている自分に驚いている。

名古屋城の掛け軸

 

三年前 熱田神宮をお参りした頃、「信長と秀吉と家康の誰が好き?」と問われ、殺されてしまいそうな自分を恥じ、小さな声で「家康かな」と答えたが、この最終回を見て、やはり「信長かな」という思いがふつふつと湧いている。

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人間50年、から? - 何を見ても何かを思い出す

「基本暗記科目は嫌いだ」という野球小僧が訊いてきた「信長と秀吉と家康のうち、誰が一番好き?」という質問。あまりに単純で手垢がつきすぎているせ...

人間50年、から? - 何を見ても何かを思い出す

 

信長に、「是非に及ばず」と言わしめた光秀なのだから、抜きんでるものはあったのだろう。
だが、光秀を主人公に据えたがために、少し客観的史実を歪めてはいないだろうか。
信長が非道だと言われれば、そうかもしれないが、その非道の多くに光秀は率先して加担し、手柄をたて、城持ちにまで取り立ててもらっている。それを、いつのまにか信長一人の狂気にし、実戦部隊の光秀は実は平和を願う温厚な人だったと描くのは、違うだろう~~~。
もし、本当にそのような側面があるのなら、本能寺の変のあと、京の町衆は光秀についたのではないか。
しかし、実際にはそうはならず、山崎の戦いの後 落武者狩りに遭い死んだことになっている。
仮にそうではなく、日光あたりで裏から手を引いていたとしても、その生存を隠し裏から指南するという体をとるしかなかったのであれば、やはり本作のような、上から下まで全ての人に「麒麟を連れてこれる人」と信頼されるような人物ではなかったのではないだろうか。

信長が非道で狂気に取りつかれていて、それ故誰かが始末しなければならなかったのだとしたら、「よろず、作った者がその始末をなす他あるまい」は正論で、光秀は適任者かもしれないが、その後押しをするのが、濃姫というのは、違うだろう~~~。
百歩譲って、濃姫のこのセリフをさらに生かすなら、多く書物で採用されている通り、濃姫は本能寺で信長と最期を共にするべきだったと思うのだが。
それでこそ、自身の「よろず、作った者が始末をなす他あるまい」の言葉に重みが増すというもの。

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唯一無二 その壱 - 何を見ても何かを思い出す

「人間50年、から?」より熱田神宮というと、’’うつけもの’’の評判を覆し、天下に信長の名を知らしめた桶狭間の戦いの直前に、必勝祈願した神宮...

唯一無二 その壱 - 何を見ても何かを思い出す

 
 

唯一無二 その弐 - 何を見ても何かを思い出す

「人間50年、から?」「唯一無二その壱」より一番奥深い鳥居のそばに信長塀があったこともあり、熱田神宮の写真を拝しながら信長についてばかり書い...

唯一無二 その弐 - 何を見ても何かを思い出す

 

大っぴらな冷酷非情より、小細工を施す裏切り者のほうが許せないのか?という問いは、難しいものがあるが、最終回が終わったばかりの今、やはり自分は信長が好きなのだと改めて気づいた。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり(敦盛)

 

 

タイトルの「ちがうだろう」は一頃世間を賑わした暴言の一つなのだが、最近あれやこれやを目の当たりにするたび、心の中で「ちがうだろう~~~」と叫ぶ自分がいる。
まさか楽しみにしていた「麒麟がくる」の最後にまで、この言葉を投げかけなければならないとは思いもしなかったが、それでこそ桔梗の紋を主人公にした面目躍如???というものかもしれない。


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一語のあるお台所

2021-02-05 18:39:39 | ひとりごと

1月20日ワンコの日の翌日
人生の大先輩から瑞々しく美味しい立派なイチゴが届いた。
ここ数年毎年この時期にイチゴを送って下さるのだが、初めてイチゴが届いたのは、ワンコが天上界の住犬になって二年目のことで、しかもワンコの日でもあり(ワンコが最後に口にしたのが、イチゴとカスタードクリームだった)、又その時期私は自分の方向性に思い悩んでいたこともあり、そのイチゴは人生の先輩とワンコからのエールのようにも思えて、心から有難かった。

最近、子どものリビング学習の効能について内輪で話題になったのだが、考えてみれば台所は大切なことを教えてくれる場所だった。料理というのは基本、大切な人を想いながらすることだからかもしれないが、だからこそ愛憎が入り混じるところでもあるのかもしれないということを再認識させてくれる本を読んだ。

「向日葵のある台所」(秋川滝美)


本の帯より引用
『学芸員の麻有子(46歳)は、東京の郊外で、中学二年生の娘・葵とともに、穏やかに暮らしていた。そんな折、麻有子の姉・鈴子から「母が倒れたので引き取って欲しい」と連絡があった。母とも姉とも折り合いが悪く、極力関わらないようにしてきたのにー。
姉の勝手な振る舞いにうんざりしつつも、受け入れざるを得なくなってしまう。
「いったん引き受けて、やはり居心地が悪いと自主的に戻ってもらう」という葵の提案のもと、絶縁状態だった母親との生活が始まった。
だが、葵の知られざる一面も見えてきたー。
肉親だからこそ許せない、心の棘がそこにあるー』

 

『どうして私ばっかり』『肉親だからこそ許せない、心の棘がそこにある―』という文字が赤文字で一際大きく記されている本の帯。

本書は、深くものを考えさせたり、格言名言の類が散りばめられたりするわけではないのだが、どこにでも起こりうる親子関係であるために、じわじわ感じさせるものはあった。
人間と云うのは、それが例え親子であっても相性というものがあるので、母と娘であっても理解しあえるわけではないのは当然だが、母と娘が折り合えない場合、それに連なる記憶が台所やリビングになってしまうのは、哀しいものだとしみじみ感じた。

本書には、精神的虐待を続けてきた母が過去を振り返り、『どうしてこういう言い方しかできないのかしら・・・自分でも本当に嫌になるわ。我が子相手にマウンティングなんて愚の骨頂。ずっとこんなことばっかりしてきなのね、私は』と反省の?弁を口にする場面があるが、考えてみると近年、自分より立派な子供を認められず、我が子相手にマウントをとる行為が如何に愚行かということを、お台所で考えてきた。

今、「女は競争心が強いので(会議が長引くため)会議には不向き」だとか「男の会議に加わってよいのは弁えている女だけだ」という発言が問題になっているが、この御仁 過去には「子供を産まぬ女を税金で面倒見るのはおかしい」とも言っている。
子供を産まぬ云々は2003年のことだが、考えてみると、ご成婚以来長くお子様を授かられず、流産を経て女児を授かられるや「一人産めたのだから、次は男児を」と言われたという雅子妃殿下は、この発言をどのようなお気持ちでお聞きになっただろうか。(雅子妃殿下がご体調を崩されたのは、2003年晩秋のことだった)

そして本書でも、後継ぎは男、ゆえに男を産んだ女はエライという発想で、我が子にマウンティングする場面がある。

世論調査をすると8割の人が東京五輪に反対だというので、この話題は恰好のエサになっているが、この御仁やマウントをとる親の発想は、何も今更始まったことではない。それを長く放置してきたがゆえに、世界に恥をさらす事態になっているのだと思う。


ペチュニアに向日葵
とはいえ、写真を撮ったのは一月も末のこと
軒下で冬を凌いでいるペチュニアと晩秋まで咲くという千輪咲き向日葵だ
一番厳しい時期は越えつつある

 

困難な時期に多くを学んだ台所、その主のご健康を心から祈っている。


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